ココロノユクエ1
ズキンズキンズキンズキン――……
どうして?
ドウシテドウシテドウシテドウシテ―――…
頭の中でそんな言葉ばかり繰り返し浮かぶ。
相変わらず胸はズキンズキンと、大きな音を立てていて。
痛くて苦しくて。
とまどい、困惑。
異常なんじゃないかって程に、心臓がその存在を主張している。
ズキンズキンズキン ドクンドクンドクン―――…
今にも壊れてしまいそう。
バンッ、と静かな校内に大きな音が響く。
机の横に掛けてあった鞄を掴んで、夢中で走った。
下駄箱まで止まる事無く走って走って…見えたそれに、その勢いのまま両手をつく。
静まり返った校内では、思った以上に大きな音となって響いた。
両手をついた態勢のまま、大きく肩で息をする。
だけど、うまく呼吸ができない。
頭から足の先まで、ドクンドクンと苦しい。
まるで体全体が心臓になったかのようで。
その鼓動に合わせて、体中にチクンチクンと痛みが走る。
――泣くつもりなんてなかったのに…。
帰りのSHRになっても、プリントは終わらなかった。
元々、苦手な数学。
2年生になって、先生に教わるようになって、少しは頑張っていたつもりだけど
それでもだからと言って、急に得意になるわけはなく。
1人、また1人とプリントを終えて提出しに行く子達を横目で見ながら
一生懸命、プリントと向き合う。
あんな事があったからと言って、数学を投げ出したりしたくはなかった。
最初は“先生の担当教科だから”という不純な動機だったけど
今では少し数学が好きになっていたし。
でもやっぱり一番は…
これ以上、先生に呆れられたくない。
これ以上、みっともない姿を晒したくない。
その想いからだった。
提出に行く先は先生の教官室。
心配そうな顔をした芙美が、自分も一緒に残るって言ってくれたけど
今日は頼人さんの家に行くんだって知っているから。
この春から“教師と生徒”になってしまった2人が、
今までみたいに、周りを気にせず一緒にいられなくなってしまった事を
すぐ傍で見ていて知っているから。
そんな2人の間を、私の我儘で邪魔したくない。
『大丈夫だから、早く帰って?』と笑って見せた私に
『いいの!結夢の方が大事!』って眉を寄せていたけど
芙美の背中を押して無理矢理ドアから押し出した。
もちろん、大丈夫だと笑顔を作るのを忘れずに。
最後まで『残る』と言い張った芙美も
結局は私に根負けして、眉を寄せたまま、渋々帰って行った。
それから暫くして。
時間はかかってしまったけど、どうにかプリントを終わらせた。
だけど…提出しに行く勇気がなかなか出なくて。
あの場所に行くのが怖くて。
あの、醜い嫉妬から、みっともない姿を晒して先生に拒絶された場所に。
何度も行かなくちゃと気持ちを奮い立たせようとしても
どうしてもこの足は一歩を踏み出してくれなくて。
プリントを見つめたまま、視線すらも上を向いてくれなかった。
『……ごめん。聞かなかった事にさせてくれ』
耳の奥にこびり付いた様に、離れない先生の言葉。
それと同時に煙草と香水の混じった香りが、今でも鮮明に残っている。
立川先生が彼に見せた顔も、彼が彼女を教官室に招き入れた姿も、
その香りも、彼の拒絶の言葉や声も―――…
私の心はすべてを克明に記憶していて。
先生の所へ行かなくちゃと思う度に、その記憶を鮮明に呼び起こす。
頭は体に動けと指示しているのに、心がそれを拒否する。
自分の体が、まるで自分じゃなくなったかのように動かなくて
椅子から立ち上がる事すらできないまま、ただただプリントを見つめていた。
どれくらいそうしていただろう。
気付けば辺りは薄暗くなり始め、さっきまであった人の声もなくなっていた。
時計を見ると、SHRが終わってから1時間が経っている事に気付く。
窓の外では相変わらず雨が降っていて
それがより一層、薄暗さを強調している。
――行かなくちゃ。
また怖気付いてしまいそうな心を目一杯奮い立たせて、立ち上がろうとした時―――…
ガラッ、とドアが開いた。
そこに立っていたのは――…今、私が行かなくちゃと思っていた部屋の主である、先生だった。