ご飯の誘い
「あれでよろしかったのですか?」
「……よろしいですけど?」
病院を出ながら気遣うように言ってきたオーリに、努は表情を硬くして返す。
(……別に、助けられたわけじゃないし)
だが結果が伴わなかったにせよ、それでもユニスが命懸けで助けに来てくれたことは事実だ。なのでそのことについてだけは努も何か一言くらい声をかけようと思っていて、まずはいつものように煽るような言葉を投げた。
普段のユニスならば即座に言い返してくるだろう。そして話の流れで助けに来たことについて何か言おうと準備していたのだが、ユニスは新聞を読んでその煽りに乗っかってこなかった。ユニスの持っていた新聞紙の向きが逆さまなこともあって、わざとやっていたことは明白だ。
そして何も言い返してこないユニスに対して努は次に出す言葉が見つからず、そもそも礼を言うことでもないと思い直して病室から立ち去った。ただそんな努の僅かな動揺に、後ろに付いていたオーリは気づいていたらしい。
「そうですか」
「……次は服の仕立てでしたっけ?」
「はい。ご案内します」
少し含み笑いをしているオーリに対して努は観念したように首を振った後、話題を逸らすように言った。するとオーリもそれ以上何も言うことはなく、手を差し向けて努を先導した。そしてその後ろを護衛であるダリルとディニエルも付いていく。
「ハンナさん、元気でしたか?」
「明日には退院だってさ」
「おぉ、早いですね! よかったです!」
「もう少し痛い目に遭った方が良い薬になった」
対照的な二人の反応に努は苦笑いした後、先を歩くオーリに付いていく。そしてそんなオーリの周りを見ながら努は感心したように言った。
「オーリさん、よくこんな状況で情報収集なんて出来ましたね」
努はモンスターによって破壊されている商店街の惨状を見ながら目を細めていると、オーリは姿勢良く歩きながら周りを見回す。
「王都の地形については把握していましたし、付いてくる以上は働かなければいけませんから。でなければまた同じようなことがあった場合、ツトムさんは今度こそ私を置いていくでしょう?」
「……まぁ、そうかもしれませんが」
「そうでしょう。なので少しでもお役に立てたのなら幸いです」
とはいえ街中でモンスターが出現した中で人に流されずに避難しないで戦況を確認するなど、少なくともクランの家事と経理担当がすることではない。それも言っては悪いがそこら辺にいる女性のような見た目をしたオーリにそんな能力があるとは、誰も思わないだろう。
見た目で人は判断出来ないなと努は改めて思いながら、瓦礫だらけの教会を眺める。崩壊した教会の外では神にでも縋っているのか信者が集まっていて、祈るようにじっと跪いて動かない。
そんな教会の対面では一晩で何とか修正したであろう粗末な屋台で、温かい汁物を売っている商売人がいた。あまり屋台の見てくれはよくないが料理の方は普段通りなのか、少しへこんでいる寸胴からは胃袋が惹かれるような匂いが漂っていた。
「いります?」
「では、頂いてよろしいですか?」
「はーい。ダリルとディニエルは?」
「いります!」
「私はいい」
「それじゃあおじさん。三つ下さい」
「あいよ!」
犠牲者が奇跡的に出なかったとはいえ、モンスターが王都内に現れたことによる衝撃は未だに民衆を縛り付けている。だがそんな状況でも商魂たくましいおじさんを努は好ましく思ったこともあり、汁物を三つ購入した。努は千五百G分の金貨をちょちょいと数枚手に取っておじさんに渡す。
すると寸胴からお玉で掬われた汁物がすぐにお椀へ入れられて出てきた。努はそれを後ろに回しながら三つ受け取ると、備え付けのスプーンを手に取りながら湯気立つ汁物を覗く。
スプーンで少し掻き混ぜてみると中には形が崩れないよう丁寧に面取りしてある野菜数種と、とろとろになるまで煮込まれた肉の塊が入っているようだ。
「おかわり!」
「まだ十秒も経ってないけど……」
そして努が口にしようとした時には既にダリルがおかわりを要求していた。すぐに自前のマジックバッグから五百Gを出しているダリルに呆れながら、努も温かい汁物を頂いた。
その後もいい食べっぷりで五杯ほど汁物をたいらげていたダリルの影響か、屋台にはちらほらと客足が増えてきた。その間にディニエルは他の屋台で綿飴を買っていたようで、はむはむと食べながら三人を待っていた。
「おじさん! 美味しかったです!」
「おう、あんがとな! まいどあり!」
おじさんに礼を言っていたダリルを連れ、努たちはオーリが事前に話をつけていた仕立て屋へと向かう。下町のような王都の外側から中央部へと歩いて行けば行くほど、損壊の具合は軽くなっていく。
そしてディニエルが綿飴を食べ終わる頃には仕立て屋に到着した。
「……なんか、入りづらいですね」
努がその仕立て屋に抱いた印象は、いかにも高級そうで入りづらいといったところだった。外から見える内装には温かい光が注がれていて、いくつもの服が綺麗に並べられている。富裕層が集まる王都の中央部の中でも有名な店にオーリは気兼ねなく歩いて行ったので、努とダリルはひっそりと付いていった。
「いらっしゃいませ」
「うわっ」
