お手紙将軍の一喜一憂
梅雨が明け、すっかり夏本番の暑さとなった天正10年6月のはじめ。
瀬戸内海の青い海と入道雲が浮かぶ青空が見える鞆城。ここで足利義昭は、今日も打倒信長を呼びかける手紙を書いていた。宛先はもちろん、反信長を掲げる全国の大名や、細川藤孝や明智光秀を除いた旧幕臣たちだ。
(なぜ、なぜ、信長が倒されぬのだ!!)
なぜか、わからない。
一向一揆を力でねじ伏せたり、あの比叡山延暦寺を焼き討ちにしたり。挙げ句の果てには、将軍である自分を現在暮らしている鞆まで追いやってしまった。
権威をないがしろにするやり方。これに憤った甲斐の武田などの大大名、そして信長に不満を持った旧幕臣たちが蜂起してくれた。だが、病気で倒れたり、人海戦術や物量攻めで滅ぼされたりしてゆく。
対して織田家は、軍の派遣や調略を使い、破竹の勢いで領土を広げているではないか。この前は、近江の安土に古に聞く阿房宮に劣らぬ巨大な城を築いたとか聞いている。
「許せん! 信長許せん!!」
道理にそぐわぬ織田家が栄えていることを考えると、腹の底から怒りが湧いてくる。なぜ、これほどのことをされて、神仏は信長に天罰一つ与えない。むしろ二物も三物も与えている。あまりに理不尽だ。
筆を握る手に、力が入る。白い和紙に黒い墨がどんどんにじむ。強い力で握られているせいか、弓なりにしなった筆は、今にも折れそうだ。
「どうして信長に天罰が当たらないんだぁぁぁ!!」
そう叫んでしまいそうになってしまったところへ、
「公方さま」
使者が入ってきた。
「どうした? 今の余はひどく機嫌が悪いのだ。帰れ」
義昭に怒鳴られた使者は、
「悪いお知らせではなく、良いお知らせでございます」
と声を震わせながら言った。
「いいお知らせ?」
何なのだろう? そう思った義昭はつぶやくように言った。
現在、越中の魚津城で戦っている上杉家が柴田勝家の軍を追い払ったのか? それとも、毛利の軍勢が動き出したのか? 信長への怒りから一転、期待で胸いっぱいになっている。
先ほどよりも柔らかい顔つきになった使者は、
「信長が、京の本能寺で討たれたそうです」
と言った。数日前の早朝、信長は家臣の明智光秀に裏切られ、炎の中自害したのだ。
「え?」
あまりに突然の訃報に戸惑う義昭。怒りをバネにやってきた今までの努力は、一体なんだったのか......。
「公方さま、だ、大丈夫ですか?」
落ち込む義昭を見た使者は、義昭に声をかける。
「一人にして」
ぼそぼそとつぶやくような声で、義昭は言った。
「あ、すいません」
そう言って使者は足早に義昭の部屋を出ていった。心のなかで、うわ、こいつメンドくせーなと思ったからだ。