第108話 「ローギ博士」
艶のあるウッドをふんだんに使い、落ち着いた雰囲気を醸すパブの店内。カウンターに反射するダウンライトと程よい間接照明が、ダークブラウンの床板をうっすらと照らしている。
コントラバスのふくよかな低音に続き、軽やかなピアノの旋律とサクソフォンの奏でる渋い音色が折り重なり、聴く者の気持ちを自然と寛がせていた。
カマーベストに蝶ネクタイのバーテンダーをカウンター越しに眺めつつ、豊かな髭を蓄えた初老の男と、カイゼルスタイルに髭を整えた更に年配の男が、葉巻の煙を燻らせている。
ステアされた薄い琥珀色の液体がグラスに注がれると、二人は葉巻を置きグラスを相手に向けて軽く掲げた。
「ディバス君。まさかヤーパンで君と杯を傾ける事が出来るとは。嬉しい限りだ」
「ミラルド卿も、お元気そうで何よりでございます」
「いやいや、もう厳しいぞ。気が付いたらポルセイオス卿が引退した年齢に近くなって来た」
「そう簡単に老け込まれては困ります」
「ふふ。君の後に続く騎士が育っておらんからな」
「不甲斐無いものです」
「騎士など、そう特別なものではないのだがな」
「筆頭騎士が言うと嫌味にしかなりませんが」
二人の口元にうっすらと笑みが浮かぶ。
騎士として共に過ごして来た日々を思い返しているのだ。
「余りに突き詰めるから育たんのだよ。このままだと騎士は滅ぶぞ」
「私が最後になると?」
「かも知れん。それに騎士が必要ない世が来れば良いのかも知れんしな」
「その様な日が来ますかな」
「来て貰わねば困る」
「ふふ」
ディバスがスコッチの伝統的なカクテルを飲み干すと、カウンター越しに新たな注文を伝えバーテンダーが氷を丸く削り始めた。
「ミラルド卿はこれからどちらへ?」
「ああ、パナフィックからセントラル方面へと向かう」
「ほう。何事ですかな」
「まあ、オーディンからの指示だ。久し振りに戻ったらちょっとした依頼をされてな」
「珍しい事もあるものですな」
「ああ、驚いたがな」
「ほう、それ程の依頼なのですかな」
「いや、そう大した事ではない。お使い程度の話さ」
「騎士にお使いですか。オーディンも何を考えているのやら」
「まあ、かの者達が考える事に間違いはなかろう」
「いまさら我々の事を間違いと言われても困りますし」
「はっはっは。違いない」
「ええ」
その時、不意にミラルドの表情が硬くなり、真剣な眼差しでディバスを視界に捉えた。
「ディバス君」
「はい」
「後の事は頼んだぞ」
「ですから、まだまだ老け込まれては困ると言っているではないですか」
「ふふ」
再び葉巻を燻らせていたディバスがバーテンダーからグラスを受け取る。
ミラルドは苦笑いを口の端に浮かべ、どことなく憂いを感じさせる遠い目をしながら、演奏を続けるバンドに視線を移した……。
────
半円状に並んだモニターに十五オーディン達が姿を現した。
これが生前の姿なのかどうかは分からないが、知的で優しげな表情をしながら俺とディバス卿を見つめている。
「天位の騎士殿。わざわざの訪問。如何されましたか」
「皆さんお久し振りです。いよいよセントラルコロニーに対する計画が、実行される段階になりましたので」
「イレギュラーな動きで危険を冒す必要があったのですか? いったい何事でございますか」
「自らの判断でという事は分かります。ですが計画とズレが生じてないか確認をしたくて……。人類の未来が懸かっていますから」
「承知致しました。天位の騎士殿のご判断に従います」
「では、CAIカードのアルテミスが纏めた進捗状況と今後の行動計画のデータを見て下さい。挿しますよ」
「はい」
十五オーディンの返答と共にコネクタ部が開き、CAIカードのアルテミスを挿し込む。こちらの計画を悟られない様に平静を装いながら……。
「CAIカードですか? でしたら、到着時に何処かに挿してあれば読み込めましたのに」
「重要な内容ですから、万が一の漏洩を防ぐ為に」
コネクタ部に明かりが灯りCAIカードへのアクセスが始まった。
「承知しました。で……」
アクセスが始まった直後に、十五オーディンとの会話が途絶える。
全ての権限を超越する天位の騎士の命により、十五オーディンの機能が停止されたのだ。
