第112話 「ロディ・ヴィチュスラー」
「右翼艦隊微速前進」
「艦隊微速前進!」
ヴィチュスラーの指示と共に各艦のオペレーターへ艦隊行動が通達される。
戦闘予定宙域に対し左翼のヤーパンと中央のエルテリア艦隊は慣性航行のまま、ドロシア艦隊のみブースターを焚き、セントラルコロニー軍の最右翼へと舳先を向けた。
連合艦隊の提督であるヴィチュスラーは、各艦隊の配置や戦略目標をそれぞれの艦隊司令官に伝え、自らはドロシア艦隊の指揮を執っている。
セントラルコロニー宙域に於けるオーディンの通信装置の設置状況は数パーセントにすぎない。
通信妨害のジャマーの密度も上昇する一方で、それぞれの艦隊指揮は各国の艦隊司令に任せている。
それぞれの艦隊が戦略目標に向けて状況判断しながら艦隊運用を行う事になるのだが、ヴィチュスラーはそれ以上の干渉は行わない。
連合艦隊を司る提督の地位に有るとはいえ、それぞれの軍の独立性を損なわない様に配慮しているのだ。
「アリッサ殿。貴女はどの様に動かれますか」
『私の役目は、私の艦隊の前に立ち塞がる敵を排除すること。ただそれだけよ』
「承知した。そろそろ通信も怪しくなる。アリッサ殿、どうぞご壮健なれ」
『ロディ。難しい言葉を使わずに『可愛いアリッサちゃん。また後で会おうね!』で良いのよ』
アリッサの通信にヴィチュスラーの頬が緩む。
「アリッサ殿。艦橋のクルーが全員聴いているのだが……」
『だって皆そう思っているでしょう?』
アリッサの言葉に艦橋中に歓声が上がる。彼女はドロシアの軍人に人気なのだ。
艦隊をオーディン所属にするという彼女の機転により、同盟軍の中で卑屈な思いをせずにいられた事に加え、普段は冷静で動じないヴィチュスラーを、歯にもの着せぬ物言いでタジタジにさせている。そんな明るくて美しい同郷の娘の事を、皆好ましく思っているのだ。
深紅のサルンガから発せられた粒子レーザー光が、旧型ミストルテインに迫るが、寸での所で霧散してしまう。粒子レーザー拡散チャフの濃度が高い宙域だったのだ。
「チッ! 完全に捉えたと思ったけれど残念。チャフの濃度がまばらだから厄介ね」
不満気な言葉を発しながらも、アリッサは嬉々として次の行動に移る。
地下基地に潜伏してから約一年。その間実戦から遠ざかっていた。久しぶりの実戦に心が躍っているのだ。
数倍のミストルテインと対峙しており、圧倒的に不利な状況にも拘わらず、近接武器に持ち替えるや否や、フルブーストで敵機に一直線に突き進んで行く。
受ける側のミストルテインは、それまで複雑な動きで自分達を翻弄していた深紅の機体が、突如一直線に突っ込んで来る事に違和感を覚え、直前で変化をしてくると読み、その場で構えたまま動かなかった。
しかし、パイロットの読みは外れ、赤の機体がそのままの勢いで迫って来る。
「なっ……」
ミストルテインのパイロットが最後に見た景色は、赤い機体が衝突する寸前に視界から消え、直後に強い衝撃と共に何かがコクピットを突き破って来る姿だった。
アリッサが駆る深紅のGDサルンガは、衝突直前にコクピットへ向けて剣を投げつけ、瞬時に旋回を行い衝突を回避。
いとも簡単に一機を屠ると、もう一方の剣で目前に迫る敵機のアームごと近接武器を切り離し、直後に機体をアクロバティックに回転させ、蹴りを繰り出した。
加速が乗った重たい蹴りが二機目のミストルテインのコクピットを潰し、その反動を利用し減速すると、即座にフルブーストの炎を煌めかせ、次の機体へと突進して行く。
