病室の二人
王都の中で一番大きな病院は、努が日本にいたころのものと変わらない規模のものだ。迷宮都市で神のダンジョンに潜った医者たちが王都に移住して作られたその病院は、ほとんど死人を出さないということで有名である。
不思議なことに元々医者をしていた者たちがステータスカードを作成すると、白魔道士や祈祷師などのヒーラー職に就くことが多い。そのため元々病気の治療や外科医をしていた者たちは、その治療過程に回復スキルを組み込んで成功率を大幅に上げていた。
そして魔流の拳を使って死の一歩手前までいっていたハンナも、そんな病院へと運ばれていた。とはいえハンナが目を覚ました頃には反動で負った怪我は全て完治していて、病人が着る真っ白な服を着ている割に彼女は元気満々だった。
「貴女に応急処置を施したのは、ステファニーさんだったかしら?」
「そうらしいっすね。アルドレットクロウってクランで、ヒーラーをしてる人っす」
「アルドレットクロウの、ステファニーさんね。後で治療過程でも聞きにいこうかしら。参考になりそうだわ」
「じゃ、あたしは帰って大丈夫っすか?」
「念のため一日経過は見ますから、今日はここで過ごして下さい。入院室を案内して頂いた後は、施設内でしたら自由にして頂いて構いませんから」
「わかったっす!」
若い女医の言葉に元気よく返したハンナは、白衣を着た看護師に連れられて入院室へと入れられた。そこには女性探索者たちが集められているようで、ハンナでも見覚えのある顔の者が寝かされている。
「夕方にはこちらに戻って下さいねー」
「わかったっすー」
ハンナは笑顔で退室していった看護師を見送った後、自分に割り振られた白いベッドに座った。そして隣にある窓際のベッドに視線を向けると、そこには何やら難しい顔をしながら金色の狐耳を立てて新聞を読んでいるユニスがいた。
「ん? あ」
「あっ」
ユニスがその視線に気づいてハンナの方を見ると、二人はピタリと目が合った。二人の間に直接的な交流はないが、ユニスは金色の調べの一軍。ハンナも無限の輪でのマウントゴーレム戦で一気に名を上げたため、お互い顔は知っているといったところだ。
「……えーっと、ハンナさん? 隣なのです?」
「あ、そうっすね。といっても明日には出られそうっすけど」
だが直接話すことは初めてなので、ハンナは何処かぎこちなさそうに自分のベッドへと座った。するとユニスは新聞を畳みながら頷いた。
「私も明日には出られるのです。……でも私はヒーラーなのですから、自分の身体のことは自分がわかってるのに、今日は経過を見るとかいってあの医者たちは頑固なのです。やることがなくて、暇でしょうがないのです」
「私も暇っすねー。えーっと、ユニスさんで大丈夫っすよね?」
「大丈夫なのです。あと、私のことは呼び捨てでいいのです。確かハンナと私は探索者歴同じくらいのはずなのです」
折り畳んだ新聞を横に置いたユニスの言葉に、ハンナは不思議そうに小首を傾げた。
「あれ、そうだったっすか? ユニスは師匠と気軽に話してたから、てっきり先輩だと思ってたっす」
「……ツトムのことですか。別にアイツは、探索者歴は私より全然浅いのですよ」
「でも全然そんな風には見えないっすよね。エイミーやガルムさんとPT組んでた時から、ししょ、ツトムは何かすごい騒がれてたじゃないっすか?」
「実力は認めてるのです。でも人間性はだいっ嫌いなのです」
ぐぬぬとベッドのシーツを握りながら悔しそうにしているユニスに、ハンナは困惑顔を更に深めた。
「え、でもユニス。ツトムが捕まえられちゃった時、一人で助けに行ってたじゃないっすか?」
「…………」
そうハンナに言われたユニスは沈黙した。あの時自分が反射的に出てしまった時の気持ちを、ユニスはまだはっきりと認識していない。
努のことは嫌いだが、その実力は飛ばすスキルやヒーラーについて教えて貰った後から認めている。それにお団子スキルを認めてくれた時には少しだけ、努に対して良い印象を持った時はあった。だがそれは弟子が師匠に対して感じるような、尊敬の念のようなものである。
そして努は自分のことを嫌いであるとユニスは認識していて、それは恐らく間違っていない。同じ弟子であるステファニーやロレーナと態度が違うことからしてそれは明らかだ。
だがそれでも努はその感情を抜きにして、自分の実力を評価してくれたと思っている。だからこそユニスはお団子スキルを認めて貰った時、心の底から嬉しかったのだと思っていた。
そして障壁に閉じ込められていた努の顔を見て、自分は飛び出した。それは師匠に尊敬の念を感じていた弟子ならば、当然の行動だろう。ユニスはその時気絶していたので後から知ったことだが、目の前にいるハンナもリスクのある魔流の拳を使ってまで努を救おうとしていた。恐らくステファニーも努を救おうとしていただろう。弟子ならば師匠を助けたいという気持ちは、何らおかしいことではない。
