カミーユ家の食卓
「……意外とこじんまりしてるな」
先日わざわざギルド長室に呼び出されてカミーユに用件を聞かされた努は、その用件に拍子抜けしつつも午後から少し小さめの一軒家の前に来ていた。
以前カミーユとPTを組んでいた際に料理の話題になり、話の流れでポトフの作り方を教えると言っていた努。それの催促のためにわざわざギルド長室に呼ばれるとは思っていなかった努は何だか気が抜けてしまったが、忘れていたとも言えず予定を開けてカミーユの自宅に来ていた。
呼び鈴の紐を引っ張ると結構な音量の音が鳴る。少しすると私服のカミーユが扉を開けて出てきた。
「あ、どうも」
「来たか。さぁさぁ、入ってくれ」
ゆったりと伸ばされた長い赤髪を風に揺らしているカミーユは努を招き入れた。おずおずと挨拶をしつつ努はカミーユの家にお邪魔する。少し小さめの一軒家だが内装はかなりこだわっているようで、木を中心とした涼しげな空間が広がっていた。
するとカミーユは横に並ぶ努と視線を合わせると彼を見咎めるように軽く睨んだ。
「最近ツトムは金色の調べに入り浸りだそうじゃないか」
「入り浸りって。ただちょっとした指導をしてるだけですよ」
「確かあそこは女性が主体のクランであろう? ツトムのお眼鏡にかなう相手はいたのか?」
「いやいや、そもそもあそこのクランメンバーは大抵レオンさんの婚約者らしいですからね」
「ということは、お眼鏡にかなう相手はいたのか? ならば略奪すればいいではないか」
「どちらも、ないです」
意地悪げな笑みを浮かべながら肩を指でつついてくるカミーユを努は前を向きながら一蹴した。するとカミーユはつまらなそうに視線を外して努をキッチンへ招き入れた。
「ここがキッチンだ。では先生。今日はポトフの作り方のご教授の方、よろしくお願い致します」
「誰が先生ですか」
「この地位についてから誰かにモノを教わることなど減ったからな。随分と懐かしい気分になる」
下げた頭を上げてにっと笑いかけてくるカミーユに努は呆れたようにしながらも、自身のマジックバッグから食材や材料をキッチンの台に並べ始めた。ポトフの作り方といっても努はあまり料理に凝っていない。一人暮らしをしていたため多少は出来るが、面倒なものは避けてパスタやカレーなど簡単で安いものしか基本的に作らなかった。
正直な話ポトフも材料さえあれば相当簡単なので料理の出来るカミーユならすぐに出来そうだと努は感じていたが、カミーユは教わること自体に楽しみを覚えているようだったので言わないでおいた。
「お、このベーコン。手作りか?」
「ガルムからの頂き物です。孤児院に余った食材を寄与したらくれたんだとか」
「ほーう」
まじまじとベーコンを観察しているカミーユをよそに、努は調理器具を借りて野菜を切る準備を進めた。カミーユも木製のまな板にベーコンをぺちんと置いて準備に入る。
「切り方は……まぁ適当です。食べやすいサイズなら何でもいいです」
「わかった」
人参や玉ねぎ。じゃがいもなどの皮を努が剥き始めると、カミーユも後ろの長い赤髪をゴムで束ねた後に彼の隣へ並んだ。少し控えめな花のような匂いを努は感じつつも、ナイフを持ってするすると皮を剥き始めたカミーユを見つめた。
そのナイフ捌きは努よりよっぽど様になっていて淀みがない。じゃがいもがすぐに真っ白になり、玉ねぎも頂点の部分をナイフで円状にくり抜いてから皮を剥き始める。
「じゃあ僕は食べやすいサイズに切っちゃいますね」
「頼んだ」
その後は並んで黙々と作業が進み野菜とベーコンの処理はすぐに終わった。努はカミーユに鍋を準備させるとそこに油を入れ、備え付けの無色の魔石を投入して魔道コンロに火を付けた。鍋の油が温まるとそこでベーコンを投入し、軽く炒めた後に野菜も投入した。
「そういえばツトム。鑑定はギルドではしないのか?」
「え? あぁ。そういえばもう二つ名無くなったし、もう大丈夫か……。忘れてましたね」
