Awareness2
「――んで?柄にもなく、振った女の事気にしちゃってるわけ?」
テスト期間も終わり、6月もそろそろ半ばに差し掛かろうかという日の放課後。
頼人がふらっと俺の教官室に来た。
――が、来たはいいが、特に何を言うでもなく
淹れてやったコーヒーを飲みながら、さして興味もないだろう資料をペラペラ捲っている。
別に俺も話す事もないし、同じようにコーヒーを飲みながら、何となく窓の外を眺めていたのだが――。
やっと口を開いたかと思えば、この台詞だ。
約束もしてないし、用もなさそうなのに、突然訪れた頼人に若干嫌な予感はしていたが
やっぱりか――…と内心、小さく嘆息する。
「…………」
俺は否定も肯定もせず、ただそのまま窓の外を眺めていた。
「めずらしいな。…まぁ、同僚だからこの先多少のやり難さはあるかもしれないけどよ、
あの人だって大人だし――…」
「――どうでもいい」
“どうでもいい”と言うより、正直忘れていた。
俺にとって、立川にとった拒絶の態度や放った台詞は、
記憶に残らないくらい、どうでも良い事だった。
だから、つい反応してしまった。
――これが、コイツの“手”だと普段ならわかるのに…。
「…ふーん。――じゃあ、結夢ちゃん?」
「―――!」
「当たり?」
しまった、と思ってももう遅い。
頼人から出てきた名前に、つい反応してしまい振り返ってしまった。
そんな俺を見て、頼人は満足そうにニヤニヤと笑みを浮かべている。
コイツは、人当たりの良い外面に騙される奴が多いが
実際は、結構な策士というか…まぁはっきり言って口が巧い。
コイツのペースに乗せられると、言わなくて良い事まで言わされてしまう。
だから、何を言われてもシカトを決め込もう、と思っていたのに――。
「………芙美ちゃん、か」
俺は小さく舌打ちをしながら、仕方なく体ごと頼人に向き直った。
「んー…正確には“興奮した芙美がついポロッと口を滑らせた”と言うか…。
でもまぁ…結夢ちゃん、わかりやすいから」
芙美に聞く前から気付いてたけどね、と苦笑する。
まぁ…確かに彼女はわかりやすい…気がする。
思ってる事が表情に出やすいというか、まぁ素直なんだろう。
隠し事とか間違いなくできないタイプに見える。
「あの『来るもの拒まず去るもの追わず』の燈吾が、気にするなんて…
てっきり結夢ちゃんは特別かと思ったんだけど」
「――特別も何も……生徒だろ」
「俺は“楢橋先生”には聞いてないんだけど?」
顔は笑っているのに、目は笑っていない。
相変わらずニヤついているように見えるのに…目だけが妙な威圧感を放ってる。
「…………」
「じゃあ、なんでちゃんと振ってやらなかった?
『聞かなかった事にさせてくれ』だなんて中途半端な言い方して…お前らしくもない」
「…………」
コイツのペースに乗せられて堪るか。
…それに、正直、俺にだってその答えがわからないんだ。
答えようがない。
………いや、きっと“答え”は出てはいる。
ただ、それを認められない自分がいるだけで。
別にそんな大層な道徳観念を持っている訳でもなければ
理想の教師像とか、熱い教師魂とやらとかを持っている訳でもない。
だけど…だからと言ってそう容易くできる事ではないだろ。
――生徒の気持ちを受け入れるという事は。
…頼人に言わせれば、これは“楢橋先生”の意見。
それはつまり“俺”の気持ちではない、という事だろう。
―――そんな事言われなくても“俺”本人が1番わかっているんだ。
だけど、俺が教師で彼女が生徒、というのは紛れもない事実。
どうしたって“教師”としての自分が先立ってしまうのは当然だろ。
――それでも。あの時…彼女に気持ちを伝えられた時。
はっきりとした拒絶を示さなかったのは、他の誰でもない…自分。
立川には、あんなにはっきり拒絶を示したというのに。
――違う。
“示さなかった”んじゃない。“示せなかった”んだ。
その言葉が、“俺”の本当の言葉じゃなかったから。
“教師”という建前を被った俺が、“楢橋燈吾”という本音にギリギリの所で勝てなかった。
だから、あんな中途半端な言い方しかできなかった。
受け入れる事はしないクセに、
『嫌いだ』とか『受け入れられない』だとか…そうはっきり言葉にしてない分
どこかで彼女の心を繋ぎ止めるような…そんな汚い言い方。
我ながら自分で自分が情けなくなる。
―――だけど。
あの時、確かに教師ではない、本音の俺が思ってしまったんだ。
目の前で俯いて小さく震えている彼女が欲しい、と―――。