黒杖没収
十三年前に外のダンジョンで仲間を全員失い、それからヴァイスはずっと一人で戦ってきた。仲間を失うことの恐怖が消えず、かといって死んだ仲間を弔うために戦うことも止められない。そしてアンデッド化していた仲間を全て倒してダンジョンも一人で制覇して目的を果たし、心にぽっかりと穴が空いた感覚に陥っていたヴァイスはとある噂を耳にした。
死んでも生き返るという神のダンジョン。最初は半信半疑だったヴァイスも、実際にモニターとギルドの黒門から出てきた探索者を何度も見れば信じた。神のダンジョンならば仲間を失うことはない。人の温もりに飢えていた彼はすぐにクランを作成した。
しかし数年間ずっと一人で戦いに身を投じていたヴァイスは、人と話すという能力が衰えている。更にソロでダンジョン制覇という伝説を残している有名人には周りも腰が引けて話しかけなかったため、どんどんと話せないままどつぼに嵌っていった。
だがセシリアとの話し合いを境に、ヴァイスは何とか変わろうと努力し始めた。とは言え最初からいきなり話せるわけもないので、まずはセシリアを相手に会話をすることから始まった。
最初の一週間、ヴァイスはまともに喋れなかった。相手が自分の言葉をどう思うのかを考えてしまい、思考の沼に嵌ってしまう。だがセシリアの根気強い問いかけで次第に言葉が浮かぶようになってきた。
そうして二週間、三週間と練習していき、ようやく喋り始めることが出来た。長年の沈黙で凝り固まっていたヴァイスの思考は、セシリアによって解されていく。そして遂にその時が来た。
「……おはよう」
「え? あ、はい! おはようございます!」
以前は無言で頭を下げるだけだったヴァイスが自分から声を出して挨拶をしてきたことに、クランメンバーは驚きながらも返す。そんなヴァイスの様子にセシリアはにっこりした。周りは声をかけられたことに恐縮としてしまっているが、真実を知った彼女から見るとその光景は微笑ましかった。
あのヴァイスがまさか人が怖いなどと言い出したことはセシリアにも予想外だった。クランに誘われた時から今のような状態だったので、そういう性格なのだろうと不思議には思わなかったからだ。
ヴァイスが対人恐怖症だということはまだセシリアしか知らない。ヴァイスはそのことが知られると皆から失望されると思っているようで、軽く口止めをされている。
(二人だけの秘密!)
セシリアとて除名されるのを覚悟してヴァイスと話したのだ。そのくらいの役得があってもいいだろうと今の状況を楽しんでいた。
ヴァイスの変化にクランメンバーたちが気づき始め、朝食の最中もその話題でざわついている。紅魔団のクランメンバーたちはソロダンジョン制覇の伝説を残しているヴァイス目当てで入った者が多い。なので彼に挨拶をされて嬉しくないはずがなかった。
「……ふん」
唯一アルマだけは不満そうだったが喜んでいる皆の前で何か言うつもりはないのか、肌身離さず黒杖を持ちながら食事をしている。そしていつも通りに一軍と二軍に分かれてからギルドへ向かう。
「……今日は資金調達をしようと思っている」
「は?」
その道中にヴァイスが提案するとアルマが真っ先に反応する。彼女の顔は羊を目の前にした狼のように歪んでいた。
「アルドレットクロウに追いつかれてるのに、随分と悠長ね。それにまだ資金は十分あるじゃない?」
「……しかし」
「なに? 反論があるなら言ってみなさいよ」
強気に睨んでくるアルマにヴァイスは思わず黙り込んでしまう、いつものパターンだ。強気のアルマに押し切られ、彼女はあのヴァイスを言い負かしたという優越感に浸る。周りの者たちも黙っているためアルマは更に増長し、まるでクランリーダーのように振舞ってきた。
しかし今は違う。ヴァイスは今日の日のために喋る努力をしてきたのだ。
「……今の状況で戦って、本当に勝てると思っているのか?」
今まで反論してこなかったヴァイスが言葉を返してきたことに、アルマは驚いて訝しげな視線を返す。しかしそれは三週間前にも一度経験している。
「アルドレットクロウは最近マウントゴーレムに挑んでない。ならここで更に戦闘経験を積んで差をつけることが得策だと思うけど?」
「…………」
ヴァイスはアルマの意見を聞いて考え込んでしまう。どのように反論しようか考えている内に時間は過ぎていき、アルマは勝ち誇るように鼻を鳴らした。そしてギルドへと進もうとした時。
「今の私たちじゃ、戦闘にすらなっていないわよ。ただ虐殺されて悪戯に資金を消費してるだけ。そうは思わない?」
