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授業で発言すること!

「じゃあ、この時のKの気持ち、わかる人いるか」


 現代文の坂田先生が、黒板を背に、クラスの皆を見回した。

 ――しーん――

 僕は、無意識のうちに、下を向いていた。僕は、この静寂が嫌いだ。どうか、誰でもいいから手を挙げてくれ……。僕は、少し顔を上げた。

 いつも積極的に手を挙げている、川島さんのほうに視線をやったが、どうやら彼女は、先生の出した問題が分からないようで、考え込んでいる。


「誰かわかる人はいないのか」


 坂田先生は、あくまでも生徒の発言を待っている。僕はただ下を向いて、できるだけ先生に目を合わせないようにした。


(誰か手を挙げてくれ……。それか先生が答えを言ってくれてもいいから)


 僕はこの時、もう一度軽くクラスを見回した。ほとんどの生徒が教科書をじっと見つめている。先生の問題を考えているのかどうかもわからない。

 僕は、仕方なく、先生の出した問題を考えてみた。Kの気持ちか……。――なんとなくわかった気がする。

僕は、さらにもう一度クラスを見回した。皆、問題を考えているか、先生に目を合わせまいとしているのか、教科書とにらめっこしている。


「別にどんな答えでもいいんだ。だれかわかるか」


 僕は逡巡した。ここで挙手して発言すれば、先生からの評価も高まるだろうし、クラスの皆からも、少しは、好意的にみられるんじゃないか。手を挙げるべきか。それともここは黙っているべきか。


(どく。どく。どく。どく)


 いつのまにか、僕の心臓は、大きく鼓動していた。なぜか冷や汗もかいている。手を挙げるんだ。

挙げるんだ。挙げるんだ。でも、そんな勇気は僕にはなかった。何か自分の意思とは別に(いや、自分の潜在意思なのかもしれない)僕の手を硬直させる力が働いていた。


「はい」

「お、じゃあ、川島」

「はい、多分ですけど、……」

「うん、かなり正解に近いぞ。でも、その答えも十分良いと思う」


 僕は、先生の言った答えを聞いて、後悔した。いや、僕は結局後悔することになった。今の僕は、どんなことがあろうと、授業で発言などできっこない。僕、沼木伊勢也は極度に消極的で、顔面偏差値は中の中で、運動音痴は最悪で、童貞で、ぼっちだ。そのため、クラスからは、浮いている、というよりは、沈んでいる。

 先ほど僕が考えた答えは、先生が言ったものとほとんど同じだった。でも、僕はそれを言葉にできなかった。つまり、僕は先生から評価されないし、皆からも一目置かれることもない。

 その日の授業が終わると、僕は、すぐに家に帰った。僕は帰宅部だからだ。

 僕は、学校なんて行きたくなんかないと思っている。僕は、消極的な性格と、人付き合いが苦手なことが相俟って、高校入学早々、ぼっちとなった。ぼっち生活を一年ほど続けて、慣れてしまった。高校二年も、クラスに一人はいるというぼっちの役割を、僕は担っている。

 

 僕は、学校から自転車で十分のごく一般的な一軒家に住んでいる。父、母、僕の三人プラス猫一匹暮らしだ。僕はとりあえず、家に帰ると、宿題を終わらせることにしている。進学校ということもあるが、僕は、一人で何とかなることは、割となまけずやっている。

 僕は、愛猫のいずもを愛でたり、テレビを見たり、ゲームをしたりして家での時間を過ごす。毎日、代わり映えのしない生活に満足している。――が、しかし、今日の現代文の時間は、なんとなく不満の残るものだった。自分が、へっぽこなのがいけないのはわかっている。だからこそ、悔しい。

 

(明日は、授業で発言してやる)


 僕は、ベッドに籠りながら思った。


 そう都合よく僕が、答えられる問題が出されるとは限らない、とかなり余裕をかましていた。僕が答えられる、そして、答えられればかなり恰好のいい問題が、世界史の授業で出された。


「ちなみに、アメリカの名前の由来ってなんだか知っている人はいるか」


 世界史の先生で、髪の毛の薄い、寺内先生が言った。先生は、教室を見回す。

 僕は、アメリカの由来を知っている。テレビでやっていたのを覚えていたのだ。


(どく。どく。どく。どく。どく)


 どうして僕は、何もしてないのにこんなにも緊張してしまうんだ。僕は、少し心を落ち着かせ、クラスの皆を見渡す。川島さんはさっぱりという様子。――っ!僕は、ある人に目が言った瞬間、すっと目線を外した。


(三川さん……)


 僕が片思いをしている女子だ。名前は、三川稲みかわいな。美人でかわいいが、かなり消極的だ。男子と話している姿を見たことがない。

 僕が、ここで答えたら、三川さんは、僕のことをどう思うのだろう。


(どく。どく。どく。どく)


