ココロノユクエ3
「――ねぇ、結夢。…ホントに大丈夫?」
「…ん。平気」
両手を団扇代わりにしてパタパタ仰いでくれながら、心配そうに見つめる芙美に
笑顔を作って見せる。
「もうっ。そんな無理する事ないんだよ?」
…けど、どうやらその笑顔は余計に芙美を心配させただけだったみたい。
「あっちで休憩してたら?」
そう言って芙美が指差したのは、グラウンドから少し離れた木陰。
数人の先生達が涼んでるのが見える。
それに対して今、私達がいるのは、じりじりと照り付ける太陽を遮る物など何もないグラウンド。
――そう。
明日は体育祭という事で、今日は各クラス最後の追い込み練習だったりする。
もちろん我が2年5組も例外ではなく。
今は、体育祭の最後に行われるクラス全員参加の『クラス対抗リレー』の練習中。
…と言っても、トラックでは他のクラスも同じように練習してるから
その一部を使って、バトンの練習をしてるだけだけど。
私と芙美がいる場所から少し離れた所で、頼人さんがクラスのみんなにバトンの指導をしている。
ああやって見ると、頼人さんって先生と言うよりお兄さんみたい。
櫻花では、学年の教科担当教師が、行事毎にその学年に参加する。
体育祭では、教科担当の先生達が各クラスに振り分けられていて
私達のクラスには頼人さんが入った。
最初のうちは芙美もすごく喜んでいたけれど、
こうやって頼人さんが他の子と楽しそうにしている所を見ると
やっぱり複雑みたいで、なんとなく元気がないようだった。
クラスのみんなから少し視線をずらすと、他のクラスの子達が練習してるのが見える。
――…そして、その輪の中で男子にじゃれ付かれながら何かを話してる楢橋先生も。
先生は1組なんだ…。
何を話しているのかまでは聞こえないけど、1組の子達の楽しそうな笑顔に
時々聞こえてくる、女の子達の高い声。
みんな嬉しそう…。
先生は『クールなところがかっこいい』なんて言われてるけど
本当はすごく面倒見が良くて優しいから、男子にも女子にも人気があるんだろうな。
またズキンズキンと痛み出しそうな心臓に
気付かない振りをするように、無理やりクラスのみんなの方へ視線を戻した。
「ホント暑いねー…」
体操着の裾をパタパタしながら、眉を寄せて芙美が言う。
今がまだ梅雨だって事を忘れそうになるくらいに、
今日は朝から、燦々と太陽が照らしている。
そこに梅雨特有のジメジメと肌に張り付く様な湿気も相俟って、かなり蒸し暑かった。
「…ねぇ、ホントに大丈夫?」
眉を寄せてこちらを見る芙美に小さく笑う。
本当は大丈夫じゃなかった。
ちょっと――…いや、かなり体がだるい。
何をしていてもあの時の事が頭から離れなくて
グルグル…出口のない迷路に迷い込んだかのように
あの時の先生の腕の強さや香り、そして言葉が浮かんで
苦しくて切なくて痛くて…食欲も出ず、眠る事もほとんどできない日が続いていた。
その上、この暑さと日差しで、正直言うと立っているのもやっとだった。
――でも。それでも。
先生を好きな気持ちが変わらない私は、やっぱり救いようがないんだろうか。
嫌いになろうとして嫌いになれるものじゃない。
諦めなきゃと思っても、そう簡単に好きな気持ちは消せない。
人を好きになるって、理屈じゃないと思う。
…そう気付いたのは先生を好きになってから、だけど。
今まで誰かを好きになっても、その人に他に想い人がいたり
その人の事を誰か他の子が好きだったりすると、すぐに引いてしまい
いつの間にか恋心も消えていた。
そしてそれをどこか『仕方ない』と思う自分がいた。
好きな人に想われている人に対して、“羨ましい”という気持ちはあっても
“嫉妬”というものをした事はなかった。
なのに。
あの日、立川先生に感じたのは、紛れもなく“嫉妬”。
そして…みっともない姿を晒して、先生に拒絶された。
あれだけ醜い感情を曝け出してみっともない姿を晒して拒絶されたのに
それでもまだ私は、先生が好きでたまらない。
こんな気持ち知らなかった。
こんな、苦しくて痛くて切ない恋なんて知らない――…。
「結夢ー芙美ー!サボってないでやるよー?」
少し離れたクラスの輪から、クラスメイトの奈津子に呼ばれた。
「…仕方ない、行こっか」
「……そだね」
ハーフパンツに付いた砂を払いながら立ち上がった芙美に
返事をしながら自分も立ち上がる。
瞬間。グラっと視界が揺れ、吐き気がした。
「…ちょっと、結夢?ホントに大丈夫?顔色悪いよ?」
「あー…うん。平気」
緩々と首を振って小さく笑みを作る。
「ホントに?もう、無理しないで辛かったら保健室行きなよ?」
「…うん、ありがと」
芙美と並んでみんなの方へ歩き出す。
じりじりと照り付ける太陽と肌に張り付く様な湿気が作り出す熱気に
暑い筈なのに、何故か『寒い』とすら感じる。
頭の中に靄がかかったようで、気持ち悪くてグラグラして
背中に冷や汗が流れ落ちる。
体中の血液が一気に足元に抜けて行くような感覚に陥った瞬間――…
目の前がそれまで以上に大きく揺れたかと思うと真っ白になり
崩れ落ちるように膝をついてしまった。
「…え…っ!?ちょっと…結夢!?ねぇ、結夢!大丈夫!?」
頬に当たる砂の音と感触、それから悲鳴のような芙美の声が
遠のいて行く意識の中で薄らと聞こえる。
「結夢!…結夢っ!」
起きなきゃ…『大丈夫だよ』って起きなくちゃ――…。
だけど、体が重くて、意識が朦朧として。
指1本ですら動かせない。
今にも手放してしまいそうな意識を一生懸命 手繰り寄せようとするけれど
それすらもうまくいかない。
不意に、体が宙に浮く様な感覚を覚える。
力強い腕に、あの香り。
――ああ。あの日の事ばかり考えていたからかな。
だから、あの――先生の――腕と香りの、夢…か 幻想を見ているのかも。
だとしたら…どうかこのまま。
この先はどうか思い出させないで――…。
悪夢に突き堕とされる前に
私は意識を手放した――…。