5話目 33歳で魔王は痛い
「し、死ぬぅ」
戦場を遠く離れ、とある森の中でやっと解放された公平は、ばたり、とその場で横たわった。
「大丈夫ですか、魔王様?」
ヘビのような見た目の生物が、心配そうに声をかけながら覗き込んでくる。
「結構…はぁはぁ…限界…」
今までの疲れが、安心したことによってどっと押し寄せて来た。おまけに、あのひょっとこのお面のせいで呼吸し辛く若干酸欠気味である。
ーーまじで外れないしこのひょっとこ。
ぜぇぜぇと息を切らせながら上半身を起こす。
「それでちょっと聞いてもいいかな。」
「なんでしょうか?」
答えたのはヘビのような見た目の生物だが、周りを囲んでいた怪物共も一斉にこちらを見たのでちょっと驚く。
「まぁー…とりあえず君の名前教えてくれないかな?」
「私の名前ですか…? 私はゼノンと言います。」
ヘビのような見た目の生物改めゼノンが名乗る。
「じゃあ、ゼノン君。まず一つ目の質問だ。ここはどこだ?」
人差し指をぴ、と立てる。
「ここは先ほどまでいたメールの丘から南の魔王領の辺境の密林です。」
なるほど、と頷く。
ーー全然わからん。
「質問二つ目。俺は何故あの場に居たんだ?」
「それは私にもわかりかねます。何故か魔王様が現れる気配があの辺りからしたため、全軍を率いて向かいましたところ、貴方様がいらっしゃいました。」
ーーこいつらが俺をこの世界へ連れて来たわけじゃなさそうだな。…困ったなどうやって帰ろう。
「質問三つ目。なんで甲冑の兵士たちは俺を襲って来たんだ?」
「あの人間共のことでしょうか…? 人間共と我ら魔族は長い間敵対し争っておりますゆえ、向こうも魔王様の気配を察知し討伐に来たものと思われます。」
敵対、という言葉に嫌な予感がする。
「質問四つ目。なんで君達は俺の事を魔王と呼ぶんだ? 人違いではないのか?」
「貴方様が我ら魔族の長、魔王様でいらっしゃるからです。人違いなんてことはありえません。現に、貴方様は魔王しか使えない黒魔法を使ったではありませんか。」
ーー黒魔法…さっきの黒い何かのことか?ということは本当に俺が魔王?
「うーむ…質問五つ目。仮に俺が魔王だとして、もし、魔王なら俺は何をすべきなんだ?」
「もちろん魔王様のすべきことは、人間共を打ち破り世界すべてを貴方様の手中に収めることです。」
ーーつまり世界征服?
「無理無理。絶対無理」
首を振りながら、全身で拒絶の意を表す。
「何故ですか?」
ゼノンが疑問の声を上げる。
「いやだって、俺は人間だし、平和主義だから、そんな聞いただけで血生臭そうなの無理だよ。」
そう言うと、公平を見ていた全員が変な顔をした。
「…なにをおっしゃられているのですか魔王様? 貴方様は魔族ではありませんか。それに魔王様ともあろうお方がそのような弱気で如何するのですか。」
「いやいやいや、どこからどう見たって人間でしょ」
公平の言葉に全員がますます変な顔になる。
ゼノンが懐から、す、と鏡を取り出し恭しくこちらに手渡した。
「どうぞ」
「あ、ああ」
公平は、鏡を受けとると自分の顔を写した。
そこにはひょっとこの面をつけた悪魔のような男がいた。
「これが俺⁉︎」
ポロリ、と面が落ちる。どうやら一時間経ったようだ。
鏡に写る公平の姿は、細部こそ同じであるが、若干血色が悪くなり犬歯が必要以上に伸び鋭くなっている。
おまけに頭頂部からは鋭い二本の角が生えていた。
ーーおいおい、嘘だろ?
