わからせた弊害
(……どうするか)
エイミーの部屋から持って帰ってきた不可思議な用紙に改めて視線を落としながら、努は自室の椅子に腰かけながら苦悩していた。
元の世界に帰るためには少なくとも二人の許可が必要であり、現状では一緒に百階層を突破したエイミー、ガルム、ダリル、アーミラに限定されている。そして不許可を出された場合はその許可人数が増えていくという、性格の悪い心理実験のような設定までなされていた。
エイミーが不許可を出したことについて責めるつもりはない。恐らく神がそうなるように想定して彼女に用紙を渡したことは想像できるからだ。しかし彼女の協力も今のところ得られていない現状では、これ以上許可人数を増やすような真似だけはしたくない。
事情を話して協力を求めるのはガルムかダリルになるだろうが、その二人はもう付き合いも長いため帰還を快く許可してくれるかはわからない。
(コリナとゼノなら許可はしてくれそうなんだけどなぁ……)
その二人は無限の輪の中では年長者であり、王都で教育を受けていたこともあってか常識は持ち合わせている。それに良くも悪くもそこまで深い仲ではないため、自分の帰還に対しての許可もしやすいだろう。
だが二人は現在別のPTで百階層を攻略中のため、今すぐに協力を仰ぐことは出来ない。それに同じPTメンバーであるディニエルとリーレイアにこのことを知られた時が恐ろしい。
(……くそ。こんなことになるならやらなきゃ良かった)
自分のことを最前線アタッカーだと勘違いしている地雷に現実をわからせるような真似を、努は九十階層でディニエルにしていた。それによって彼女は努に自分を認めさせようとアタッカーに精を出すようになったのだが、恐らくそれが叶うまで帰還の許可を出すことはない。むしろその妨害をしてくる可能性まである。
そしてリーレイアは言わずもがなだ。時には努も驚くほどの意地汚さを見せる彼女がこの事実を知ったとなれば、悪い方向に事態が向かうことは確実だ。そんな二人と今もPTを組んでいるハンナも、恐らく容易に懐柔されてひな鳥のように付いて行ってしまうだろう。
(よくよく考えたら、ダリルから先に話すのも危ないかもな。万が一ガルムが敵に回ったら終わりな気がする)
初めこそまずは容易に懐柔できそうなダリルに話そうと思っていたが、それを後で知らされたガルムがどういった行動に出るか不安が残った。
もし信頼を裏切られたと感じたとしても、ガルムが自分を妨害するような真似に出ることはないだろう。しかしわざわざそんな状態にするなら初めからガルムに話してしまった方が事は上手く進みそうである。
少し落ち着いて考えてみれば、懐柔など考えなくともガルムなら噓偽りなく事情を話せば協力してくれるようにも思える。そうなればガルムに恩のあるダリルの協力も得られるだろう。そうすればエイミーの協力が得られなくても二人の許可は取れる。
(……そうなるとエイミー経由からの情報漏れが怖いな。今は二人だけの秘密だとでも思ってくれてるからそう簡単に漏らさないだろうけど、これから先どうなるかはわからない)
しかしだからといってエイミーを蔑ろにでもすれば、帰還の秘密をクランメンバーに暴露されるだろう。今のところは彼女の頭の中がお花畑なので誤魔化せているが、いつその好意が反転するかはわからない。そうなると面倒なことになるのは既に白崎さんによって証明されている。
これから先のことを考えれば考えるほど泥沼にはまっていくような気がして、努は『ライブダンジョン!』でクラン内の人間関係トラブルに対処しているような気持ちを思い出してため息をついた。
すると唐突に部屋の扉がノックされた。
「ツトム、コリナたちも帰ってきたぞ? オーリさんも色々と準備をしてくれているようだ」
「あぁ、それならそろそろ行くよ。百階層についての情報も纏め終わったから」
「うむ!」
