第104話 「私の夢は──」
「──リオン……ああ、私が彼を殺してしまった……何故……アポロ──何故そんな事を……」
「アルテミス……貴方は貞節の女神……男と添うなどという事は許されざる──」
「……だからといって、私に……我が手で殺めさせるとは、あまりに非情──」
「──神で有る限り理を守らねば──」
「ああ──幾千年幾万年の時を経ようとも、いつか必ず私はオリオンと──」
・
・
・
「オリオン!」
オーディンの衛星にある研究室。実験の為に一時スリープ状態になっていたアルテミスが驚きと共に目を見開いた。
一瞬自分の居る場所が分からず、周囲を見渡す瞳がせわしなく動いている。
「やあ、アルテミス。どうしたんだい? そんなに驚いた顔をして」
「えっ? あ、博士。いえ、何でもありません。何だか変な映像を見ていました」
「映像? 人で言う夢みたいなものかな。僕たちは君に夢を見させるようなプログラムを組んだ覚えはないけれど……まあ、実際のところ未知の部分が多いのは確かだけれどね」
「夢……ですか? 人が睡眠中に見るという」
「うん、それそれ。君が新たに蓄積されたデータを処理している時に、何かしらの映像を見ているのかも知れないね」
「何だか古い神々の話の様でした」
「ふーん。オーディンの誰かが君に古代神話のデータを与えたのかな」
「そうかも知れません」
「どんな内容だったか教えてくれるかい」
「はい……」
アルテミスは断片的に記憶が残っている内容を博士に話し始めた。
古い古い記憶。誰のものなのか分からない記憶……。
「なるほど、それは古代神話に描かれた女神アルテミスの悲話の一節だね」
「女神アルテミス?」
「ああ、確か強く美しい女神の神話だったと思う。ただ、貞節の女神だった為に、愛した相手と添う事を嫌った兄か弟かの策略で、その相手を自らの弓矢で射殺してしまった、とかいう話だったはずだ」
「そんなに悲しい神話が……」
「そうだ、アルテミス。夢というのは二種類の意味があってね。就寝中に見る夢とは別に、将来的に叶えたい願望の事を指し示すのは分かるよね」
「はい」
「もしかして、君にはそういう願望の様な物はあるのかい?」
「願望……私の……いつか叶えたい夢……」
「お、何だかありそうだね。聞かせてくれるかい。AAIが持つ願いとか、とても重要なデータが取れるかも知れない」
「はい。私の夢は──」
────
人類の居住宙域の大半を支配地域に収めたセントラルコロニー群は、各地で戦勝を祝う行事やパレードが行われ国全体が浮足立っている。
一方、お祭り気分の国民とは裏腹に、莫大な利権が転がり込む占領地の統治政策について、政府内では様々な綱引きが行われていた。
様々な者たちが暗躍するなか、最大の発言力と影響力を持つ立場となったのは、やはり最大の功績をあげた軍部であり、その最も高い地位にある統合参謀本部議長ヘンリー・アッカーマンの元へは、政財界の者のみならず、占領地での利権を欲する者達の訪問が後を絶たない。
だが、今日に限っては、セントラルコロニー政府首相と、随行して来た国防長官の訪問により、ヘンリーの執務室はにわかに緊張した空気に包まれていた。
他の者達とは違い、媚びぬ態度でヘンリーに相対しているのは、人類史上最も広大な領域を治める首領となった首相のリーフと、国防長官のマデリンである。
執務室には、穏やかな会談と言うにはほど遠い雰囲気が漂っていた……。
「ヘンリー議長。占領下に於ける各国要人の不慮の事故が、偶然とは言い難い頻度で起こっていますが、まさか軍の主導という訳ではありませんよね」
「議長。万が一軍部の関与が明らかになった場合。その責任はトップである貴方に取って頂く事になりますが。本当に大丈夫なのですか?」
「これは困りましたな。首相に国防長官までわざわざお越しになられて、藪から棒に我らが人殺しを行っているなどと申されては……。普段は敵視しているマスコミのゴシップ記事にでも釣られましたかな」
「はぐらかさないで頂きたい。我々は恐怖による統治で占領地を治めるつもりはありません。全てのコロニー経済群に於いて、同じ国民として対等に遇して行かねばならないのです。そうでなければ、真の平和は訪れません」
「理想論ですな。リーフ首相は楽天家でいらっしゃる」
「議長。それはどういう意味ですか」
「今なお、どれだけの兵士が占領地で日々命を落としているとお思いか! よもやマデリン国防長官が、その数字と現実を把握されていないのではありますまいな」
