黒杖の呪縛
シルバービーストと努が黒門からギルドに帰ると、周りは騒然としていた。辺りにはすえた嫌な臭いが充満していて、倒れている人たちをバーベンベルク家の紋章が入った制服を着ている者が運んでいる。他にもメイドなどが集まって床を掃除をしていた。
「何だこりゃ? どうしちまったんだ?」
「何でしょうね……」
努は服の袖で鼻を押さえながら辺りを見回していると、丁度知り合いを見つけた。長い赤髪を後ろで縛っている、ギルド長のカミーユである。
「カミーユ。何かあったんですか?」
「……ツトムか。いや何、大したことではない。不幸な行き違いが起きただけだ」
カミーユは少し疲れたような顔で努に振り返った。そしてギルド内にある神台を指差す
「メルチョーさんが八十階層に一人で潜っていただろう?」
「はい。あ、そういえばもう映ってないですね。突破したんですか?」
「いや、突破出来なかった。時間切れでな」
「……あぁ。そうなんですか」
糸を切るように指を動かすカミーユに、努は得心がいったように頷いた。神のダンジョンに連続して入れる時間は二十四時間までで、それを過ぎると黒が降ってきて圧死すると努は聞いている。メルチョーは二十四時間冬将軍と戦い続けたが、あまり準備せずに挑んだので魔石が枯渇して倒しきれず、圧死したのだ。
「だが、その仕様をメルチョーさんは知らなかった。だからその理不尽に怒っていたのだが、その気迫が凄まじくてな。黒の門番もしどろもどろになってしまったらしく、メルチョーさんも一日中戦い続けて気が立っていた。幸い威圧だけで怪我人は出ずに済んだのだが、この大惨事が起きたというわけだ」
「なるほど。そういうわけですか」
「怖くて誰もその仕様を説明できなかったから、それで私に出番が回ってきた。いやはや、貴重な体験をしたよ」
カミーユもまだメルチョーの怒気が刻まれているのか、手が震えていた。その後ギルドに戻されたことが神のダンジョンの仕様だとわかったメルチョーは、皆に謝ってすぐに帰ったという。そして気絶失禁ゲロ祭りのギルドに貴族のメイドたちが駆り出され、この珍しい光景になったというわけだ。
「にしても火竜、暴食龍の次はメルチョーさんですか。もう怖いもの知らずじゃないですか?」
「ふむ。確かにそうかもしれんな」
すると努はカミーユと共に戦った火竜戦を思い出したのか、少し懐かしそうに目を細めた。
「もう火竜の時みたいに怯える心配もなさそうですね」
「……誰かさんのせいで、本当に漏らしたのかと取材まで受けたからなー。あれで私の貰い手がいなくなったかもしれんなー? これは責任を取ってもらわないとなー」
些か棒読み気味の声で批難してくるカミーユに、努は困ったように頭を掻いた。
「いやいや、そんなわけないでしょう。大丈夫ですよ」
「大丈夫なら貰ってくれても構わんぞ?」
「…………」
結構本気の顔で詰め寄ってきたカミーユに、努は誤魔化すように視線を逸らす。努にとって帰るべきリアルは日本であり、ここではない。帰る手段があるのなら努は間違いなく日本へと帰るため、この世界であまり親密な者は作りたくなかった。
だが百階層を攻略し、あるかもしれない裏ダンジョンを攻略しても日本に帰る手立てが見つからなかった場合は、この世界をリアルに選択することも悪くないと思ってしまっている。だからこそ努はカミーユの好意も無下には出来なかった。
カミーユはどっちとも取れるような努の曖昧な表情を見て驚いたが、咄嗟に身体も近づけて距離を詰めた。
「……ツトムは、ずっと何かを隠しているよな。それは私やエイミー、ガルムにも言えないことなのか?」
いきなり距離を詰められて核心に迫られた努は、拒絶するように数歩引いた。そして苦々しい顔で口にした。
「……そうですね」
