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Code;π  作者: 藤文章
虚構の楼閣
4/18

04 West river 01

 透と別れて帰宅した俺は、私服に着替えて街へと足を伸ばした。

 歩きながら、今日はどうだろうか。何か変化はあっただろうかと、考えを巡らせてみる。今まで何度同じことを繰り返しただろう。


 途中、俺は行きつけの花屋に寄り、いくつか花を包んでもらう。

 店主も心得たもので、俺の顔を見るなり、いつも無言で相応しいものを選んでくれる。

 俺は店主に礼を言って花を受け取り、目的の場所へと向かった。




 エントランスの自動ドアが開くと、その独特な消毒液の臭いが鼻に付く。

 時折忙しそうに歩く看護師が目に入る以外、診療時間が過ぎた広いロビーに人影はまばらだ。

 俺はロビーを抜け、そのまま入院棟へと歩く。

 この先は心が安らぐ唯一の場所だ。

 俺はコンソールから仮想世界へ繋がる全ての接続を切断した。


「こんにちは」


「どうも」


 すれ違う度に俺は軽く会釈して挨拶する。

 何度も来ているので、ここの看護師とは皆顔見知りだ。


 面会の受付を済ませ、俺は病室の前に立つ。

 ネームプレートに書かれているのは、今の俺とは異なる苗字。

 俺はゆっくりとドアを開けた。


 大仰な機械に繋がれながら、胸が規則正しく上下している。

 ほっとする反面、今回もほんの僅かな奇跡の期待が裏切られる。


 ベッドの上、そこに居るのは長い黒髪の少女――――北條東子。


 俺の双子の妹。

 もう何年も眠ったままだ。

 外見は子供の頃から随分変わったが、医学の進歩で体型は年齢相応に保たれている。

 一体この状態を維持するのに、毎日どれほどの金額が掛けられているのか。

 いかに自分が恵まれた環境に置かれているのかを、改めて思い知らされる。


 俺はゆっくりとベッド脇の椅子に腰掛け、静かに語りかける。


「なあ? 聞こえてるか?」


「今日透がさ……」


「透、昨日もバイト駄目だったそうだ……」


「笑えるだろ……?」


「なあ、いい加減起きろよ……」


「東子……ごめん、ごめんな?」


 俺にもっと力があれば。無力な自分を何度責めて何度後悔しただろうか。

 あの日、俺は父親と妹の心を失い、透は両親を失って心に大きな傷を負った。


『おにいちゃん、トーリくんをおねがい』


 それは、俺の手の中で消えていく東子が口にした最後の言葉。

 あの時に瞬いて消えた最後の欠片は、一体どこへ行ったのだろうか。


 俺は東子の言葉を反芻(はんすう)する。


「分かってる。透のことは任せておけ」


 すると、さっき別れた透のことを思い出して、ふとした違和感を感じた。

 そう言えば、あの時は何とも思わなかったが、犬養の奴はどうやって透の過去を知ったのか。まるで彼の両親がどうなったのか、知っているような素振りだった。

 あんな性格の人間だから、今までそれほど気にも留めていなかったが、そもそも犬養は俺たちとは別のクラスだ。顔を合わせる度に突っ掛かって来るのは、どうも妙な気がする。それにあの時、俺に向かって「その資格がある」と言っていたのも気に掛かる。一度、調べてみる価値がありそうだ。


