妙な気配
(……妙だな)
今日もいつも通り朝の鍛錬を終えてクランメンバーたちと朝食を口にしながら、ガルムは物思いに耽っていた。
「ツトム、そっちのソース取ってー」
「ダリル、回して」
「はーい」
(まさかツトムがあれに気を置くとも思えないのだが……何処か一線を越えたような雰囲気を感じる。どういうことだ?)
努がエイミーの好意に応えたというのなら一時の迷いも考慮して説得する必要がある。しかし彼がそんな過ちを犯す想像がガルムには出来ないし、そこまで単純なことのようにも思えない。どうも二人の様子が違うことを言葉に上手く表すことは出来ないが、ガルムから見れば確かに何かが違うのだ。
「…………」
「…………」
その違和感にはエイミーと付き合いの長いディニエルも気づいていたようで、二人は朝食中に何かがおかしいことを確認するように目を合わせていた。だが他のクランメンバーは特に気づいた様子はなく、ダリルやハンナは呑気にサラダを分け合っている。リーレイアはアーミラの赤い抜け毛を一点に見つめ、コリナは食事に夢中だ。
そんな調子で朝食を終えてみんなが食器を流し台に片づけている間に、二人は無言の意思疎通を図ってそこから離れた。そして二階に上がりながらガルムから話しかける。
「何かわかるか?」
「わからない。ただエイミーがいつもと違うことは事実。ツトムも?」
「あぁ。いつもと何処か様子が違う。それに朝の鍛錬にも身が入っていなかったし、スキルの動かし方も普段より軽く済ませていた」
「……エイミーの機嫌自体は良さそうだから、悪い方向ではない。でも関係が進展したのなら私に自慢してくるはず。だから多分他のこと。でも他に何がある?」
「…………」
真顔で話し合っていた二人はしっくり来る答えが見つからず、互いに頭を悩ませた。だがディニエルは今日も百階層の攻略に向かうため、このことについてあまり長く話してもいられない。
その後も彼女の部屋で矢の状態確認と選別など準備を進めながら二人は意見を交わしたが、納得のいく答えは出なかった。
「あのツトムがスキル練習をサボっていた話は気になる。もしかしたら百階層の攻略で気持ちが燃え尽きたのかもしれない。そういうエルフは何人か見てきた」
「……ツトムに限ってそれはないと思うがな。今日も神台を見に行く予定も入れている」
「探索者を引退しても神台は見る。隠居生活でもするつもりかも」
胡坐をかきながら矢の三枚羽を微調整しているディニエルの言葉に、ガルムは絶句した。しかしそんなことはないだろうと否定するように藍色の尻尾を一振りする。
「今日は、一挙一動に注意しておいて。こっちもさっさと攻略して追いつくから」
「……頼もしいものだな」
「二流の言葉を撤回させるまで燃え尽きさせるわけにはいかない」
矢を一本一本手に取って片目を瞑り、品質に問題がないかを確認しながら、ディニエルは狩人のような目つきでそう呟く。狙っている狩りの対象が間違っていないかとガルムは思ったが、それを口にすることなく彼女の部屋を出ていった。
(……ツトムが探索者を辞める、か。そうなったら私は、どうするのだろうな)
今までの探索者歴からいえば、努はむしろ浅い付き合いの部類に入る人物だ。だが自分が諦めた探索者への道を切り開いてくれた恩人であり、共にダンジョンで戦ってきた仲間であり、寝食を共にした友人である。
そんな彼が探索者を辞めたら自分はどうするのか。それを止めるのか、自分も辞めるのか。ガルムには見当がつかなかった。
▽▽
努たちが百階層を突破した翌日の迷宮都市は、今までにない異様な騒ぎを見せていた。神のダンジョンが百階層で終わることがないという事実は主に中堅の位置にいる探索者たちに希望を与え、これを機に心機一転して再び最前線を目指して頑張ろうと団結している者も多い。
神のダンジョンに関連した仕事をしている者たちも、まだ市場が縮小していくことがなさそうな見通しに安心していた。
