殲滅作戦
探索者たちの撤退に対してオルビスは追撃せず、ただクリスティアから放たれる矢を凌ぐだけだった。先ほどユニスを潰しにきたように無理矢理荒らしに来ると考えていた努は、オルビスの行動に不可解そうな顔をしていた。
「何なのですか、アイツは。絶対攻撃してくると思っていたのです」
「……どうだろうね。何か狙いがあるんだろうけど」
黒杖を尻尾で持つのを止めて左手で持っているユニスは、努と同じような顔をしながら隣を飛んでいる。探索者を入れるために障壁を開く時はオルビスにとっては絶好のチャンスであるように見えるが、彼はこの好機を見逃して後ろへと下がっていた。
「……アイツは、明らかにレオンの対策をしてやがったのです。そんな奴が、こんなチャンスをみすみす見逃すのですか? わけのわからない奴なのです」
「そうだね」
割とまともなことを言っているユニスに努は無難に返しながら障壁を見渡す。王都の周りへ何層にも張られている障壁は順番に開かれ、外にいる探索者たちを徐々に中へ避難させていく。その中でも後ろの方にいた努やユニスは地面に着地した後も背後を警戒しながら進んでいくが、拍子抜けするほどに追撃してくる様子はない。
「あー! それ私が飲んだやつなのです! お前、今さりげなく飲もうとしたのです!」
「お前が遠慮もなくごくごくと飲んだやつはこっちだよ。馬鹿が」
「絶対私とか、か、間接キスを狙いやがったのです!! 下心丸見えなのです!! 今は飲まなくても、絶対後でやりやがるのです!!」
「お前な……」
ユニスが青ポーション瓶を見て騒げるほど、探索者たちの避難には余裕があった。努はユニスが口にしていない青ポーション瓶を手にしながら、このような状況で間接キスがどうこう言う彼女を蔑むような目で見下ろした。
「そもそも精神力切れになったお前が悪いし、青ポーションを飲ませてやって礼も言えないのか。七十レベル過ぎた白魔道士が精神力切らすとか、まず有り得ないから。それともあのまま放置しとけばよかったか?」
「うっ、それは、悪かったのですが……」
「あと、何で最初からレオンにお団子スキルで支援回復してやれなかったんだ。金色の調べはレオンのことになると全員頭がお粗末になりすぎる。だから金色の調べは冬将軍も突破出来ないんだ」
「……それは、わかってるのです」
むすっと拗ねたような顔で涙目になっているユニスは、ポツリとそう呟いた。そんなユニスに努は少し屈んで目線を合わせた。
「お団子スキルの多人数運用を、お前は最初出来ないと言った。だけどやってみたら出来ただろ? 確かにお前は僕よりヒーラーは間違いなく下手で、ステファニーとロレーナにも及ばない。でもお前は少なくとも僕の弟子を経験して、独自のスキルを開発するまでに至ったんだ。ヒーラーとしての能力自体は十分にある」
「…………」
そう言われたユニスは少しだけ鼻息を荒くしかけたが、すぐに収めた。そんな彼女を努は戒めるように言葉を続けた。
「だからレオンに関する時だけ考えが馬鹿になる頭と、貧弱な精神を鍛えろ。この場で成長していかないと、レオンが死ぬぞ。この先もお団子スキルを活かせる場面はある。その時はキチンとレオンを支えてやれよ」
「……わかったのです」
目が覚めたような顔で見つめ返してきたユニスに、努は下らなそうに鼻を鳴らして前を向いた。別にユニスの手助けなどしたくはないが、この場では彼女も使えるようにしなければ自分も危なくなる。嫌々アドバイスしたように見える努に怒ったユニスは、黒杖から手を離すと背中へと飛びかかった。
「ぜぇーったいに! いつかお前を抜かしてやるのです! それまで首を洗って待ってやがれです!」
「もうその台詞聞き飽きたわ。そんなに待ってやらないよ」
背中にしがみついてくるユニスへ鬱陶しそうに返した努は、軽い彼女を乗せながらそのまま列を進んでいく。そして後ろの方にいた努たちも一先ず障壁内部へと入った。
