8話目 魔法というもの
魔王城だと思っていた場所は実は城壁で、一度城壁の一番奥にある扉を潜ると、広い中庭とその先に、ずん、とそびえ立つ巨大な城が見えた。
ーー本当に城の中じゃなかったんだな…
公平は遠い目で城を見る。その隣で今にも踊り出しそうなほどはしゃいでいるゼノンが先へ先へと急かす。
「早くこの事を皆に伝えねば! 皆喜びますぞ! ああ、諦めなくてよかったです!」
公平はまだゼノンの言う魔法の凄さに理解が追いついていない、というより、魔法自体まだよく理解していないので、ゼノンのテンションについていけてなかった。
ーーうーん…すごいと言われて悪い気はしないが、なんだか騙してるような気分になるなー…。
早く早くとゼノンが急かすので、若干小走り気味に中庭を通り抜け、城の中に入る。
城の中は城壁の中とは比べものにならないくらい広く、こちらも所々欠けたりしているものの、柱や壁に彫り物がされたり、飾りがついていたりと意匠に凝っている。
「なぁ、ゼノン君。城の中はどうしてこんなに装飾があるんだ?」
浮かれ気味のゼノンに尋ねると、ゼノンは、ああ、と呟くと
「あれは何代か前の魔王様が宝飾品や装飾というものに強い関心を持っていらっしゃったので、魔王様直々に人間の街を襲い、職人を攫ってきて無理やり作らせたのですよ。」
あっけらかんと言った。
ーーうわー、聞かなきゃよかった。
公平は自身が軽率な質問をしたことを後悔した。
しかし、ともう一度城に施された装飾を見る。
ーーその時の魔王が怖かったのか、それとも職人としての意地かは分からないけど、細部まで丁寧に作られた見事な作品だなぁ…。
移動しながら見ていると、ふいに視界が揺れ、頭が痛くなった。
ーーなんだ?
気のせいか、と思った次の瞬間、強烈な目眩と吐き気、それに頭痛が襲ってきた。
「魔王様着きましたぞ! ここが大広間です!」
バン、とゼノンが大きな扉を開け放ち、こちらを見る。
どうやら中には大勢の魔族がいるようで揺れる視界にぼんやりと映る。
だが、公平は返事を返すことができず、開いた扉に縋り付いた。
その様子を見て、ゼノンは、魔王様、と心配そうに声を掛けてくる。
ーー大丈夫…じゃないな、これ、は。
「魔王様ーー⁉︎」
ゼノンの悲痛な叫び声を最後に、公平は意識を手放した。
どんどん、という太鼓の音と共に祭囃子が聞こえる。
石でできた道の両側には屋台が並び、溢れかえらんばかりの人だかりがそこにはあった。
その中で公平は、まだ5歳くらいの、黒髪を高い位置で二つ結びにした、白いワンピース姿の少女と手を繋いで歩いている。
ーーあれ、俺は…何を…
ふわふわとした不思議な心地がする。
隣にいた少女はりんご飴片手にある屋台を指差し、次はあそこへ行きたい、と言った。
公平は少女に言われるがまま、そこへ向かった。
祭囃子が遠くなっていく。
それと同時に目の前の光景が白くなっていく。
公平はその光景を見ていた。
何もせずに見ていた。
景色が消えていく。
ーー最後の一瞬、少女が振り返り、何かを言ったような気がした。
「……!」
目が覚めた公平は、そのまま飛び起きた。
ーーあれ、ここは…?
公平は見覚えのない部屋で、見覚えのないベットの上にいた。
「…あ、そうだ…俺は異世界に来て…いきなり魔王だなんだと言われて…」
「お目覚めですかな?」
「うわぁ⁉︎」
すぐ右側からの声に驚いて、ベットの逆端まで移動し、そのまま床に落ちる。
「うぐっ!」
「だ、大丈夫ですか⁉︎」
声の主が慌てて公平の落ちた方へ駆け寄る。
声の主はゼノンだった。
「だ、大丈夫、一応…」
いてて、と言いながら起き上がると、ゼノンの他に、もう一体、全長が膝くらいの、手足が生えた丸い何かがいた。
皺が入っているせいか、顔のついた梅干しのように見える。
じっ、と見ていると、そいつと目があった。
「えっと…」
丸い何かは、こちらを見たまま何も言わない。
ーーうっ…どうしたもんか…
「は、初めまして…」
社会生活の中で身につけた愛想笑いを浮かべながら挨拶する。
しかし、丸い何かは何も言わない。目線も動かさない。
「魔王様が自ら挨拶していらっしゃるというのに、返さぬとは無礼ではありませんかな?」
ゼノンが丸い何かに向かって言った。
すると、丸い何かはふぅ、とため息をつくと、
「これじゃから最近の若いモンは…やれやれ、気が短くていかんのぅ…」
といい、両手の手のひらを天井に向け、わざとらしくもう一度ため息をついた。
ーーなんか、苦手なタイプだな…
隣ではゼノンが、こめかみに青筋を浮かべながらぷるぷると震えている。
「それと、魔王、お主は魔力を使いすぎじゃ! 当分魔法は使わず回復に当てるのじゃな!」
丸い何かは、びしっ、とこちらに人差し指を向けて言った。
「え、えーと…ところであなたは…?」
「なんじゃ知らんのか?」
丸い何かが不愉快そうに言う。
「魔王様、この口の悪いじじいは一応、この魔王領で一番腕のいい医者のテドラというものです。魔王様が急にお倒れになったので、呼び寄せたのです。」
テドラの代わりにゼノンが答える。
ーーそうだ、あの時俺は、大広間の前で倒れてしまったんだ。
「すまない、ゼノン君。心配かけたね」
ゼノンが、いえ、と首を振る。
「魔王様は、初めて魔法を使った、とおっしゃっていたのに、浮かれて体調にまで気を使っていなかった私が悪いのです。もっと、ちゃんと考えるべきでした。」
ゼノンが頭を下げる。
「いや、ちゃんと自分の体調に気を使っていなかった俺も悪いさ。
自分の体のことは自分が一番わかるはずなのにね。」
「その通りじゃ!」
公平の言葉にテドラが再び、びしっ、と公平に人差し指を向ける。
「魔法を初めて使う初心者の分際で黒魔法を使ったじゃとーぅ?
