ココロノユクエ5
教室に入ると、やはりクラスメイトはみんな、戻ってきていた。
すでに制服に着替えたクラスメイトの中に1人体操着姿というのが少し恥ずかしい。
それでなくてもあんな場所で倒れてしまって、注目を浴びたわけだし…。
目立たないように、さりげなく、自然に…
――…だけど、その目論見はあっけなく失敗に終わった。
「あ!結夢ー!もう平気なの?」
ガヤガヤと騒がしい教室の中でも掻き消されない、その大きな声に
クラスのみんなの視線が集まる。
そしてすぐにその視線達は、大声の持ち主の奈津子から私に移動した。
うー…奈津子ぉ…。
仕方なく、その輪に進む。
奈津子の他に、ミドリと芙美がいる。
私が近付くと、奈津子とミドリが捲し立てた。
「ビックリしたよー、もう!いきなり結夢、倒れるんだもん」
「ホントだよー!もう大丈夫なの?」
「あー…、うん。もう平気。…ごめんね」
最後の“ごめんね”は芙美に向けて。
何も言わずに眉根を寄せている芙美が目に入ったから。
「…もう大丈夫なの?」
眉根を寄せたまま言う芙美に微笑んで見せる。
「…うん、ごめんね。心配かけて…」
「もう!結夢のバカ!いきなり倒れて…ビックリしたんだからね!?」
「ごめん…私もビックリした」
「何、他人事みたいに言ってるのよ、結夢」
ホッとしたのか、いつもの調子を取り戻した芙美に、素直に答えたら
すかさず奈津子に突っ込まれた。
…だって、倒れるなんて初めてだったんだもん。
「で?どうして倒れたのよ?」
「んー…最近、寝付きが悪くて…寝不足だったみたい。でも保健室でいっぱい寝たから、もう大丈夫」
「まったく…結夢らしいっていうか何ていうか」
意識して明るく答えると、奈津子達は呆れたように苦笑していたけれど
芙美だけは訝るように眉を寄せていた。
そんな芙美に小さく笑って。
「でもさでもさ!かっこよかったよねー!」
「うんうん!かっこよかったわー!あれはまた株が上がったよね」
奈津子達はそんな私達に気付かず、また話し始めた。
興奮したようなミドリの声に奈津子も続く。
「私、お姫様抱っこなんて、生で見たの初めてだよー!」
…お姫様抱っこ?
まだ興奮冷めやらない、と言った感じのミドリの言葉に無意識に聞き返してしまった。
「…何の話?」
「あー、そっか。結夢は意識飛んじゃってたからね。知らないよね」
うんうんと1人納得したように頷く奈津子の後を、相変わらず興奮状態のミドリが続ける。
「だから!お姫様抱っこしたのよ!結夢を!」
…………
え……!?私…!?
一呼吸置いて、頭がその事実をようやく理解する。
…あんな所で倒れてしまって注目を浴びただろうなぁとは覚悟していたけど
まさかそんな注目の浴び方をしていたとは…。
「…うわ……峰岸先生、重かっただろうな…。さっきお礼は言ったけど、後で謝っとかなきゃ…」
なんだか妙に気恥ずかしくなって、誰に言うでもなく1人呟く。
「――何言ってんの?結夢。峰岸先生じゃなくて、楢橋先生でしょ」
「………え?」
「もうねーすっごくかっこよかったんだから!倒れた結夢をサッと抱き上げて!」
「周りにいた女子がそりゃもう凄かったのよ。大騒ぎで」
「当たり前だよー!あの楢橋先生だよ?羨まし過ぎー!」
奈津子とミドリの話は確かに耳に届いているんだけど、頭が追い付かない。
…だって、あれは頼人さんじゃないの?
確かに先生だったらいいなとは思ったけど、でも…。
2人の言っている事が信じられなくて、縋るように芙美に視線を向けると
芙美は一瞬何かを考えるような素振りを見せた後、小さく嘆息しながら頷いた。
「…え、だって……あれは、頼…峰岸先生じゃ…」
「楢橋先生の方が、ね。一歩早かったかな」
私の言葉に被せるように言うと、芙美は眉を寄せて苦笑した。
え…じゃあ本当に…?