それぞれが独立した状態で存在する十五のAI。不可侵で有るが故にシステムとの接続を途切れさせると、完全に閉じ込める事が出来てしまう。
そうである事を教えてくれたのはアルテミスだ。
そのアルテミスが十五オーディンからの干渉を排除した状態で、過去のデータにアクセスを行い、全ての会話を洗い直している。
行方不明になっている琥珀の騎士であるミラルド卿との会話を探す為に……。
「アルテミス。十五オーディンは大人しくしているかい?」
『ええ。盛んにアクセスを試みていますが、バックドアとなりうるルートも全て遮断していますので大丈夫です』
「怒るだろうね……」
『どうでしょう。この様な事は初めてでしょうから、皆さん原因について必死で思案しているかも知れませんね』
ディバス卿は凄まじい勢いでモニターに流れている過去のデータを見つめている。
もちろん読み取れるスピードではないので、何か思案しているのだろう。
眉間に深く刻まれる縦皺が、厳しくも見え、また苦しそうにも見えてしまう。
ディバス卿の危惧した事が事実なら、彼が最も慕っていたミラルド卿は……。
『ありました。表示します』
沈黙の時間が長く続いた後、アルテミスの声と共にモニターに男性の姿が映し出された。
映像でしか見た事がなかったが、立派なカイゼルスタイルに髭を整えたミラルド卿だ。
『……ミラルド卿』
『はい』
『卿に重要な依頼があります』
『ほう』
『卿はこれよりセントラルコロニーへと赴き──』
モニターの中では信じられない会話が繰り広げられていた。
十五オーディンがミラルド卿に指示しているのは……GDの技術をセントラルコロニー軍へと提供すること。そして、ミラルド卿とCAAIマリエッタは彼らのGD開発に協力する様にと伝えられていたのだ。
「ディバス卿……これは」
「ああ、やはりそうであったか……彼に限って鹵獲されるなど有り得ないと思っていたが」
「ええ。これは鹵獲による技術情報の漏洩ではなく、オーディンからセントラルコロニーへの情報提供ですよね」
「間違いない」
「何故そんな事を……」
十五オーディンとミラルド卿との会話を聞きながら、必死で理由を考えてみるが答えが見つからない。
『オーディンは中立を保つ』という思想を自ら覆すような行動を十五オーディンは何故選んだのか……。
『リオン。この会話について報告があります』
「うん?」
『このミラルド卿との会話は、十五オーディンと交わされている様に見えますが、この時他のオーディン達は巧妙にアクセスを遮断されて、会話に参加していません』
「どういう事?」
『実際は、あるひとりのオーディンとの会話という事です』
「なっ……」
「アルテミス殿。その者は誰ですかな」
『はい。最後に十五オーディンとなったローギ博士です』
「ほう。呼び出して話を聞く事は出来ますかな」
『はい。接続します』
アルテミスの声と共に、十五番目のオーディンの姿がモニターに浮かび上がった。穏やかで優しそうな雰囲気の男性だ。
『やあ、アルテミス。天位の騎士様の権限でいきなりアクセス出来なくなったから驚いたよ』
『はい。天位の騎士であるリオン様と黒騎士ディバス様が、ローギ博士にお聞きしたい事があるのです』
『ふふふ。その呼び方は久しぶりだな。出来れば君の本体と話がしたかったよ』
AIになった十五オーディンのひとりであるローギ博士。
彼は何故GDの技術情報をセントラルコロニーに渡そうと思ったのか、何を引き起こそうとしたのかを聞かなければならない。
この侵略戦争の原因となった行動の真意を確かめ、その上でこれまでの事、これからの事を判断しなくてはならないのだ。
オーディンの天位の騎士である俺が世界の人々の裏切り者なのか、そうではないのかを……。
「十五オーディンのローギ博士。聞きたい事があります」
『はい。偉大なるアルテミスのパートナーである天位の騎士様。何なりと……』
読んで頂きありがとうございます!
今回は更新が遅れてしまい申し訳ありませんでした。
物語の終盤に向けて、しっかりと描いて行きますので、これからも宜しくお願い致します。
いつもありがとうございます。
磨糠 羽丹王