若干の変化
「…………」
「機嫌直して」
「別に、全然気にしてないしっ!」
昨日ディニエルが王城のバルコニーで努の腕を十字固めにしていて、何処か打ち解けていた様子を見ていたエイミーは少し不機嫌だった。その翌日も二人の関係は若干ギスギスしていたが、ディニエルはエイミーがそこまで怒っていないのを察していたので気にしていないようである。
「よーし、それじゃあ帰ろうか」
そして王城での貴族と交流させられる用事も終わったところで、晴れて努たちは迷宮都市への帰還を許可された。王城からはもう馬車が手配されていて、探索者たちはそれぞれの馬車へと乗り込んでいく。
「一ヶ月もすれば戻る。それまではセシリア、紅魔団を頼む」
「わかった」
ヴァイスは今も捕獲しているミナを抑える戦力とならなければいけないため、一ヶ月は王都に残るとのことだった。ミナは現在王都の研究機関で身体検査を受け、モンスターをどうやって操っていたかを調べられているようである。
現状わかっているのはミナがマフラーで隠していた首元に、蜘蛛のような見かけのモンスターが身体の一部のように寄生していることだ。ミナが言うにこの寄生虫を使って虫のモンスターを操っていたらしく、オルビスの死体からも形状は違うが首元にモンスターが張り付いているのが確認されていた。
それとオルビス教の隠し拠点もミナの証言で場所が特定されていて、そこで彼女はオルビスに試練と評して寄生虫を首元に寄生させられていた。ミナの他にもオルビス教の信徒たちはその試練を受けたそうだが、全員耐えられずに死んでしまったそうだ。いずれその隠し拠点も調査され、より詳しい情報が得られるようになるだろう。
そして今回のスタンピードについては王都側もオルビスの存在を隠したかったが、既に多くの目撃者が存在してしまっている。そのため隠しきれずに人づてや新聞でオルビスのことは明かされ、その存在は王都中に広まることとなった。ただその話題で王族についての言及はそこまで強くならなかったので、王都からすれば何とも言えない結果となった。
「凄い数だな……」
迷宮都市行きの馬車の前で努はそう呟きながら、少し眠たげな目で周りを見回す。一部の王族と貴族は神のダンジョンに入ってレベル上げをするため、騎士や使用人なども含めて数千人ほどが迷宮都市へ続く道路周りで馬車の取り付けや点検を行っていた。
それに王から大々的に探索者を王都は歓迎することが発表され、既に王城でも雇い入れる条件などが記載されて張り出されていた。そして夢の王城勤務を手に入れるため、様々な王都民たちも成り上がるために迷宮都市へ向かう準備をしていた。その数を合わせるとゆうに数万は超えているだろう。
「渋滞しそうだなー……」
道中モンスターが出る可能性もあるため探索者たちが先導する形となるが、それでも馬車の数がとても多く道もそこまで広くないので渋滞することは間違いないだろう。努は面倒臭そうな顔をしながら最後に馬車へ乗り込むと、すぐに御者が馬を歩かせ始めた。
「…………」
「…………」
(見事にギスってるなぁ)
わざとらしくそっぽを向いているエイミーにそれを気にせず本を読んでいるディニエル。目に見えて不仲になっている二人を見てコリナも苦笑している。努はそんな二人から視線を逸らすと、隣でもじもじとしていたハンナと目が合った。
「あっ、師匠。昨日は申し訳ないっす。あたしは全然記憶にないっすけど、コリナから色々聞いたっす」
「ハンナには酒は飲んでも呑まれるなって言葉を送るよ」
ただあのワインは飲みやすい割に度数が高かったため、ハンナが酔うのも無理はない気はしていた。ちなみにアーミラも酒が強いと豪語していたが、カミーユの娘という時点でお察しである。そして酔い潰れていた彼女はガルム同様酒に強いダリルが介抱していたらしい。
ハンナは努の言葉に感銘でも受けたような顔をしていたが、その後に真剣な顔で改めて頭を下げた。
「あと……今回は色々とごめんなさいっす」
「色々? 僕に楯突いたことと、魔流の拳を外で使ったことと、感情だけで突っ走ることと、簡単に騙されることと……あとは何があるかな?」
「うぐぐぐ……」
