ワン(まあ、うちの陛下は本当に狂ってますよね)
陛下に感覚を移すとちょうど戦場に駆けつけ、死兵を一人切り伏せただんな様を見つけたところだった。
助けられた形になった指揮官役はだんな様に礼ではなく叱責を浴びせた。
「なぜ来た、馬鹿者!」
(この、死兵本当にアドリブ利きますね)
(あはは、キャラ立っちゃたね、殺すのおしくない?)
(うーん、おしいけど殺したほうがあの人の特殊性を強調できるのよね『君だけ生き延びたか、なかなか強いな』って)
だんな様は指揮官役の叱責に反応せず次の相手に踊りかかり首を飛ばし、さらに次の相手を背後から袈裟懸けに切り伏せ、切りかかってきた死兵の刃を避けざまに胴を両断していった。
「うおあああ!」
だんな様の雄たけびが森にこだまし、死をいとわないはずの死兵がひるんだように見えた。
(すっごいねこれ、なんていうか覚悟が)
(愛って偉大ですね)
(あなた……素敵)
のんきな感想だな、陛下。
まあ、陛下が並みの兵百人に匹敵すると評しただけあってだんな様は十人ぐらいいた追手をまたたく間に全員切り倒して見せた。
(じゃあ、そろそろ行くわ)
「はあ、はあ、はぁ」
だんな様の体は返り血で赤黒く染まり死闘によってなえた体を地面につきたてた剣に寄りかかることで倒れることを拒否していた。
精根尽き果てたように見えるのにその目に宿る光は強く、よれば切られそうな空気をまとい、その空気におされ誰もだんな様に声をかけることすらできていなかった。
「お見事、なかなか強いね君」
その空気を軽薄な拍手を響かせながら姿を現した陛下が吹き飛ばした。
「誰だ……お前は?」
(あははは、さっきまで別れを惜しんでいた奥さんだよ、分かってあげなよ)
(愛がどれだけあっても難しいでしょうね)
口調を一変させて声の高さを下げ、銀鎖で飾った真紅のドレスで体格を変え、身長をごまかすためにヒールの高い靴を履き、とどめに竜の頭蓋を模した兜をかぶって顔を隠していればいくら相手が妻でも人間には分からないものだろう。
俺からすれば体臭で一発なんだがな。
「誰だ……か。よろしい、先ほどの健闘に免じて教えてあげよう、私は魔王ゴーデス、君たち人族にあだなす魔族の王だよ」
陛下が十八番である《女帝フェデリカ》の口調で自己紹介をするとだんな様は何を言われたか分からないと言わんばかりの表情をしていた。
「う、うそこけ、こんなところに魔族の王様がいるわけ無いだろ!」
エドがだんな様の心情を代弁したが、本当なんだよなこれが。
「嘘ではないよ、私は戦いが大好きでね、前線以外にいることの方が珍しいぐらいだ」
陛下の言葉を聞いて、だんな様はゆっくりと地面から剣を引き抜いた。
「つまり……お前を殺せばこの戦争は終わるんだな」
それに呼応するように周りの護衛役たちも剣を構える。
(本当にアドリブ利きますねこいつら)
(実は洗脳されてなかったりして)
(そう洗脳した相手に思わせるあたり無駄に名演技ですね)
「どうやら私と遊びたいらしいな。いいだろう少し遊んであげよう」
言葉と共に陛下は抑えていた魔力を解き放った。
「……っ!」
だんな様たちは絶句し身をすくませ、森中にざわめきが響く。鳥や獣たちが身を隠すことを放棄しわれ先に逃げはじめたのだ。
無理もない、慣れているうえ離れた位置にいる俺ですら心臓をわしづかみにされているかのような感覚を味わっているのだ。
敵として目の前にいるだんな様たちは生きた心地すらしていないだろう。
「あう……あ、あ、あうああ!」
その圧迫感に耐え切れずエドが叫び声を上げながら陛下に背を向けて逃げ出し……
「うああああ!」
それに陛下が目を向けた一瞬にだんな様たちは自らの恐怖を打ち払うように叫びながら刃を掲げて飛び込んできた。
「ふむ」
陛下は腕を振り魔力を放ち迎撃、これまで名演技をみせていた護衛役たちは陛下の魔力が直撃して赤黒い血霧に四散した。
だが、だんな様は陛下の攻撃を勘か何かで見切ったのか初見のはずなのに地に伏せるように体を沈みこませることで避け陛下の懐に入って見せた。
そして体を起こす勢いのまま陛下に剣を叩き込もうとしたが、陛下の腕がひらめきだんな様の体をつかみ、勢いを利用して近くの大木に叩きつけた。
「がは!」
だんな様は大木に寄りかかって座り込むように倒れ、それに続くように叩きつけられて折れただんな様の愛剣が地に落ちて澄んだ音色を奏でる。
「くくく、おしかったな」
(いい笑顔してそうだよね、ジュナちゃん)
(まあ、楽しいのでしょうね)
何せ戦闘は陛下の趣味だ、その趣味を愛する人とやるのは楽しいことなのだろう、俺にはまったく分からんが。