『撃てるぞ』
CAAIのアポロディアスの言葉が聞こえた途端、サルンガの両アームから粒子レーザーが連射され、サルンガの動きに釣り込まれたミストルテインが二機火球に変わる。
宙域を自由に動き回るサルンガに対して、周囲から粒子レーザーとミサイルが立て続けに撃ち込まれるが、アリッサは粒子レーザーを滑らかに潜り抜けて躱すと、殺到するミサイルを機銃と剣戟で迎撃し、その爆発光を利用し次の被害者となる機体へ向けてサルンガを飛び込ませていく。
「これよ、これ! 私の戦闘はこうじゃないと!」
急制動と急回頭の連続で、通常では耐えきれない程のGに立て続けに晒されながら、アリッサは微笑んでいる。
烈火の如く攻め続ける。深紅の騎士アリッサ・フォン・オーディンの真骨頂。
『アリッサ。ヴィチュスラー殿とのお別れは済んだのか』
「ええ、あれで十分」
『そうか』
「ねえ、あたし騎士としては上出来じゃない?」
『ああ。これまでの騎士達の記憶はないが、君はきっと俺史上最高のパートナー騎士だ』
「うふふ。当然でしょう! あたしに出会えた事を感謝なさい! さあ、アポロディアス。燃え尽きるまで戦うわよ!」
『承知した。騎士殿』
宙域のGD部隊を一掃したアリッサの視線の先には、ひとりの騎士で相対するには不可能と思える数の敵艦隊が迫っていた。その傍らに、ミストルテインとGWの混成部隊の姿が折り重なっている。
一刻でも良い、一分でも良い。敵を足止めしてドロシア艦隊へと向かう敵の刃を削れば、その分ヴィチュスラーの目指す勝利へと近づける事ができるのだ。
アリッサは一度だけ大きく息を吸い込むと、敵艦隊へ向けてフットペダルを踏み抜いた……。
────
「司令官。ヴィチュスラー提督より入電」
「うむ」
エルテリア艦隊の旗艦アデレイド。
エルテリアとドロシアが、リオンの介入により休戦協議を行った際に、ヴィチュスラーが訪れた艦艇だ。
今次作戦に於いても、アデレイドの指揮官がエルテリア艦隊の指揮を任されている。
ヴィチュスラーが連合艦隊の提督を引き受ける際に、条件として断った事務処理を一手に引き受けたのはこの司令官だ。
「読み上げます。『状況に関わらず、ドロシア艦隊への援護は無用。戦局を冷静に判断し突入のタイミングに備えよ。なお、我が艦隊突入に際し、貴殿に連合艦隊の指揮権を移譲する』とのこと」
「うむ。最もリスクが高い右翼を受け持った上に、有事の際に迂闊に援軍を差し向けるな……か。凄まじい自信と覚悟だな」
「間もなくドロシア艦隊と敵左翼部隊が交戦状態に入ります」
アデレイドの艦橋に広がる全面モニターには星々の眩い輝きと、攻略目標である惑星ティガーデンが青い玉の様に小さく映っている。
その右手側の宙域に、艦隊同士の艦砲射撃戦の細かな光が映し出された。
「始まったか……」
指揮官はモニターの戦況を静かに見守っていたが、とある変化に気が付き眉をひそめた。
直後に緊張したオペレーターの声が艦橋に響き渡る。
「て、提督代理! 交戦中のドロシア艦隊の後方に敵艦隊の艦影確認! 規模約三〇〇〇隻」
その報告を聞き、艦橋内にざわめきが広がる。明らかにドロシア艦隊が危機的状況に陥ったのだ。
「パナフィック宙域に展開していた敵艦隊か。予測より随分早い。このまま挟撃されるとドロシア艦隊は壊滅する危険性が……」
「如何いたしますか」
「うむ。至急後衛部隊から援軍を差し向け……いや、もしや」
「提督代理?」