丁度角のある部分に右手を伸ばしてみると、固い感触が返ってきた。しかも、押しても引いても一向に取れる気配はない。
「なんだよ、これ…こんな姿じゃ…こんな姿じゃ女の子口説けないじゃないか‼︎」
「そこですか?」
ゼノンが呆れた声を出す。
「魔王城に行けばいくらでも娘はいますし、なにやら人間に拘っていたようですが、そんなもの人間の領地を我が物とすればいくらでも囲えるじゃないですか。」
「無理やりじゃだめなんだよー…」
しくしくと涙を流す。
「そもそも何故魔王様はご自身の事を人間だと?」
「それはーー」
公平は今までの経緯を詳しく話した。
「異世界…ですか? それはまた…」
「信じられないのも無理はないけどさ、本当なんだよ。証拠にあっちから持ってきたものもあるんだ。」
そう言って、公平は営業用の鞄からスマホや財布や携帯型のモバイルバッテリーなどを取り出した。
ーー名刺、あの場所に捨てて来ちゃったな。まあ、いいか。
「…なるほど…確かにこれらのものは見たことがありません。それに、本来なら魔王となる筈の種族が途絶えるとどこからか新たな魔王が現れるという伝承にも符合します。…信じましょう。」
ゼノンが頷く。
「なんかすまんな。…ところで魔王となる種族が途絶えるってどうことだ? 魔王は他にもいたのか?」
公平の質問にゼノンが暫し熟考し、重い口を開いた。
「魔王様の話が本当だとすると人間を討つことに戸惑うのは無理ない…しかし、こちらにも納得していただかなければならない事情というものがあります。詳しいことは魔王城に帰ってから説明いたしましょう。実際に見ていただくのが手っ取り早い。」
分かった、と言って鞄とひょっとこの面を片手に再び密林の中へ進んでいく。
ーーなんか空気が重いな…
当たり前だが、こいつらが人間と敵対している中で自分の事を人間などと言いだせば微妙な雰囲気になるのは必須だ。
ーー実は道案内とか言いながらどっかで殺されたりしないだろうな…?
嫌な考えが頭をよぎる。
全く知らない場所で全く知らない奴らと一緒に移動しているというのが、今更ながら異常な気がしてくる。
彼らは、そもそも自分が魔王であるという認識のもと救出にあたったのだ。それを全否定したのだから何をされてもおかしくないと言える。
ーー今この場にいるのは少数。けど、さっき『万が一にも見つかるような事があっては大変だ。少数精鋭で最短ルートを通っていく』ていう会話が聞こえたから多分精鋭なんだろうな…。
悪路に足を取られながら進むので、だらだらと大して暑くもないのに滝のような汗を掻く。
ーーいや、汗の理由はそれだけじゃないかもな。
ははは、と乾いた笑いが溢れる。
誰も何も言わない無言のまま進み続ける。
空はまだ明るく、太陽が頭上からこちらを照らしているのでまだそれほど時間は経っていない筈だが、もう何十時間も経ったような気がする。
ーー何時になったらつくんだろう…?
密林の奥深くまで入っていくほどに、そこかしこから聞いたことのない動物の鳴き声が聞こえてくるし、何かの抜け殻がゴロゴロと転がっている。気のせいか草木が少しずつ移動しているように見える。
「……」
正直に言おう。少し怖い。
大の大人が怖がるなんて情けない、と自分でも思うが、何せこの密林の雰囲気がおかしい。太陽が見えているのに薄暗すぎる。五メートル程先は完全に暗闇だ。
おまけにずっとこちらと目を合わせず黙ってついてくる怪物たちも怖い。
ーーやばい、チビりそう…
どこから来たかなど最早わからないが、一か八かこの集団から抜け出そうかと考えたその時。
「着きました。」
ゼノンの一声にびく、と反応する。
「あ、えっと、ふーん、着いたんだ…」
疚しいことを誤魔化すようにピュー、と口笛を吹く。
「…魔王様、もしや私共が貴方様に危害を加えると思ってらっしゃいましたか?」
ぎくり。
図星を突かれて返答に困る。
どう答えたものかと考えていると、ゼノンがため息と共に口を開いた。
「魔王様、確かに魔王様が異世界から来られた人間であるという発言に私共が微妙な気分になったのは事実ですが、それで、魔王様に危害を加えようなどと考える者は一人もおりませぬ。見くびらないでください。」
ゼノンの声と共に周りにいた奴らも力強く頷く。
「…皆…すまなかった! 俺が助けてくれたのにそんな気分にしてしまっただけでなく勝手に俺を傷つけるんじゃないかと思ってしまって。本当にすまない!」
90度に腰を曲げ公平は頭を下げた。
それを見た怪物達がオロオロとする。
「お顔をお上げください、王よ!」
その言葉と共に顔を上げると、表情を少し柔らかくしたゼノンが道を開けて先を示す。
「ここから先はあれに乗って移動します。」
少し開けた場所に、六頭のワイバーンがギャーギャーと鳴き声を上げながらそこにいた。
「…へ?」
ーー実はまだ怒っています?