障壁内部にはモンスターが出現した王都から避難してきた民衆の他に、アルドレットクロウや迷宮制覇隊の大部分のクランメンバーたちも既に障壁付近へ集まっていた。総勢百名を越える探索者の中にはステファニーやポルク、ビットマン、それに王都への応援に出したガルムやディニエルの姿も見えた。
(めっちゃこっち見てるな)
その中でもダリルの大きい背に隠れているハンナは、ずっと努の様子を窺うように見てきている。怒られるのだと思って怯えているようなハンナの姿を見て、努は力が抜けそうになった。それとステファニーも何やら瞳孔が開いたような目で見ていたが、努はハンナに気を取られて気づいていなかった。
「また黒杖を使うことになったら、頼むのです」
「あぁ」
努の背中にしがみついていたユニスはそう言うと、白のローブをぎゅっと握った。そして努の耳元に顔を近づけ、か細い声で口にする。
「それと……ぁ、ありがと、なのです」
「……声が小さくて聞こえなかったけど、なに?」
「な、何でもねーのです!!」
唐突に大声で叫び散らして背中から飛び降りたユニスは、べーっと舌を出すと金色の調べが集まっている方へ走っていった。努は耳鳴りの響く耳を手でぐしぐしとしながら、剣呑な顔でユニスを見送った。
そして努も人混みを黒杖で軽く掻き分け、無限の輪のクランメンバー全員と合流を果たした。誰一人欠けていないことに一先ずホッとした努は、ガルムやダリルに良く守ってくれたと声をかけた。
「ツ、ツトムさん、ハンナさんから話したいことがあるみたいなんです……」
「し、師匠……」
「ていっ」
「あいったー!?」
努は不安そうな顔で話しかけてきたハンナにデコピンをすると、彼女は痛がっておでこを押さえた。思ったより威力の乗ったデコピンに努は軽く驚いた後、ハンナの隣でぽかんとした顔をしているダリルにもついでにデコピンしておいた。
「えっ!? 何で僕も!?」
「これで勝手に飛び出したことはチャラね。まぁ、細かい話は後だ。今はあの大群の処理に集中しよう」
「……おっす」
おでこを押さえている二人に軽めのヒールをかけた努は、もう障壁の目の前まで迫っているモンスターの大群を見据えた。その後ろに控えて様子を見ていたコリナは、片手を口の前に当てて嬉しそうにしている。
だがハンナの後ろにいたエイミーは努のデコピンする姿を見て、何だか複雑そうな顔をしていた。それはハンナに対する不満ではなく、努に対して何か抱いているような雰囲気だ。
「リーレイアとディニエルはすぐ声かけられるだろうし、準備しといて。青ポーションも大分使っただろうし、補充するよ」
「ありがとうございます」
「ん」
「他にもポーション使った人は補充するから出しといて」
青ポーションの空瓶を二人から回収した努はすぐに漏斗を取り付け、テキパキと補充していく。そしてすぐに全てのポーション瓶を満タンにしてコルク栓で閉めた努は、黒杖を持っておもむろに立ち上がった。
「ちょっと紅魔団に用があるから行ってくるね。すぐ戻ってくるから」
「あぁ」
頷いたガルムから視線を離した努は、すぐに紅魔団のところへと向かった。ヴァイスがいない九人の集団をすぐに見つけた努は、長い黒髪をヘアゴムで束ねている女性に話しかけた。
「アルマ。返すよ」
「……あら、これはこれは、人が貸した物を又貸しする人が何の御用かしら」
「いや、別に貸してはないだろ。共有しただけだ」
「はぁー? この期に及んで言い訳は見苦しいわよ! まずは誠意を持って謝りなさいよー!」
ユニスと黒杖を共有したことについて怒っている様子のアルマに、努は思わず面倒臭そうな顔をした。周りのクランメンバーたちも諦めるように首を振っていたので、努は黒杖をアルマに押し付けた。
「派手なのを期待してるよ」
「……ふふん、しっかりと見ていなさい。貴方も中々黒杖の制御は上手いようだけど、私が一番なんだから」