「……もしや、この事か? ヴィチュスラー殿が伝えて来た『状況』とは、この事なのか……」
────
「ヴィチュスラー提督! 後方より新たな敵艦隊接近中」
後方より突如現れた敵艦隊の艦影に、ヴィチュスラーの乗艦の艦橋がにわかに騒がしくなる。
交戦中の前面の敵艦隊が四〇〇〇隻、後方より迫る艦隊が三〇〇〇隻。僅か二〇〇〇隻程度のドロシア艦隊が挟撃されて耐えうる戦力差ではない。
「オーディンの紫雲隊の情報網は流石だな。敵パナフィック方面隊のほぼ予測通りの到着。これは最大の援軍と言えるな」
「はぁ……」
緊急事態にも拘わらず、指令席に腰を据えたまま動かないヴィチュスラーの意味不明な発言に、副官が真意を捉え切れず生返事を返す。
副官にとりヴィチュスラーは絶対の信頼を置いている上官ではあるのだが、流石にこの危機に対して有効な手立てを持っているとは思えなかったのだ。
しかも普段であれば、直ぐにこめかみに指を当て思考を始める彼が微動だにしない。
不安が限界点に達した副官が、堪らず声を掛けようとした直後、通信オペレーターの声が飛んだ。
「ヴィチュスラー提督! これを」
オペレーターが足をもつれさせ、途中から宙に浮いたままヴィチュスラーの元に辿り着く。
何とか姿勢を正し、慌てて通信文を手渡した。
目を通した途端、ヴィチュスラーは勢いよく指揮席から腰を浮かせた。ブーツの靴底に磁石が付いていなければ、そのまま浮き上がってしまう程の勢いだ。
傍らで彼を見ていた副官は、ヴィチュスラーが身に纏う雰囲気が、明らかに変化した事に気が付いた。肩を怒らせ、まるで瞳に炎が宿っているかに見えたのだ。
「生死は!」
ヴィチュスラーの青い瞳から発せられる鋭い視線がオペレーターを射抜く。
「はっ! 未確認とのことです。大破して小惑星に衝突という事が確認されただけです」
報告を聞きヴィチュスラーの表情が一瞬曇った。しかし、直ぐに立ち直り、鋭い眼光を宙空へと向ける。
「目的がふたつ出来たな……特にこちらは我が命を賭けるにふさわしい」
ヴィチュスラーが声を上げると、艦橋に居た者達の視線が一斉に集まる。
「艦隊に通達。これより全艦突撃を行い、前面敵艦隊を突破し後方宙域へと抜ける!」
「はっ!」
指示を受けたオペレーターが周囲の艦艇へと信号を送り、艦隊全体へとヴィチュスラーの通達を伝え始めた。
「それと、もうひとつ……」
ヴィチュスラーの声のトーンが変わり、突撃の準備を始めた者達が再度彼の方を向く。
「我が艦は突撃後に指定座標の小惑星へと向かう。随行艦は任意。私的な行動ゆえ退艦の自由を認める」
聞いていた艦橋の者達の動きが止まる。ヴィチュスラーの発言の意図を捉え兼ねているのだ。
「皆、済まない……その小惑星で私のレディー・アンが待って居るのだ。我が命に代えて救いたい」
部下達に急に頭を下げた彼の手には、先程オペレーターから渡された通信文が握られていた。
内容は『アリッサ殿のサルンガ、敵艦隊に甚大な損害を与えた末に大破。該座標の小惑星に衝突し消息不明』。
ヴィチュスラーは全艦突撃を敢行しながら、安否不明のアリッサの救出に向かいたいと言っているのだ。
「ヴィチュスラー提督。貴方のレディー・アンと聞いて退艦する者など、このドロシアにいるものですか! 全艦艇で援護します!」
通信により艦橋の会話が聞こえた他艦からも、同様の声が返ってくる。
皆の返答を聴き、ヴィチュスラーは頭を下げたまま、通信文を強く握った。
「ありがとう……生きていてくれよ……アリッサ」