珍しく上機嫌さがわかるほどの高揚した声を残してガルムは部屋の前から離れていく。そんな彼に若干の罪悪感を覚えながらも、努は考えを打ち切って部屋を出た。
▽▽
「おっ、やっと下りてきたっすね!! ツトムも百階層突破おめでとうっす!! バリアすごかったっすよ!!」
「はいはい、どうもどうも」
顎に激突しそうな勢いで下から飛び上がってきたハンナの頭を押さえながら、ゼノやコリナとも軽く話しながら努はいつもの席についた。どうやらアーミラの要望通り今日は百階層の突破を記念した宴が開かれる運びになったようであり、オーリと見習いの者は忙しなく厨房で働いているようだ。
「神台を見た限りでは百階層の先もあるようですが、ツトムから見てあれはどうだったのですか?」
「断言は出来ないけど、多分あるんじゃないかな。あの扉の光り具合を見る限り、あと2PTが百階層を突破したら開かれる仕様なんじゃない?」
「迷宮マニアたちもその意見のようですね。それなら一安心といったところでしょうか」
リビングの家具を動かして宴の準備を手伝っていたリーレイアはそう言いながら安心したように目を閉じた。
「そうなると、次は二百層まであるのですかね? それにレベルも上限の百を超えるのでしょうか?」
「もしかしたら精霊術師なら、新しいスキルと精霊が増えるかもしれないね」
「……確かにそうですね。もしそうなら精霊相性が気になるところです」
ここ最近は何かと小言を言い合っていた二人が珍しく探索者らしい言葉を交わしていると、観葉植物をぼんやりと眺めていたディニエルが反応した。
「……新しいスキル、使うの面倒くさい」
「わたしは楽しみだけどなー」
そんなディニエルの正面にいたエイミーは和んだような顔でそう呟いた。今となっては先ほどのような動揺した様子の感じられない彼女に努は安心感を覚えながら、リーレイアの仕事を手伝った。
「相変わらず貧弱ですね」
「いや、お前たちがおかしいだけだから」
「ガルムの鍛え方とオーリの用意する栄養の考えられた食事でそこまで成長がない方が驚きです。逆に才能がありますよ?」
「知るか」
平気な顔で大型の家具を一人で移動させているリーレイアの小言に、努はすぐさま返した。未だに無限の輪最弱の座を守り続けている努ではあるが、それでもガルムに軽く鍛えられてからは程よく筋肉も付いてきている。それこそこの世界に来た当初の不健康な細身から比べればその差は歴然であり、一般的な民衆からすればそこそこ鍛えられている方だ。
「ですが、本当に器用ですね。爛れ古龍から放たれた光をバリアで包んだのは驚きましたし、周囲の白魔導士たちも沸いていましたよ」
「普段から色々練習してた成果だね。あと、バーベンベルク家の障壁を身近に見ていたのも大きかった。流石にあそこまで形に自由は利かないけど、紙飛行機くらいは折れるようになった」
「……紙飛行機?」
バリアというスキルは本来あそこまで柔軟に動かせるものではない。しかしユニスが捏ねるようにして編み出すお団子バリアと、スミスが展開させる障壁魔法の構造を真似することによって爛れ古龍の巨大なレイズを包み込むことに努は成功していた。
「バリア」
リーレイアの疑問に答えるように努はバリアを展開し、難しい顔でスキル操作をしながら鋭角に尖らせたような紙飛行機を完成させた。そしてそれを手に持ってスッと飛ばし、見事ハンナの青翼にサクッと刺した。
突然の感触にハンナは驚いたように振り返ったが、既にバリアを解いていたため気づくことはない。
「えっ、今誰か背中触ったっすか?」
「……? いや、誰も触っていなかったが」
「…………」
生真面目なガルムからの言葉を信じて顔を青くしたハンナは、それからは時折不安そうな顔できょろきょろとし始めた。そんな彼女を見て二人は顔を見合わせて底意地の悪い笑みを浮かべていた。
そして二人の様子を目撃していたコリナは苦笑いした後、それから祈祷師だからと助けを求めてきたハンナに真実を隠しながらもやんわりと安心させた。




