手のひらは冷たくても
「君は雪みたいだね」
そう言った彼の笑顔がふと脳裏に浮かんだ。彼はいい意味で「雪みたいだ」と言ってくれたのだろうけど、雪には「冷たい」という特徴がある。
それなら、わたしは。
* * *
しとしとと降る十一月の雨。そのせいか秋を通り越して冬のような寒さだ。こんな雨の中、いつもの公園に行っても誰もいなかった。わたしとしては、それが好都合なのだけれど。
「何やってるの?」
公園の端のほうにある木の前でしゃがんでいると、頭上から突然降ってきたのは、聞き慣れた誰かの声。この寒さを吹き飛ばすのではなく、包みこむようなあたたかなものだ。
ゆっくりと振り向けば、そこには穏やかに微笑む彼――わたしの幼なじみが立っていた。
「こんな雨の中にいて、風邪でも引いたら大変だよ」
「にゃー」
「にゃあ?」
この場にふさわしくない鳴き声を聞いて訝しげに思った彼が、屈んでわたしの手元を覗きこんできたので、慌てて隠そうとしたが、すでに時遅し。わたしの腕の中でうごめいていたものが姿を現してしまった。
「――猫?」
「にゃー」
人懐っこそうな鳴き声を出した猫にため息をつき、わたしはそれを抱えたまま立ち上がった。
「どうしたの? この猫」
「……三日くらい前に捨てられてるのを見つけて、エサをやってた」
「ああ、どうりで懐いてるわけだ」
わたしの腕の中にいた猫は肩まで這い上がってきて、すりすりとほおを寄せてきた。うん、くすぐったいのだが。
「飼わないの?」
ちちち、とその猫をあやすように彼が指を差し出す。
「母さんが猫アレルギーだから」
「ああ、そうだったっけ」
彼の指に手を出すたびに猫は揺れ、同時にわたしの肩に振動が伝わってくる。わたしは猫をがっしり掴むと、しゃがんでまた木の下に置いた。それでも猫はまた「にゃー」と鳴いて(まさに猫なで声だ)わたしにすりよってくる。
「ずいぶんと懐かれてるみたいだね」
そう言って、彼もわたしの横にすっとしゃがみ、猫のあごをなでた。
「……あなただって、今日初めてなのにすごく懐かれてる」
「そうかな? でも、やっぱり君のほうがいいみたいだね。きっと君のほうがやさしい人間だってわかってるんだよ」
彼の手を離れて再びわたしのところに寄ってきた猫を見て、彼は微笑んだ。その眼差しから逃げるように目をそらし、わたしは猫の頭を撫でる。
相変わらず、彼の言うことは理解できない。わたしのどこがやさしいっていうの? あなたのほうがずっとやさしいのに。どうして、わたしなんかに――
「わたしは、雪みたいだから」
「え?」
「わたしは雪に似てるから、手も冷たいし、心も冷たい。わたしは、やさしくなんかない」
猫から離した手をひざの上に置き、そこでぎゅ、と拳を握る。その手は今日も冷たかった。そう、雪のように。
彼は、怒っただろうか。彼がそんなつもりでわたしを雪に似ていると言ったのではないということは、わかっている。でも、雪には「冷たい」という特徴があるのだから、そう解釈することも不可能ではない。
二人の間に沈黙が降り、猫の鳴き声だけが虚しく聞こえていたそのとき、ふわり、と彼の手がわたしの冷たい手に重ねられた。――あたたかい。
彼のほうを向けば、彼はにこりと笑みを浮かべた。
「君は知ってる? 手の冷たい人は心があたたかいんだって」
「そ、んなの……」
「君の心が冷たいなんて、そんなわけないじゃないか。だったら、どうしてこの猫を放っておかなかったの?」
その問いの答えを言いよどんで視線を下に落としていると、目の前にいた猫が、消えた。
「、え?」
「さあ、帰ろうか」
ぱっと横を見ると、彼はわたしの手に重ねているのとは反対の手で、猫を抱きかかえていた。両手が塞がってしまったため、雨が直接彼に降り注ぐ。
地面にきれいに置かれた傘は、彼が意志を持ってそれを手放した証拠だろう。わたしは急いで自分の傘を彼のほうに傾けた。
「何、やって」
「このコ、ぼくが飼うよ」
「え……」
「そしたら、こんな雨の中会いに来なくてもいいだろう?」
そう微笑む彼は、どこまでもやさしくて。
それなのに、彼はこう言ってまた笑う。
「君は、やさしいよ」
わたしの左手には傘、彼の右手には猫。
そして、残った二つの手は、冷たくて、あたたかくて、ちょうどいい温度で重なっていた。