「さてと」
つぶやいた陛下は《憤怒剣》を魔法で呼び寄せて、大木に叩きつけられたショックで朦朧としているだんな様の左腕を貫き、背後の大木にぬい止めた。
「ぐあ!」
「お目覚めかな」
陛下は冷笑を演じながらだんな様の顔を覗き込んだ、だんな様はそんな陛下を強く力をこめて睨み返していた。
「……いい目だ。名をなんと言うんだね、君は」
見ほれたような陛下の問いかけに対するだんな様の答えは口から吐き出したツバキだった、陛下はそれを避けずあえて(だろう、たぶん)右頬に受けた。
「お前に名乗る名は無い」
だんな様の目からはかなわずとも屈服はしない、その意思が見て取れた。
陛下は右頬の唾液を指先でぬぐい、それを淫靡なしぐさで舐めとってみせた、そして……
「くっくっく、どうやら君は私と仲良くなりたいようだね」
ぞっとするような笑い声を上げながら狂気の笑みを演じたのだろうが、だんな様の表情はそれでもなお変わらなかった。
「私は戦闘以外にも大好きなものがあってね、何だと思う?」
そう言いながら陛下はだんな様の左腕を貫いている《憤怒剣》をひねった、だんな様は陛下を睨みつけたままだったが小さく苦痛の声をもらした。
「拷問と悲鳴だよ」
(いい笑顔してそうだよね、ジュナちゃん)
(まあ、楽しいのでしょうね)
何せ拷問は陛下の趣味だ、その趣味を愛する人にやるのは楽しいことなのだろう、俺にはまったく分からんが。
「私を楽しませてくれるならば君を愛する妻のところに返してあげよう」
「……なぜ貴様がジュナのことを知っている!」
(そりゃ当のジュナちゃんだからだよ)
(はたで見てると変な会話ですよね)
陛下はだんな様の問いに応えずにかぶっていた兜をとった、当然そこからあらわれるのは陛下の素顔だ。
「その顔は……」
「くくく、どうしたかね、この顔は君の最も愛する女の顔だろ忘れたのかい?ひどい男だ」
陛下は普段とはまったく違うにくったらしい笑顔を演じたのだろう、だんな様の顔は怒りに満ちた。
「その顔をやめろ!」
「……あなた、私のこと嫌いになったの?」
だんな様に怒鳴られた陛下はその瞬間だけ素に戻って言葉を発した、だんな様は一瞬だけ目の前にいるのがもしかしたら本物の妻なのではないかと不安になってしまったらしい。
それを察した陛下は大声で笑い出した。
「くっくっくっくっく、かわいらしいな君は」
(気づかしておいてその言い草)
(かなりたち悪いですよね)
陛下そのままだんな様の右手を取りまるで愛を告白するかのように告げた。
「さあはじめようか、拷問をね。せいぜい楽しませてくれよ、くぅっくくくく!」
内容はどう考えても愛を告げる言葉じゃないが。
(そういえば顔見せたのって意味あるの?後でジュナちゃんとして会ったときに忌避されるだけじゃない?)
(たぶんその忌避される感情を二人で乗り越えるっていうのをやりたいんじゃないですかね)
(ふーん)
聞いといてそんな反応かよ。
「さて、どの指から遊んであげようか、中指、人差し指、薬指、小指、親指。君はどれがいい、意見は最大限尊重するよ」
「今すぐ首を掻っ切って死ね」
「強情だな君は、泣いて許しをこうてくるのが楽しみだ」
言いながら陛下は優しくだんな様の中指を取り……花をたおるかのように優しくへし折った。
「があ!」
「くっくっく、いい悲鳴だね。達してしまいそうだよ」
折った中指をひねり、伸ばし、つぶしながら陛下は本当に楽しそうに笑っていた。
五分ほどたった。
だんな様の右腕は腕ではなく奇怪な芸術作品に変わっていた。
指は手首まで念入りに骨と肉をつぶし伸ばして元の倍の長さと何倍もの面積になり五方に広げて不気味な花弁に見立て、腕は螺旋状に肉をこそぎとられ肉がツタに骨が支柱のごとき状態でひじまでつづき地面に見立ててめくりあがらせた肩の肉へとつづく。
「名づけて《魔王をたたえる華》うむ、我ながらいい出来だ」
陛下は満足そうにそうつぶやくと、だんな様の肩から《魔王をたたえる華》を引き抜いた。
「がは!」
「くっくっく、痛かったかね?」
そう言って陛下は引き抜いただんな様の腕に愛おしそうに舌を這わせた。
(おお、なんかエロいね)
(だんな様そんなこと気にしていられる状態じゃないですけどね)
右腕を散々に遊ばれただんな様は息もたえだえで涙と鼻水とよだれで顔を汚し表情はすでに消えさり生をあきらめていることは明白だった。
「しかし、君の悲鳴は悪くない。どうかね私だけのものになる気は無いかい?」
「……寝言は……寝てから言え」
