第404話 サービス終了
「……あー」
努が閉じていた目を開けて初めに目にしたのは、円滑な操作が出来るように埃が詰まらないようカバー掛けされたキーボードだった。その横にあるエナジードリンクの空き缶も視界に捉えたことで、努は本当に自分が現実へと帰ってきたことを実感した。
そして久しぶりに直視したパソコン画面の眩しさに目を細めながらも、西暦を見て自分の記憶と違いないことを確認して内心ホッとした。詳しくはもう覚えていないものの日付自体はまだ夏休みの途中ではあったので、恐らく今日は『ライブダンジョン!』の百階層を一人でクリアした翌日のようだった。
(長い夢……ってわけではなかったみたいだな)
随分と重く感じる鉛のような身体を椅子から起こした時に自分の服装を確認したところ、あの世界のままだったことから夢ではなかったことを実感して努はまたしてもホッとした。
もし本当に現実そのままへと戻ったのなら、あの数年の出来事が自分の妄想だったといずれは思ってしまうかもしれないからだ。だが実物のこれらが現存していれば、そんな疑念に囚われることもないだろう。
(久々に何か日本っぽいもの食べたいな。確か、随分前に買ってたやつがあった気が……)
それから努は着ていた白のローブや、やたらに重いマジックバッグなどを丁寧に保管して緩めの私服に着替えると、棚に置いてあった賞味期限ギリギリのインスタント味噌汁とご飯を準備し始めた。
(……米が美味いな)
そして久々に馴染みのある味のする食事をして安心感を得たりなど、長い海外旅行から帰ってきた日本人と同じような感動を次々と味わった。
(……でも帰ってきたら帰ってきたで、後悔もするんだよなぁ。とにかく、身体が重い)
しかし現実へ帰らなければならないというじりじりとした焦燥感からはようやく解放されたものの、色々な後悔があることも事実だった。
慢性的な運動不足と液晶画面を一日中見ていたことによる睡眠の質の低下に、手早く食事を終えるためインスタント食品ばかり食べ、エナジードリンクで無理やり脳を騙してきた努の身体は不健康なもやしっ子を体現したようなものだ。それが高校生の頃からデフォルトだったので今までは気付かなかったが、あの世界から帰ってきた努はその差に愕然とさせられた。
それにもう二年近く誰かと共同生活を送っていたので、帰ってきたところでこの部屋に一人きりという状況も随分と寂しく感じた。今はとにかく誰かに会って現実的な何かを話したかったが、そんな気の知れた相手は現実にいない。
そして何より、自分の力を発揮できるダンジョンがないことが侘しさに拍車をかけた。そのこともあってか努はもう夜になってきたにもかかわらず、大学に入ってからは一度も帰っていなかった実家へ寂しさのあまり電車で向かった。
何だか見えるもの全部が夢なのではないかと思うほど、外の景色は新鮮に感じられた。道路を走る車には目を奪われ、あの世界に比べれば随分とお洒落な服装やスーツで歩いている通行人を海外旅行者のように眺めながら、努は運動不足のせいか汗だくになりながらも実家へと帰省した。
「えっ!? 努、どうしたの? 珍しい!」
「…………」
「なんか、汗だらけじゃない。早く入りなさい」
数年ぶりに突然帰ってきた努に母親は驚いていたが、彼を手厚く出迎えてくれた。
努にとって家族との再会は、この世界に帰ってくるにあたって小さな一因に過ぎなかった。だがいざ親を目の前にしてみると、やはり一度帰ってきて良かったと思えるくらいには感情が揺さぶられた。
それから翌日まで実家でお世話になってある程度の冷静さを取り戻した努は、引き留めようとしてくる母親にまた今度来るからと約束して自室へ帰ると、複数置かれているパソコンの前に座ってマウスを手にした。
(また一人でクリアしたら手掛かりがあるかもしれない。……しかしまぁ、勘を取り戻す練習は必要だな。指がつっかえる)