「……そうか。ならば、詮索はしない」
カミーユは真剣に悩んだ様子を見せた努から距離を取る。そして少し放れた距離から肩にだけ手を当てた。
「だが、いつか話してくれると私は嬉しいかな。私はツトムのことをもっと知りたいし、エイミーやガルムだってそうだろう」
「…………」
「いつでも相談に乗る。少なくとも私は、待っているぞ」
話してしまえば楽になるだろう。自分は別の世界からここに突然飛ばされて、神のダンジョンに酷似したゲームをやっていただけの者であると。そして元の世界に帰る手がかりを見つけるためにダンジョンを攻略していることを言っても、三人ならば受け入れてくれるような気はしている。
だが努は怖かった。万が一、ダンジョン攻略に協力してくれない可能性だってある。努一人では絶対に神のダンジョンを攻略することは出来ないので、もしそうなれば元の世界に帰る手がかりが途絶えてしまう。
「じゃあ、私はまだ片付けがあるから、また今度な。暇が出来たらクランハウスに邪魔してもいいか?」
「……いつでもどうぞ」
「そうか。ではな」
カミーユは優しげな笑顔を努に向けた後、後片付けをしている者たちの方へと歩いていった。努は正直な話ホッとし、無理に踏み込んで来ないカミーユに有り難みを感じた。
「ひゅーひゅー。お熱いねぇ!」
「えー! ツトムさん! もしかしてギルド長と!?」
「うるさいですよ。違いますから」
そして努は後ろで待機していたシルバービーストのPTに冷やかされた後、神台に映っている時間を見ると急いでクランハウスへと帰っていった。
―▽▽―
努がクランハウスの玄関に到着すると、丁度黒衣に身を包んだヴァイスが呼び鈴を鳴らしているところだった。挨拶もそこそこに努はヴァイスに付いていく。
その道中ヴァイスはちらちらと努を見て、何か言おうとしては口を閉ざしていた。ヴァイスという人物を知っている者からすればその行動には有名補正がかかるが、努からすると彼はユニークスキル持ちの一人という認識でしかない。
「何ですか?」
「…………」
ヴァイスははっきり目を見てきて話しかけてきた努に対し、挙動不審に瞳を動かして沈黙する。そして十秒ほど経ってからようやく言葉を返した。
「……アルマのことは、許してやってほしい」
「別に、一言謝ってもらえればいいですよ。他は何も求めません」
「……そうか」
幸運者という名を最初に神台で口にし、虫の探索者になじられていた時に見て見ぬ振りをされた時には腹が立った。だが火山階層で仲間に責められているアルマの様子を見てある程度腹の虫は治まったし、もう終わったことだ。なので努はもうそこまでアルマに対して恨みはない。
(……いつまで気にしてんだか)
だが好き好んで話そうとは思えない関係にはなっている。なのであちらから謝罪を申し込んでくるのだったら、それを受け入れて良好な関係に戻るのもやぶさかではない。
過去のことをいつまでも引きずっていることに自分でも嫌気がするが、これでもマシになった方だ。『ライブダンジョン!』でクランメンバーが理不尽なPKにあった時は、全員のIDを控えてログイン中にずっと様々な報復を繰り返して一人ずつ引退へと追い込んだ。あの時の陰険さに比べればまだマシになったと、努は信じたい。
そして紅魔団のクランハウスに案内された努は客室に通された。ヴァイスに着席を促されて彼と対面する形で座ると、その客室に一人の女性が入ってきた。
「失礼するわ」
黒髪を長く伸ばしたアルマである。その表情は以前神台で見たような錯乱した顔ではなく、理性が戻ったようなものだった。最近は黒杖も使って仲間と共にダンジョンに潜って、だんだんと笑顔が見えるようになってきた。
すると努は彼女の持っている物を見て呆れたように口を開いた。
