02 God only knows
俺――――時遠透の脳内に埋め込まれたチップは、すこぶる性能が低いらしい。らしいというのは、俺自身には全く分からないからだ。
何でも、デジタルデータを人間の脳に分かるように変換する機能が、異様に低いとか……そんなの説明されても分からない。
へぇ、皆さんの頭ん中はそうなってるんだ? って程度しか理解ができてない。
もうね、「分からないこと」が「分からない」。諦めの境地。
通常はここまで脳チップの性能が低いというのはありえないとか。以前、専門の病院で検査を受けたこともある。しかしながら、結果はいたって正常。不具合なし。
ただ、診察した医師の話では、俺のチップはかなり古いモデルらしくて、他の人と比べてやたらに大きいとの事。初期の安物でも、ここまでがっかりな性能ではないとも言っていたが、俺に関して言えば、「大は小を兼ねる」の言葉は間違っているわけだ。
とにかく、こんな感じで仮想世界での俺は、何をしても要領が悪い。では、逆に現実世界では優秀なのかと聞かれたら……ごめんなさい。やっぱりどちらの世界でも同じでした。現代社会不適格人間。
こうなると、本当にがっかりなのはお前さんの脳味噌だよねってのが医師の結論。
そりゃ、自分でも分かっちゃいるけどさ、実際に面と向かって言われると結構凹むんだこれが。
「あちゃー、これだけやって8Ptかよ。もう、他のバイト探そうかな。できればリアルの方で」
今日もバイトが終わり、俺は一人愚痴る。このバイトを始めてからというもの、やけに独り言が増えたような気がする。
仕事内容は至って単純。仮想世界での掃除。「誰にでもできる簡単なお仕事です」と、実際に働いてる人が嘘偽りなく、心からの笑顔で答えてくれるような内容。学生や年配が空いた時間に入るわけだから、難しい仕事のわけがない。
正直な話、刺身パックにタンポポを載せる仕事と大して変わらない。いや、そんな仕事が本当にあるのかは知らないけどさ。
で、なぜそんな簡単な仕事ができないかって言うと、やっぱり「分からないこと」が「分からない」以下ループ。
まずツールが使えない。
学生たちは皆自分で簡単なスクリプトを組んで、クラスターと呼ばれてるものを削除している。それは仮想空間のゴミだったり、削除に失敗したプログラムの断片。でも、俺にはそんな簡単なスクリプトさえ組めない。他人に作って貰った物さえ、満足に実行できない。
はい、そうです。「分からないこと」が「分からな――――
もちろん、バイトする人の中には、年配の人も居るわけで、そんな人のために救済策もしっかり用意されている。
バラクーダ。名前はやたらとカッコイイが、外見はどう見てもxx電気あたりで売ってるハンディクリーナーです。ほんとに――思わずお礼を言いたくなるくらい。
スクリプトが組めない人は、それを持たされて掃除をする。まあ、外見が掃除機なだけで、吸い込んだ時点で破壊削除されてるそうだけど。
仮想空間で吸引力が落ちない、ただひとつの掃除機。中身はサイクロン機構だったりするのかね。ちなみに俺と仲の良い婆ちゃんはバラ君と呼んでいる。
そう、今日もバラ君片手に頑張ったものの、それさえまともに起動できなかった。何度も失敗して、削除できたクラスターで8pt。単純に言うと、拾った空き缶8個。
俺が使うバラ君だけ、毎回細工されてるんじゃないかと思う。
どこか秘密組織の陰謀とかどうだろう?
それなら、バラ君を細工して得するのは誰だ?
