1 ボロ小屋に住む魔道士
男は最後の望みを賭けて、その家の扉を叩いた。
町はずれの丘の上。掘っ立て小屋のようなボロ屋で開業している魔道士がいる。
悪徳魔道士雷夜。
変人で、性格は歪んでいて、金にがめつい。
法外な金額をふっかけてくるよ。
けれども彼ならきっと、あんたの息子を救えるだろう。
町医者は、そう言ったのだった。
◆◆◆
「すまないが、私にはこの子を救えない」
ひととおりの診察をしたのち、町医者は言った。
五歳になる息子を抱えて医者の元に駆け込んだ男は、呆然とその場に立ち尽くした。診察台の上で息子は苦しそうにあえいでいる。このままでは、明日の朝を待たずにその命は尽きるだろう。それなのに、何もしてやれない。そんなことがあっていいのか。
「なんとか、なんとか方法はないんですか?」
「原因が特定できない以上、どうもできない」
「そんな、でも、どうにか」
追いすがる男に、医者はじっと辛さに耐える顔をしていた。
が、ふいに思いついたように言った。
「そうだ」
「何か方法が!?」
「魔道士雷夜。彼ならこの子を救えるかもしれない」
医者の突然の提案に、男は面食らった。
「待ってください。魔道士っていうのは魔獣を倒したり、護符を作ったりする人のことじゃないんですか?」
「魔道士ってのは、魔術を研究してその知識と技術が国に認められた人間のことだ。黒魔術と白魔術、物質系と精神系、攻撃系魔術・防御系魔術・回復系魔術・召喚系魔術、四元素・・・・・・魔術の分類法はいろいろあって、考え方や専門分野は魔道士によるが」
「その魔道士雷夜は回復系魔術が得意ってことですか?」
「魔道士雷夜は何でもやるよ。その気になれば何でもやる」
「じゃあ・・・・・・」
医者は頷いた。
魔道士雷夜なら、きっとこの子を救えるだろう。
「ただ、彼は悪徳魔道士だ。それだけは忘れるな」
医者は念を押すように言ったが、男には、迷う余地などなかった。父親として、他に選択肢などあるはずがない。
男は診療所を飛び出した。昼どきで賑わう街を通り抜け、教わった場所へと向かう。腕の中の息子は、心なしさっきよりも苦しそうに見える。
(待っていろ。何としてでも必ず、必ず助けるからな。)
男は心の中で、そう誓った。
◆◆◆
男がノックをして程なく、キイ、と音を立てて扉が開いた。
(誰もいないのに、勝手に開いた!?)
これも魔術によるものなのだろうか。男はおずおずと小屋に足を踏み入れる。外観にたがわず、室内は質素なものだった。丸太を並べたような床の上に、古ぼけた木のテーブルと椅子。だが掃除は行き届いているようで、日の光に照らし出された空間は思いのほか清潔で明るい。
「魔獣に噛まれたのか」
男の背後で声がした。はっと振り返る。正確には、真後ろではなく斜め後ろ。
誰もいないと思ったのに、扉の横、少し離れた壁際に黒い人影がある。
背が低い男だった。おそろしく童顔なのに冷えたような硬質な雰囲気なのは、表情のせいなのか、それとも顔立ちが整い過ぎているせいだろうか。炎を思わせる逆立った黒髪に、青みがかった大きな瞳。シンプルな服は上下ともに黒色で、肌は石膏のように白い。十代前半にしか見えないが、その割には落ち着きすぎている。魔道士として開業しているなら、少なくとも二十歳は過ぎているはずだが。
「雷夜、さん・・・・・・ですか?」
訊ねると、小男はそっけなく頷いた。誰も手を触れていないのに、扉がばたん、と閉まる。
「ここに寝かせろ」
いつの間にかテーブルの上に布が敷かれていた。男は息子をそこに寝かせた。子どもはぐったりと目を閉じて、荒い呼吸を繰り返している。
「あの、町のお医者さんに、雷夜さんなら息子を救えると、そう聞いたんです」
「金は払えるのか。現金払いだ。終わったらすぐにこの場で支払ってもらう」
「おいくらですか」
「成功報酬五千万G」
男は息を呑んだ。
(高すぎる)
予想はしていたつもりだったが、それを上回る法外な金額だった。
(俺が十年以上働いて得た全収入を遥かに上回る。それをたった一回で?)