もし百階層で打ち止めだったとしてもまだ雪原階層の資源すら把握していない状況のため、しばらく仕事に困ることはない。しかしそれでも終着点が見えていたならダンジョンに関連する需要が縮小していくことは間違いないため、既存利益の奪い合いをすることになっていただろう。そうなれば現在最も発展していて資金力もある大企業が有利なため、発展途上の商社や工房は経営が危うくなっていたかもしれない。
だが神台での映像を見た限りではその心配もなさそうなため、一安心といった様子で今日はより一層仕事に精を出していた。その熱気が神台市場を包み、朝からお祭り騒ぎのようになっていた。その上向いた雰囲気に呑まれて民衆たちも財布の紐が緩み、市場取引は活発化している。
「おはようございます、カークさん」
「あぁ、オーリさんか。おはよう」
そんな中、クランハウスの管理を努から任されているオーリは人混みをかき分けながら食材の買い出しに来ていた。いつもお世話になっている精肉店の店主と挨拶を交わしつつ、彼女は店の奥を見据えた。
「イルラント牛の肉塊はありますか?」
「丁度入ってきたところだ」
「それは良かったです。新鮮でしたら臓物も頂けますか?」
「……肝臓だけは半分で頼む。今じゃ家族の大好物になっちまったからな」
「今度新たな肝臓の料理も試作しますので、また簡単なものが出来ればお教えしますね」
「あいつも喜ぶ」
そう言った彼にオーリは微笑みながら他の精肉もいくつか注文した。そして計量した後に代金を支払っていく。
オーリがクランハウスで生活する十人以上分の料理を作るための食材を市場で仕入れるようになってから、既に一年が経過している。卸売業者と料理人たちの関係性が強固に出来上がっている中でも彼女が介入できたのは、一年通い詰め安定して食材を購入してきたこともあるが、大きな理由は需要がなく処分されるような食材の再利用レシピを開発して惜しげもなく取引相手に教えていたからである。
今では神台市場の中でオーリの顔を知らない者は少ない方であり、彼女が求める食材などを取っておいてくれる業者との関係も築けている。
それからオーリは信頼できる業者から次々と食材を買ってはマジックバッグへと収めていき十人分の食材を買い終えると、今も市場で魔道具を売っている業者を遠目から眺める。
探索者たちが利用するものから生活に役立つものまで数多くの魔道具が立ち並ぶ様々な店には、いつも客が途絶えていない。その中で揺るぎない信頼を置かれている様子の努を見つめながら、オーリは考えるように目を細めた。
(ツトムが個人出資した店は次々と業績を伸ばしているし、その資金で救われた人も多い。探索者が求める魔道具を見極める先見性と、それで得た利益の投資先も悪くない。……ですが、その資金配分はまるで不治の病を患った貴族のよう。健康に問題はないはずだし、探索者を引退する理由もないはず。それなのに何故……?)
オーリはあくまでクランハウスの経営にしか携わっていないし、努から直接聞いていたわけでもない。だが努宛に届く手紙の宛先の表記や贔屓にして訪ねてくる人物などを見れば、その内容を見ずとも彼が何処に投資をしてどのような資産を形成しているか想像は出来る。
そして努が相続ありきの資産形成をしていることを、彼女だけは推測し察していた。だからこそ彼がどうしてそこまで極端な安定志向で資産形成をしているのか、オーリにはわからなかった。
(……神のダンジョンが続くこともわかりましたし、一度尋ねてみた方がいいのでしょうか? あまり出過ぎた真似をするのも控えたいですが、万が一引退を考えているならこれからのクラン運営についてもご相談しなければなりませんし……)
かつてはバーベンベルク家に舞い戻るための踏み台にする気だった無限の輪。だが今では話し合った結果もあってそんな存在ではなくなっているので、以前勤めていた時と変わらない心づもりで仕事をこなしている。だからこそ万が一の状況にも備えておきたかった。
(杞憂であればいいのですが……)
そんなことを考えながらオーリは買い出しを終えてクランハウスへの帰路についた。