「でも別に、クランメンバーだからって僕に気を遣わなくていいよ。ディニエルとか休日に絶対ダンジョン潜らないし、アーミラは休日でも僕に練習付き合わせるし、ゼノは妻が妻がうるさいし、エイミーも休日休まずにアイドル活動してるし、ガルムとかダリルとかコリナも好きなことやってるし。だから度を過ぎなければ別に何したっていいよ。民衆を救いたいっていうのも、ハンナだけが思ってたわけじゃないしね」
それについてはガルムやダリル、ゼノやコリナなども内心では思っていただろう。ただそれを律することの出来る理性を持ち合わせているに過ぎない。努はダリルやコリナに目線を向けた後に、ホッとしているハンナの頭に手をやった。
「ただハンナは感情ですぐに動きすぎだから、それは度が過ぎてる。そこだけ反省してくれれば、後はいいよ。ねぇ、リーレイア?」
「??????」
「……そこで私を呼んだのはよくわかりませんが、いいのではないですか」
突然リーレイアの名前が出てきたことにハンナは意味のわからなそうな顔をしながら、努にぽすぽすと頭を叩かれてされるがままにされている。そしてリーレイアは露骨に嫌そうな顔で努を睨みながらそう言うと、かりかりと首筋の緑鱗を掻いた。
「わかったっす」
「そう。じゃ、僕はちょっと後ろで寝かせてもらうよ。昨日はあんまり寝られなかったからね。何かあったら起こしてくれて構わないから」
努は一つ欠伸をしながら荷物が置かれている場所に移動して、少し広めのスペースへ横になった。昨日は迷宮都市に帰ったらどうしようか考えていたら、あまり寝付けなかったので今日はとにかく眠かった。
そして努は目元にタオルを巻いて視界を暗くし、寝顔を見られないように横を向いて眠りへとついた。
▽▽
「何か、ツトム少し変わったよね?」
すやすやと寝息を立てている努を横目に、エイミーが話を切り出すように言った。その言葉にゼノやリーレイア、コリナなどの新参組はピンと来ていないような顔をしている。だが一番長い付き合いであるガルムは何も言わずに眉をピクリと動かして、ダリルやハンナ、アーミラなどは考えるような顔をした。ディニエルは本を読むのに集中している。
「そうですね。スタンピードが終わってから、なんか雰囲気が柔らかくなったような気がします」
「……まぁ、確かにな。そもそもダリルから食事に誘われても、迷宮都市にいた時ならば断わるだろう」
ダリルから休日に努を食事に誘ったということは、既にガルムも面倒臭くなるほど聞かされている。ただ神のダンジョンのこと以外に休日を割く努の姿を、ガルムは正直想像出来なかった。
「え、あの師匠がダリルと食事? 二人きりっすか?」
「えーっと、そもそも僕がこのクランに入れたのはガルムさんが紹介してくれたからなんです。だからツトムさんとガルムさんにお礼を兼ねて、僕が食事をご馳走したいって言ったんですよ。そしたらツトムさんがわかったよって……」
「ほぇー」
ハンナは感心したような声を上げた後、ちらっとエイミーの方を見た。ハンナは努が休日に付き合ってくれないとエイミーがぼやいていたことを耳に挟んでいたからだ。
そしてその視線を目ざとく察知したエイミーは少し迫力のある笑顔を浮かべ、空いていたハンナの隣へ飛びつくように移動した。ハンナは本物の猫のように近づいてきたエイミーにギョッとした。
「何か言いたそうな顔してるね。遠慮せずに言ってごらん?」
「い、いやぁー? 何でもないっすよ?」
「あれ? 迷宮都市一番のアイドルが、男のダリルに先を越されるって……とかどうせ思ってたんでしょー!! ツトムにぽんぽんされる時だけわたしと代われー!!」
「ぎゃー! 翼はやめてっす!」
背中の青い翼を触られてハンナはぎゃんぎゃん叫びながらばたばたとしている。すると対面に座っていたディニエルはため息をついて栞を挟んでから本を閉じた。
「エイミーはツトムを追うのを楽しんでいる節がある。だから文句を言う資格はない」
「……まぁ、確かにそれもあるかもしれないけどね。正直私にあれだけなびかない人なんて、早々いないし」
「自分で言うのはどうかと思うっすよ」
「うるさいやい!」
「ぎゃー!」
