猫の恩返し
「ダリル、あの赤い塊にコンクラ飛ばしてみてくれ。アーミラは対人戦だと思って迎え撃て」
(あの赤いのなんだろ)
謎の赤い分身のようなものが出現してアーミラへと向かった直後に飛ばされた努の指示。それを聞きながらエイミーは手の甲に張り付いている赤い鱗に触れて龍化結びの能力を抑えつつ、自然に精神力が回復していくのを待ちながら状況を観察していた。
肺が破壊された途端に黒い血から出現したことからして、あの赤い分身は恐らく臓器を破壊する者を排除するために生まれてきたものだということは推測できる。だが同様に臓器は破壊していたコリナたちの戦闘映像ではその姿を確認していない。早期に臓器を破壊された時にだけ現れる新手と考えた方が良さそうか。
「ボケこらダリルおらぁぁぁぁ!!」
「それ僕じゃないですよ!? コンバットクライ!」
それにアーミラの一振りを真正面から大盾で受けて原型を留めていることからして、黒い血から生み出されたあの分身がダリルと同じくらい頑丈であることは間違いなさそうだ。
「…………」
「……あれ!?」
(ダリルが敵からあんなに見向きもされないことなんてあるのかな? もしかして……)
「あー、多分その分身はヘイトスキルで気は引けない。ダリルはそのまま狙われてるアーミラのサポートに入って、出来るだけ攻撃を代わりに受けてくれ。ガルム、血の分身はこっちで対処するからそのまま爛れ古龍の気を引いてくれ。そっちが崩れると不味いから引き続き頼むよ」
分身について考えを巡らせていた間に努は予期せぬ相手の挙動に慌てているダリルと集中を分散しかけていたガルムが混乱しないように再度指示を出し、同時にアーミラへ支援回復を行っていた。
「あれって――」
「多分食欲を優先する暴食竜と似たようなものじゃないかな? あれはヘイト関係なしに臓器を破壊した人を狙うパターンだと思う」
「……そうっぽいね」
それでいて少し分身について考えていた自分の挙動すら把握していたようで、もしかすると努は本当にディニエルの言う通り脳みそが複数あるのかもしれない。それに加えて背中に目もついていると言われても信じてしまいそうだ。
(やっぱりダンジョン脳だなーツトムは)
百階層へ行く前は何だかいつもと違う様子だったが、いざダンジョンに入れば相変わらずなようだ。そのことに安心半分残念半分な気持ちになっている中、努は状況を確認してきた。
「そろそろ精神力は回復したよね?」
「うん。いけるよ」
「んー、ちょっと変なこと聞くけど、エイミー今日調子いい?」
「……え? えーっと、まぁまぁだと思うけど……」
突然のあまり意図が読めない質問に対して思わず無難な回答を返すと、努は思惟するように目を下向かせた。だがそれも一瞬のことですぐに視線を上げる。
「見てる限り今日のエイミーは想定以上の動きをしてるんだよね。スキルは上手く回せてるし臓器破壊にも一役買ってる。だからあの分身の処理よりもアーミラに代わって臓器の破壊をお願いしたい。あんまり余裕ないし」
「…………」
何てこともなさげにそう話している努をエイミーはまじまじと見つめてしまう。それはつまり自分にアーミラの代わりをやれと言っていることになるのだが、あまりにも普通のテンションで言われたので反応すら出来なかった。
「まずは胃の破壊から。その後は切れ目入れて出血狙いつつまずは二回目の再生を待って、肝臓が再生したら一気に叩こう」
「あ、もうわたしがやることは確定なんだね?」
「あの分身は多分ダリルと同じVITを持ってるだろうから、始末するにしても時間がかかる。だから確かにお願いと言うよりは決定事項だね。よろしく頼むよ。それじゃあまずは胃から破壊で。胃液には気を付けてね」
そう言われた後に杖で爛れ古龍の方へ行くように指示を出されたので、エイミーは何だかよくわからないふわふわとした気持ちを抱えたまま前に出た。
(……わたしにアーミラの代わりが務まるとは思えないけど。……でも今は緊急事態みたいな感じだしね! それならわたしが頑張るしかないか!)
