ノート ~探求の国~
~探求の国・Coute~
好奇心旺盛な子供『コディル』たちの住む国。
彼らは何にでも興味を持ち、すぐ調べたがる。
調べたものは調査書にまとめられ、国の書庫に保管される。
コディルは「個人」という概念が希薄で、名前というものがない。
頭の真上に太陽が居座って、くらくらする。乾いた強い風がそこらじゅうの砂を巻き上げ、ごうごうと鳴っていた。
ぼくは大きなスケッチブックをしかと抱き締めて、目の前に横たわるおじいさんを見つめた。
「おじいさん、ぼくはどこからきたの?」
おじいさんは随分前から開かない瞼をぴくりと震わせただけで、何も言わなかった。
「でも……ぼくはコディルだから、じぶんでさがさなきゃ」
ひときわ強い風が吹き付け、ぼくは思わず目をぎゅっとつむった。また目を開いた時、おじいさんはもう眠ってしまっていた。
「おやすみなさい」
ぼろりぼろりと涙が落ちた。
「あなたはどこからきたの?」
振り向くとそこには僕の肩くらいの背丈をした子供がいた。好奇心に瞳を輝かせた、少年とも少女ともつかないその子は不似合いな大きなレンズの眼鏡をかけていた。
「ぼくはコディルだよ」
へらりと笑いながら答えた僕に、その子はあどけなく笑い返した。
「ぼくも!」
まちがえちゃったと舌を出してもう一度笑った子供は、軽い足取りで走り去って行った。
雨期の湿った空気が、少し伸びた僕の前髪を揺らした。
*
深い深い砂漠の果ての、赤い岩に守られた潮騒の地にぼくはいた。
ぼくのもとには沢山のモノが流れて来る。人、獣、物、風、何もかもが流れて来る。それらは留まることもあれば、過ぎ行くこともあった。人が国を興し、獣が国を崩し、風が地を守り、物が流れ去る。
ぼくはそれら全てを見つめていた。
初めて雨が降った日、真っ白な子供が流れ着いた。子供はぼくをみて、言った。
「こんにちは」
子供は本当の真っ白だった。肌も髪も瞳も声も名前も記憶も心も、全て。
「あなたはどこからきたの」
それは問いではなく、喉を震わせただけの感情の無い音のように聞こえた。
それでも、ぼくを知ったぼく以外は間違いなくその子供ただ一人だけだった。
*
『タイトル 僕らの調査』
『僕たちはコディルという名前の種族。他の国の人たちは僕らを人間の子供にそっくりだって言うよ。でも僕らははじめからおわりまでずっと小さなままなんだ。
僕らはみんなとにかく好奇心が旺盛で、気になったモノは何でもとことん調べ尽くさないと気が済まないんだ。でも忘れっぽいからちゃんとメモしないと、調べた事もすぐ忘れちゃう。
たまに国へやって来る人は僕らの知らない事をたくさん知っているから、とっても素敵に見えるよ。みんなで質問責めにしちゃうこともあるんだ。知りたがりなだけだから怒らないでね。
世界中を駆け回る僕らは、集めた情報を無くさないように国の書庫館に全部保存してるよ。僕らの字は情報を守る為に書庫館外では読めない暗号になってるんだ。物知りな学者様だってわからない暗号だよ。
僕らは遠くに行くのに船を使うんだ。でも僕らの国には木が無いから、他の国の人に分けてもらうよ。』
『おわり』
*
国のほぼ中央にある書庫館。石造りの厚い白壁の中は少し薄暗くひやりと涼しい。
本や紙束は、高い天井まである棚を埋め、更に床にも雑然と積まれている。動物の生態記録から他国の経済推移まで、ここにある情報は多種多様だ。情報を求める来国者は多い。今も読書にふける大人がちらほら見られる。
僕は本の山を倒さないように気をつけながら奥へ進む。書庫館は広く複雑な造りをしている、迷子になって消えた人も少なくはない。
「やあ、久しぶりだね」
床に座り込み資料に埋もれていた一人の人間が顔を覗かせる。短い髭の博識そうな初老の男性だった。
「えっと、ぼく?」
きょとんと応えると男性は愉快そうに笑った。
「たった五日でお忘れか? 君たちは本当に忘れっぽいね」
「ええと……わすれちゃった。ごめんなさい」