迷宮都市では知らない者がほとんどいないと言ってもいいほど有名なエイミー。しかし努は初めからエイミーを特別視せず、シェルクラブ戦で幸運者と思わず言ってしまった時は虫でも見るような目で見てきた。そしてもし謝らなければ、間違いなくPTから外されていただろう。それほど冷たい目だった。
エイミーはあれほど冷めた対応をされたことは今までの人生でなかったし、自分をそんな目で見てくる努だからこそ興味が出て追いかける気になったという側面もあった。
「でもディニちゃんは私を応援するって言ってたのに、昨日のアレは何さ!」
「あれはツトムが悪い。私を怒らせた」
「なにさー! 私にも怒ったこともないのにー!」
そう言われるとエイミーはすぐに自席へと戻ってディニエルの肩をぽかぽかと叩き始めた。随分とどたばたし始めた馬車内に、馬を動かしている御者も訝しむような顔をしていた。
「……で、でも王都でちょっとはツトムとの仲は進展したもん! ツトム、わたしの頭自分から撫でてくれたもん! 耳だって触ってくれたもん!」
そして何とか迷宮都市のアイドルという対面を保つためか、エイミーは涙目になりながらも仲は進展したと必死に主張し始めた。そんなエイミーに大体の者は残念な子を見るような目をしている。
ただ今まで退屈そうに肘をついて話を聞いていたアーミラが、何かを思いついたようにニヤリと笑った。その笑みはカミーユそっくりである。
「ま、俺はツトムに肉体関係を迫られたけどな」
アーミラの爆弾発言に、馬車内の空気がシンと静まり返った。最近は休日も良く一緒に出掛けているコリナだけは嘘を見抜いて白い目をしていたが、他のクランメンバーたちは色めきだった。
ハンナは鼻息を荒げて話の続きを促し、ダリルは顔を真っ赤にしている。ガルムとコリナは何処か呆れたような顔をしていて、ゼノはワオとアメリカンな反応をしている。そして何とか対面を保っていたエイミーは魂が抜けた抜け殻のようになっていた。
「どういうことですか」
「どうもこうも、言った通りだぜ? 俺が部屋に誘ってちっとばかし煽ったら、すぐに乗ってきたぜ。色々溜まってたんだろ」
鋭い目で突っ込んだリーレイアに対してアーミラは挑戦的な視線を向けた。リーレイアはいつもの涼し気な表情は何処にいったのか、嫉妬丸出しの顔で荷物台の方を睨みつけている。
「アーミラさん。嘘は駄目ですよ」
「別に嘘ってわけじゃねぇぜ? 何ならツトムに聞いてみればいいじゃねぇか」
「……えぇ? 本当なんですか?」
意外に強気な態度を崩さないアーミラにコリナも少し困惑したような顔をした。エイミーはその白髪と同じように顔も真っ白となり、風が吹けば何処かへ飛んで行ってしまいそうである。そんなエイミーの目の前でディニエルが意識を確認するように手を振っている。
「確認してきます」
「おい、リーレイア。そのようなことでツトムを起こしてやるな」
「何かあれば起こしていいと言っていました」
「待て。確かにそうは言っていたが、それはモンスターなどが出た緊急時の話だろう。少し落ち着け」
「これは起こすに値することでしょう。クランリーダーがクランメンバーに手を出したのですよ。それも努はクラン内の恋愛を原則禁止しています。絶対にしてはいけないというわけではないですが、説明責任はあるはずです」
「今のアーミラは、カミーユさんがふざけている時と同じだ。だから軽い悪ふざけだろう」
完全に目が据わっているリーレイアをガルムが何とか止めていると、アーミラが面白そうに鼻を鳴らした。
「はっ、大人しそうな顔してる癖に激しかったぜ」
「ガルム、どきなさい。ツトムを問い詰めます」
「アーミラ、いい加減にしろ」
「あーーーーーー」
「エイミーが壊れた。コリナ、回復して」
「心の怪我は治せないんですよ……」
「激しかった……」
「案外性欲強いとは驚きっすねぇ……」
「はっはっは! 皆楽しそうだな!」
どんどんとカオスなことになっていく馬車の中で、努は荷台で爆睡している。そんなクランメンバーたちを御者台からオーリが微笑ましそうに見た後、視線を前に戻す。そして馬車自体はいたって平和に迷宮都市を目指していた。