表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

 今日もまた、先客がいた。


 夕暮れ時。

 人波が家路を辿り始める頃。

 もう少しすれば父が帰ってくるだろう。そう思いながら屋根をのぼれば、ユウヒがごろりと寝そべっていた。いい加減それを咎めるのも面倒に思い、そっと傍に寄る。

 夕食の匂いを抱く風に惹かれたのか否か、珍しくぼーっとして山の方を眺めていたユウヒは、ゆっくりとこっちを向いて、小さく笑った。

 「よう。こんな時間にどうしたんだよ」

 ――姉がさびしがっているんだよ。……弟が風邪をひいちゃったから。

 「ああ。そういえば弟が病気なんだって? 結構ひどい、ってうちのばあさんが、お前んとこの母ちゃんに聞かされてたぞ」

 私は驚愕に身を震わせる。何故なら、母は姉に対しては、ほんの大したことのない風邪だ、と言い聞かせていたのだから。

 嘘をつくな、とユウヒを睨みつければ、大仰に肩をすくめられた。

 「本当かどうかなんて、知るわけないだろ。オレの家じゃなくて、お前の家の話だ」

 切り捨てるようなことをユウヒは言ったが、その口調は冷たいものではなく、むしろ温かみを感じそうに思えるものだった。そういえば、ユウヒは弟と仲は悪くない。こいつなりに心配しているのかな、と思う。

 気だるげに横たわり、こっちを見るユウヒの瞳は、オレンジの陽光を受けて金色に輝いている。

 不意にユウヒは私から視線をそらすと、はじめと同じように山のある方角へと顔を向けた。私も黙ってそちらを見ると、ちょうど夕日が山影にかかったところだった。山際に沈んでいく夕日は驚くばかりに美しかった。ゆるい弧を描く山際は金色に輝いている。山の向こう側から放たれる光は、空を紅く染め上げる。

 オレンジにぼやける空、うすく紫がかった空、白くぼんやりとした空、まだ昼間の青を残している空。どれも同じ一つの空なのに、ころころと変わる表情のように、ゆったりと移ろっていく色合いは息を呑むほど美しい。細くたなびく雲は、やんわりと身を空に染めている。

 日の沈んでいく今、一瞬、ほんの瞬き一つで見逃してしまうような、そんな移り変わっていく風景だからこそ、怖いくらいに鮮烈だった。

 「今日は随分と長くいるんだな」

 ユウヒがぼそりと呟いた。それはこちらの台詞だ! という代わりに私は、姉のおかげだよ、と応えた。その返答に満足したのか否か、ユウヒは曖昧な笑みを浮かべてこちらを見た。

 きらきらと光る瞳。けれど、その輝き具合はさっきと全く同じものではない――今と、過去と、未来とは、違うものだから。

 「こんな壮大なものがさ、オレの名前っていうのはなんだか……変な感じだなぁ、と思ってさ」

 ユウヒがそっと零した言葉。いつもは傲慢さすらおぼえる口調は陰をひそめて、自信なさげな言葉が風に流されていく。

 何かあったの、と問えば、ユウヒは小さく伸びをした。

 「いや、別に。ただなんとなく、そう思っただけ。オレたちって驚くほどちっぽけでさ、強い風が吹いただけで、あっという間に掻き消える灯火みたいで」

 真剣さを滲ませるその声は、ひどく脆く、しかし強い力を秘めている。

 「だけど、やっぱり生きているんだな、って。ぼーっとしてても時間はすぎるし、気付けば今なんてあっという間に過去で。……話がそれたけど、つまり……なんていうか、名前は過去につけられたのに、現在自分を支えてて……」

 言いづらそうにユウヒは顔をしかめる。普段はこれほど難しいことを言わないからだろう。慣れないことをしようとするからだ、と突き放したくもなるが、それを上回って、私はユウヒの言葉が聞きたかった。

 「今日さ、名前のないやつに会ったんだよ。本人は気にしてないみたいだったけど……可哀相になっちまって。名前を呼ばれたらオレは振り返るだろ? それってつまり、オレがここにいるってことでさ」

 ゆっくりと、噛みしめるように言葉を紡ぐユウヒ。そこにはもう、迷いはなかった。

 「認められることって、嬉しいよな。だから、どんなに自分の身には余るように思える名前でも、それに見合うようになりたい。認めて、オレの名を呼んでくれる人を大切にしたい、と思ってさ」

 ユウヒの笑顔は晴れやかだった。残光がその顔を、鮮やかに照らし出す。

 「そういえばお前の名前って――」

 ユウヒが思い出したように言った。でも、ごめん。

 ――時間切れみたいだ。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