 俺は、あの日の透と東子に繋がる情報なら、些細な事さえも見逃しはしない。どんな細い糸でも手繰り寄せ、必ずその奥にある真相を暴き出す。

 あの日以来、俺は復讐に燃える修羅となった。俺たちをこんな目に遭わせた連中は決して許さない。一人残らず八つ裂きにして、地獄の底に叩き落としてやる。



 病室の扉がノックされて、看護師から声が掛かった。

 そろそろ面会時間は終了のようだ。


「また来るからな」


 俺は静かに眠る東子に笑顔で声を掛け、そして病室を後にした。





 俺が次に向かったのは、路地の奥。蔦に覆われた欧風の建物。

 鈍く光る看板には『Waiting Bar AVANTE』(アバンテ)と書かれている。

 ウェイティングバーというのは、メインの店へ行く前に立ち寄る店。つまりは食前酒を出す店のことだ。

 まあ、俺にとっては「仕事に行く前」での意味合いが強い。


 俺は木製の小洒落れた扉に手を掛ける。中から聞こえて来るのは生演奏(ピアノ)の音色。

 扉を引くと、取り付けられたベルが澄んだ音で辺りに響き、旋律がゆったりとした時間を運んでくる。店内は薄暗く、男女二人連れの客が多かった。恋人同士で話すには丁度良い雰囲気なのだろう。


「いらっしゃいませ。奥へどうぞ」


 馴染みの店員が俺に気付くと、そのまま店の奥にあるシークレットルーム(秘密部屋)に案内する。この奥は政府公認、バベルと契約している賞金稼ぎ(バウンティハンター)達の社交場だ。賞金首、噂話、世界中の大小様々な情報がここに集まっている。


「よう! 坊ちゃん、いらっしゃい」


 充満する煙草の臭いと一緒に俺を出迎えてくれたのは、カウンターの向こう――バーテンダースーツに身を包んだ壮年の男。一目見て分かるのはその体格だろうか。その隆々とした筋肉はスーツがはち切れんばかりだ。


「小さな子供じゃないんだから、もういい加減、"坊ちゃん”はよしてくれないか?」


 言いながら、俺はカウンター席に腰を下ろす。


「分かったよ。坊ちゃん」


 白い歯を出してニヤリとする、この人はゲンさん。

 元傭兵で、世界中の戦場を駆け抜けてきた歴戦の猛者。今はバベルの元、マスターの肩書きで店を切り盛りしつつ、賞金稼ぎ達の相手をしている。

  あの日以来、俺は「北條」の名を捨てて母方の姓を名乗り、この道(賞金稼ぎ)に入った。その頃から、ゲンさんには格闘術、銃器の取り扱いから電子戦まで、ありとあらゆるものを叩き込まれている。

 この年齢で活動できるのも、全てゲンさんのお蔭だ。俺など実戦経験やセンス、その豪気な性格に至るまで、未だ足元にも及ばない。おそらく一生敵わない相手だろう。


「ゲンさん、奴等の動きは何か入ってる?」


 席に着いた俺は、いつもの決まり文句を口にする。


「今のところは何もねぇな。キナ臭い動きすらない。そう言えば、昨日ハニーポット()に引っ掛かったのは小物だけか?」


「そそ、取られちゃったけどね」


「あの嬢ちゃんだな?」


「やっぱり知ってたか」


 俺は苦笑する。


「嬢ちゃんがわざわざ出張ってくるとはなぁ。ダブルブッキング(重複依頼)か……珍しいな。うち(バベル)の中で依頼が重なることは無いはずなんだが」


 無精髭に覆われた顎を擦りながら、ゲンさんは首を(かし)げた。


「確かにそうだね。依頼は一人一案件と決まってる。バベル以外から依頼を受けた可能性は?」


「どうだろうな。あの嬢ちゃんに関しては、こっちも何も知らされちゃいねぇからな。その可能性が無いとは言い切れん。なんだか悪いことしちまったな。うち(バベル)も縦割りだからよぅ……うーん」


 ゲンさんが腕を組みながら唸る。

 昨晩の一件はゲンさんから数日前に依頼を受けていた。透には「たまたまそこに」などと言ってしまったが、おそらくあの彼女も以前から依頼を受けていて、罠に引っ掛かる侵入者を監視していたのだろう。