重篤な病気で医者にかかったとしても、一度の治療で払う金額はせいぜい四百万か五百万Gくらいのはずだ。それも普通は分割払いなり、一定の支払猶予期間を設けるなりしてくれる。五千万Gあればそこそこいい家が買えるだろうし、たぶんこの小屋なら土地代込みで三軒でもお釣りが出るだろう。それをこの場ですぐ支払えなんて、無茶を言うにも程がある。こちらの弱みにつけこんで、高額をふっかけてきたに違いない。町医者が言っていたとおりだ。血も涙もない。
だが、男は動揺を押さえて言った。
「わかりました」
「払えるのか?」
「はい。なので息子を助けてください」
魔道士はねめつけるように男を見た。
疑っているのかもしれない。
「あの、私はこう見えて資産家なんです。支払については安心してください」
男は慌てて付け加えた。
「・・・・・・この子に何があったか話してもらおうか」
魔道士は、それ以上は支払について追及しなかった。
(よし)
男は内心ほっとしながら説明を始める。
「今朝、天気がよかったので、息子を連れて裏山に散歩に行ったんです。散歩なんて久しぶりでした・・・・・・ずっと仕事が忙しかったので。それでちょっと目を離した隙に、息子がいなくなっていました。慌てて探し回って、そうしたら・・・・・・この子は倒れていました」
「うつぶせで?仰向けで?」
「う・・・・・・うつぶせです。ここに繁みがあって、こ、こんな感じで」
男は両腕を伸ばし頭を傾けて、倒れている様子を必死で再現してみせた。
しかし魔道士はちらりとも男を見ず、子どもの額のあたりに手をかざして何か魔術の呪文らしきものを唱えている。
「あ、あの、さっき魔獣に噛まれたのか?と仰いましたよね。でも、傷とかはどこにもないんです。だからお医者さんも、原因がわからないから治療のしようがない、と」
「傷はある。物質性の低い魔獣による噛み傷だ」
魔道士は子どもの身体にかざした手を滑るように移動させながら、そっけなく答えた。
魔道士の言っている意味が、男にはよくわからなかった。
けれどとにかく、診断がつくのならありがたい。
「じゃあ、治せそうですか?」
「その医者が藪でないなら傷が視えなかったはずはない。だが傷の形状からどんな魔獣に噛まれたのか判断しようとしても、候補が絞りきれない。魔獣の種類によって治療の方法は全く異なるし、やみくもに治療を選択しても当たる可能性は低い。医者の判断は妥当だ」
「む、無理なんですか?治せないんですか?」
「うつぶせなら背後からやられたのだろうから、目に反応する魔獣はおそらく除外できる。子ども、男児で、小柄、痩せ型、茶色の髪、茶色の瞳、肌は白い、特異な痣や黒子などはなし、魔力は・・・・・・少しあるがさほど強くはないようだな、水属性が高めか、闇の度合いはゼロに近い、依代タイプという感じでもない、精霊や魔物を寄せそうな匂いもない、特異体質らしきものは一見なし・・・・・・この子は動物好きか?動物には懐かれる方か?空をよく見ているか?熱中しやすい方か?よく喋るか?どんな性格だ?」
「あ、ええと、その・・・・・・元気な子です・・・・・・」
「裏山に行っていたと言ったな。どこだ?」
ぱさ、とふいに男の頭上で音がした。見ると目の前に地図が降ってくる。男は慌ててそれを掴んだ。この町の地図だった。男は息子の横たわるテーブルの端に地図を置き、今朝行った裏山の場所を魔道士に示す。魔道士は一瞥し、「あそこで、朝、魔力持ちが魔獣・・・・・・」などとさらに何やらぶつぶつと呟いていた。
けれども、ふいに吐き捨てるように言った。
「めんどくさいな」
男は耳を疑った。
目の前で、子どもが苦しそうにあえいでいるのに。
「めんど・・・・・・?」
次の瞬間だった。いつの間にか魔道士は右手に、ごつごつとした透明な水晶のような岩の塊を持っていた。その大きさは、横たわる子どもの頭と同じか、それ以上だった。鷲掴みにしたそれを、魔道士は虫の息で横たわる子どもの頭めがけて勢いよく振り下ろした。あまりにも突然で、男が止める間もなかった。