それはきっと歪んだ幸せ
「他人の不幸は蜜の味、ってよく言うじゃない。あの言葉を考えた人って、さぞかし性格が悪いんでしょうね」
突然さらりと毒のようなセリフをあっさりと吐いた彼女に、俺はジトリとした視線を送る。何故なら、
「性格の悪さに関しては、お前に言われたくないと思うぞ」
「あら、それはどういう意味かしら。まあ、それはあとでじっくり尋問するとして」
「拷問だ……」
ふふっ、と至極楽しそうな笑みをこぼし、彼女は俺のセリフを華麗にスルーして先を続けた。
「その人は自分も不幸だってことに気付いていないのかしら」
「どういうことだ?」
「だって、その人はきっと他人の不幸を見ることだけが生きがいなのよ? そんなの、哀しいでしょう」
「いや、生きがいかどうかはわからねぇだろ。……でも、もしそうなら、確かにそいつは不幸だな」
「でしょう?」
かわいそうに、と哀れむような、しかしどこか蔑むような表情を浮かべ、ため息をこぼす彼女。
俺はそんな彼女にため息をつきたくなりながらも、彼女の言ったことについてしばらく考えてから、口を開いた。
「でも、他人の幸不幸は自分のものさしで測れるものじゃないんじゃねぇの?」
俺は自分の意見を述べただけだったのだが、すっと彼女の目が細くなり、ジト目でこちらをにらみつけられた。さっきとはまるで立場が逆転してしまったようだ。こわくはないが、どこか責められているようで、あまり良い気持ちはしない。
「何だよ」
「相変わらずあなたは正論ばかりで面白くないわね。わたしは不幸な人に幸せになってほしいと思っているだけなのに」
「激しくウソくせぇ……」
「失礼ね、本心よ? 確かに、あなたが不幸になったらいい気味ねって思うけれど」
「オイ」
「でも、ずっと不幸でいてほしいとは思わないわ。あなたが不幸だと、わたしも不幸だもの」
「……あ、そう」
それまでの態度とは打って変わって、不意に彼女が口にした素直な言葉は、きっと本心だろう。自分で言うのもなんだが、俺は彼女にものすごく愛されているのだから。そう、彼女が自分でその愛を「重い」と言うくらいに。
そして、彼女はやわらかな笑みを浮かべたまま、先を続けた。
「それに、誰かの不幸を見て幸せになるよりは、誰かの幸せを見て幸せになりたいし、わたしが幸せにできるならしてあげたいと思うの」
「たまに男前なこと言うよな、お前」
「ふふ、あなたはいつも女々しいものね」
「……お前、絶対他人の不幸が大すきだろ」
さっきまでのやわらかさはどこへやら。彼女は早くもいつもの刺々しい態度に戻っていた。
しかし、そう思ったのも束の間、彼女はふ、と微笑をこぼした。笑っているのに、眉は下がっているからどこか哀しげで。俺は、この歪な笑みを何度も見たことがある。
「でもね、わたしはすべての人を幸せにできるわけじゃないし、あなたのことだって幸せにできているのかわからないわ。あなたはわたしといて本当に幸せなのかしら、って考えてしまうのよ」
なあ、いつになったらお前からその笑みが消えるんだ? 俺には、それを消すことができないのか?
「ねえ、あなたは今、幸せ?」
そう尋ねてこちらを見つめる彼女の目は、射抜くように鋭く、しかしすがるような臆病さを奥に秘めていた。まったく、強いんだか弱いんだか。
でも、そんな彼女だからこそ、普段は一見尻に敷かれているようだけど、内心きちんと守らなくてはいけないと思っているわけで。
だから、
「当たり前だろ。俺は十分お前に幸せにしてもらってる。お前だから、俺は幸せになれるんだよ」
口角を上げてそう宣言した俺を見た彼女は、一瞬瞠目したものの、すぐににっこりとキレイな笑みを浮かべた。
「ふふ、それならよかった。あなたが時々吐く恥ずかしげもないキザなセリフも聞けて満足よ」
「羞恥プレイだ……」
切り替え早すぎだろ、この女。まあ、それが彼女の長所でもあるのだが。
「お前は?」
「え?」
「お前こそ、幸せなのか?」
彼女に負けじと真剣な目で問えば、彼女はにっと勝ち気な笑みをよこし、堂々とこう宣言した。
「当たり前でしょ? 前にも言ったけれど、わたしはあなたしかいらないの。こうやってあなたといるときが、わたしにとっては一番幸せなんだから」
「……お前、たまに異様にかわいいこと言うよな」
「あら、わたしはいつでもかわいいじゃない」
「一気に可愛いげがなくなったぞ」
「そんなかわいいわたしを抱きしめたいんでしょう? さあ、存分にどうぞ」
わけのわからないことを言って、すっと腕を広げる彼女。この場合、俺が彼女を抱きしめるというよりは、彼女のほうが俺を抱きしめる感じになるのではないだろうか、と冷静に分析してみた。というか、
「誰もそんなこと言ってねぇんだけど」
「あら、照れなくてもいいのよ」
「……お前がどうしても抱きしめてほしいって言うなら、考えてやらなくもないけど」
会話が若干噛み合っていない彼女をちら、と見やれば、
「どうしても、よ」
と言って、上目遣いで見つめてくるもんだから、俺はゆっくりと彼女に近づいて、ふわりとその身体を抱きしめてやった。何だろう、彼女から懇願してきたはずなのに、
「敗北感がハンパねぇ……」
「ふふ、あなたがわたしに勝てるはずないでしょう?」
「あーあー、知ってたよ」
「あなたは本当にやさしいわね。だから、すきよ」
それは、世界か彼女かを選べずにいる俺への皮肉なのだろうか。以前はそのせいで、別れの危機に陥ったこともある。
俺がそんな状態でいる限り、彼女はきっとこれからもあの歪な笑みを浮かべるのだろう。でも、
「俺も、お前がすきだよ」
この気持ちに嘘偽りはない。だから、それだけはどうか信じてくれ。
俺は心の中でそう願いながら、彼女のやわらかな髪を撫ぜたのだった。