本当にあれは…あの時の腕と香りは先生だった?
頭の中がパニックに陥りそうになった時、教室のドアが開く音がした。
「はーい、席着いて。SHR始めるわよ」
入って来たのは担任の大友先生。
クラス中が未だざわざわとしながらも、各々の席に戻って行くのに倣い、私達も慌てて自分の席に戻る。
「藍澤さん、もう大丈夫なの?」
大友先生は私に視線を向けると、心配そうに声を掛けてきた。
「あ、はい。もう大丈夫です。ご迷惑をお掛けしました」
ペコっと小さく頭を下げながら答えると、大友先生の表情がふっと和らいだ。
「良かった。もうあまり無理しないのよ?体調が悪かったら休みなさい。…教師の私が欠席を薦めるのも変な話だけど」
そんな大友先生の言葉に小さく笑ったけど、頭の中はさっきの奈津子達の話でいっぱいだった。
私からみんなの方へと視線を戻した大友先生が、明日の話をしていたけど
私の耳は、それを音として受け止めているだけで、まったく頭に入って来なかった。
相変わらず頭の中は、奈津子達の話が支配してて。
「いい?それじゃ、明日はいつもより30分早いから。遅刻しないように。それじゃ、おしまい」
週番の号令の声に、慌てて意識を戻して立ち上がる。
大友先生が出て行くと、教室はまた喧騒に包まれた。
今日は体育祭前日で部活動は原則禁止なので、ほとんどの生徒が帰り支度をしている。
そんな中、私はボーっと立ち尽くしたまま、頭の中ではさっきの会話がグルグルと回っていた。
不意にポンと肩を叩かれる。
弾かれた様に振り向くと、心配そうな表情の芙美がいた。
「結夢?大丈夫?」
「…あ、うん。……ごめん、ちょっと混乱してて…」
「……あの時、結夢が倒れた時ね」
芙美は小さく嘆息すると、『もう、仕方ないんだから』とでも言いたげな表情で話し出した。
「燈吾先生、周りで騒いでる子達の事なんてまるで目にも入ってないって感じで
躊躇いなく結夢を抱き上げてさ。もう私も頼くんもビックリ……って違うな、頼くんは笑ってたわ」
芙美が何を言いたいのかよくわからなくて、私は言葉が出てこない。
「…頼くんが1番近くにいたんだよね、私達の。だけど1番最初に気付いたのは、燈吾先生。
―――どうしてだろうね?」
「……どうして、って………」
意味あり気な芙美の言葉に、どうしたって都合良く考えてしまいそうになる。
だけど、そんな事ある訳ない、ともう1人の私が言う。
だって私は2回も先生に拒絶されているのだから。
…でも。だったらどうしてあの時抱き締めたの?
どうして今日、皆の前で私を抱き上げてくれたの?
どうして優しくするの?―――どうして突き放してくれないの――…?
「…結夢はさ、色々我慢し過ぎ。1人で溜め込み過ぎ。…それから遠慮し過ぎ。
『聞かなかった事にさせてくれ』?ほんっとズルイよね。それって、燈吾先生の勝手な言い分でしょ。
じゃあ結夢の気持ちはどうなるの?このまま、前に進めないままでいいの?」
芙美の言葉にズキン、と胸が痛む。
進めるのなら前に進みたい。受け入れて貰えないなら、それでもいい。
辛いけど悲しいけど…はっきりと『受け入れられない』と言われたら
すぐには無理でも、きっと少しずつ前に進めると思う。
例え先生を好きな気持ちが消えなかったとしても…それでもきっと前に進めると思う。
――本当は気持ちを伝えるつもりなんて全然なかった。
というより、きっと伝えられなかった。
だけど。あの時、醜い嫉妬心が顔を出して、気が付いたら感情的に気持ちをぶつけてしまった。
それに、2回も先生の前から逃げ出して…。
…本当にこのままでいいの?
こんな中途半端なままじゃ、いつまで経ってもきっと前になんて進めない。
受け入れて貰えなくてもいい。だけど、前に進みたい。
うん、やっぱりこのままじゃ嫌だ。――逃げてばかりじゃダメなんだ。