桜と君と5
「…悪い、取り込み中だったか?」
楢橋先生の声で、我に返った。
見つめてしまっていた事に気付いて、慌てて視線を逸らす。
と、何かにやにやとこちらを見つめている芙美と目が合った。
うぅ…また後で芙美に何か言われそう。
「いや、いいよ。この2人は生徒だけど…生徒じゃないから」
頼人さんのその言葉に、楢橋先生がチラッとこちらに視線を向ける。
私を見た先生が一瞬瞳を見開いた……気がする。
だけどすぐに芙美に視線を移し『ああ』と納得したように頷いた。
「紹介するわ。俺の友達で今日からここの数学教師の楢橋燈吾」
始業式でも紹介されてたけど、と付け足すと
「んで、こっちが内山芙美と藍澤結夢ちゃんね。2人とも5組の生徒」
と、私達の事も紹介した。
「…あ、よろしくお願いします」
「よろしく」
初めて自分に向けられた先生の言葉に、鼓動が早くなるのを感じる。
「燈吾も2年の担当だから。5組の数学もね」
「あ、そうなん――…」
「あぁーーっ!!!」
「うわ。芙美、何だよ急に…」
1人何かを考え込んでいた芙美が急に大声を上げた。
頼人さんは呆れているし、楢橋先生もビックリしたようで目を丸くしている。
「思い出した!燈吾さ…じゃなかった先生。前に1度会った事ありますよね?」
「あるよ。久しぶり、芙美ちゃん」
「やっぱり!どっかで見た事ある顔だなぁ…と思ってたんだ」
「…人の友達を忘れるなよ。芙美らしいなぁ」
「う…っ。だから今、思い出したもん」
相変わらず仲の良い芙美と頼人さんに知らず笑みがこぼれる。
芙美は行動力があるっていうか、たまに暴走しちゃう時があるんだけど
そんな芙美を頼人さんはいつも優しく見守ってる感じがして…なんか羨ましい。
頼人さんって見た目もそうだけど、性格も温和そうだもんなぁ…。
そんな事を思いつつ、ちらりと燈吾を盗み見てみる。
先生、背高いなぁ…。
確かに自分は156cmと、背が高い方とは言えないが…
それにしても、燈吾は高い。見上げてしまう。
180cmはあるんじゃないだろうか。
頼人も同じくらい上背があるのだが、雰囲気のせいなのか…威圧感が違う気がする。
頼人がゴールデン・レトリバーだとしたら、
燈吾はドーベルマン、と言ったところだろうか。
芯の強そうな鋭い瞳。
一睨みされたら、竦み上がってしまいそう。
「――何かついてるか?」
そんな事を考えながら、じっと燈吾を見つめてしまっていたのだろう。
訝しげに眉を寄せた燈吾が、少し身を屈めて覗き込むように訊いてきた。
「…あ、いや…えっとその……背、が高いなぁって…」
まさか“ドーベルマンみたいですね”とは言えず、曖昧に誤魔化す。
嘘は言ってない。本当にそう思ったのだから。
燈吾は一瞬驚いたように眉を上げると、少し瞳を細めた。
「藍澤が小さいんじゃないか?」
“藍澤”――この学校の先生なら、誰しも使う私の呼称。
先生達だけでなく、仲の良い友達以外は大抵こう呼ぶから、耳慣れてるはずなのに。
“彼に呼ばれた”というだけで、小さく心臓が跳ねた気がした。
「う……確かに高くはないですけど……」
「結夢ちゃんは、その位の方が結夢ちゃんらしいよ?」
「そうよー?小さくてほわわんとしてて…背の高い結夢なんて想像できないもの」
「うぅー…嬉しくない」
いつの間にか、こちらの話に加わっていた頼人と芙美に立て続けにこう言われ
結夢は少し唇を尖らし、拗ねた顔をする。
「ほら、そういう仕種も小さい方がかわいいじゃない?」
「小さい小さい言わないでよ、もうっ」
そんな私と芙美のやり取りを笑って見ていた頼人さんが
思い出したかのように、楢橋先生に視線を移す。
「そういえば燈吾、何か用があったんだろ?」
「――いや、別に用って訳でもないんだけどな…」
「ん?……どした?」
楢橋先生は、チラッと私と芙美を見てから、また頼人さんに視線を戻し続ける。
「…俺の教官室の前に先客がいたから、お前の所に来た」
「……ああ。あの人か」
何か思い当たる事があるらしい頼人さんは苦笑して言う。
「でも燈吾らしくないな。お前だったらはっきり言うかと思ったけど」
「職場で面倒事はごめんだからな」
2人の話からじゃ何の事かさっぱりわからなかったけど
眉を顰めて嫌そうに話す先生と、苦笑している頼人さんを見て
良い話じゃない、って事だけはわかった。
「さすがにもう帰っただろ。……戻るわ」
「おう。まぁ…頑張れ」
頼人さんの言葉に、小さく苦笑して片手を上げると、先生は教官室を出て行った。
「さて、私達もそろそろ帰ろうか」
芙美の声に、慌ててドアから芙美に視線を移す。
「あ、うん。そうだね」
「まだ仕事残ってるから送ってってやれないけど。気を付けて帰れよ」
「はーい。頼くんもお仕事頑張ってね」
サンキュ、と笑みを浮かべた頼人さんに『さよーならー』と笑顔で言うと、私達は教官室を出た。
もうほとんどの生徒が帰宅したのだろうか。
校舎内はひっそりと静まり返っていた。
教官室が奥まった所にあるせい、かもしれないけど。
「――しっかし、今日の結夢は大胆だったなぁ」
「ええっ!?な、何が!?」
思わず大きな声が出てしまい、しんとした廊下に響いた。
芙美はちょっといたずらっぽく笑うと小声で続ける。
「あんなに近い距離でじっと燈吾先生を見つめちゃって」
「み、見つめてなんかいないもんっ」
こんな所で。誰か他の先生とかいるかもしれないのに。
そんな事を言い出した芙美に慌てて否定する。
もちろん、今度はしっかり声を潜めて。
「好きになっちゃった?」
芙美のストレートな言葉にビックリして彼女を見ると、優しい瞳とぶつかった。
好き?私が先生を?………わからない。
つい彼に視線を向けてしまうのは本当。ドキドキするのも認める。
だけど“好き”かと問われるとわからない。
だって、先生とは、今日出逢ったばかりだから。
「………好き、とかそんなんじゃ…」
それに、まだ自分の気持ちもはっきりしてない時に
周りに適当な事を言って、盛り上げられるのは嫌だった。
芙美の事は大好きだし、なんだかんだ言って面倒見の良い彼女には
子供の頃からいつも助けてもらってばかりで、本当に感謝してる。
だけど、周りに盛り上げられて、なんとなく流されたように好きになるのは嫌だ。
――彼の事に関しては、何故か特に強くそう思った。
「そっか。でも何かあったら、いつでも相談してよ?」
うまく答えられず俯いてしまった私に、芙美は優しく笑った。
「…うん、ありがと」
「素直でよろしい」
「もうっ!子供扱いするのやめてよぉ」
頷いた私の頭をよしよし、と小さい子にするように撫でると
芙美はいたずらっぽく笑った。