店の中にドアマンがいることに努は驚きながら、おずおずとお辞儀して仕立て屋へと入る。そして思わず引け目を感じてしまうような笑顔の店員とオーリを介して挨拶を交わし、早速奥の部屋に通されて採寸が始まった。
「はい。こちらで最後になります」
「どうも」
努やディニエルは特に問題もなくすぐに終わったが、ダリルの採寸は少し時間がかかっていた。
「尻尾の方、触れさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「は、はい。ひゃあ!?」
「申し訳ございません。少しの辛抱ですので……」
何やらいかがわしい声の聞こえてくる採寸室に、オーリはしまったと言わんばかりの顔をしていた。そしてのぼせたように顔を上気させているダリルと、微笑を浮かべている店員をオーリは睨み付けている。どうやら店員はオーリの知り合いらしく、彼女に睨まれた途端に含み笑いしながら耳元に顔を寄せた。
「迷宮都市って、いいわね。私も行こうかしら」
「来ないで下さい」
そんな店員の囁きをオーリは一蹴し、未だに顔の赤いダリルは隠れるように努の背後に寄った。ただダリルの方が身体は大きいため、大分不自然な構図になっていた。
採寸に関して無駄に時間がかかったが、その後の服装選びについては三人ともオーリや店員に一任したため、すんなりと終わった。他のクランメンバーたちも既に採寸は済ませているようだったので、努はオーリに確認してから会計した。
「それじゃあ、十一人分先払いしておきますね」
「ありがとうございます」
努はそう言って普段ほとんど使わない一千万G分の価値がある特殊な形をした金貨を、数枚ちょちょいと手に取って店員に手渡した。数千万と言えばこの世界でも相当な大金であり、一般人がその金貨を手にすれば慌てふためくような価値がある。
ただこの店に対しては田舎者のようにビビっていた努だが、金貨の扱いについてはむしろ雑だ。それはそもそも努がこの世界の金をゲーム内通貨として見ていることが主な原因である。
ゲーム内通貨ならば数千万Gなど端金で、裏ダンジョンに行くと通貨自体が変わるので努はG自体にあまり価値を見出していない。そのため服の仕立てに数千万Gかかろうが努としては問題なかった。
店に圧倒される貧乏人のような反応をしていたにしては何の躊躇いもなく数千万Gを払う努に、店員は少し認識を改めながらも表情は変えずに会計の確認を済ませていく。しかし店員が金貨を確認している途中でダリルが努の背中を指先で引っ張った。
「ツ、ツトムさん。僕も、出しましょうか?」
努が出した金貨の形を見て思わず固まっていたダリルは、引け腰になりながらマジックバッグに手を突っ込んでいる。いつもよりやけに小さく見えるダリルが少しおかしくて、努は笑みを浮かべながら手を振った。
「いいよ、これはクランの経費みたいなもんだし。お金は自分のために使いなよ。今度迷宮都市の高級店巡りでもしてみたら?」
「そ、そうですか……。あ! じゃあ今度一緒に行きませんか? 僕が奢りますよ!」
「ならオーリさんと一緒に行ってきたらいいんじゃない。日々の感謝でも込めて」
努がそう言うとオーリがごほん、と少し息が詰まったような咳払いをした。しかしダリルの反応はいまいちといったところだった。
「も、勿論オーリさんにも感謝してますけど……そもそもこのクランに僕が入れたのはガルムさんとツトムさんのおかげじゃないですか。そのおかげで僕もお金が少しずつ溜まってきましたし……だから今度お礼も兼ねて、三人で美味しいものを食べに行きませんか?」
「うーん……」
努は神のダンジョンを潜らない休日二日は、大体神のダンジョン関連のことで忙しい。魔石の相場調査や新しい装備が開発されていないか市場を周り、ドーレン工房にも週に一度は顔を出している。そして神台で他のPTの動きを見ることが努にとっては何よりの楽しみである。
そのため休日は未だにエイミーと半日付き合うという約束を守っていないほど、努はいつも神のダンジョン関連のことをしている。なのでダリルの誘いにもあまり乗り気ではなかった。
ただ目の前で断られるのを怖がっている様子のダリルにNOと突きつけるのは、努としても少し憚られた。努は後輩のような者がいた経験がないため、下手から誘われることには慣れていない。
「……わかったよ。それじゃあ迷宮都市に帰ったらね」
「!!」
その返事を聞いた途端に目を見開いてぶんぶんと黒い尻尾を振り始めたダリルに、努はもにょっとしたような顔を逸らす。ここまで下から羨望の眼差しを向けてくる相手を、努はステファニーくらいしか相手にしたことがない。『ライブダンジョン!』ならば女性アバターの者から沢山のお誘いは星の数ほど来ていたが、大抵はおっさんなので努の中ではカウントされていない。
(……なんか、あれから調子狂ってるな。くそ)
ユニスをウンディーネで助けた時から、どうも感情のブレが激しくなったように努は感じていた。そもそもユニスが死ぬと思ったにせよ、あんなに叫んだことも恥ずかしいことだ。こんな調子ではいけない。
「こちら確認しました。問題ありません」
「あ、はい。それじゃあ、よろしくお願いします」
努は切り替えるように目を瞑った後に店員へ言葉を返し、ダリルの振っている尻尾をガン見しているディニエルと微笑ましそうな顔をしているオーリを連れて店を出た。