破局
2003年、私は相変わらず東京とソウル、広州、香港に足繁く通い仕事をしていた。
そこにヨーロッパやアメリカの展示会が入ってくる。
本当に忙しかった。
ただ、年齢の問題もあり、早く結婚したかった。
ヒョヌ、いや、韓国人男性と結婚するということ。
それは移住をしなければならないし、仕事も止めなくてはならない。
私は色々なことを考えてみたけれど、一生会社にいるというのも考えられなかったし、今のスキルを持って独立し韓国で仕事を始めるというのも良いのではないかなぁと漠然と思っていた。
私の両親は既に私の結婚については本人任せであった。
問題は、ヒョヌの方である。
日本人との結婚。
ご両親は一体どう思っているのか?
そんなある日、ヒョヌが私にこういった。
「玲、もう28歳だし、僕も33歳だからそろそろ結婚したいと思うんだ。仕事とかのことは後から考えてもいいからまずは両親に会って欲しいのだけれど、大丈夫?」
これはプロポーズ??
「それってプロポーズなの?」
「いや、申し訳ないけれど両親の意向を聞いてからプロポーズしてもいい?ダメと言われたらダメなんだ。それなのに、プロポーズはできなくて。現実わかるよね?玲が日本人だから。。。。」
私は、なんだか腑に落ちなかった。それでもそれぞれの家庭の事情もある。
理解しなくては。
私たちは週末に会わせて、ヒョヌの実家のある、全羅道・益山まで行くことになった。
ヒョヌの実家。
驚いた。
昔ながらの韓屋。
ヒョヌのご両親だけではなく、祖父と、結婚していない、お父さんの弟さんまでが住んでいた。
私はまずご両親に挨拶をと思ったら、おじいさんの部屋でまずおじいさんに挨拶をしろと言われた。
ところが、おじいさんは私に会ってはくれなかった。
次にご両親。
「せっかく来てもらったんだけれど、うちはおじいさんがダメといったらダメなの。原因はあなたにあるわけじゃない。日本人が嫌というだけなの」
絶句。
ほぼ無言でソウルに戻る。
「ヒョヌはどう思う?」
「どうって?」
「結婚無理?」
「うん。。。。ごめん」
「わかった。。。。。」
「でも玲を愛していないわけじゃない。だからもう少し待ったらどうかなと思うんだけれど」
「それってどういうこと?」
「おじいさんが亡くなったら。。。。」
「人の死をそんな風に使うのは嫌だ」
「じゃぁ、玲は俺と別れても良いってこと?」
「それも嫌だけれど」
「絶対におじいさんがダメと言ったらダメなんだ」
私は八方塞がりになった。
その後、展示会や新作の発表などで、忙しい日々が続き、2か月ぶりのソウルだった。
ヒョヌに会おうとするが、携帯電話に出ない。
メールをしても返事がない。
もう一度メールをして、ソウルに行く日程を伝えた。
その日、電話が来た。
「玲に会って話さなきゃならないことがある」
私はピンときた。
「あ、私たちダメってことだよね?」
「うん。ごめん。あの後、おじいさんがお見合いを進めてきて」
名家であるヒョヌの家。
仕方がないことだ。
「わかった。ありがとう。今まで」
「ごめんね。本当にごめんね。会って話をしたかったんだけれど」
「会わなくていいよ。余計辛くなるから」
一つの恋が終わった。