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01.放課後の講義室で始まった

 すべてが始まったあの日もあの時までは、いつも通りの一日だった。




 茜差す夕刻の学院構内(キャンパス)は閑散としていた。

 石造りの学舎群に赤みを帯びた夕日が当たり、人の姿の見えない石畳に長く伸びた濃い影を落としている。靴音一つしない静寂に包まれた中庭には、どこかの研究室からの騒音が遠く響いて流れ込んできていた。

 王都でも指折りに古い歴史を持つ総合高等教育研究機関、王立エンシェント万能学院の敷地にも夜がすぐそこまで近づいていた。


「おっと、ちょいダベり過ぎたみたいだな。そろそろ日が暮れるぞ」

 話の切れ目に外を眺めたホッブの言葉に、ラルフも窓へ目を向けた。

 講義室の窓から見える景色には寂寥とした空気が流れているけど、そのくせどこかに昼間の喧騒の残滓が感じられる。

 すでにほとんどの学生はもう家に帰るか、研究室に行くかしているのだろう。残照に照らされる一般講義棟の辺りに、昼間あれだけうろついていた学生はほとんど残っていなかった。

「そうだね、もう帰らないと……あ~あ、帰ったら倉庫整理か」

 力仕事の手伝いがイヤで学院に居残っていたラルフにも、いよいよ年貢の納め時が来たようだ。

「今日はお前んち、棚卸だっけ?」

「そうそう。埃まみれの粉まみれ……」

 家は穀物問屋だ。嫌そうな顔を笑ったホッブに肩を竦めてみせると、彼に続いてラルフも腰を上げた。

「今日は家の中が戦場みたいだから、夕食もどこかで済ませて帰らないとな」

 そんな日に学業の振りをして家業をサボる男、ラルフ。

「これぐらいの時間なら、学生街の食堂もまだ開いてんだろ」

 そしてソレをたしなめない男、ホッブ。


 いつも通りの光景が広がる学院の一角。いつもの講義室。いつも通りの毎日。

 そんな場所から、彼らの挑戦の日々はいきなり始まったのだった。




「ね、ねえ! そこの君たち、ちょっといい!?」

「ほわっ!?」

 不意にかけられたソプラノの声に、ラルフは喉から心臓が飛び出るほど驚いた。

 人が少ないとはいえ解放されている講義室。他人がいてもおかしくない場所なのに、なぜラルフが驚いたかって?

 それはもちろん、自慢じゃないがラルフには声をかけてくる親しい女子なんて一人もいないからだ。ちなみに雑談相手のホッブも当然、同類。

 さらに念のために言えば、ここエンシェント万能学院の学生に女子がいないわけじゃない。ただ単に、二人は女の子に縁が無いタイプの男子というだけのことだ。

 そんな残念男子代表の二人に声をかけてくる女とは……?

 ラルフとホッブは怪訝に思いながら振り返り……瞬間、呼吸の仕方を忘れて息が詰まった。


 二人の視線のその先には。

 銀糸のようなサラサラのプラチナブロンドをなびかせ、線の細い上品な美貌に焦燥感を滲ませた美女が立っていた。

「……え?」

 透き通った滑らかな白い肌。鼻筋の通った気品のある小顔。陶製の飾り人形でもここまでの造形は作れないという感じの、ちょっと現実離れした美しさで……もっとも彼女に限って言えば、そういう美貌でも当然という気がしないでもない。二人に声をかけてきたのは、美女ぞろいで有名なエルフ族の同期生だった。


 エルフ族。

 世界的にみても希少な亜人種族。種族全員が超絶美形という、メチャクチャ有名な伝説については今さら説明する必要は無いだろう。まあ、そこには……気難しくて傲慢で他種族をはなから見下している態度の悪さ、というマイナスイメージの噂もセットでついて回っているのだけど。

 そういうまことしやかな伝説を除いたとしても、自然学や生命学に造詣が深くて内包魔力が人間の標準より何倍もあるという能力値の高い人々である。


 今の状況について初めにラルフの頭をよぎったのは、なぜ彼女が声をかけて来たのか? という疑問。

 彼女の顔はよく知っている。というか、我が王立エンシェント万能学院きっての高嶺の花、魔導学科二年のクラエスフィーナ嬢を知らないヤツなんか在校生にいる筈がない。

 ラルフたちと同期で特待生として入学した、顔だけじゃなくてオツムも良いと才色兼備の見本のような人だ。

 ……で。

 そんな学院生徒の序列(スクールカースト)の頂点が、普通に考えれば面識のない底辺モブども(ラルフたち)に用なんかある筈がない。こっちが彼女の事を勝手に知っているだけで、向こうは自分たちの存在なんか視界にも入っていない筈だ。