努は幸運者の二つ名を背負っていた頃は虫の探索者の常駐しているギルドを嫌い、外の店で魔石などを鑑定させていた。しかしその二つ名ももう無くなったのでギルドの鑑定所を気兼ねなく利用できるようになっていた。
「鑑定所のエイミーが誰かさんのおかげで仕事に力を入れてくれるようになったんだがな? 最近はどうも根を詰めすぎているように見える。無理にとは言わんが、少し顔を出してやってくれないか?」
「……別に、いいですけど」
カミーユに事有りげな顔をされながらそう言われた努は。彼女のからかうような視線に胡散臭そうに顔を退いた。
「まぁエイミーが仕事を頑張っているなんて貴重だから放っておいてもいいのだがな。皆逆に心配していて仕事に身が入っていないのだ」
「あの人どんだけ仕事サボってたんですか。ガルムが結構愚痴をこぼしてたんである程度は知ってはいましたけど」
「ギルド職員が心配して医者をギルドに連れてくるよう手配しかけたくらいには異常だな」
「ほんと今までどんだけサボってたんだよエイミー……」
「本人は気遣われることは嫌みたいだがな。くくくっ」
努はそう言いながらも具材全体に油が回ったのを努が見計らうと、水を具材が被るほどに入れた後に液状のコンソメを取り出してスプーンですくって鍋に入れた。
「これは?」
「コンソメって調味料ですね。僕の泊まっている宿屋の料理人から買い取っている物です。一応自分でも作れるらしいんですが、半日は付きっきりで鍋の面倒みなきゃいけないそうなのでオススメはしません」
「ほう。味見しても?」
「どうぞ」
「あーん」
努のスプーンを見た後に彼へ口を開けるカミーユ。
「……いや、これかなり味が濃いので、自分で指でも入れて舐めて下さい」
努の言葉にちぇっ、とカミーユはしょげたようにしながらも。濃縮されたコンソメを指につけてペロリと舐める。カミーユはふーむと腕を組んだ。
「これは、一桁台付近の有名な店の澄んだスープに似ているな。なるほどなるほど」
「何か肉と野菜を煮込めば出来るらしいです。曖昧ですけど。あ、これは差し上げます。自分はどうせまた買えるので」
「そうか。ありがたい。今日娘に食べさせてやろう」
ぐつぐつと煮立つ鍋を覗きながらカミーユは娘がポトフを食べる姿でも想像しているのか、知らず知らずのうちに彼女は優しい笑みを浮かべていた。するとカミーユは思い出したようにパッと努の方を見た。
「そういえば娘がツトムに会いたいと言っていたのを忘れていた。丁度娘が夜に帰ってくるから、良ければ夕飯ついでに会ってやってくれないか?」
「え? 娘さんが?」
「お願いしたい」
「……いいですよ」
カミーユの懇願するような目を見て努は不意を突かれながらも、少し考えた後に頷いた。その返事に空が晴れ渡るような笑顔を見せるカミーユに努は少し挙動不審になりつつも鍋の様子を見た。
それから何度か味見をしながらコンソメや塩胡椒で味を整え、少し煮込んでポトフは完成した。その後はレシピや材料を記したメモを努はカミーユに渡した後、二人でポトフを食べながらも雑談した。
――▽▽――
その後は夜まで暇だったのでカミーユに連れられて努は外に出て、彼女の買い物に付き合った。普段ダンジョン関係の店にしか顔を出さない努にとっては、彼女の買い物に付き合うことは意外と楽しかった。
「今度エイミーに自慢してやろう。くくくっ」
「止めて下さいよ。絶対高いものとかせがみに来そうですから」
「違いない。安心したまえ。秘密にしておく。では帰ろうか」
努にヘアゴムを買ってもらったカミーユは嬉しそうにそれで長い赤髪を後ろ手で纏め、そのヘアゴムを頻りに触っては笑っている。そしてもう辺りは暗くなってきたので二人はすぐに家へ帰った。
カミーユの家に二人が帰ると既に家には明かりが付いていた。そしてカミーユが鍵を開けて入りリビングに向かうと、そこには昼に余ったポトフを温めてがつがつと食べている赤髪の少女がいた。カミーユと同様に長く赤髪を伸ばし、身長も女性にしては中々に大きいほうだ。