クラスターだ。
きっと犯人はゴミだ。仮想世界のゴミに違いない。
悪い意味でヤバいな俺……。
さて、こんな俺たちに仕事を斡旋しているのは、中央情報統括機構。通称バベル。スイスに拠点を置く、国際的な非営利団体だ。
本部の建物はピーテル・ブリューゲルの絵画をモチーフとして造られており、主に仮想世界の維持と管理を目的として設立された。(民明書房刊 ウィッキー先生とペディア博士の……)なんだこれ。
ただ、実際のところ、バイトしてる大半の連中からすれば、「なんだか凄いことをしていて、仕事をくれるありがたい団体」程度の感覚でしかない。俺も含む。
とまあ、このバベルが世界中の学生と年配者向けにこんな掃除の仕事を斡旋しているわけだ。
そして気になる賃金。俺が日々頑張ってるクラスター削除のレートは1Ptあたり、テロルチョコ5個分くらい。数が多くなるとレートは上がり、数が少なくなるとレートは下がる。
例えば、企業のデータが大量に流れる年度末になるとレートが上がり、年始や夏季休暇のあたりになるとレートが下がる。つまり、株価のように人間の経済活動次第でクラスターの数は増減する。
実入りは良くないが、我が国の年配者にとっては過去大幅に減額された年金の他に得られる、貴重な収入だ。もちろん俺たち学生にとっても貴重で、1日3時間と決められてはいるものの、俺を除いた一般的な学生であれば、放課後2時間程度を働けば月の小遣いと昼飯代程度にはなる。
某友人から聞いた話では、高ランクになると賞金稼ぎとして国や企業からお墨付きを貰って依頼を受け、自営業として開業をすることも可能だそうだ。
もっとも、仕事の内容は公園で空き缶拾うのと、宇宙空間でスペースデブリを処理する程の差がある。特に、一般公開されないような上位の悪質プログラムやクラッカーには、削除や捕獲、逮捕に膨大な賞金が掛けられているそうだ。
どうでもいいが、「株価もクラスターくらい素直に動けばなぁ」とは、死んだ爺ちゃんの口癖だったり。
なんだか色々と余計なことを考えてしまった。
一度考えが脇道に逸れると、なかなか修正できなくなるのが俺の悪い癖だ。
相変わらずブツブツと独り言を呟きながら、俺はコンソールを呼び出す……正確には思い浮かべると言った方が正しいのか? とにかくコンソールを呼び出した。
目の前に投影されたのは、いつも見慣れたショートカットが並ぶ半透明の操作画面。いつものごとく『仕事』から『作業報告書』を選択する。
『注意!!業務を終了する際には必ず成果報告を行ってください。報告をせずにログアウトすると、成果が正しく保存されない場合があります』
毎度のウザいメッセージ。
非表示にできないのかこれ。
「はいはい、分かってますよと」
作業報告書とは言っても、成果のカウントは自動で行われるため、基本的にカウント数が正しいかどうか確認して『はい』を選ぶだけだ。
報告を終えて瞬時に更新されたのは、今日の作業者一覧。もちろん個人情報になるので、氏名は公開されない。作業毎にランダムで振られるIDでの確認だ。
まあ、俺の順位は毎回IDなんてなくても、すぐ分かる。今日も下から2番目。最下位はおそらく、御年76歳になる疋田舞さん。ボケ防止のために始めたそうで、一度業務連絡のメールを入れて以来、何かにつけて連絡をくれる気さくな婆ちゃん。バラ君の名付け親。
名前だけはかわいらしいよな。せめてあと60歳若ければ。
いや、どうでもいいか。
俺はまた下らないことを考えながら、今日の上位ランカーに目を移す。
そこには……
1、+qNcqRhjpTtKB6nZ 侵入者拘束 付帯業務有 1500Pt
2、v5igsXgmsTWiZT/r 不正プログラム捕獲 100Pt
3、Y0IMJBwzZ988KzFd 小型ウィルス削除 85Pt
見た途端、自分が今まで歩んできた人生を全力で否定したくなる。まあ、否定できる程の人生を歩んで来たわけでもないけど。
1位の1500Ptなんて、初めて見る数字。下手すりゃ俺の1ヶ月分のバイト代よりも多い。下手しなくても絶対多い。テロルチョコ超大人買い。
普段はせいぜい2位の100Pt前後が上限。3位以下は割と良く見る数字だ。それでも俺の仕事とは、削除するモノ自体が大きく違うような気がする。
この嫌味な1位はどんな奴だろうと思案していると、誰かがシフトしてくる気配にちょっと溜め息。すぐに誰だか分かってしまう程に、俺は友達が少ない。情けないけど、多けりゃ良いってものでもないよな。
「よう、トーリ。バイトお疲れ」
「……」
すぐ近くに現れた人物から、名前を呼ばれたようだが、少しだけシカト。
ちょっとツンを演じてみる。特に深い意味はない。
「えっと、誰だっけ?」
当然誰だか分かってる。分かってるんだけどさ。
ちょっと反応が見たい。
「ひでぇな……お前の親友、西川だよ」
なるほど。自己紹介するのか。
「そうそう、俺の知り合いの四川だった」
からかってみよう。
「なんか変だヨ、それ漢字違うヨ、そもそも読み方違うヨ、西川だヨ。『親友』の西川!!」
凄い早口だ――こう来たか。
お前どこの国の人だヨ?
