世の中の生きづらさを大好きなサッカーで例えてみた
よくサッカー界では日本人選手を指導する監督が選手の問題点を聞かれた時 次のような言葉を口にする。
『日本の選手は監督の言うことを守ろうとしすぎる』
この言葉をもっと具体的にしてみよう。
『日本人は規律を守るが、時に規律に縛られ過ぎてしまうことがある』
その規律がまだ必要なものならばいいが、暗黙のルールなどという不必要なものまで作り出して他者に押しつけたり、押しつけられたりして本来守る必要のない規律に必要以上に縛られているものまでいる。
ある代表監督は『赤信号でも右を見て左を見てもう一度右を見て、車が来ないと判断したなら渡ればいい』という言葉を残した。
もちろん日本人でもその状況で渡るものはいるが、どちらかといえば渡らない方が多数派だろう。何故なら渡ったものに非難の目を向けるものも多く、大抵の日本人はそういった目を気にするからだ。
もちろんこのルールが不必要だと言っているわけではないし、渡らなかったものが悪いわけでもない。
ただ、日本人は良くも悪くも規律を重んじ、規律を破る人間に対して厳しいということだ。
それが例え守らなくてもいい規律だったとしても...
話をサッカーに戻そう。
例えば2VS2のミニゲームをしていて、相手選手はAとBの二人でAがボールを持っていたとする。
こちらはCとDの二人、その場合Aに近いCがボールを取りに行き、余ったDがカバーに入るのがセオリーであり、
監督もそのように指導していたとする。
ところがボールを持っているAが明らかに下手で、今にもCがボールを取れそうだ。Bにパスを出す気配もない。
そこでDはCがボールを奪えると判断し、カウンターが狙える場所に移動する。
結果Cがボールを奪い取り、素早くDに繋げてカウンターでゴールが決まった。
このケース もしDが監督の指示を忠実に守り、自分で判断することができない選手だった場合 ありえただろうか?
答えは否だ。
Dは監督の指示通りCのカバーに専念し、Cがボールを奪っても前には誰も味方がおらず、結果CとDは攻めあぐねた可能性が高い。
これがよくいう『日本人選手は監督の言うことを守ろうとしすぎる』が故に発生する問題である。
もちろん規律を守るのは大事なことだ。みんなが勝手なことをすればチームはチームでなくなり、ただの個の集まりになってしまう。
1人の選手が暴走して他の選手に迷惑を掛けたなら罰を与えることも必要だろう。
しかし、何事も過ぎてはいけない。
規律を守らなかったからといって過剰な罰を与えるなどもっての他だ。
そんなことをしたら選手は自分で判断することを恐れ、自分の意思で動くことができなくなってしまう。
規律は個々の判断を助ける目印のようなものであり、個々の判断を妨げるものにしてはいけない。
選手が状況に応じた正しい判断を下せるようになれば、規律は最小限で済む。
わざわざ自由なサッカーを規律だらけの不自由なものにすることはない。
自分で考えて自分で決断する楽しさ、それが人生の醍醐味なのだから。