04 West river 01
透と別れて帰宅した俺は、私服に着替えて街へと足を伸ばした。
歩きながら、今日はどうだろうか。何か変化はあっただろうかと、考えを巡らせてみる。今まで何度同じことを繰り返しただろう。
途中、俺は行きつけの花屋に寄り、いくつか花を包んでもらう。
店主も心得たもので、俺の顔を見るなり、いつも無言で相応しいものを選んでくれる。
俺は店主に礼を言って花を受け取り、目的の場所へと向かった。
エントランスの自動ドアが開くと、その独特な消毒液の臭いが鼻に付く。
時折忙しそうに歩く看護師が目に入る以外、診療時間が過ぎた広いロビーに人影はまばらだ。
俺はロビーを抜け、そのまま入院棟へと歩く。
この先は心が安らぐ唯一の場所だ。
俺はコンソールから仮想世界へ繋がる全ての接続を切断した。
「こんにちは」
「どうも」
すれ違う度に俺は軽く会釈して挨拶する。
何度も来ているので、ここの看護師とは皆顔見知りだ。
面会の受付を済ませ、俺は病室の前に立つ。
ネームプレートに書かれているのは、今の俺とは異なる苗字。
俺はゆっくりとドアを開けた。
大仰な機械に繋がれながら、胸が規則正しく上下している。
ほっとする反面、今回もほんの僅かな奇跡の期待が裏切られる。
ベッドの上、そこに居るのは長い黒髪の少女――――北條東子。
俺の双子の妹。
もう何年も眠ったままだ。
外見は子供の頃から随分変わったが、医学の進歩で体型は年齢相応に保たれている。
一体この状態を維持するのに、毎日どれほどの金額が掛けられているのか。
いかに自分が恵まれた環境に置かれているのかを、改めて思い知らされる。
俺はゆっくりとベッド脇の椅子に腰掛け、静かに語りかける。
「なあ? 聞こえてるか?」
「今日透がさ……」
「透、昨日もバイト駄目だったそうだ……」
「笑えるだろ……?」
「なあ、いい加減起きろよ……」
「東子……ごめん、ごめんな?」
俺にもっと力があれば。無力な自分を何度責めて何度後悔しただろうか。
あの日、俺は父親と妹の心を失い、透は両親を失って心に大きな傷を負った。
『おにいちゃん、トーリくんをおねがい』
それは、俺の手の中で消えていく東子が口にした最後の言葉。
あの時に瞬いて消えた最後の欠片は、一体どこへ行ったのだろうか。
俺は東子の言葉を反芻する。
「分かってる。透のことは任せておけ」
すると、さっき別れた透のことを思い出して、ふとした違和感を感じた。
そう言えば、あの時は何とも思わなかったが、犬養の奴はどうやって透の過去を知ったのか。まるで彼の両親がどうなったのか、知っているような素振りだった。
あんな性格の人間だから、今までそれほど気にも留めていなかったが、そもそも犬養は俺たちとは別のクラスだ。顔を合わせる度に突っ掛かって来るのは、どうも妙な気がする。それにあの時、俺に向かって「その資格がある」と言っていたのも気に掛かる。一度、調べてみる価値がありそうだ。
俺は、あの日の透と東子に繋がる情報なら、些細な事さえも見逃しはしない。どんな細い糸でも手繰り寄せ、必ずその奥にある真相を暴き出す。
あの日以来、俺は復讐に燃える修羅となった。俺たちをこんな目に遭わせた連中は決して許さない。一人残らず八つ裂きにして、地獄の底に叩き落としてやる。
病室の扉がノックされて、看護師から声が掛かった。
そろそろ面会時間は終了のようだ。
「また来るからな」
俺は静かに眠る東子に笑顔で声を掛け、そして病室を後にした。
俺が次に向かったのは、路地の奥。蔦に覆われた欧風の建物。
鈍く光る看板には『Waiting Bar AVANTE』と書かれている。
ウェイティングバーというのは、メインの店へ行く前に立ち寄る店。つまりは食前酒を出す店のことだ。
まあ、俺にとっては「仕事に行く前」での意味合いが強い。
俺は木製の小洒落れた扉に手を掛ける。中から聞こえて来るのは生演奏の音色。
扉を引くと、取り付けられたベルが澄んだ音で辺りに響き、旋律がゆったりとした時間を運んでくる。店内は薄暗く、男女二人連れの客が多かった。恋人同士で話すには丁度良い雰囲気なのだろう。
「いらっしゃいませ。奥へどうぞ」
馴染みの店員が俺に気付くと、そのまま店の奥にあるシークレットルームに案内する。この奥は政府公認、バベルと契約している賞金稼ぎ達の社交場だ。賞金首、噂話、世界中の大小様々な情報がここに集まっている。
「よう! 坊ちゃん、いらっしゃい」
充満する煙草の臭いと一緒に俺を出迎えてくれたのは、カウンターの向こう――バーテンダースーツに身を包んだ壮年の男。一目見て分かるのはその体格だろうか。その隆々とした筋肉はスーツがはち切れんばかりだ。
「小さな子供じゃないんだから、もういい加減、"坊ちゃん”はよしてくれないか?」
言いながら、俺はカウンター席に腰を下ろす。
「分かったよ。坊ちゃん」
白い歯を出してニヤリとする、この人はゲンさん。
元傭兵で、世界中の戦場を駆け抜けてきた歴戦の猛者。今はバベルの元、マスターの肩書きで店を切り盛りしつつ、賞金稼ぎ達の相手をしている。
あの日以来、俺は「北條」の名を捨てて母方の姓を名乗り、この道に入った。その頃から、ゲンさんには格闘術、銃器の取り扱いから電子戦まで、ありとあらゆるものを叩き込まれている。