 そんなクラエスフィーナ嬢が、切羽詰まった顔で訴えてくる。

「お願い、私の手伝いをしてくれないかな!?」

「……」

 二人は必死な様子の彼女の顔をしげしげ眺め、それから首を回して自分たちの後ろを眺めた。

「え? え? どうしたの?」

 そこには誰もいない。適当に消した黒板と乱雑に並んだ机があるだけだ。

 講義室には三人しかいない事を再確認してから、もう一回声をかけて来たクラエスフィーナに視線を戻したラルフは……二人の行動に戸惑う彼女に、念のために聞いてみた。

「あの、もしかして……僕たちに声をかけたの?」

「もしかしても何も、他に誰もいないじゃない!」

 キレ気味に答える女子学生の回答に、ラルフはホッブと顔を見合わせ肩を竦めた。

「いや、だって……」

「なあ?」

「……なによ?」

 ジト目で見てくる彼女はなぜなんだか理由がわかっていない様子だけど……ちょっと考えてみて欲しい。




 自慢じゃないが、ラルフは取り柄が無いのを自覚しているぐらい平凡な男だ。

 中肉中背で顔も可もなく不可もなく。すべてが平均点で、多分大通りを歩けば二分とかからず見失うに違いない模範的な平凡さだ。家も王都ではごく普通の一般家庭。親が商売をやっているから一応高等教育を受けさせてもらっているけど、今学院で学んでいることが卒業後に家業の役に立つかというと……全く無駄だろう。

 ハッキリ言えば、ラルフ本人だって別に将来の為にと思って進学したわけじゃない。働かさせられるのを先延ばしにしたくて、向学心も無いのに学院に通って意味なく学歴だけ上げている。いわゆる「成人猶予期間(モラトリアム)学生」というヤツだ。

 これについては別にラルフだけが特別に駄目人間というわけでもない。近頃の学院諸校ではどこでも、ラルフみたいなやる気のない学生が生徒の大半を占めている。そういう点でも周囲に埋没する平凡な男、ラルフ。


 本来の「学院」は「学業に専念できる環境で、先達の研究者が指導して後進を育てる園」(という建て前の)学究型高等教育機関だった……らしい。ラルフが通う今ではもはや、“賢者の育成機関”なんて肩書は遠い過去の栄光だ。

 近年は学生の幼稚化に従って義務教育の延長線みたいな学院が多く、専門知識を説明するだけの伝達型授業で教えるのがほとんど。ディスカッションなどやっても誰も発言しないので、討論会なんてやるだけ無駄。今では導師でさえそう思っている。

 それというのも、さっきも言った通り「|社会に出るのを先延ばししたい《ラルフのおなかま》」層が学生の主力になってきているからだ。将来研究職に就きたい学生なんて、少数派どころか探さないと見つからないレベルにまで構成比が落ちている。


 もちろん学生や教育の質の低下を嘆く筋もいるけれど、これは仕方ないと言えば仕方ない。

 学院自体がいまや援助者(パトロン)からの補助金が先細りで、運営費や教授陣の研究資金をモラトリアム学生(かれら)の学費に頼っている現状がある。そういう連中は正直学費だけ納めてくれればいいわけで、学院も彼らの実績に期待なんかしやしない。

 というわけで。学者になる気もない連中が学院公認で人生をサボりに来ているんだから、そりゃあ優秀な研究者なんてほとんど育たないわけだ。



 

 当然ながらラルフとツルんでいるホッブだって類友で、学院に来ている事情は似たようなものだ。

 二人とも王都の自営業者の息子だから学院なんて来ているけれど、そうでもなければ二人揃って良くて職業学校、でなければ授産所へ通って即戦力になる職人教育を受けさせられているところだろう。二人の学生生活は生活に余裕がある王都庶民だからこそ。親の見栄っ張り様々だとラルフは感謝している。

 そんなわけで、なんとなく学院に通っている見た目も成績も平凡なラルフとホッブ。こんな二人が、アツい研究者気質の生徒に隔意があるのはどうしたって仕方ない話。


 そんなダメな方の学生代表な二人に対して。

 今目の前にいるクラエスフィーナ“姫”は美人でスタイルが良くて、魔術の研究を高めるために奥地のエルフの里からわざわざ王都までやって来た才媛(エルフ)で……誰もが遠慮する孤高の存在。同じ学年に在籍していても全く交流なんて無いし、ラルフたちとは別の世界に住んでいる人種だと思ってる。まあエルフだから、同じ世界でも別の人種なんだけど。


