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Acacia  作者: 七緒なお
18/24

ココロノユクエ4

誰かがボソボソと話す声と、それから扉の閉まる音で目が覚めた。

効き過ぎな位に冷房の効いた部屋に、背中の硬い感触。

そして、微かに薬品の匂い。

ここが保健室だとすぐにわかった。

…でもどうして私はここにいるんだろう。

ベッドの上で上半身を起こして座り、辺りを見回してみる。

カーテンが閉まっているから、何も見えないんだけど…。


「――藍澤?入るよ?」

「あ、はい…」

聞こえた声に反射的に返事をする。

「起きてたんだ?結夢ちゃん」

仕切りのカーテンを身一つ分だけ開いて中に入って来たのは頼人さんだった。

頼人さんは、授業中はもちろん、周りに誰かいる時は私の事を“藍澤”と呼ぶ。

それ以外は“結夢ちゃん”なんだけど。

「…峰岸先生」

頼人さんが“結夢ちゃん”と呼んだという事は、もしかしたらこの保健室には

私達の他に誰もいないのかもしれないけど、念の為“先生”と呼んだ。

「誰もいないから、いつも通りでいいよ。木下先生も今ちょっと出てるし」

木下先生というのは、優し気な外見にそれに違わない優しい雰囲気を持った

40代半ばくらいの保健医の先生。

お母さんみたいな先生で、生徒にも人気がある。

さっきの話し声は頼人さんと木下先生だったのかな。

優しく微笑む頼人さんに少しホッとして、先程からの疑問を口にした。

「あの…頼人さん、私どうしてここに…?」

「ん?覚えてない?倒れたんだよ、結夢ちゃん」

倒れた…?

確か今日は、明日の体育祭の練習をしていて…。

グラウンドでクラス対抗リレーの練習をしていたはず。

それで…クラスメイトの奈津子に呼ばれて、芙美と一緒にみんなの所に行こうとして――…。

――そうだ…。

体中の血液が足元に落ちて行くような感覚と、激しい眩暈に襲われて

頬に当たる砂の感覚と芙美の声に、遠退いて行く意識を必死に手繰り寄せようとしたけど

それは失敗したみたいで。…次に気が付いたのが保こ健室このベッドの上だ。

「軽い栄養失調と睡眠不足だって」

「っわ…っ!」

少し屈む様にして顔を覗き込んできた頼人さんに

記憶の糸を必死に手繰り寄せようとしていた私は、ビックリして思わず大きな声を出してしまった。

「まだ調子悪い?…ちょっとごめんね」

そんな私の様子に苦笑しながら、頼人さんは私のおでこに手を当ててきた。

「…え……っ?」

「熱はないね」

「あ…ない、と思います」

突然おでこに手を当てられて驚いた私に、頼人さんは苦笑しながら安心したように頷いた。

その時、頼人さんの服からふわっと漂った香りに

グラウンドで意識を手放す前の事が蘇って来た。

…あの時――…遠退いて行く意識の中で、体が宙に浮く様な感覚の後、

感じた、あの香りと力強い腕。

あれは、頼人さんだったんだ…。

そういえば先生と頼人さんは同じタバコなんだって芙美が言ってたっけ。

あの時、これは夢だと思いながら、どこかで先生であって欲しいなんて

そんな期待をしてしまっていた自分が恥ずかしい。

そんな訳ないのに…。


「――結夢ちゃん?」

「…えっ!?あ、はい」

また1人で考え込んでしまった私に、頼人さんは苦笑している。

うー、恥ずかしい…。

「もうすぐSHRだから様子見に来たんだけど…どうする?戻れそう?

 無理そうなら、芙美に言って荷物持ってこさせるけど」

「あ、大丈夫です。戻れます」

「そ?じゃあ、芙美が心配してたから、顔見せて安心させてやって?」

「はい。あ、頼人さん」

「ん?」

「あの…さっきは、ありがとうございました」

「さっき?」

「頼人さんがここまで運んでくださったんですよね?」

「…ああ、その事か。いいんだよ、教師として当然の事をしただけだから。

 ……まぁ、それだけじゃないかもしれないけど?」

「…え?」

「何でもないよ。こっちの話」

にっこりと笑った頼人さんに、なんとなくそれ以上は聞けなかった。

「とにかく。もうこんな倒れるまで無理しちゃだめだよ?

 ちゃんと食べてちゃんと寝る事!わかった?」

多分きっと頼人さんは、私の寝不足や食欲のない理由がわかっていると思う。

でもそれに触れないでいてくれる頼人さんの優しさが嬉しかった。

「…はい。以後、気を付けます」

私の返事に微笑むと、頼人さんは立ち上がってカーテンに手をかけた。

そして、そのままの格好で少しの間、何かを考えていたと思ったら

微笑を浮かべた顔だけこちらへ向けた。

「…頼人さん?」


「―――タッチの差、だったんだよね」


それだけ言うと、カーテンを開けて出て行ってしまった。

その後にドアの音が聞こえたから、多分もう保健室からも出て行ったんだろう。

頼人さんが最後に残した言葉の意味がわからなくて、1人考え込みそうになったところで

壁に掛けてある時計を見て、慌てて我に返った。

今日は、体育祭の前日と言う事で、午前中4時間のみの短縮授業。

私が倒れたのは2時間目で…今はもう12時半を回ったところだから

2時間近くも寝ていたんだ。

SHRまであと10分しかない。

もうきっとクラスのみんなも教室に戻ってきているだろう。

ベッドから降りる時また眩暈に襲われたらどうしようかと思ったけど

それは杞憂に終わった。

吐き気も治まっていたし、体の重みもなくなっている。

自分が寝ていたベッドを直して、カーテンを開けたところで木下先生が戻って来た。

「あら、もう大丈夫なの?」

「あ、はい。お世話になりました」

「本当よ、もう。いい?ちゃんと食べなきゃ駄目よ?ダイエットなんて必要ないんだから。

 それから、若いからって寝なくても大丈夫!なんて思っちゃ駄目。

 食べる事と眠る事、これは基本よ。……何があったとしても、ね」

「…はい。すみませんでした」

「そんな顔で戻ったら、余計にみんなを心配させるわよ?」

木下先生には全部お見通しなのかもしれない。

情けない顔で頭を下げた私に、木下先生は小さく苦笑した。

「笑って?笑顔よ、いい?」

そう言ってわざとらしい程の笑顔を作った木下先生に、思わず吹き出してしまった。

「うん、もう大丈夫ね。ほら、今ならSHR間に合うんじゃない?」

「あ、そうでした。…先生、ありがとうございました」

『どういたしまして』と微笑む先生にもう1度頭を下げてから、ドアに手を掛けた時

ドアの横にあった、鏡が目に入った。

その鏡に映る自分に向かって、もう1度笑ってから保健室を後にした。

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