春―その2
辺り一面が暗かった。
冷たい夜風にあてられて、私は小さく身を震わせた。しん、と静まりかえった住宅街は昼間とはまるで違う。暗闇をはらんだ路地は薄暗い。オレンジの街灯があやしく辺りを照らしているが、その灯りはかえって夜の不気味さを引き立てている様だった。向かいの空き地に生える木々の梢は闇に埋もれ、黒くて巨大な塊が林立して見える様子は、背筋にぞっとした寒気をおぼえそうなものだ。
不意に、小さな泣き声が聞こえた。
呼ばれたような気がしてその音の出所を見やれば、姉が肩を震わせて泣いていた。
どうしたの、と問いかける。
しばらくは返事がなくて、さびしい夜のしじまがより一層身に染みた。
「大好きな友達が、遠くへ引っ越しちゃう」
小刻みに揺れる肩は頼りなげで、儚いくらいの存在感に、私はいたたまれなくなる。黒くてまっすぐの髪が、姉の小作りの顔を覆い隠すように垂れている。花柄のパジャマはオレンジの街灯に照らされて、黄色っぽく光っていた。右手の袖で顔をこする姿は、抱きしめてあげたくなるほど、切ない。
「ずっと一緒にいられると思っていたのに……」
袖で零れる涙を受け止めると、乱暴に顔を拭う姉。その姉が不意に上げた視線が私の姿を捉えた。
「あれ、まだいたんだ」
驚いたように呟き、濡れた瞳で私を見つめる。私はなんとなくきまりが悪く感じて――黙ったまま、人が泣いている様子を見ていたわけだし――、ひんやりとした夜風に身をよじった。姉は私をじっと見つめていたが、やがてやわらかに口元を崩して、微笑んだ。
「なぐさめてくれるの? ありがとう。さびしいけど……でも、もう二度と会えなくなるわけじゃないんだよね」
――そうだよ。またきっと会えるよ。信じていればいつか、必ず。
再会はきっと、ものすごく幸せな筈だよ。
「そうだよね。いつまでも落ち込んだままで、泣きはらした目でなんて、明日見送ることなんて出来ないよね」
黒くて丸い瞳は、涙できらきらと輝いていて美しかった。まるで、星を浮かべた夜空のよう。
ああ、そういえば今日は夜空を見逃してしまったじゃないか。
つまらないけれど……姉が泣きやんだなら、それでいい。
今日は、ここまで。




