2004年:ジニョクアメリカへ
僕は父の転勤で、3年間アメリカに行くことになった。
正直あまり行きたくはなかった。
小心者の僕は言葉がうまく通じないところで生活することに緊張をしすぎていたし、何より食べ物がおいしくなさそうだった。
父は、
「こんなチャンスはめったにないのだから、英語の勉強になるから絶対に一緒に行こう」
と、言った。
家族はみんな喜んでいるのに、僕だけが行きたくない。
友だちと離れるのも辛いし、韓国で何かを待っていなくてはならないような気もするし。
そう思いながらも僕に決定権はない。
僕は中学3年生から高校2年生までアメリカロサンゼルスで過ごすこととなった。
アメリカは韓国よりも人の目を気にする必要がなくとてもよい環境だった。
ただし、全ては自分の責任で動く必要がある。
カラッとした天気が心地よく、僕は韓国にいたときの気持ちとはうらはらに毎日を楽しく過ごした。
2008年、韓国に戻った。
受験期も重なり最悪だった。
父とは進路のことで揉め、姉にはバカにされ、僕は本当にこの家に生まれてきて良かったのかと思うことすらある。母は僕を守ってはくれるけれど結局はこの家では全てが父の言いなりなのだ。
そう思ったときふと思い出す人がいる。慶福宮で名刺をくれたお姉さん。
あの人どうしているのかなぁ。
僕は結局大学受験に失敗した。
僕は家から出たくてソウルの大学に行きたかったのに、無理だった。
ソウルに行けばあのお姉さんに会えるような気がしていたのに。
地元ではトップの大学に行ったけれど、父は納得していない。また再試験を受けて大学に入り直せという。それは難しいことだ。僕は父の言葉を聞こえないふりをしていた。
そして、僕は2011年軍隊に入隊した。
配属先は、DMZ※1。板門店※2だ。