死を覚悟したらしいだんな様だったがそれでも最後の一線である妻への愛だけは屈することはないようだ。
「つれないなぁ、残念だよ。まあ、私を楽しませてはくれたのは確かだから君を愛する妻のところに返してはあげよう」
その言葉にはだんな様の顔に表情が戻ってきた、目の前にいる最悪な相手にすがるように希望の顔を向ける。
そんなだんな様に対して陛下は邪悪な笑い声を上げた。
「くっくっくっく、嬉しそうだね、楽しみだよ……君が愛してやまない妻で私が遊ぶときにどんな声を聞かせてくれるのか」
だんな様の顔は希望の頂点から絶望の奈落へと一瞬で転落していった。
「……やめろ」
「嫌だね。そうだな君の妻の顔からパーツを一つずつそぎ落としていこうか、豚に両腕と両脚を食わせてその豚に犯させるというのもいいな、オーソドックスに全身の皮を剥ぐというのも捨てがたい、いやまて全部一度にやるというのも可能か……しかし少々品に欠けるな、君はどう思う?」
(自分自身によくそんな拷問しようって気になるね、ジュナちゃんは)
(正直引きますね)
「……ふざけるな!」
陛下のおふざけにだんな様が烈火のごとき怒りを見せると、引き抜かれたはずの右腕が時を遡るように拷問で傷ついた状態で生え、傷が後からつけられたものから癒えていく。
まばたき一回する間に右腕は元どおりに戻り、その腕は当然のように最も手近にあった武器、つまり左腕を貫く憤怒剣をつかみ取った。
銀色の線が視界に映った思ったときには陛下はだんな様から飛びすさっていた。
激痛……視界の端に陛下の右腕が切り離されて落ちていくのが見えた。
(痛い、痛い、痛いって!)
(いや、確かに痛かったですけどそこまで言うほどですか?)
(言うほどでしょ普通、腕を切り落とされたんだよ!)
(俺、昔陛下に前足潰されましたよ)
「くっくっく、いや驚いた。何が驚いたってまさかその剣が君を主として選ぶとは思っていなかった、ますます君の事を気に入ってしまったよ」
俺とエリザの会話をまったく気にもせず陛下は劇を進めていた。
「知った……ことか」
「その剣は《憤怒剣》といってね、魔界の至宝の一つだよ。使いこなせばひょっとしたら私に勝つことも出来るかもしれない」
陛下がそういった瞬間、目の前が揺らいでゆく転移の前兆を感じた。
「私は楽しみは最大限の準備をしてから楽しむ主義でね。準備が出来る日までなごり惜しいがしばしの別れだ」
「……次は殺してやる」
だんな様は最大限の殺意をこめた目を陛下に向けたが、陛下は警戒しているであろうだんな様の懐にたやすく入って、唇を奪った。
「楽しみにしているよ、くぅっくくくくく!」
さまざまな意味で驚くだんな様に陛下は言葉通り楽しげに高笑いをあげた、と同時に視界が切り替わり……
……そこには小さな黒い犬(つまり俺)が地面に伏せていた。
「ケルちゃん、お待たせ。行こうか」
陛下は先ほどまで演じていた極悪の笑顔ではなく可憐といっていい素の笑顔を浮かべていた、夫の右腕で作った芸術作品を抱えているから素の笑顔のほうが怖いが。
陛下はしゃがみこみ、残っている左腕で《魔王をたたえる華》と一緒に俺を抱えあげ、また転移した。
転移した先は華美な壁紙と豪奢なベッドやティーテーブル等の家具がそろった貴婦人の部屋。
「いらっしゃい、お茶入れてるけどいる?」
「ええ、ちょうだいエリザ」
陛下は俺をベットに《魔王をたたえる華》をサイドテーブルに置くと、エリザがすすめるままにティーテーブルについて琥珀色の紅茶を口にした。
俺はアクビを一つして近くのクッションに横になった、魔界の物とは比べ物にならないほどやわらかい感触が俺を包み、すぐに眠りの世界に意識が落ちていく。
「それで、どうだったさっきの劇?」
「あははは、裏側から見てると茶番劇にしか見えないね」
「うう、ひどくない?」
「じゃあ嫌がる夫に性癖を強要する妻の痴態でもいいと思うけど、腕いたぶってたとき二、三度いってたでしょ」
「だ……だって、その、ううう、あの人の声がすごくよかったんだもん」
エリザの笑い声が降り注ぐ、静かにしてほしい。
「ひははは、あははは、ああ笑った笑った、ところでその右腕治さなくていいの?」
「これはいいの、エリザ」
「何で、痛くないの?」
「痛いわ、けれどこの痛みはあの人が私への愛と憎悪のすべてをこめてつけてくれた傷だもん、とても治すような気にならないわ」
何かわりと気が狂ってることを陛下が言っている気がする、まあいつものことか。
ごく普通に恋をして
ごく普通に結ばれた二人
ですが普通でないことが一つ
奥さまはだんな様のすべてを愛していたのです