そう内心で結論付けたエイミーは龍化結びの能力を全開にして空中を駆け上がるように走って勢いよく飛び出すと、その勢いのまま再生が終わった胃の付け根を双剣で切り裂いた。
「ブースト、岩割刃、ブースト」
そこから『ライブダンジョン!』の双剣士には必須のスキルであるブーストを使い、慣性を無視して直角に動きを戻して切り返す。そして威力が高めな岩割刃で突き刺し、そのままブーストで無理やり後方へ動きを加えて傷口を広げた。
今現在エイミーはアタッカーとしての評価を上げてきているものの、まだ無限の輪のアタッカーの中では目立っていない。ユニークスキル持ちのアーミラと弓術士でダントツであるディニエルの陰に埋もれている形となっており、エイミーの自己評価もそれとあまり変わっていない。
だがエイミーの動きは今や『ライブダンジョン!』の上級者アタッカーとさして変わらないほどにまで完成され始めていて、努から見ればかなりの評価に値するものであった。そしてそこまで完成され始めてきたのはエイミーが努のアタッカー指南を愚直と言えるほどにこなしてきたおかげである。
努の指南した訓練の初めは精神力を限界まで使っても動きを乱さないことやスキルコンボの反復練習など、すぐ実戦で役に立つことはなくただただ辛く退屈で精神的に追い込まれるようなことばかりだった。
特に精神力を削ったまま動く訓練は探索者なら死んだ方がマシだと思えるほどに辛いもので、誰かにやれと言われて出来るものではない。現に努自身もこれを出来るのはステファニーくらいだと思い、誰かにそれを教えることはしなかった。
だがまさしく恋は盲目状態であったエイミーはその訓練にも何とか付いていけた。そして精神力が削れた状態でも動きを乱さなくなったエイミーに対して、努はその弱みに付け込む形で非常に辛い訓練と実戦運用をひたすら進めていた。
それに加えてエイミーにはその訓練を成しえるトラウマともいえる出来事があった。それは努が初めて挑んだ火竜戦でアタッカーとして付いていけなかったこと。周囲の状況的にも、そしてカミーユとの実力差も感じて自分ではあの戦いに付いていけないと思ってしまったことだ。
ただ神台を見て自分の実力不足に絶望したあの気持ちだけは、もう二度と味わいたくない。そんな恐怖にも似た気持ちも相まってエイミーは盲目的に努の指南をこなし、その時に出来たユニークスキルへのコンプレックスにより龍化結びの会得にもリーレイアと同程度には身が入っていた。
その結果として生まれたのが『ライブダンジョン!』のプレイヤーが転移してきたのかと疑うまでに完成されたアタッカーとしての技術と、龍化結びを無限の輪の中でも一番にコントロールできる精神力だ。その二つとコリナの知識が掛け合わさっていることによって、エイミーは臓器破壊において努の想像を超える働きを見せていた。
(でも、こんな状況だとはいっても嬉しかったな……)
それでいて先ほど言われた努の言葉はじわじわとエイミーの心に響いていた。努は少なくともダンジョンに関することでお世辞を言うような人ではない。なので本当に自分の実力を評価してアーミラの代わりに臓器の破壊に抜擢してくれたことは彼女自身よくわかった。
まだ自己評価が低いエイミーにとっては何より嬉しい発言であり、それでいて好意を寄せている人から言われたこと。
「双波斬! そうはざんそうはざんそうはざーーん!!」
そのダブルパンチによってエイミーのメンタルは上向き、彼女のポテンシャルが異常なまでに発揮されていた。効率的に出血状態を誘発させとにかくDPSを稼ぎ続け、時折物理的にあり得ないゲームのような動作をして胃液を避けながら戦う。さながら努と同様に異世界のアタッカーとしてエイミーは爛れ古龍を相手に戦えていた。
「野郎っ……! おい、さっさとこいつ潰すぞ! 手伝え!」
「頑張ってます!」
そんなエイミーに触発されるようにアーミラは龍化を深めて赤い輝きを増し、ダリルと共に赤い分身を殺しにかかる。ガルムは剣呑な目つきのまま赤みの強い血武器を腕で弾き飛ばし、ヒールを受けながら爛れ古龍のヘイトを負けじと稼ぎ続けた。
「ちっ、手間取らせやがって」
「アーミラ、一旦下がってこい。そろそろ僕のヘイト不味いからポーション使って回復」
そして最後にはダリルが何とか押さえている間にクリティカル判定である分身の首を切り飛ばし、アーミラは一先ず戦闘を終えた。しかしダリルの分身に狙われたことによって大盾での殴打などを手酷く受けていた彼女は、現状そのまま臓器破壊に移行できる状態ではなかった。
「こっちはまだ大丈夫だよー!」
だが臓器の破壊はエイミーの活躍により分身からの妨害で遅れることなく続き、既に胃と二度目の再生である肝臓も破壊出来た。これで肝臓は完全に破壊出来たため再生回復は封じられ、更に分身へ黒い血を割いたおかげか臓器の再生も普段より遅くなっていた。
「ダリルはガルムと交代で、エイミーも一旦戻ってきてくれ」
「えー!? わたしはまだまだ行けるよ!」
「こっちの支援もそろそろ打ち止めだから、それでもいいなら好きにしていいけど」
「うーー、じゃあ戻る!」
龍化結びとスキルを全力で回しても疲れ知らずだったのは適宜飛ばされるメディックによるところが大きいので、エイミーは態度を一変させてすぐに戻ってきた。そんな彼女を白けた目で見つめた努は貴重な青ポーションの飴を舐めながら、順調に攻略が進んでいるが、今もまだ不気味に動いて臓器を再生している黒い血を注視していた。