大馬鹿者ォ‼︎ 恥を知れぃ!」
テドラの説教と共に飛んで来た唾が公平に当たる。
ーーうわぁ、汚!
「よいか! 魔法というのはじゃなぁ、体内に流れている魔力を使って起こす一種の奇跡のようなものじゃ! お主、魔力が何かわかるじゃろうな!」
「わかりません」
公平は正直に答えると、テドラが、なんじゃと、と言い呆れた顔をした。
「かぁ〜、こんな、ど素人の阿呆が魔法なんざ使うからこんなことになるんじゃ! お主! これからワシが懇、切、丁、寧に一から教えてやるからちょっとそこに正座してみぃ!」
公平はテドラの指示通り正座した。
「な、魔王様! あのような老害の言葉に耳を貸す必要なんてないですよ!」
「馬鹿者ぅ!」
ゼノンの言葉に反応したテドラが怒鳴り声をあげる。
「浮かれて魔法のなんたるかを忘れた未熟者が口を出すんじゃない! お主も隣で聞いておれ!」
痛いところを突かれたゼノンが、ぐっと黙る。
「まずはなんじゃ、魔力の話からじゃな。心底ど素人じゃの。今時子供も知っておろうて。
まあ、知らぬものは仕方がない。
魔力というのはの、生きとし生けるものが持っておる力。
まあ、生命エネルギーのようなものじゃの。
生きておるものはこれを失えば死んでしまう、そういうものじゃ。」
死、という言葉に公平の背中に冷たい汗が流れ落ちる。
「魔力は余程の事がない限り、尽きることがないのじゃ。
生きている中で消費した分は食事や休息で十分回復することができる。
じゃが、唯一の例外が魔法じゃ。
魔法は魔力を使う。
使い過ぎれば術者は死んでしまう。
じゃから、魔法を使うものは、あらかじめ己の魔力を把握し、その上で魔法を使うんじゃ。
ど素人が修行もなしに、加減を知らずに魔法を使うなど言語道断じゃ、馬鹿者め。」
テドラの言葉に魔法が存外怖いものであることや、自分が危なかった事を理解した公平は、すみません、と謝った。
「ワシに謝ってどうする、ワシに。
反省しとるなら次からは気をつけることじゃの。
お主が今も生きておるのは、たまたまお主の生命力が強かったことと、ワシと、ワシ特製のこれがあったからじゃ」
そう言って、テドラは懐から緑色の液体が入った小瓶を取り出した。
見た目は毒薬に見える。
「これは…?」
「ワシ特製の魔力超回復薬のテドラZじゃ。
もはや大地が枯れ果てた今、これが最後の一本じゃ。
500年かけて作り上げた最高傑作を、こんな若造に使うことになるとはの」
500年、という言葉に公平は申し訳なさでいっぱいになった。
「それは…貴重なものをすみません。」
公平の謝罪に、テドラは鼻を、ふん、と鳴らす。
「まあ、使わずに腐らせるよりはましじゃったかもな。
とにかくもう次はないのじゃから、重々気をつけるのじゃ。
そして、この最後のテドラZ! 渡しておくから、これを食後に飲むのじゃよ。じき、本調子に戻る。」
テドラに薬の入った小瓶を渡され、驚く。
「いいんですか? これは貴重な物なんですよね?」
公平の言葉にテドラは背中を向けると、
「ふん、お主が昼を取り戻せば、やがては草木が芽生え、秘薬の元も手に入るじゃろうよ。
…期待しておるぞ、今代の魔王よ」
そう言い残して去って言った。
「あのテドラも口は悪いですが、魔王様に期待をしているのですよ。」
だから一緒に頑張りましょう、というゼノンの言葉に公平は曖昧に頷くことしかできなかった。
ーー…俺、まだ魔王として頑張る決心、できてないんだけど。