その一言で目に見えて上機嫌になったアルマに、努は思わず鼻で笑いそうになった。そしてそんな様子を微笑ましそうに見ていたセシリアに、努は軽く会釈した後に話しかけた。
「先ほどは金色の調べのヒーラーを纏めてくれて助かりました。ありがとうございます」
「え、あ、いえ。私なんて全然ですから……」
「見ている限りでは一通りスキルを使えるみたいですし、ヒーラーとしても良い働きをしていますよ。これからもよろしくお願いします」
「あ、はい……」
普段と違い裏のないような笑顔でそう言ってきた努に、セシリアは恐縮したように頭を下げた。それから他のクランメンバーたちにも軽く声をかけて回っていると、上空にいるクリスティアから遠距離アタッカーの者たちは集まるように発令された。
「見てなさい、以前の私とは違うんだから!」
(神台で見てある程度わかってるけどな)
黒杖を片手に鼻息を荒げながら勇み足で歩いて行くアルマに努はそんなことを思いながら、軽く手を振って飛んでいく彼女を見送った。そして努も無限の輪のところへ戻ると、既にリーレイアとディニエルは所定の場所へ向かっているようだった。
「めっちゃ伸びてるね」
「ちょっと怖いですけどね……」
努が既にモンスターが障壁へめり込んでいる姿を見てそう言うと、ダリルは気味が悪そうに答える。モンスターたちが割ろうと躍起になっている障壁はゴムのように伸び続け、今はその限界点まで達して止まっている。
暴食龍の体当たりすら跳ね飛ばしたその障壁は、数万は下らないモンスターの大群すら抑えて大分力が溜まっているように見える。今はモンスターたちが踏ん張っているので耐えられているが、それが解ければどうなるかは大体の者が予想出来るだろう。
その間にクリスティアを主導にして遠距離攻撃部隊は一斉攻撃の準備をしている。先ほど放ったスキルの一斉射撃ではそれだけでモンスター数万は消し飛び、一瞬にして死体の山が形成されていた。
その中でもやはり黒杖を使用したアルマは最高火力であり、一人だけで万のモンスターを殺せる力を秘めている。その他にも弓術士の中で一強のディニエルに、多数の高レベルアタッカーたちが控えている。
(一緒に寝られるよりはマシだけど、もう少し丁重に扱えよな)
まるで赤子のように黒杖を抱えていた以前と違い、片手で器用に回して遊んでいるアルマを見て努は思わず目を細める。努としても黒杖には多少の思い入れはあるため、雑に扱われるのはあまり良い気分がしなかった。
「ブルックリン、いけるか」
「問題ないよ」
伸びる障壁を支えているバーベンベルク家当主が尋ねると、ブルックリン・カンチェルシアは鋭い目で上空を見据えながら答える。ずらりと広がって障壁と押し合いをしているモンスターの遙か頭上には、まるでギロチンのように鋭利な透明の障壁が用意されていた。
「遠距離攻撃部隊、発射準備。発射は私の合図を待て」
貴族たちが準備を完了したことを確認したクリスティアは、遠距離攻撃部隊に指示を出す。青ポーションの準備をしている探索者たちに、魔道具に使う魔石を装填している騎士たち。近距離アタッカーたちはその背後に待機して、出撃の準備を行っている。
「行くよ」
ブルックリンはバーベンベルク家当主に声をかけた後、上空に待機させていた鋭利な障壁を落とした。風を切って上空から迫る何かをモンスターは感じる間もなく、頭から潰された。
それに伴って拮抗していた押し合いはなくなり、今まで溜め込まれていた力が解放された伸びる障壁は急激に反発を始めた。障壁ギロチンに潰されたモンスターの死体と共に、大勢のモンスターたちは障壁に弾き飛ばされた。それと同時にブルックリンは前面の障壁を全て解除する。
「放て」
クリスティアの号令が聞こえたと同時、探索者たちは一斉にスキルを口にした。そして辺りに爆音が響き渡り、モンスターたちは津波に巻き込まれるように吹き飛ばされた。