ココロノユクエ6
いつの間にこんなに先生の事が好きになったんだろう。
今まで好きになった人は…と言ってもそんなにいないけど、みんな同年代の人だった。
それでも報われなかったのに、それが“先生”じゃ、きっと尚更報われない。
――だけど、やっぱり先生が好きで。
2度も拒絶されたけど、それでも先生を好きな気持ちは変わらない。
みっともなく嫉妬して自分の気持ちを感情のままにぶつけて拒絶されて――…。
痛くて苦しくて切なくて。
食欲もなくなって眠る事さえできなくなって…それでも先生が好きで堪らない。
迷惑をかけたい訳じゃない。
本当は怖くて堪らない。
胃の辺りが苦しくて、心臓もドキドキしてる。
また拒絶されるんじゃないかって。
だけど、やっぱりこのままじゃ嫌だと思う自分がいる。
あんな伝え方じゃなくて、もっとちゃんと伝えたい。
受け入れられない事はわかってる。
『聞かなかった事にさせてくれ』と言った先生に、もう1度気持ちを伝えたところで
迷惑をかけてしまうだけだってのは、ちゃんとわかってる。
だけど。自分勝手かもしれないけど、あんな感情に任せて気持ちをぶつけるような伝え方じゃなくて
もっとちゃんと伝えて、それで自分の気持ちに踏ん切りをつけたい。
前に進みたい。
――だから先生、ごめんなさい。もう1度だけ――…。
「あ、頼くんからメールだ。…『燈吾は教官へ室やにいるよ』だって。…まったく。お節介なんだから、頼くんは。
っていうか、タイミング良過ぎ。どこかで聞いてるとか?」
悪戯っぽく笑っていたかと思ったら、訝しげに眉を寄せた芙美がキョロキョロと辺りを見回す。
似た者同士の2人に何だか笑ってしまった。
そうしたら少し、胃の辺りの苦しさと心臓のドキドキが収まった気がした。
“教官室”という言葉に、足が竦まなかったと言うと嘘になるけど…でも大丈夫。
逃げないって決めたから。
「ありがとう、芙美。それから頼人さんも。…私、楢橋先生に“お礼”…言ってくる!」
迷いが出てしまわないように、怖くて逃げ出してしまわないように、
先生の教官へ室やまで、脇目も振らず走って来た。
ドアの前に立ち、乱れた呼吸とうるさい位に騒いでる鼓動を整える為に、何度か大きく深呼吸をする。
体の震えが止まらないのは、走って来たからか…それとも緊張と怖さからか。
もう1度ひとつ大きく深呼吸した後、震える右手を左手でギュッと押さえて、ドアをノックした。
「――はい」
中から聞こえた先生の声に、心臓が跳ねる。
頼人さんに教官こ室こにいると教えて貰って来たのだから、先生がいる事はわかっていたけど…もう逃げられない。
逃げないって決めたのに、怖くて逃げたくて、そんな矛盾した事を考えてしまう。
ノックをしてからドアが開くまで、一瞬のようにも永遠のようにも感じた。
「――藍澤?」
訪問者が私だとは思わなかったんだろう、ドアを開けた先生は驚いた表情で私を見下ろしていた。
心臓がより一層バクバクと高鳴りだし、体の震えも依然止まらない。
だけど、体の横に下ろした両手をグッと握り締めて、なんとか声を絞り出した。
「あ、あの…!突然すみません!今少し…いいですか?」
声が少し裏返ってしまったけど、なんとか言えた。
「あの…ダメ、ですか…?」
でも…先生からは何の返答もなく、知らず俯いてしまう。
長く思えた沈黙の後、ようやく先生の声が聞こえた。
「…あ、ああ、いいよ。――どうぞ」
先生が私を迎え入れるようにドアを大きく開くと、今まで先生の体で見えなかった教官へ室やの中が見えて
一瞬、足が竦んだ。
「…ありがとうございます。失礼します」
恐る恐る、あの消し去りたい記憶の残るそ・こ・に一歩足を踏み出す。
先生の教官へ室やはあの日と変わらない。
部屋の奥の窓を背にしたデスクも、テーブルと小さなソファの簡易な応接セットも、右側の壁を覆ってる本棚も。