「なんだ、相変わらずその杖は手放せないのか」
「……違う。もう私はこれに支配されてない」
「どうだかね。確か眠る時も杖を抱いて寝るんだろ? 新聞で見たし、あの様子から見てもそれは間違いじゃなかっただろ?」
「…………」
アルマの手には黒い杖がしっかりと握られている。努の声を受けてアルマは僅かに杖を持つ手を震わせながら、ヴァイスの隣へと腰を下ろした。努も気を取り直すように姿勢を整える。
「それで? 今日は何の謝罪をするために、僕をわざわざ紅魔団のクランハウスにまで呼んだんだ?」
「……全ての謝罪をするためよ」
座り直した努の何処か棘のある言葉に、アルマは黒杖を前のテーブルに置いて返事をする。そしてゆっくりと頭を下げた。
「今までのこと、全て謝るわ。ごめんなさい。それとこの杖も、クランで話し合って貴方に返すことにしたわ。これが紅魔団のクランメンバー全員の承諾印と、書類よ」
アルマはそう謝罪した後に黒杖を机に置き、努に差し出した。クランリーダーのヴァイスはその場で指に針を刺すと、その血を契約書に付けた。そして努の方を見て無言で頷いた。
努は不愉快そうに眉を曲げながらその書類を手に取る。そして紅魔団が無限の輪に黒杖を譲渡するという旨が記されていることを確認すると、机の上に置かれた黒杖も手に取った。
白魔道士専用の宝具が散りばめられているため、努の手に取った黒杖はキラキラと光り輝き出す。表ダンジョンで作れる装備の中で最高峰である黒杖。努の高校生活が詰まった一品である。
すると努はくだらなそうに鼻を鳴らすと、黒杖を手放して再び机の上に置いた。
「いらないですよ。こんなもの」
努の気怠そうな返答にアルマは整った眉をぴくりと動かす。
「……何ですって?」
「僕には必要ないんだよ。だからこれは受け取らない。謝罪だけで十分だよ。手放したいんだったらギルドのオークションにでも持ち込めばいい。多分前回より高値でアルドレットクロウ辺りが買い取ってくれるでしょ」
努の返答にアルマは信じられないものを見るような目で、瞬きも忘れて硬直していた。そして絞り出すように口にする。
「……貴方も、一度使ったことがあるのでしょう?」
「え?」
「その杖よ。ヴァイスから聞いたわ。スタンピードの時に」
「……あぁ、確かに使ったね」
「ならわかるでしょう!? それのおかしさが!? それを使えば無限の輪は絶対に八十階層を突破出来る! なのに何で受け取らないの!?」
一度使用したのならわかるはずだ。あの全能感のようなものを、努も感じているはずだとアルマは思っていた。だから神具とすら言える能力を秘めている黒杖は、絶対に受け取るだろうと思っていた。
しかし努の黒杖を見る目は、完全に一つの道具を見る目だった。そして燻っていたアルマへの憎しみも、彼女の様子を見ると冷えていく。
「別にこれが無くても無限の輪は八十階層で困らないだろうし、その時の装備と練習で何とかなる。だから紅魔団でそれは運用するといいよ」
「……何なのよ。なんなのよ!! 本当は欲しいんでしょ!? なにをそんなに強がっているの!? これをあげるって言ってるのよ!?」
焦れたようにまくし立ててくるアルマに対して、努は露骨に大きなため息を吐いた。そして隣にいるヴァイスに視線を移す。
「じゃあヴァイスさん。そろそろ帰っていいですかね。形式上の謝罪は受けたので、僕はもう用はないのですけど」
「……いいのか?」
「いいですよ。それでは」
「…………」
努はそう言い残して部屋を出る時に一度振り返ると、そこには黒杖をじっと見つめているアルマが見えた。
(哀れだな)
以前よりはマシになってはいるが、まだ黒杖に依存している部分がある。努はそんなアルマを心の底から可哀想だなと思った。