やたら『親友』以降をゆっくりと強調して叫んだこの人物。俺の親友……いや、友人の西川秀光だ。
知り合ったのは学園入学の前、爺ちゃんの葬儀の時だったか。まあ、知り合ったその状況もあってか、孤立しがちな俺の学園生活の中、普段から気を掛けてくれている。
180cmを超える長身でやけに大人びた風貌、成績優秀、スポーツ万能。おまけに人当たりも良くて、金持ちのスーパーマンときたもんだ。当然女性の皆様に大人気の物件。
そんな奴、普通居るわけないだろ。今すぐ少女漫画にカ・エ・レ。
「はいはい、“西川”ね。今ちょっと機嫌が悪いんだ」
「んー? 機嫌悪いってどうした?」
もちろん、心の広い俺はお前を僻んでるからとは言わない。
俺はこいつを僻んでること自体を理解している。まだ大丈夫だ。
「今日の掃除なんだけどさ、3時間も粘ってたった8Ptだよ。もうね、やってらんない。だいたい、今日の1位って何ですかこれ?」
「あぁ、それな。詳しくは知らんが、特別な依頼だったらしい」
「特別な依頼?」
「そそ。普通、危険な案件は、まあ当たり前だが、うちらのバイトには回されないんだけどな。今回はたまたまそこで作業してた奴が請け負ったそうだ。それもかなり腕の立つ奴だったみたいだな」
いつも思うんだが、こいつは一体どこから情報を仕入れてるんだろう。
下らないネタから時事ネタまで、何でも知ってる。
頭にクルクル回るアンテナでも付いてるのか。
「ふーん、腕の立つ奴が俺らみたいな掃除のバイトなんてしてるのか? どんな奴だろ?」
「さあな? 魔女みたいに怖い奴じゃないか?」
西川が笑いながら言う。
お伽話じゃあるまいし、それは無いだろ。
そこはかとなく、はぐらかされてる気もするけどな。
「ところで西川、そっちの成果は?」
「俺は54ptってとこだ。今日はちょっと少ないかもな」
さも当然のように、普段からそうですが何か? みたいな様子で語る西川。
世の中絶対に間違ってる。
「……じゃあな。元親友の北川君」
なんだか、無性に腹が立ってきた。
頑張っても頑張っても報われない。
何ですか、この資本主義社会の縮図。
俺はコンソールからログアウトを選択しようと手を伸ばす。
「ちょ、ちょっと待てぇ……うっ、うえっ、親、親友の『西川』だってぇの」
おいおい。頼むから、こんなところでいきなり泣きべそかくなよ。
冗談なのはもちろん分かっているが、やたらと演技が上手い。
周りの目を一切気にしない、そんなエキセントリックなところが、西川を西川たらしめている1つの要因だとも思う。
「だいたいさ、お前の家金持ちなんだから、バイトする必要ないだろ?」
「はっはっは!!否ッ!! 苦学生が毎日汗水垂らして働いてる時に、親友の俺が家で、のほほんとお茶してる訳にはいかんだろ!?」
突然腰に両手を当てて力説する。立ち直り早っ。
でも、カッコつける前に鼻水くらい拭こうな。
まあ、西川はこう言っているが、実際は爺ちゃんがある程度遺産を残してくれたお蔭で、それほど生活に困っているわけじゃない。かといって、せっかく遺してくれた遺産を食い潰す生活はどうもね。
「あっそ。で、これからどうすんの?」
「うーん、これからダイブでもしようかと思ってな。先に用を足して来たんだよ。もし、ノってる時に強制落ち喰らったら泣けるしな」
限りなく現実に近い仮想空間とは言え、本来の肉体は現実世界にある。当然ながら、病気や生理現象はどうにもならない。そのため、各神経は脳のチップを介して常にモニターされている。現実の肉体に何かしらの異常が感知されると、その場で強制的にログアウトされるしくみだ。