「いやいや、いいよ。提出かい?」
男性は本当に何も咎める気はないようで、優しい眼差しで僕を見つめた。僕はずきりと胸が痛くなった。
「ううん、しらべたいことがあるんだ」
「それで書庫館に?」
「うん!」
笑って頷くと、男性は頑張ってねと僕の頭を撫でて手を振った。僕も手を振りさよならを言った。
再びゆっくりと書庫館を奥へと進んで行く僕。
「おくのたなはよんだかな?」
僕は棚に積まれ埃をかぶったレポート用紙を手に取る。書庫館内はしんと静かで、僕が紙をめくる音だけが聞こえていて。天窓から差し込む暖かい陽射しが船出の季節を告げていた。
*
マストにとまった海鳥がニャアと鳴く。
小さな、子供五人乗りの帆船は風を捕まえて海面を滑るように進んで行く。
「しおのながれ、キャッチしたよ!」
一番前に陣取っていた子供が、突然歓声をあげた。それに連鎖反応するようにあちこちから声があがる。
「けいそく! けいそく!」
「きろくはぼくにまかせて!」
「まずは、げんざいいちのかくにん! たいようどこ?」
船は一気に活気づき、慌ただしくも楽しげに調査計測が行われる。
この船は調査地への移動が目的ではなく、海流及び海路の探索調査が主な目的のグループの船だ。
僕は記録係を担当することになった。次から次へと飛び交う計測結果をスケッチブックにガリガリと書き付けていく。
「けいそくかんりょう!」
「これはミネラルのおおいかいりゅうだ! さかながたくさん!」
「せいぶんたんとういるっけ?」
自分の興味のある範囲までしか調べない。それがコディル。この船には海流の成分に興味がある子はいなかったようだ。僕も興味ない。
「あ! りくちはっけん!」
その誰かの一言により、落ち着いた船内はまた慌しくなる。マストの海鳥はいつの間にかいなくなっていた。
*
噂話
「かわりものがいるんだって!」
「なにがかわってるの? ちょうさ?」
「ちがうの! よくわからないけどなんだかかわってるの!」
「あなたもみたの?」
「ええと……わすれちゃった」
「みてみたいなー」
*
爽やかな風がコディルの国、クーテ国を吹き抜ける。
この国は四十日前後の周期で四つの季節が巡る。砂の降る砂期、強い風が砂期の砂を吹き飛ばす風期、湿った国を包む雨期、穏やかに風が吹き、船出に適した穏期。
今は穏期の末、あと数日もしないうちに国は砂期の降砂に包まれるだろう。
海流の調査は滞りなく行われ、予定どおりの期間で帰って来る事ができた。僕は愛用のスケッチブックを抱え直すと、調査書の提出をするために、足早に書庫館へと向かった。
「こんにちは!」
「こんにちは! ていしゅつ?」
書庫館の入口には警備係──と言っても挨拶だけで入館できるのだが──がちょこんと座っていた。
「ていしゅつだよ! けいびおつかれ!」
「うん! ちょうさおつかれ!」
おどけて敬礼すると警備係も笑って敬礼した。
館内は相変わらず薄暗く、ひんやりとしていた。大人の姿が少ないのは穏期の末だからだろう。
「あれ?」
コディルがいた。
提出に来るコディルは珍しくない。しかし、その子は本や資料を手に取り読んでいた。
僕は違和感を覚える。コディルは『調査書』に興味を持たないはずだからだ。
「なにしてるの?」
声をかけると子供はびくりと肩を揺らした。
「ちょうさだよ」
「ここで?」
コディルは実地調査しかしない。誰かの調べた物を利用して調査する事はない。子供は少し拗ねたように唇を尖らせうつむく。僕はふと先日聞いた変わり者の話を思い出した。
「もしかして、かわりもの?」
子供はバッと顔をあげ、少し戸惑った表情をしたあと、こくんと大きく頷いた。
*
「こんにちは! あなたはどこからきたの?」
書庫館の前に見慣れない来国者がいた。いかにも旅をしているような格好だったから、話しかけずにはいられなかった。
遠いところからとその人は答えた。