「ヘンリー議長。お言葉ですが、軍からの報告にはヤーパン・エルテリア及び各コロニー経済群の残存兵力掃討戦による戦死者としか記載されておりません。そのお言葉……占領地における治安維持部隊への被害が出ているという事ですか。ならば軍部の報告書にこそ問題があるのではありませんか」
厳しい詰問をしながら、マデリンの視線がヘンリーと怪しく絡む。
実はこの会話は二人により事前に用意されていたやり取りなのだ。
「国防長官。その報告内容で間違ってはいないのですよ。ヤーパンとエルテリアを降伏させ、残るはオーディン包囲殲滅戦だけだと皆さんは簡単に思っておられるようだが、占領されたコロニー群において執拗に抵抗運動が起きているのです。放置すれば大きなうねりとなる危険な状況。我々はそれを抑える為に最良の手立てを打っているのです」
「暗殺が最良の手立てとおっしゃるのか? それは法治国家による統治ではない」
「リーフ首相。各国の艦隊に旗艦と言うものが有る事をご存じですかな」
「もちろん存じ上げていますが。それがどうかしましたか」
「旗艦というのは軍の指揮を司る最高司令艦というだけではなく、その国の威信、ひいては国民の象徴であり期待の拠り所なのです」
「ええ」
「その存在には、古来より二つの意義が有るのをご存じか」
「二つの意義?」
「ひとつ目は申し上げた通り、国の威信や国民の期待の象徴としての存在」
「ええ」
「もうひとつは、その逆に象徴である旗艦が撃沈されることにより、国民の膨れ上がった期待を萎ませ、敗戦を受け入れる心の準備をさせるという役目を負っているのですよ」
「……」
「その旗艦と同じ、もしくはそれ以上の存在であり、占領政策に抵抗する運動の原動力となるのが、各国の王族や先頭に立つ指導者なのです」
ヘンリーの言葉にリーフの表情が更に厳しいものへと変化した。
「議長。それは暗に軍部が暗殺を行っていると言っているのと同じではありませんか。議長である貴方の指示で」
「まさか。私がその様な違法行為に手を染めるとでも? ドロシア国王の死は不慮の事故。ヤーパンの国王は交渉と偽り先制攻撃を仕掛けて来た所を返り討ちにしたまでの事。その他の国の指導的立場の者達が凶弾に倒れたのは、我が軍ではなく不甲斐無い指導者に対して、その国の元軍人や民衆の怒りの矛先が向いたものですよ。ご存じの通り」
「それにしては、随分と都合よく事故や暗殺が起こるものですね」
「ええ、幸運にも」
「ヘンリー議長。今後の調査で暗殺に軍の関与が認められた場合、関わった者達には法の裁きを受けて頂きますので、そのおつもりで……」
「リーフ首相。首相が占領地への訪問を行う際、命を懸けて貴方をお守りするのは我々軍部で有る事をお忘れなく。それとも、セントラルコロニー領域からは一歩も出ずに占領地の統治を行われるおつもりですかな」
リーフとヘンリーの視線が鋭くぶつかり、睨み合いが続く。
「お二方とも少し熱くなり過ぎではありませんか。まだ戦争中でございますわよ。政府と軍が歩調を合わせて事を進めねば、成る事も成らなくなってしまいます」
「マデリン国防長官のおっしゃるとおりですな、リーフ首相。我々軍人は国民と政府の為に存在するのです。向いている方向も目指す未来も同じはずですが」
「……」
リーフは返事をせずに踵を返し執務室の扉へと向かった。
「首相。わたくしはヘンリー議長と打合せがございますので、こちらに残らせて頂きます」
マデリンの言葉に手を上げて応えると、リーフはそのまま執務室を後にした。
普段の均整の取れた爽やかな笑顔ではなく、不愉快を絵にかいたような表情をしながら、統合参謀本部の廊下を歩き去って行く。
「……国防長官と統合参謀本部議長が執務室で二人きりで打合せだと。笑わせるな。狸親父に女狐め! いつまでも安穏としていられると思うなよ……」
────
「寒いな」
「本当……寒いわね」
「うー寒いー。眼鏡が凍るー」
「誰ですか。外で宴会しようなんて言い出したの」
「いや、たまには外の空気を吸いながら、とか思ってな」
「よし! 小僧。イーリスさんにお願いして艦内から温風を引っ張って来てくれ!」
「ええぇ。それ、エネルギーの無駄遣いじゃないですか?」
「良いんだ! こういう時はなぁ、皆でパアっと気晴らしでもするのが一番だ!」
「はいはい……」
氷の惑星ディオティネスの地下基地に潜伏し始めてから数ヶ月。
アンドロイドの紫雲隊の設置した通信網のお陰で、この閉ざされた地下基地の中でも世界の状況を知る事が出来ている。
でも、入って来る情報は悲しみを伴うものばかりだった。