「……セシリア」
その途端にセシリアが二人の間に入ってアルマにそう投げかける。アルマは彼女が入り込んできたことに内心驚いたし、そのことは薄々感じていた。アタッカー四人で突撃するのはいいものの、大した傷も与えられずに全滅。そういった戦闘がほとんどだったからだ。
「まだ私たちは宝箱も一回しか開けてないし、ダンジョン産の装備があればこの状況を打開出来るかもしれないでしょ? それにまだ見つかっていない素材もあるでしょうし、ね?」
「……まぁ、別にいいけど」
毒気を抜かれるような笑顔を浮かべながらの提案に、アルマは渋々といった様子で頷くと早い足取りで歩き出した。一安心したようにセシリアが胸に手を当てていると、ヴァイスが近づいてくる。
「……感謝する」
「い、いぃぃわよ! 邪魔だったらごめんなさい!」
そうは言いつつもセシリアは思わず崩れてしまう表情を隠せなかった。ヴァイスに目線で何となく感謝の意を示されることはあったが、言葉にして感謝されたのは紅魔団に入った時以来だ。
にへらっと表情を崩しているセシリアに、男性のアタッカー二人は近寄って話しかける。
「おい。どういうことだ? ヴァイスさん、お前にだけ優しくねぇか?」
「そんなことないわよ。貴方たちも話してみれば?」
「それが出来たら苦労しねぇっての! ……でもヴァイスさん、アルマには怒ってたん……だよな?」
「だから、直接聞けばいいじゃない。ほら、行きましょ?」
「おい――」
セシリアに手を引かれたアタッカーの男はヴァイスの前に駆り出された。背中を押された男はヴァイスの前に出ると、蛇に睨まれた蛙のように身体を硬直させた。
しばらくそのまま硬直していたが、もし何かあればセシリアのせいにしようと思い、男は半ばヤケクソ気味にアルマのことを聞いてみた。その言葉を受けてしばらく黙り込むヴァイス。気まずい空気が辺りを支配し、男は冷や汗をだらだらと流す。そして沈黙に我慢できなくなった彼は思わず叫んだ。
「すみません! 何でもないです!」
「こら、逃げない」
「ふっざけんなよセシリア! 俺が除名されたらどうすんだ!」
すぐに背を向けて立ち去ろうとしたアタッカーをセシリアが止めた。男は半狂乱になりながら彼女を振り払おうとする。
「……アルマは、力に溺れている」
「……え?」
そんなヴァイスの言葉にアタッカーの男はきょとんとした。誰に話しかけられても無言を突き通すヴァイス。そんな彼が自分の質問に返事をするとは思ってもみなかったからだ。
しかし今までヴァイスもクランメンバーになにか尋ねられたら返事をしようとはしていた。だが自分の言葉を相手がどう捉えるかわからない恐怖で思考が止まってしまい、返事をすることにどうしても時間がかかってしまうのだ。その間に相手から会話を打ち切られて逃げられてしまうため、ヴァイスは今まで返事が出来なかった。
「……俺の責任だ。救ってやりたいと、考えている」
「そ、そうなのですか……」
「今まで、すまなかった……」
「い、いえ! とんでもない!!」
たどたどしくも言葉を返してくれるヴァイスに、アタッカーの男は感激したように何度も頭を下げる。その様子を見たもう一人の男も恐る恐ると言った様子でヴァイスに尋ねた。相変わらず返事をするのが大分遅いが、待てばきちんと言葉は返ってくる。
「何してるの!」
そして誰も付いて来ていないことに気づいたアルマが叫ぶまで、アタッカー二人はヴァイスと嬉しそうに会話していた。
――▽▽――
「……ロックラブには口から真っ直ぐ、正確に剣を突くといい」
「はい!」
「内臓に傷をつければいくら外殻が硬くとも問題はない」
六十九階層を探索中もヴァイスは頑張ってクランメンバーに声をかけていく。戦闘に関しての話題ならば話しやすいのか、彼の返事もそこまで遅くない。火山階層モンスターの考察や弱点など、そういった話題を中心にヴァイスは話していく。
「メテオ」
そんなヴァイスに苛立ちながらアルマはメテオを放つ。ロックラブという丸い岩石のような外見をしたモンスターの群れは巨大隕石によって潰された。
アルマの方がモンスターを倒してる数は上だし、この階層では自分の方が活躍しているという自負がある。にもかかわらずヴァイスへ集まっていくPTメンバーにアルマはイラついていた。
「……アルマ」
そんな彼女にヴァイスは話しかけた。じろりとアルマがヴァイスを睨むと彼は全く変わることのない仏頂面で見返す。
「メテオもいいが、他のスキルも使ってほしい」
「は? 私に意見するわけ? 私よりモンスター倒してないあんたが?」