あの日と違うのは、あの甘い香水の香りがしない事だけ。
その事に少しホッとする。
2歩3歩と中に進むと、後ろでドアの閉まる音がして、反射的に肩がビクッと上がる。
足が止まってしまった私の横を通り抜けて、向かい合うように先生が振り返った。
「――それで…どうした?」
バクバクとうるさい心臓を宥めるようにひとつ小さく息を吐くと、顔を上げて先生と視線を合わせた。
「あ、あの!さっきは…ありがとうございました。その…先生が、保健室に連れて行って下さったって…」
「――ああ、その事か…。教師として当然の事をしただけだよ。…もう大丈夫か?」
「あ、はい。もう大丈夫、です」
「そうか…無理はするなよ」
「はい。ご迷惑をお掛けしてすみませんでした。ありがとうございました」
もう1度頭を下げて…そこで会話がなくなり、沈黙が漂う。
――怖い。沈黙があ・の・日・を嫌でも思い出させる。
この場所、この沈黙――。
すべてがあの日とシンクロするようで、心臓がうるさく鼓動し、背中に冷たい汗が流れる。
だけど。言わなくちゃ。その為に今、私はここにいるのだから。
前に進むと決めた。先生の返こた事えが、どんな返こた事えでも覚悟はできてる。
自分の気持ちに決着をつける。
今度こそはっきりと『受け入れられない』と言われても構わない。
むしろ、そうはっきり言われた方が、私の心おもいは行き先を見つけられる。
どんな結果であれ、もう一度きちんと気持ちを伝えて前に進むと決めたんだ。
「――先生」
ひとつ大きく深呼吸して、それでも治まらない鼓動を押さえ付けるように声を出すと、先生と視線を合わせた。
「どうした?」
先生の瞳に私が映っている。それだけで泣きたくなる。
もう2度と、先生の瞳に映る事はないかもしれないから。
だけど。意を決して言葉を紡いだ。
「…ご迷惑なのはわかってます。…困らせてしまうだけだって。だけど、もう一度だけ言わせてください。
ちゃんと…諦めます。ちゃんと“生徒”でいます。だからもう一度だけ…」
「藍澤!?ちょっと待…っ」
「先生が好きです」
私の告白を止めようとする先生の言葉を遮って、言葉を―想いを―吐き出した。
視線は逸らさない。逸らしたくない。
生コド徒モの想いだと思われないように。ちゃんと伝わるように――。
怖くて怖くて堪らない。体の震えもさっきから一向に治まらない。
本当は今すぐにでも逃げ出したくて堪らない。
だけど、そんな自分の心に負けないように先生を見つめ続けた。
いつもの、先生の鋭い、だけど優しい瞳が困惑の色に変わり、視線を逸らされる。
やっぱり先生を困らせただけだった、と胸が痛くなる。
でも。後悔はしてない。ちゃんと自分の気持ちを伝えられた。今の私にはそれだけで充分。
これできっと前に進めるから。
あとは先生の返こた事えを待つだけ――…。
「――ごめん」
絞り出したような、先生の返こた事え。
わかっていた事だけど、心がズキンと音を立てた。
だけど、心はどこかすっきりしていた。
同じ人に2回も振られてしまったけど、でもこれでやっと前に進む事ができる。
嫉妬から晒してしまった醜態、気持ちを伝えて拒絶されて、寝る事も食べる事もできなくなって…
それでも好きで好きで仕方なかった、痛くて辛くて苦しい恋。
全部、初めて知った恋。先生を好きになって知った気持ち。
いつか先生じゃない誰かを好きになったとしても、きっとこの恋は忘れないと思う。
先生をこれ以上困らせないように、自分の気持ちに決着をつけるように、精一杯笑顔を作った。
「…わかりました。ありがとうございました。約束通り、ちゃんと“生徒”でいます。
お時間取らせてすみませんでした。…でも伝えられて良かったです」
大丈夫。私、ちゃんと笑えてる。
――大丈夫。ちゃんと前に進める。