「……ダイブね」
俺はちょっぴり遠い目。
「ああ、そういやトーリは駄目だったな……ぷっ!」
言って西川が突然吹き出す。
(仮想世界でも、しっかり唾は飛ぶんだ……って、おい! 汚ねぇな)
俺はギリギリで身をかわす。
そう、前に一度だけ西川に誘われて試したんだっけ。あれはマズかった。ダイブした途端にヘルスモニターが反応して強制ログアウト。あの時、強制ログアウトするのにも、やたらに時間が掛かった。そしてリアルに戻ってからが更にマズかった。気分が悪くなって30分近くトイレで吐きまくった。
校内でも特に禁止されてないし、どこにも有害なんて報告されてないのに、俺だけこのザマだ。がっかり性能ここに極まれり。
「頼むから、トラウマをほじくり返さないでくれ」
思い出しただけで、あの時の悪夢が蘇る。
ネットでは情報収集のため、クローラーと呼ばれるプログラムが多数周回している。それは国や企業だったり、個人的なものだったり、規模や持ち主も様々だ。
ダイブってのはクローラーの周回ルートが重なる場所。クロスポイントにタイミングを見計らって飛び降りることだ。特に巨大なクローラー同士が交差した瞬間にダイブすると、脳内のチップを通して強烈な刺激を受けるらしい。脳内麻薬がどうとかって話だ。
「すまん。さっきジュピターが来たって騒いでたもんでな」
「ジュピター? ああ、バベルのクローラーだっけ?」
「そそ。あのバカデカイやつな。今日ダイブしてた連中は男も女も皆イキまくったそうだ。俺もあと少しだけバイトが早く終わればノれたのにな」
西川はちょっと悔しそうにしている。
俺にはどこが良いのかさっぱり分からん。
「またそのうち来るだろ。さてと、俺はそろそろ帰るけど、西川はどうする?」
「うーん、話し込んじまったし、俺も帰るかな」
「そっか、じゃあまた明日」
「おう」
お互いに軽く手を上げた後、ログアウトを行なう。
西川は光の粒子となって、さっさと消え去った。
で、もう一方の俺は未だにログアウト中……いつもこれ。
さすがに慣れたけど。
ボケーっと待つこと数分。ようやくログアウトが完了する。
『セッションを終了しました』
軽い眩暈を感じながら、エイリアスから生身の肉体へと感覚が切り替わる。
俺はヘルスモニターのリストバンドを外して起き上がった。ここは学園内のアクセスルーム。
大きく伸びをしながら周りを見ると、卵を半分に割ったようなカプセルがずらーっと並んでいる。これ1台いくらするんだろうな。
うちの学園、護羽学園は国といくつかの企業が共同出資して設立した実験校の1つだ。その中には、脳内のチップを開発している会社も含まれている。
設備は一流、教師陣もその筋では有名な人達だそうだ。学生にしても、その大半は金持ちの子弟ばかり。なんで俺がこんなとこに居るのか不思議でならない。
元々は爺ちゃんのコネと聞かされているが、当の本人からはもう聞けないので、詳細は不明。入試免除、面接免除、さすがに学費だけは免除にならなかったけど。
生きてるうちに詳しく聞いておけば良かった。当初は、こんなレベルの高い学園だとは思ってもなかったしな。
身支度を終えて、大きな欠伸をひとつ。ポツポツとまだ学生の姿は残っているが、西川の姿は見えない。あいつ、家からアクセスしてたのかね。
俺は鞄を背負って帰宅の途に就く。
さっさと帰ろう。腹減った。