しかし本当にそれだけの感情で動いたのかという問いは、ユニス自身の中にもあった。そのことを改めて認識したユニスは顔を真っ赤にすると、ハンナに待ったと手を突きつけてぶんぶんと振った。
「この話は、もう止めてほしいのです……」
「あっ、了解っす。えーっと、それじゃあ……」
そんな可愛らしいユニスを見てハンナはもっと詳しく話を聞いてみたい衝動に駆られたが、直接話すのは今日が初めてなので流石に遠慮した。そして話は神のダンジョンのことに移り変わった。
「ハンナは、八十階層を突破してましたね。神台で見てたけど、凄いのです」
「そ、そうっすかね?」
「マウントゴーレム戦も凄かったのですが、魔流の拳を使える人はほとんどいないと聞いた事があるのです。あとコリナってヒーラーも、中々上手いのです。祈祷師があそこまで活躍出来るとは正直思ってなかったのです。あの調子で一軍になってくれればもっといいのですが」
「確かにコリナはあたしと相性いいし、ツトムともジョブが違うじゃないっすか? 階層によっては入れ替わるのもあると思うっすよ」
ハンナとユニスがどんどんと話に夢中になっている中、入院室の扉が静かに開く。看護師と一緒に入ってきた人物を見て、探索者たちは少し驚いた顔をしている。
「あたしが速すぎて合わせるのが大変だってツトム言ってたから、もしあたしが一軍に選ばれたら祈祷師のコリナが来るかもしれないっすね」
「ハンナ。頑張るのです。ツトムに吠え面かかせてほしいのです」
「うーん。そこまではいかないっすけど、でもツトムの焦る顔はちょっと見てみたいっすね! ツトムはいつも余裕ありげっすから、たまには一軍争いで焦ってほしいっす!」
途端に妄想を膨らませてにやにやとした表情になっているハンナと対面していたユニスは、彼女の後ろに立った人物を見て口をポカンと開けている。そんなユニスに気づかずにハンナは更に話を進めた。
「何か弱点とかないっすかねー。ツトムはよくわからないことが多いっすから、何か見つけたいところっすねー」
「ほう。弱点を知りたい」
「そうっすねー。何か……」
ハンナは背後から聞こえてきた聞き覚えのある声に、にやついていた表情を固まらせた。そして錆び付いたような動作でゆっくり振り向くと、そこにはにっこりと笑顔を浮かべている努と同伴しているオーリがいた。
「僕の弱点は知らないけど、ハンナの弱点は知ってるよ」
「な、ななな、なんっすか?」
「このすっからかんの頭だよ、馬鹿が」
ノックするように指でこんこんとハンナの頭を叩いた努は、指先でおでこを押して彼女をベッドに押し倒した。ふかふかの枕にどすんと落ちたハンナはすぐに起き上がったが、またおでこを押されて倒れる。その後腹筋をし始めたハンナに努は呆れた顔をした。
「病院に担ぎ込まれたって聞いたけど、元気そうだな」
「明日には退院っすからね!」
「あぁ、そうなんだ。なら来る必要はなかったな」
レオンの時のように再生には時間がかかると思っていた努は、拍子抜けしたようにハンナから視線を逸らす。ただハンナの早い退院は現状白魔道士で一番レベルが高く、再生治療にも慣れているステファニーが治療したからこそである。もし通常ならば確実に一週間は入院していただろう。
「ダリルやコリナからもう聞かされているけど、詳しい話は明日聞くよ」
「……おっす」
その言葉である程度察したハンナは少し気まずそうな顔で答えた。そして努はハンナと喋っていたユニスに目を向けると、彼女はいつの間にか新聞を顔の前に広げて読んでいた。そんな新聞の上からはみ出ている狐耳は警戒するようにピンと立っている。
「お前も元気そうだな」
「ふん、てめーに心配される筋合いはないのです」
「いやぁ、元気でよかった。もしお前が死んでいたら、絶対金色の調べと確執が出来ただろうしね。もう二度と出しゃばってくるなよ。お前が来たところで何も変わらない、むしろ迷惑だからな」
そんな物言いにユニスの手が震えて新聞がかさかさと音を立てている。だが何も言い返してくる様子のないユニスに、努は張り合いの無さを感じたがすぐに踵を返して出て行った。
そして努が出て行った後も新聞をかさかさと揺らしているユニスに、ハンナは心配するように声をかけた?
「だ、大丈夫っすか?」
「……なのです」
「え?」
小さい声を聞き取れなかったハンナが聞き返すと、ユニスはバッと新聞を下ろして真っ赤になっている顔を向けた。
「やっぱりアイツなんて、だいっきらいなのですー!! わーーん!!」
突然大きな声を上げたユニスに周囲は驚き、その声を聞きつけた看護師が入院室へと入ってくる。その後ユニスは何らかの異常があるかもと診断され、入院期間が数日延びることになった。