あなたなんかいらない
あなたなんかいらない。だから、
「じゃあ、別れましょうか」
「は?」
二人きりの部屋で、何の前触れもなく放たれた言葉。それに反応した彼は当たり前というか何というか、とにかく普通のリアクションを返してきた。
「あら、聞こえなかった? だから、別れましょう、って」
「いや、何でそうなるんだよ。『じゃあ』とか『だから』とか、その前の文章がないと意味わかんないだろ」
「まあ、聞こえていたんじゃない。あなたって意外と細かいのね。そういえば家事が得意だったかしら」
「オイ、はぐらかすなよ」
眉間にしわを寄せた彼の鋭い視線に射抜かれ、わたしはふざけるのをそこでやめた。
「何で別れたいんだよ」
「別に、別れたいわけじゃないわ」
「ああ?」
「別れたほうがお互いのためなんじゃないかと思って」
「はあ?」
今度はちゃんと本当のことを伝えたのに、彼の表情はますます険しくなる一方で。そんなの、理不尽ではないだろうか。
「別れたほうがお互いのためって、どういうことだよ」
「だって、わたしの愛は重いから」
「は?」
わたしの答えが意外だったのか、今度は目を丸くする彼。無愛想な彼にしてはなかなか珍しい表情だ、と思いながら、わたしは続きを口にした。
「わたし、自分でわかっているの。わたしの愛は重いって」
「いや、別にそんなふうに思ったことはないけど」
「あら、じゃああなたってマゾだったの?」
「何でそうなるんだよ」
「冗談よ」
くすり、といたずらっぽく笑ってみせれば、彼は面倒だとか厄介だとでも言いたそうなカオをして頭をかき、大きなため息をついた。
「あのなあ……話が進まないんだが」
「つまり、わたしの愛は重いのよ。だから、あなたの負担にはなりたくないし、わたし自身も疲れてしまうから、別れましょうってこと」
「お前が疲れるかは別として、俺は負担に思ったことなんてないぞ」
「ウソよ」
「ウソじゃない。何でお前はそう思うんだよ?」
「だって、わたしは汚いから」
「は?」
彼の口から出た「は?」というセリフは、これで何回目になるだろうか。自分でもわかるくらい、わたしは回りくどくて面倒くさい女だ。それなのに、彼は呆れながらも辛抱強くわたしに付き合ってくれる。やっぱりマゾなのかしら。
そんなことを考えながら、わたしは続きを口にした。
「わたしは汚いの。嫌な、ワガママな女なの」
「どこが?」
「わたしは、あなたを愛しているわ。世界の誰よりも、世界で一番あなたがすきよ。わたしは、あなたしかいらないの」
「……そりゃどうも」
セリフだけならばそれは熱烈な愛の告白で、彼もそう思ったのか、少し顔を赤らめている。
――だけど。
「だけど、あなたは違う」
「は? 何言って……」
「わたしにはあなただけなのに、あなたにはたくさん大切なものがあるでしょう?」
家族、友人、その他もろもろ。人には大切なものがたくさんあって、その中で一番なんて決められないし、そもそもそれらは比べられるものではないかもしれない。
でも、わたしにとっては彼が一番で、彼以外は捨てられる自信がある。それほどまでに、わたしの愛は重いのだ。こんな感情、汚いと言わずにいられるだろうか?
「あなたからの愛がわたしだけに向いていないのなら、あなたなんていらない」
頭では、そんなこと無理だってわかっている。それでも、わたしは彼のすべてがほしい。だって、わたしは彼にすべてを捧げているのだから。この世界を捨てたっていい。彼に比べれば、わたしは世界さえもいらない。
「ね? わたしは汚くて嫌な女でしょう?」
わたしの愛は重い。それは彼への依存であり、執着でもある。
依存は重い。執着は醜い。
わたしは、汚い。
「俺は――」
「いいの、何も言わないで。あなたのすべてを手に入れるなんて、無理だってわかっているから」
だから、別れましょう。
あなたなんか、いらないから。