その少女は帰宅した二人を見ると意外そうに目を見開いた。
「あ? 何だ。新しい男か?」
「こら、失礼だろ。彼はお前が会いたがっていた者だぞ」
乱暴な言葉で応対したカミーユの娘であるアーミラは、努の顔を観察するように細めた目でジロジロと見た。そして思い出したように持っていたフォークをガチャンと音を立てて置いた。
「あんたか! 火竜を倒した白魔道士! うちのババ――母さんとガルムと三人で倒したって奴!」
カミーユの殺意の篭った眼光を受けたアーミラは、途中言葉を変えながらもキラキラとした視線を努に向けた。立ち上がってずんずんと努に近づいた彼女は、彼の手を取った。
「あんたはうちのクランに誘いたかったんだよ! うちに来いよ!」
「いつも話を聞かないお前が随分と頼み込んできたから何かと思えば、クランの勧誘か。残念だがツトムは自分でクランを作るらしいぞ」
「なんだよーっ! まだクランは作ってないんだろ!? ならうちに来いよっ! 絶対楽させてやるぜ!?」
「あはは。すみません。どうしても自分で作りたいので」
「はぁー。仕方ねぇ。それじゃ、ライバルだな」
アーミラは努の言葉を聞いて諦めたのか、手を外して努に向かってニヒルな笑みを向けた。そしてもう興味を失ったのか席に戻ってじゃがいもをフォークで突き刺し、ぱくぱくと口に運んでいくアーミラは無言でポトフを食べ進め始めた。
「失礼な上に生意気な娘ですまないな、ツトム」
「いえ、別に大丈夫ですよ」
「アーミラは私に良くも悪くも似ていてな。私の若い頃はもっと酷かったから、あれでもまだマシな方なんだ」
(あれより酷かったんだ……)
まるで酒場にいる男性のように両足を開きながら喉を鳴らして冷水を飲み、かぁーっ! と叫んでいるアーミラ。あれより酷いってどういうことだよと努は内心で突っ込みながらも、すっかり空になってしまった鍋を見つめた。
「あぁ、もう。全く全部食べてしまっているではないか。相変わらずの食欲だな」
「お互い様だろ。男の前だからって女ぶってんじゃねーよ」
「こらアーミラ。口が過ぎるぞ」
そう言いつつもそこまで本気で怒っていないカミーユは、しょうがないなと言いたげに鍋をキッチンへと持っていった。
「すまないツトム。もう一度一緒に作ってくれないか?」
「えぇ。いいですよ」
「早く頼むぜー」
「アーミラ!」
木製のおたまを振り上げるカミーユにアーミラは手をひらひらとさせてソファーにどっかりと寝転んだ。全く、とカミーユは腰に手を当てて諦めたようにため息を吐いた。
「……普段はあんなんだが、アーミラは強いんだ。私と同じ大剣士なのだが、私より才能を持っている。十三の時に龍化を習得したからな。私よりもずっと早い」
「そうなんですか」
「自分でクランを設立して二ヶ月でもう四十階層にいるのだ。全く、とんでもない娘になってしまったものだ」
声調はアーミラを批難するような音色であったが、その顔はにこにことしている。何だかんだでアーミラはカミーユにとって自慢の娘のようだ。
努はカミーユがその後も娘の自慢話をしている間、少し考え込んでいた。
(……少なくともアーミラさんは十三か。二十歳の頃にアーミラさんを生んだと仮定したら、カミーユさんは三――)
「ツトム?」
カミーユの話に適当な相槌を返しながらもカミーユの歳を割り出していた努。そんな彼にカミーユは野菜を切るためにナイフを取り出しつつ、隣の彼を覗き込むように見た。
獲物を狙う肉食獣のような目。努がその視線を受けて思わず固まっていると、カミーユはぞっとするようで愛嬌のある不思議な笑みを浮かべた。
「どうかしたか?」
「いえなんでもありません仕事に取り掛かりましょう」
「そうだな。付き合わせて悪いね」
ナイフでまな板の上の野菜を真っ二つにしたカミーユに、努はこくこくと素早く頷いた。