 実際にこう、いつもは遠目に見る彼女を初めて近くでまじまじ見てみると……ラルフと同じ二足歩行生物とは、とても思えない美しさだった。

 白皙の美貌はホッブの大きな掌で隠せそうなほどに小さい。細く引き締まった身体は男のラルフに並びそうなほどに背が高いのに、さらに足が長くてもう腰の位置が違う。そのくせ女子が大きくなって欲しい部分……特に胸はリンゴを隠したような丸みで張り出しているとか……もう同期女子の嫉妬待ったなし。

 さらにエルフというだけでも希少性は「人語を話す絶滅危惧生物」と呼べるほどで、王国最大の街である王都でもエルフなんて五人いるかどうか……。

 そういう普段ならナンパどころか本当に用事があっても声をかけられない……というか“背景”の分際でちょっかいをかけて悪目立ちしたくない学院の“姫”に、まさか向こうから呼び止められるという学院入学以来の大事件。

 こんなの当然、なぜ? としか言いようがないじゃないか。




 そんな彼女に声をかけられ、ラルフは考えた。

(学院の“お姫さま”が、僕たちなんかに何の用だろう?)

 彼女と自分たち、学院でのお互いの立ち位置を考えて答えを探す。導き出される答えは……ラルフの脳裏に稲妻が閃いた。

(うん、これだな!)

 “モブ”が“お姫様”に頼まれそうな用事を幾つか思いついた。

 ちょっとは頭がキレるところを見せておこう。ラルフは彼女から言われる前に、自分から答え合わせを言い出した。

 咳払いをして、ラルフは彼女に慇懃に尋ねた。

「あの、人気の菓子店(パティスリー)の行列要員でしょうか? それとも講義のノートを書き写せという御命令でしょうか? 今人気のレストランに夕食の席を取って来いと言うのでしたら、僕らちょっとコネが無いんですけど……」

 彼女の用件はきっと、手近に取り巻き(げぼく)がいないから臨時でパシリが必要という話に違いない! そう考えて自信満々で質問したラルフが相手の反応を見たら……なぜか憮然とした顔をしている。

「私、普段どういう目で見られているの……!?」

 ホッブと慌てて目配せしあう。

(おい、どうも推測の内容がお気に召さなかったようだぞ?)

(でも彼女って、そういう存在じゃないの?)

 二人がワタワタしている間に、ラルフの質問に戸惑うクラエスフィーナは「え~……」という顔になりながら……美貌のエルフ様にはちょっと珍しい表情ではある……それでも一応、ラルフの出した選択肢の中から答えてくれた。

「……まあ、その中のどれかと言われれば、真ん中のヤツかな」

「なるほど!」

 オーケー、理解した。

 用件を聞いたラルフは、またホッブとアイコンタクトで会話する。

(聞いたか、ホッブ?)

(ああ。これは早めに言っといたほうが良いぞラルフ)

 小さく頷きあい、一つ咳払いをして切り出した。

「あの、クラエスフィーナ様。大変申し上げにくいのですが……」

「同期生なのになんで“様”付け!? それとさっきから、わざとらしい敬語はなんなの!?」

 丁寧な態度がお気に召さないらしい“お姫様”に、ラルフは大事な事……この場は黙っていたとしても、後々隠し切れない真実を告げた。

「すみません、ノートは貸せません。というのも、僕たちバカな上にやる気も無いものですから……さっきの授業はのびのび寝てまして、ノートを取ってませんでした」

「貴方たち何しに学院来てるの!?」

 ラルフたちが正直に答えたら、なぜかクラエスフィーナに怒られた。




「……なんで、こんなに話が進まないのかしら……」

 ちょっと話しただけで疲れた様子のクラエスフィーナは、“ストップ!”というゼスチャーをして二人が始めた怒涛の弁解を押しとどめた。さすがエルフ、そんなしぐさも絵になる可愛らしさだ。

「あのね、まずは話を聞いてくれないかしら」

 彼らを止めて、続いて説明に入ろうとしたけれど……残念なことに彼女は、『バカは話を聞かない』という厳然たる事実を忘れていた。

 止めたにもかかわらず、二人の壊れた水門のような言い訳が続いている。

「お金もありません!」

「いや、そうじゃなくて……」

「馬車も持ってません!」

「あの……」

「カモれそうなボンボンに知り合いもいません!」

「えーとね……」

「ブランド品もよくわかりません!」

 いくら止めようとしても濁流のように流れ込んでくる言い訳の波、波、波。そして打ち寄せる弁解の奔流にクラエスフィーナの我慢は決壊し……。

「と・に・か・く! 黙って話を聞いてくれないかな!?」

 オウムのように無理ですと繰り返すだけの二人に、エルフ美女の珍しい怒声が飛んだ。

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