この年齢で活動できるのも、全てゲンさんのお蔭だ。俺など実戦経験やセンス、その豪気な性格に至るまで、未だ足元にも及ばない。おそらく一生敵わない相手だろう。
「ゲンさん、奴等の動きは何か入ってる?」
席に着いた俺は、いつもの決まり文句を口にする。
「今のところは何もねぇな。キナ臭い動きすらない。そう言えば、昨日ハニーポットに引っ掛かったのは小物だけか?」
「そそ、取られちゃったけどね」
「あの嬢ちゃんだな?」
「やっぱり知ってたか」
俺は苦笑する。
「嬢ちゃんがわざわざ出張ってくるとはなぁ。ダブルブッキングか……珍しいな。うちの中で依頼が重なることは無いはずなんだが」
無精髭に覆われた顎を擦りながら、ゲンさんは首を傾げた。
「確かにそうだね。依頼は一人一案件と決まってる。バベル以外から依頼を受けた可能性は?」
「どうだろうな。あの嬢ちゃんに関しては、こっちも何も知らされちゃいねぇからな。その可能性が無いとは言い切れん。なんだか悪いことしちまったな。うちも縦割りだからよぅ……うーん」
ゲンさんが腕を組みながら唸る。
昨晩の一件はゲンさんから数日前に依頼を受けていた。透には「たまたまそこに」などと言ってしまったが、おそらくあの彼女も以前から依頼を受けていて、罠に引っ掛かる侵入者を監視していたのだろう。
「ハニーポットを仕掛けたのはゲンさんじゃないの?」
「違うな。あれは他の連中がやったんだ。そこらの掲示板に落書きしただけだろう? そんなもんじゃ、普通は小魚も釣れんだろ。俺ならもっと上手くやる」
そう言って、ゲンさんは白い歯を見せる。
俺は小魚にも劣った昨晩の侵入者に少しだけ同情した。
「ま、今回のことは俺から上に報告しておく。仕事の重複はリソースの無駄遣いだからな。あとは……お前さん、あれ知ってるか?」
ゲンさんがカウンターに設置されたモニターを顎で指す。
そこに映し出されているのは、メタリックな外装で覆われた球型の物体。
「拠点防衛用エクスプローラー"アイギス”だってよ。我らがバベル様と、お前さんの会社が共同で作ったそうだ。よくもまあ、こんなもん作ったもんだな。あっちでドンパチおっぱじめるつもりなのかね」
ゲンさんが肩を竦める。
「初めて見たけど、俺には関係なさそうだ。それよりゲンさん、あそこは俺の会社なんかじゃないよ」
「似たようなもんだろう? 立派な跡継ぎじゃねぇか」
「よしてくれよ。今の俺は〝北條”じゃない」
俺はそう言いながら少し俯く。
「最近会ってないが、会長様は元気か?」
「たぶんね。住んでる場所が違うから、会うのはせいぜい月に一度くらい。まあ、元気だと思う」
「そうかそうか。俺も大事な孫を預かってる以上、たまには顔くらい出しておかないとな」
「そんなこと、いちいち気にする人ではないと思うけど?」
「大人の世界はそういうわけにいかないんだよ。お前さん、初めて俺んとこに来た日のこと、覚えてるか?」
ゲンさんが煙草に火を点けながら言う。
「当時は必死だったから、あまり覚えてないよ」
「あの会長様が俺に向かって、"孫をよろしくお願いします”って、頭下げたんだぞ?」
「ほんとに?」
知らなかった。
あの祖父が人に頭を下げるなんて見たことがない。
「嘘なわけないだろう。それだけお前さんのことを思ってるってこった。まあ、言葉は悪いかも知れないが、あの妹さん以外、唯一の家族だからな」
ゲンさんが紫煙を燻らせる。
「そうだね……家族か」
さっき病院で見た東子の姿を思い返す。
確かに本当の意味で家族と呼べるのは、今ではもう祖父一人だけなのかも知れなかった。
「しんみりしちまったか? まあ、今日はどのみち大したネタはねぇから、そろそろ帰ったらどうだ?」
「そうするよ。あとは……ああ、そうだ。ちょっとゲンさんに調べて貰いたい人間がいるんだ。うちの学園の生徒、犬養國昭って奴を探って欲しい」
「犬養? 犬養ねぇ……どっかで聞いたような苗字だな。分かった、調べておく」
そして俺は席を立った。
ゲンさんがバーボンの入ったグラスを軽く上げて、"またな”の合図。
俺は軽く挨拶して店を出る。
店出ると、時間は深夜をやや過ぎたあたりだった。それでも街のネオンが消えることはなく、通りには多くの人々が行き交っている。
接続を切っていたコンソールを起動すると、随分とメールが溜まっていた。送信元はそのほとんどが知らない女子生徒ばかり。一体どこから連絡先が漏れるのか。うんざりしながら削除していく。
残りは幼馴染のものだったが、その中に透のメールも混じっていた。あいつが俺にメールを出すのは珍しい。内容を確認すると、そこには今日の礼とバイトの最高記録達成が書かれており、自然に笑みが漏れた。
喧騒の中を歩きながら、俺は表の日常に思いを馳せる。
そうだな、明日は透にモーニングコールでも入れてやろう。折角だから、歌と踊りを付けてみたら面白そうだ。爆笑する顔を想像して、俺は一人ほくそ笑む。
あとは、俺が寝坊して逆に起こされてしまったら、計画が台無しになってしまう。目覚ましは掛けておかないと。今度は小姑みたいな幼馴染がむくれている姿を思い浮かべた。
よし、これでいこう。
方針が決まった俺は、いつもより少しだけ急ぎ足で帰宅するのだった。