春―その1
私は今日も屋根へのぼる。
やわらかな春の日だった。雪が溶け、秋の枯れ葉がしめったままアスファルトに張り付いているのが分かるようになった。生命力の強い雑草は早速、我先にと地から頭をのぞかせている。黒々とした豊かな土に、まばらに散る緑。
まだ少し冷たさを秘めて、けれども暖かさをまとい始めた風に、私は心地よくなって身を委ねた。
淡い水色の空には、うっすらと雲に身を潜める陽が照っている。ぼおっと霞むような白雲に紛れた太陽は、穏やかな光を地上に差し向けていた。
冬の匂いは、確かに残っている。しかしあと少しもすれば、裸の木々も薄緑をそっと芽吹かせるだろう。
姉が私を見てにっこりと微笑んでいる。細くて白い手を振って、私を見送っているのだろう。陽に照らされる笑顔は明るく、晴れやかだった。
少し強い風が吹いた。
名残惜しいけれど、今日はここまでだ。
私も姉に小さく手を振って、出発することにしよう。
外に出るのは久しぶりだった。
いつの間にか庭は美しい花々の住み処となっていた。そよ風が吹くと、チューリップは一斉に頭を振った。赤、白、黄色。鮮やかな色合いの花びらでそっと蜜蜂を包みこむ。そんな頭を振りながら、チューリップは太陽に向かってやわらかに揺れている。
視線を移せば、木々がほんのりと緑に身を染めているのが目に入った。ごつごつとした焦げ茶の幹に、複雑に絡み合う梢に芽吹く青葉は爽やかに映えた。
枝葉の向こうに透ける空は青く、ふわりふわりと白い雲が穏やかに浮かんでいた。眩しすぎない日光が気持ちいい。
私は今日、初めて屋根へ上った。
濃い緑の屋根は平らかで、広かった。淵が盛り上がったつくりで、先日降った雨が水溜りとして残っていた。屋根の上に切り取られた青空を覗き込めば、小さな水溜りをゆっくりと雲が横切って行った。
ふと、隣の家を見れば、偶然に窓の外を見ていたおばさんと目が合った。おばさんは私を見て豪快に笑った様だった。口がぱくぱくと動いて何かを言った様だったが、窓越しではその声も届かない。
さて、今日はこの辺で終わりにしようか。