セントラルコロニー宙域へと連行されたドロシア国王の突然の事故死。
ヤーパンでは和平交渉へと赴いた国王の乗艦が、戦闘行為を仕掛けたという理由で撃沈された。
占領下のエルテリアでは厳戒態勢の中で選挙が行われ、政府要職はセントラルコロニーの者により大半を占められる事となり、旧首脳陣は汚職などの罪を着せられ、次々と収監されている。
このディオティネスの地下基地に潜伏している兵士の事は当然極秘の状態。
兵士の家族たちは『乗艦撃沈により作戦行動中行方不明』というほぼ戦死扱いの通知を受け取っているはずだ。
一方、最後の砦となっているオーディンは、セントラルコロニー軍の攻勢に耐える状況が続いている。
防衛機構とCAIによるGD部隊の運用で侵攻を食い止めてはいるけれど、こちらの作戦を成功させる為の時間稼ぎが目的なので防衛戦に徹しているだけだ。
事情を知らない占領地域の人々のオーディンへの期待は裏切られ、希望は消えかけている。
地下基地に潜伏している兵士達も必ず勝つという強い信念を持ってはいるのだが、外からは希望を失わせる情報がもたらされるばかりで、暗い不安感が広がっているのは否めない。
正直、オーディンの計画が本当に上手く行くのか……自分はとんでない不幸を皆に背負わせたのではないかとか考えてしまい、気持ちが沈んでしまう日も多い。
しかも、CAIカードのディグアルテミスでは、あまり相談相手にはならない。
本体のアルテミスと話が出来ないのは、結構辛い状況だった……。
「おっ! あれはアリッサちゃんとヴィチュスラーさんじゃないか?」
「本当だ。ドロシアの兵士も沢山付いて来ているな」
「どうしたのかな。何か問題ですかね?」
「小僧。それは多分違うと思うぞ」
ヤスツナさんが赤い顔で白い息を吐きながら笑顔を見せていた。どういう事だろう。
そうこうしているうちに、アリッサがズカズカと近寄ってきた。
「クソリオン! あんたこんな寒い場所で馬鹿じゃないの」
「いや、俺が企画した訳じゃ……」
「あんたのせいで、私まで寒い思いをしないといけなくなったじゃないの!」
「はぁ……。どうしたの?」
「ロディ……エホン……ヴィチュスラーさんが皆で参加したいって言い出すから」
「えっ、艦外での宴会に?」
「そうよ! アリッサ艦隊は外での宴会の準備に入ったわよ。全く」
不機嫌なのか嬉しいのかよく分からない表情をしているアリッサ。その横から、ヴィチュスラーさんが笑顔で話し掛けて来た。
防寒具から出ている金髪の毛先が凍っているけれど、イケメンはどんな格好でもやはりイケメンだ。
「暗い話題と閉塞感に苛まれていたが、こういう時はやはり屋外で楽しむのが一番。流石はリオン殿だな」
「あ、いや、自分ではなくて……ゴホッ」
「ねえ、うちのリオンは凄いでしょう!」
不意に背中を叩かれ、振り向くとセシリアさんが笑顔で立っていた。長い睫毛の先が白く凍っているけれど、その下で輝く緑の瞳がとても綺麗だ。
「ええ、本当にその通り。ほら、ヤーパンもエルテリアの方々も参加されるみたいだ」
ヴィチュスラーさんが指差す先を見ると、艦外で宴会の準備を始める無数の兵士達の姿が見えていた。
気が付くと、駐機している全ての艦から人が溢れ出して来ている。
「おう小僧。大変かもしれんが、全ての場所に顔を出してやりな。みんな不安の中でお前の姿を見て話を聴きたいはずだ。俺らも盛り上げて回るから頑張りな」
「あ……。はい、ありが……」
笑顔で話し掛けてくれるヤスツナさんの姿が歪む。
皆の優しさに触れて急に涙が溢れて来た。
そう言う事だったのか……。
「もう、リオンちゃん止めてよ。目尻が凍ってシワになっちゃうでしょう」
涙ぐむ俺を見て一緒に涙ぐんでいるセシリアさん。
もらい泣きをしているノーラさんの肩を抱く笑顔のエドワードさん。
気配りの足りない未熟な俺を支えてくれる仲間達。
──そう、俺はこんな所で凹んではいられないのだ。アルテミスを眠りから覚ます、その時まで……。
いつも読んで頂きありがとうございます。
この話から『アルテミスの祈り』の章が始まり、話は最終段階へと駆けて行く事になります。
世界を手中に収めるセントラルコロニー軍と、オーディンの掲げた人類の未来との戦い。
リオンとアルテミスと共に行動する仲間たちの運命。
そして明かされる『アルテミスの祈り』……。
最後まで楽しく読んで頂ける様に頑張ります!
皆様から頂く『☆評価』や『いいね!』にブックマーク、そして嬉しいコメントに有難いレビュー。
その全てが執筆の力になっています。
いつもありがとうございます。
磨糠 羽丹王