 若干冷や汗をかいている。動悸もしてきた。一か八かいってみるか。でも、僕にそんなことが出来るのか。冷静になれ。まず、重要な単語は、コロンブス、アメリゴ・ヴェスプッチ……、あれ、単語は出てくるのに、それを文章にできない。


(落ち着け。落ち着け。落ち着け。僕はちゃんと答えられる)


 僕は何度も、文章にしようと努力したが、緊張のせいで、頭の中が混乱してきた。


「さすがにこの質問はむつかしすぎたかな。じゃあ、説明するわ。もともと……」


 寺内先生は、説明を始めた。


(むつ……かし……すぎた……)


 僕は、寺内先生の説明通りのことを知っていた。僕は、悔しかった。冷静になれば、授業中の発言ごときで、ここまで感情的になる必要はないことなどすぐにわかる。

 おそらく僕は、ある欲求を抱いている。誰かに認められたい。僕は、一見無口で、運動音痴で、頭が悪そうだが、実は、結構出来るやつなんだ、と思われたいという欲求。


(ストレスでしかないな……。変な目標は立てるべきではないな)


 『このように彼は、自分自身に、自己催眠をかけることで、麻酔薬もなしに、医師に手術を敢行させました。本来、この手術においては、麻酔なしでは患者は、苦痛のあまり意識を失うそうですが、なんと彼は、医師と意思疎通をとりながら手術を受けたのです』 


 僕は、あるバラエティー番組で、そんなことを言っているを印象的に聞いていた。


(自己催眠か。自己暗示みたいなものだよな……)

 

 僕は、なんとなくそんなことを考えた。自己催眠で僕は生まれ変われるかな。


(まあ、そんなことあるわけないか。これも実話かどうか怪しいし)


 でも、と僕は考えるのだった。自分をだますことは不可能ではないかもしれない。僕は、遊び半分で、実験的に、自分に語りかけた。


(僕は明日、絶対に授業で発言しなければならない。なぜなら、僕は、明日、授業中に一言も発言をしなかったら、後悔のあまり、屋上から飛び降りてしまうからだ。僕は、もう後悔をしたくない。だったら、発言するしかないだろう。発言するか、飛び降りるかだ。僕は、飛び降りたいのか?いや、僕は飛び降りたくない。僕は、授業中発言することで、クラスの皆から称賛される。そして、友達ができるんだ。そう、そして、三川さんに告白される。ふっ。じゃあ、どうして発言しないことがあろう。発言するしかないな。俺は勇気ある、博識の高校二年生、沼木伊勢也だ。ああ、皆、早く俺を称賛したまえよ。俺はやれる。死ぬことに比べれば、発言することなんて屁みたいなもんだ!!)


 僕は、深夜3時までそんなことをやっていた。


 次の日の英語の授業。いつものように児島先生が生徒に問題を出した。僕は、一度もこの先生の授業で、挙手をしたことがない。


「はい、じゃあこのexpectってどういう意味だ」


 わかる。これはさすがにわかる。クラスの皆はどうだろう。簡単な問題を答えても仕方がない。


(ふふ、どうやら僕しかわからないようだな)


 僕は、この日、早く発言したくてたまらない自分がいるのに気づいていた。自己暗示の力をあなどっていたようだ。僕は、今ここで発言するしかない、と思った。それ以外に僕には選択肢がない。死にたくはない!


「はい」


 僕は意を決して手を挙げた。周囲がどよめくのがわかった。少し、心臓の鼓動が早まる。ふー。


「お、沼木か。どうぞ」


 児島先生が僕に発言を促した。ついに僕は生まれ変わる。一回発表してしまえば、あとは余裕だ。


「……なになにを除いて、です」

「……おしいなぁ」


(え、違うのか?そんなはずは……)


 僕はこの時、ものすごい勢いで、心臓が脈動するのが分かった。顔面蒼白。脳内白紙。クラスの皆は、僕のことを笑ってはいないが、気の毒そうな視線が痛いほど刺さる。うう。そのとき、川島さんが、手を挙げたような気がしたが、動揺で全く意識がそちらに向かなかった。


「予期する、です」

「正解。沼木、本当におしかったぞ)


 児島先生のフォローが、耳と心に痛い。少し気持ちが落ち着いたと思ったら、今度は顔がものすごい勢いで火照っていくのが分かった。目頭が熱い。耳が痛いくらいに熱い。


(僕は、結局こういう人間なんだ。二度と出しゃばった真似なんかしない)


 僕はその日、家に帰って、何年振りかしれない涙を流した。とんだ茶番だ!僕はばかだ!

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