2013年:ジニョク除隊
2013年、僕は除隊※1をした。
大学に復学し、毎日をなんとなく過ごしていた。僕は大学の勉強は嫌いではないのだけれど理想論が多いような気がしてならなかった。
僕はその頃とにかく何か商売をしたくて、先輩のイタリアンレストランでバイトをしながら先輩の動きを見ていた。
先輩は大学に行っていない。高校卒業後、1年調理の学校に通い、そのまま軍隊に行き、卒業後日本のイタリアンレストランで勉強をした。
味は本当にすばらしい。韓国の洋食は正直あまりおいしくないというより、韓国ナイズされてしまっていて、洋食ではなくなっているのだ。
だからといって、アメリカの食事もひどい。大味すぎる。出汁の文化がない。
先輩がいうには、日本人の味覚はスゴイらしい。薄味で出汁を大切にする文化。ちょっとした隠し味が分かるくらいの繊細さ。だからこそどんな料理を作らせても上手だと言っていた。
僕は軍隊にいたとき自由時間に日本語を勉強した。
日常会話はなんとかなる状態だけれど実際日本に行ってみないとわからないので自信はないけれど。
先輩に言われた。
「ジニョク、日本は本当に良い。学歴がなくても能力があればいくらでも稼げて差別されない。この国は頭脳労働が持てはやされているけれど、日本は技術をもっているものが能力さえあればいくらでも上に上がっていくことができる。一度日本に行って体験してから社会に出ても遅くない」
僕は日本に本当に興味があるのに、日本に行く勇気がない。
父母はもう一度英語圏に行くことを望んでいて、できればそこで仕事を見つけてほしいのだろう。
でも僕はアメリカの社会が良い社会だとは思えなかったし、生きていくには全てお金というところが嫌だった。
情がない、人種ごとに固まっているだけの、横のつながりのない社会。
学校で、同じクラスメイトなのに、人種が違うというだけで、それ以上の関係を持たない。
そんな人間関係は面白くもなんともない。
僕は大学を卒業する前に日本に行ってみたくなった。
そんな思いを漠然と考えながら、毎日を過ごしていた。
1年半大学に通い、僕は休学した。
母がやはりアメリカで就職を探した方がいいのでは?と言いだした。
韓国の就職事情のひどさは深刻だ。
ここ最近、先輩で某航空会社に就職が決まった。
大騒ぎだった。
僕の大学はさほどレベルが低い大学でもないのにそんな状態だ。
就職が決まらなければ皆卒業せずに休学する。
図書館には休学生※2があふれ、席がない。
こんな状態が良いわけない。
休学したからといって何をしているわけでもない。就職準備?休学してまでやること?
インターンすら決まらない状態で、どう生きていけばいいのか。
僕は父母に黙って、ワーキングホリデーの申請をした。
日本に行こう!