僕はそれを聞いて笑いたいくらい嬉しくなった。僕の知らないことを知ってるかもしれない、と好奇心がふくらんでいく。
「クーテははじめて? たびをしてるの?」
その人は戸惑いがちに頷いた。
「た、たびびとさんだー!!」
僕は思い切り大きな声で叫びだしてしまっていた。
「どこをたびしたの? なんでたびしてるの? どんなものをみたの? どんなひとにあったの? どんなことがあったの? おもしろいはなしきかせて!」
矢継ぎ早に口をつく質問はもう誰にも止められない。さっきの声を聞き付けた他のコディル達も集まって来る。好奇心旺盛な僕らにとって、たくさんの事を知ってる旅人は最高の情報源。興味の有る無しに関わらず異国の話は僕らの大好物だ。
「たのしいおはなしきかせて!」
*
ぼくは子供が真っ白なのが何故か無性に寂しかった。ぼくは子供にたくさんのものをあげようと思った。
子供は何も知らなかった。だからぼくは子供に色んな事を教えてあげようと決めた。
ぼくはずっとここにいたから、ここの事しか知らなかった。だから世界中の事を調べるための船と調べに行くお人形を作った。
どうせだからお人形は子供に似た姿にした。子供が寂しくならないように。みんなに会って、真っ白な子供は初めて笑った。
*
砂が屋根を叩く音がする。
書庫館の中はいつにも増して薄暗い。
「かわりものさん」
「そのよびかた、はずかしいな」
僕はスケッチブックをぎゅっと抱き締めて、変わり者と呼ばれるコディルを見つめた。
「あなたはどこからきたの」
「……あなたはどこからきたの」
変わり者さんは同じ声音で僕に返した。
僕は怖くて目をつむった。
「あなたはコディルじゃない」
砂が屋根を叩く音が大きくなった。
*
『タイトル 僕の調査』
『僕はコディル。好奇心と知識欲の塊みたいな僕は、僕であることが誇らしい。自分のはじまりもおわりも知らないけど、それを調べるのも目標のひとつなんだ。
僕はたくさんの僕でできてる。僕たちはたくさんのものを見つめて、たくさんの人に出会って、たくさんの事を思った。僕の知らない事は無限にある。僕らが見つけたものたちは世界のほんの一部かもしれない。
僕の名前はコディル、記す者、記される者。』
『おわり』
*
おじいさんがいなくなってから、九回目の風期が来た。
今日も強い風が書庫館の窓を揺らす。窓辺に積もった砂はあと少し、風期はもうすぐ終わる。
「あなたはどこからきたの」
背後から声がした。僕は振り向かない。
「ひさしぶりだね」
声は続ける。平たい声。
書庫館に来たのは確かに久しぶりだった。僕の前髪はまたちょっと伸びた。
「きみに……君に質問があるんだ」
「うん」
僕はスケッチブックを胸に抱いて、ゆっくりと振り向いた。背を向けた窓がガタガタと鳴る。
「僕はどこから来たの」
目の前の少年とも少女ともつかない、少し僕より背の小さい子供は寂しそうに笑った。
「ええと……」
「忘れちゃった」
僕らは笑った。
ぼろりぼろりと涙が落ちた。
*
ぼくは白い子供がだんだんと色を持つのを嬉しく思った。
コディル。お人形をそう名付けたのはその子だった。その子がたったひとつ持っていた。名前。
「ぼくは、もうだいじょうぶ」
白かった子供はたくさんのコディルとたくさんの提出物に囲まれて笑った。
ぼくは眠りについた。
あたたかかった。
*
『タイトル 僕の報告』
『僕は、コディル。人間の子供。赤ん坊の頃に流れ着いたこのクーテ国でずっとコディルとして生きてきた。少し前までは自分はコディルだと思い込んでた。でも僕は気付いたんだ。
今日、僕は十二歳になる。背も伸びた。もうコディルとしては生きられない。
僕はこの国が大好き。調べる事も旅をする事も大好き。だからこれからは、コディルとしてじゃなく僕として世界を見たい。
僕の名前はノート、記憶する者、記憶される者』
『おわり』
*
「さいごにぼくからおくりもの」
「何?」
「ノート」
「え」
「きみのなまえ」
おしまい