「ハニーポットを仕掛けたのはゲンさんじゃないの?」


「違うな。あれは他の連中がやったんだ。そこらの掲示板に落書きしただけだろう? そんなもんじゃ、普通は小魚も釣れんだろ。俺ならもっと上手くやる」


 そう言って、ゲンさんは白い歯を見せる。

 俺は小魚にも劣った昨晩の侵入者に少しだけ同情した。


「ま、今回のことは俺から上に報告しておく。仕事の重複はリソース(人員)の無駄遣いだからな。あとは……お前さん、あれ知ってるか?」


 ゲンさんがカウンターに設置されたモニターを顎で指す。

 そこに映し出されているのは、メタリックな外装で覆われた球型の物体。


「拠点防衛用エクスプローラー"アイギス”だってよ。我らがバベル様と、お前さんの会社が共同で作ったそうだ。よくもまあ、こんなもん作ったもんだな。あっち(仮想世界)でドンパチおっぱじめるつもりなのかね」


 ゲンさんが肩を竦める。


「初めて見たけど、俺には関係なさそうだ。それよりゲンさん、あそこは俺の会社なんかじゃないよ」


「似たようなもんだろう? 立派な跡継ぎじゃねぇか」


「よしてくれよ。今の俺は〝北條”じゃない」


 俺はそう言いながら少し俯く。


「最近会ってないが、会長様は元気か?」


「たぶんね。住んでる場所が違うから、会うのはせいぜい月に一度くらい。まあ、元気だと思う」


「そうかそうか。俺も大事な孫を預かってる以上、たまには顔くらい出しておかないとな」


「そんなこと、いちいち気にする人ではないと思うけど?」


「大人の世界はそういうわけにいかないんだよ。お前さん、初めて俺んとこに来た日のこと、覚えてるか?」


 ゲンさんが煙草に火を点けながら言う。


「当時は必死だったから、あまり覚えてないよ」


「あの会長様が俺に向かって、"孫をよろしくお願いします”って、頭下げたんだぞ?」


「ほんとに?」


 知らなかった。

 あの祖父が人に頭を下げるなんて見たことがない。


「嘘なわけないだろう。それだけお前さんのことを思ってるってこった。まあ、言葉は悪いかも知れないが、あの妹さん以外、唯一の家族だからな」


 ゲンさんが紫煙を(くゆ)らせる。


「そうだね……家族か」


 さっき病院で見た東子の姿を思い返す。

 確かに本当の意味で家族と呼べるのは、今ではもう祖父一人だけなのかも知れなかった。


「しんみりしちまったか? まあ、今日はどのみち大したネタはねぇから、そろそろ帰ったらどうだ?」


「そうするよ。あとは……ああ、そうだ。ちょっとゲンさんに調べて貰いたい人間がいるんだ。うちの学園の生徒、犬養國昭って奴を探って欲しい」


「犬養? 犬養ねぇ……どっかで聞いたような苗字だな。分かった、調べておく」


 そして俺は席を立った。

 ゲンさんがバーボンの入ったグラスを軽く上げて、"またな”の合図。

 俺は軽く挨拶して店を出る。




 店出ると、時間は深夜をやや過ぎたあたりだった。それでも街のネオンが消えることはなく、通りには多くの人々が行き交っている。


 接続を切っていたコンソールを起動すると、随分とメールが溜まっていた。送信元はそのほとんどが知らない女子生徒ばかり。一体どこから連絡先が漏れるのか。うんざりしながら削除していく。

 残りは幼馴染のものだったが、その中に透のメールも混じっていた。あいつが俺にメールを出すのは珍しい。内容を確認すると、そこには今日の礼とバイトの最高記録達成が書かれており、自然に笑みが漏れた。


 喧騒の中を歩きながら、俺は表の日常に思いを馳せる。

 そうだな、明日は透にモーニングコールでも入れてやろう。折角だから、歌と踊りを付けてみたら面白そうだ。爆笑する顔を想像して、俺は一人ほくそ笑む。

 あとは、俺が寝坊して逆に起こされてしまったら、計画が台無しになってしまう。目覚ましは掛けておかないと。今度は小姑みたいな幼馴染がむくれている姿を思い浮かべた。


 よし、これでいこう。

 方針が決まった俺は、いつもより少しだけ急ぎ足で帰宅するのだった。

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