「…………」
そう言われてしまえばヴァイスは何も言い返せない。火山階層では確かにアルマの方が活躍している。だが黙っているヴァイスの隣にいたアタッカーが一歩前に出た。
「おい、アルマよぉ。その態度はどうなんだ? クランリーダーのヴァイスに向かって」
「……私は事実を言っているまでよ」
セシリアに続いてアタッカーまでも口出ししてきたことに、アルマは再び驚きつつも言葉を返す。するとアタッカーの男はそれを肯定するように頷いた。
「確かに、火山階層でアルマが一番モンスターを倒していることは事実だ」
「だったら――」
「だがよ。それ以前はどうだ? 峡谷も荒野も沼も、お前はヴァイスに討伐数で勝っていたか? ちげぇだろ?」
「…………」
「階層の特性によって相性の良し悪しがあるなんて、当たり前のことだろ。アルマ、確かにお前はすげぇ。だがよ、討伐数だけでアタッカーの価値は測れねぇぞ?」
「……何なんだ。今まで黙ってきたお前たちが、いきなりしゃしゃり出てきて! 今の私ならどの階層だってヴァイスに負けやしない!」
「その杖があれば、だろ? それはお前自身の力じゃない」
持っている黒杖に指を差されたアルマは不快そうに眉を上げる。
「この杖は私の物だ!」
「は? いやいや、クランの物だろ。皆で出資して買って、今はアルマが持っているだけだ」
「これは私にしか使いこなせないものなんだ!」
「ヴァイス、どうなんだ?」
二人に視線を向けられたヴァイスは固まった。その様子を見てアルマがくだらなそうに両手を広げる。
「お前の言葉なんかに返事するわけないでしょ。いつもみたいに無視されるだけ」
「黙ってろ」
男に目で制されたアルマは、はいはいとおちょくるように返事をして棒立ちしているヴァイスへ視線を向ける。彼はいつものように仏頂面で固まっているだけ。
「ほら見なさい。いつ――」
「……その杖は、クランの所有物だ」
「だってよ」
男の言葉に返事をしたヴァイスにアルマは目を見開いて固まった。今までヴァイスは誰が話しかけても黙り込むだけで、返事は期待出来ないものだと思っていた。口を開く時は事務的なことや戦闘関連だけ。たまにそれでも無視されることがあるくらいだ。
「……アルマには杖を貸しているに過ぎない。他の者が使うことも出来る」
「な、何ですって! この杖は、私にしか使えない!」
「……スタンピードの時に、気づいたことがある」
ヴァイスの言葉に全員が注目する。彼は頭の中で浮かんでは消えていく言葉を整理しながらゆっくりと話し続ける。
「……ツトムが、その杖を拾っていた。彼が手にしていた杖は、埋め込まれていた宝石が、全て輝いていた」
「な、なによ! 何が言いたいわけ!?」
「……彼が特別か。もしくは、白魔道士だからか」
黒杖に十個埋め込まれている宝具。アルマが持っている時は三つしか輝いていないが、努が持っていた時は全て輝いていた。そのことから黒杖は白魔道士用なのではないかという予測はつく。
「……セシリアに一度黒杖を持たせてみれば、わかるだろう」
するとアルマは焦るように黒杖を抱きかかえた。まるで赤子を渡せと言われて必死に抱きしめている母親のような目をしている。
「冗談じゃないわ! 渡してたまるもんですか!! これは私の物だ!」
「……アルマ。お前は、杖に取り憑かれている。一度離れた方がいい」
「嫌だ!! これは私の! 私の杖だ! 近寄るなぁ!」
錯乱したように叫び散らしてアルマは黒杖を抱えたまま後ろへ下がる。だが状況が悪いことをすぐに察した彼女は、黒杖を抱えたまますぐに土下座した。
「私が悪かったわよぉ!! だからお願いぃ! 杖は取らないでぇ! 私のなのぉ! これは私のなのぉ! お願いします! お願いしますぅ!」
火山階層の熱い地面に顔面を擦りつけて涙を流して謝罪を繰り返すアルマ。情緒不安定なその行動に周りのPTメンバーも呆気に取られている。
「……一度杖を離せ。後で必ず返す」
「いやぁ! 止めて! 誰か助けてぇ! 死んじゃう! これないと死んじゃうからぁぁ!! 私を取らないで!!」
ヴァイスは泣きながら懇願するアルマに構わず黒杖を取り上げた。そして暴れ回るアルマを押さえる。顔に爪を突き立てられて傷が付くが、不死鳥の魂によって自動回復していく。
そうして黒杖はアルマから一旦取り上げられ、大暴れする彼女を何とか押さえつつ紅魔団はダンジョンから帰還した。
――▽▽――