その可能性を捨て切れなかった努は再びパソコン一台とノートパソコン四台を使った一人PT攻略を始めようとしたが、二年は離れていたので円滑な操作をいきなりすることは難しかった。
「ヒール……メディック……うわ、やべぇ奴みたいだな」
ヒーラーを操作する度に自然とそんなことを口走ってしまう自分を俯瞰してそう思いながら、努は二、三日で操作感覚を掴み直し再び百階層の攻略に入った。
(無理か……)
それから一週間ほどでまた自分PTで百階層を攻略したものの、以前のようなことは起こらず肩を落とした。そもそも勝手にあの世界に呼んでおいて帰す時には何の音沙汰も見せない神らしきものに不条理を感じながらも、努はノートパソコンを閉じる。
(ライブダンジョンがサービス終了するまでは探してみるけど、それでも無理そうならガルムたちに任せるしかないか……。そうなったらまずは、三年後辺りを見据えて身体を鍛え直さないとな。またこの身体で行くとしたら間違いなく足手纏いだ。取り敢えず、ガルムに教わったやつからで……)
兎にも角にも身体が思い通りに動かず頭もカフェインがなければまともに動かないような中毒となっている現状では、『ライブダンジョン!』で可能性を見つけることもままならない。
それから努は腕立て伏せ二回でバテるような身体を鍛え直すことから始め、『ライブダンジョン!』でも他に何か変わっていないかを検証し始めた。しかし何かしらの変化を発見は出来ず、そのまま『ライブダンジョン!』のサービス終了日まで時は過ぎた。
(案外最後は人が来るもんだな。まぁ、特に何もないけど)
サービス終了日も自分とBOTだけかと思っていたが、メインサーバーに限ってはちらほらとログインしてくる者はいた。だがそれも最後に様子を見に来ただけだったのか、大したチャットが行き交うこともなく少し滞在してはログアウトしていくばかりのまま『ライブダンジョン!』は0:00を以てしてサービスを終了し、努もサーバーから強制的にログアウトさせられた。
(いよいよ手掛かりもなくなったか。どうするかなぁ)
あちらの世界から持ち込まれてきたローブや杖、金貨が入っただけの布袋に成り下がっていたマジックバッグなども調べたが特に目ぼしいものは見つからず、努は途方に暮れた。
(三年先にまた呼ばれるのを見越して準備……。取り敢えず、奨学金くらいは返さないといけないけど、三年だけじゃ稼げなくないか……? あの金貨が換金できたら楽そうだけど、出処のわからないやつだしな……。自分で何とかするしかないか)
とはいえ努の親は彼を大学で四年間一人暮らしさせるぐらいの資産力を持ち合わせているので、問題は異世界から呼ばれた際にどうやって別れを告げるかにある。だが、正直に話せばある程度の理解はしてくれる可能性はある。ディニエルやリーレイアよりは大分マシだ。
未知の爛れ古龍と戦う羽目になったあの時に比べれば、今は随分と余裕はある。最悪稼げなかったとしても死ぬなんてことはないし、行動できる時間も十分に残っている。
それよりもまたあちらの世界に帰った時の方が心配事は多い。あの場で徹底的に嘘をついて誤魔化したディニエルには帰ったら本気で殺されるかもしれないし、アーミラやリーレイアも黙ってはいないだろう。ゼノとも嫌な確執を持ってしまったし、コリナが無限の輪のヒーラーとしてやっていけるのかも不安が残る。
少なくともガルムは残っているのかもしれないが、無限の輪自体が解散している可能性だってあるだろう。もし三年後に帰れたとしてもその時には攻略階層も進んでいるだろうし、また最前線に追いつくには前回よりも状況は厳しい。
(どっちが現実なんだか……)
そんなことをぼやきながら努は荷物を纏めると、三年先を見越した準備を進めるために玄関から足を踏み出した。




