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Acacia  作者: 七緒なお
14/24

Awareness4

その日の2年5組での授業は、1つの単元が終わったので、まとめのプリントをやらせた。

授業終了を告げるチャイムが鳴り、終わった者はそのまま提出。

終わらなかった者は、放課後までに提出するように言って教室を出る。

今日の5組の授業は2時間目で、放課後まで時間はたっぷりあるし

余裕だろう、と思っていた。


授業と授業の間の休み時間だったり、昼休み、

それから放課後、プリントが終わった生徒がチラホラ提出に来る。

ほとんどの生徒が提出に来た中で、1枚だけ足りない。

――彼女のプリント、が。

わざとか?そう思って、すぐにその考えを否定する。

彼女は、そんな事をするような子では、決してない。

確かに、あの日から、彼女が俺を避けているのは明白だった。

だけど…毎日ある、俺の授業を彼女がサボる事は1度もなかった。

――たとえ、授業中にまったく目が合わなかったとしても…。

それでも、教室に入ってきた時、彼女がその席にいないという事はなかった。

だから、そんな彼女が、プリントを提出しないなんて事がある訳がない。


時計を見ると、帰りのSHRが終わってから1時間程経っていた。



どうするか、と一瞬考えて…俺は教官室へやを出た。

校庭からいつもは聞こえる運動部の声が今日はまったく聞こえない。

それもそのはず。

まだまだ明けない梅雨が、空を黒く埋めつくし雨を降らせていたから。

シンと静まり返った校舎を歩く。

いつもは大勢の声や足音で溢れている校舎も、今日は自分の足音しか聞こえない。

そりゃそうだろう。

もうSHRから1時間以上経っている。

ほとんどの生徒は帰宅しているはずだ。


2年生の教室がある階に着いた。

やはりこの階も静まり返っている。

2年5組の教室の前に立つ。

中から話し声は聞こえてこない。

やはり誰もいないのか…と思いつつ、扉を開ける。




―――いた。


5組は先日、席替えをしたらしく

今の彼女の席は、窓側から2列目の後ろから2番目。

最初は、いつもの、あの廊下側の1番前の席に彼女がいない事に違和感を感じた。

席替えしたのにも関わらず、彼女の後ろの席には芙美ちゃんがいて、

絶対仕組んだなと思ったのは、どうやら頼人も同じだったらしい。

…その席に、彼女は1人座っていた。



いきなり扉を開けて入ってきた俺を見て、彼女は目を見開いて驚いていた。

彼女の机の上には、今日の授業で配ったまとめプリント。

小さく嘆息しながら、彼女の席に向かっていく。

そんな俺を彼女は、ただただ驚いて、そして少し困惑しているような顔で見つめていた。

彼女の前に立って彼女とプリントを交互に見下ろす。

彼女は黙ったまま、俯いた。


「――どこがわからない?」

そう言って、彼女の前の席の椅子を引くと、彼女の方に向けて腰を下ろした。

俺の言葉に彼女は驚いて顔を上げると、

自分の目の前に座った俺を見て、さらに驚いたように目を見開いていた。

「わからない所は?」

もう1度問う。

「え…あ、あの……」

「――聞きに来れば良かったのに」

困惑顔でしどろもどろになっている彼女に、言った後でしまったと思った。

…違う、と。

彼女が来れる筈がないだろう、と。

あの場所に。俺の教官室へやに。

それでなくても俺を避けていると言うのに。

あの、俺が彼女に“教師”としての態度を示したあの場所に。

彼女が来れる訳がない。

そうしたのは、俺。

紛れもなく、俺。

“楢橋先生”という、“教師”の俺。


「大丈夫、です」

俺の言葉にビクッと反応した彼女が、俯いたまま小さく言う。

「……いいから。どこがわからない?」

「あ、あの…!すみません…ちょっと考え事してたらこんな時間になっちゃって…。

 でもあの、終わってるんです、プリント…」

俯いたまま早口でそう言うと、彼女はプリントを俺の前に差し出した。

「…すみません……遅くなっちゃって…」

小刻みに震える彼女の手から、プリントを受け取る。

「――藍澤」

俺がそう声をかけた途端、ガタガタと慌てたように彼女が立ち上がる。

「あ、あの…私、帰ります!…遅くなってすみませんでした」

そう言って頭を下げた彼女の瞳から、一粒の涙が落ちた。



――その瞬間。

衝動的に彼女の腕を掴んで自分の方へと引き寄せていた。

彼女の細くて小さい体はすっぽりと俺の胸に入る。

あの時抱き締めたかった小さな体。

――いや、もっと前。そうあの桜の下で見た時から抱き締めたかった、人。

甘い香りのする、その体。

その香りに誘われるように、グッと抱き締める腕に力が入る。


「せ、先生…!?」

戸惑ったような彼女の声で、ハッと我に返る。

――俺は何をしているんだ。

慌てて彼女の体を開放する。

「…あ、あの………」

顔を真っ赤に染めて困惑した表情で見上げる彼女と目を合わせられない。

何をやってるんだ、俺は。

あの時、彼女を受け入れなかったくせに。

教師面して彼女を拒んだくせに。

「……せ、先生…?」

今更何やってんだ。


「……悪かった。…気を付けて帰れよ」


顔を赤く染めたまま、一瞬だけ泣きそうに歪めた彼女が、走り去って行く。

俺はしばらく動けなかった。

まだ彼女の甘い香りが、柔らかい感触が、残っている。


「――――クソッ」

静かな教室に、俺の声だけが響いていた。

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