アルマが黒杖を取り上げられてから三日。彼女はクランハウスの部屋に引きこもってしまっていた。誰が言っても出てこずに塞ぎ込んでしまったアルマに、クランメンバーたちの間には微妙な空気が流れている。
アルマがヴァイスに土下座しながら懇願していた様子は当然モニターに映っていたので、観衆の間では少し話題になっていた。だが新聞社はそれを取り上げなかったし、アルドレットクロウがマウントゴーレムを突破したことで話題はそれ一色になった。
「……今まで、すまない」
そしてヴァイスは自分が人を恐れていたことをクランメンバー全員に告白し、今までのことを謝罪して静かに頭を下げた。その告白にクランメンバーたちは驚いていたが、失望したなどといった感情は浮かんでいない様子だった。
確かにヴァイスが今までほとんど喋らなかったのは事実であったが、クランメンバーはアルマが暴走するまではそれを苦に思っていなかった。ヴァイスは別に害意を振りまいていたわけではないし、頷くなどの動作はしている。生きる伝説と一緒に戦えることを皆喜んでいた。
ヴァイスの対人恐怖症についてはセシリア同様、クランメンバーたちも特に気にした様子はなかった。そのことにヴァイスはホッとしたように目を閉じた。
「でも、やっぱり少しは褒めて欲しかったな」
「あと、ガルムを熱心にクランへ誘うのもな。ガルムだけには凄い喋るし、俺たちじゃ不満なのかと思っていた」
「……本当に、すまない」
だがアルマが暴走して空気が悪くなってからは皆何かしらの不満は抱えていたようで、その後も軽い愚痴の言い合いのようなものを目の前で聞かされてヴァイスはいたたまれない気持ちになった。
「ヴァイス。ごめんね?」
「……いや、いい。俺が悪かった」
「いやいや! ヴァイスさんだけが悪いわけないですよ! ……僕たちも悪いです。ずっと黙ってましたから」
「うん」
「確かに」
そうしてヴァイスが言葉を発しないことによる意識のすれ違いは解消し、クランメンバーとは和解した。しかしまだ一人、部屋に引きこもってしまった者がいる。
「……アルマは、俺の責任だ」
ヴァイスもユニークスキルという強大な力を持っているが故に、その危うさも知っている。彼には外のダンジョンでの下積みがあったが、アルマにはそれがない。それを知っているにもかかわらず、黒杖という強大な力を突然持ったアルマを放置してしまった。
「……ダンジョン攻略を考えるのなら、黒杖はセシリアに持たせるべきだろう」
アルマから黒杖を取り上げた後にセシリアへ持たせたところ、宝具は全て光り輝いた。黒杖が白魔道士用だということは間違いない。現状は別にアルマが強いわけではなく黒杖が強いだけなので、彼女でなくともセシリアに持たせればいいし一人黒魔道士も在籍している。その者に持たせればダンジョン攻略は容易に再開出来るだろう。
「だが俺は……」
ヴァイスは自分を落ち着けるように言葉を切った。目の前で助けられなかった仲間。アンデッドに成り果てた仲間たち。今でもその光景は夢に見ることもあった。下を向いて拳を握り締める。
「……俺は、もう仲間を失いたくない。アルマには、戻ってきて欲しい。以前のアルマに、戻ってほしい。俺が言う資格は、ないだろうが……それでも」
恐らく黒杖がなければ、アルマがあのように狂うことはなかっただろう。ヴァイスが早々にアルマを気遣い、周りも気づいていればあのようにはならなかった。以前のように多彩なスキルを使い、皆を元気にさせるようなアルマに戻ってほしい。ヴァイスは前を向いてクランメンバーたちを見た。皆一様にヴァイスを見返している。
「だからこの杖は、使わない。使っては、駄目だと思う。アルマが、戻って来れなくなるから……。しかし、その分ダンジョン探索も遅れる。皆には迷惑だろうが、頼む」
ヴァイスは涙声で言いながら頭を下げた。
「俺とアルマに、皆の時間を、くれないだろうか……」
ヴァイスの救いを求めるような声にクランメンバーたちは息を飲んだ。
すると一人の男が声を大にして言った。
「いいぜ! 俺もアルマには戻ってほしいしな!」
矢継ぎ早に他のクランメンバーも口にする。
「わ、私だってそうよ! あの杖にはきっと、魔物でもとり憑いてるんだよ!」
「あの杖持ってからだもんなぁ……。俺も何だか怖くて声かけれなかったしな」
アルマが黒杖を持つ前の姿を知っているクランメンバーたちはヴァイスの言葉に同意した。アルマの変化を直に見て、その異常性も目撃している。皆もアルマだけに黒杖を持たせたことへ責任を感じていた。
「……ありがとう」
ヴァイスは賛成してくれたクランメンバーたちに、再度深く頭を下げた。