Awareness1
教師という職を選んだ事に、特に意味があったわけじゃない。
別に子供の頃からの夢だったとか、人に物を教える事が好きだとか…そんな訳でもなく
聞こえは悪いかもしれないが、教師になったのは“なんとなく”
ただ“なんとなく”だった。
―――まぁ、正確には諸事情もあったのだが。
けれど、そんな“なんとなく”選んだ職だとは言え
決まった時には、それなりに喜びもあったし、今ではやりがいも感じている。
――が、計算違いな事が多過ぎた。
まず…俺や頼人と同じく、今年からここ櫻花で教鞭を振るう事になった
立川とかいう英語教師の女。
櫻花に採用が決まって、なんやかんやで顔を合わせる事が多かった。
こちらは同僚教師として接していただけだが、どうやら向こうは違ったらしい。
“同僚教師”としてではなく“女”として俺を見ている、立川の目に気付いた時
はっきり態度で示すべきだった、と今では後悔している。
受け入れたわけではもちろんないが、はっきりと拒絶したわけでもない。
その、拒絶がないのを、その女は“脈有り”と見たらしく
やたらと馴れ馴れしく寄って来るようになった。
コイツには、他の教師なんて目に入ってないんじゃないかと思う。
校内では常に俺の近くにいるし、職員室でもそう。
挙句の果てには、何かにつけて俺の教官室にまでしつこく押し掛けるようになった。
さすがに生徒達の前でまで言い寄ってくるような事はなかったが。
別に俺は、女を傷付けられないフェミニストでもなければ
もちろん博愛主義者でもない。
むしろ、頼人や俺をよく知る友人達に言わせれば、まったくその逆。
冷血人間だとか冷めてるだとか言われるのは間違いない。
それに、別に女にも困ってなかった。
言い方は悪いが、それなりに遊ぶ女もいたし。
立川をはっきり拒絶しなかったのは、面倒だっただけだ。
これから嫌でも同僚として働くのだから、毎日のように顔を合わせる。
そんな人間と、男だ女だと痴情をもつれさせたくなかった。
それに、相手も大人だ。
こちらが“同僚教師”としての姿勢を崩さず接していれば
こちらにその気がないものだと気付くだろう、とタカを括っていた。
が、思った以上に鈍い…いや、強かな女だった。
中間テストを目前に控えた金曜日の放課後。
その日も、立川は俺の教官室に来た。
1人書類を片付けていると、聞こえてきたノックの音。
ドアを開けたそこに立っていたのは立川だった。
今さら開けてしまった事を後悔しても、時既に遅し。
仕方なく、開け放ったドアに凭れ掛かり
入れるつもりはないのだ、と意思表示を示し二言三言交わす。
だが、立川の方も引こうとしない。
このままそこで、話し続けそうな勢いだった。
こんな所では誰の目に付くかわかったもんじゃない。
仕方なく俺は、立川を中に入れた。
いい加減、立川の“女”を前面に出してくる態度にうんざりしていた俺は
中に招き入れておきながら、話しかけてくる立川を適当にあしらっていた。
それでもそんな俺の態度を気にした様子もなく、1人であれやこれやと話し続ける立川に
そろそろ我慢の限界が訪れる。
「―――立川先生」
「はい?」
俺が自分を呼んだ事に嬉しそうに笑みを浮かべた立川が上目遣いで視線を寄越す。
―――うっとうしい。
その、男に媚びるような態度も視線も何もかもが鼻につく。
「すみませんが、そろそろ出たいので…」
それでも…あくまで“同僚教師”としての――余所行きの――自分を崩さない。
「あ、私ったら…ごめんなさい」
そう言ってソファから立ち上がった立川の、次に続いた言葉と態度にとうとう我慢の限界が訪れた。
「あの、楢橋先生?良かったら…この後、一緒に食事でも…」
わざとらしく恥じらって見せながら上目遣いで俺を見る、計算された立川の顔。
そして、さり気なく俺の腕に添えられてる彼女の手。
男なら皆、それで落ちると思ったら大間違いだ。
むしろ、俺はその手の女が大嫌いだった。
今まで付き合った女にも、そういう女を選んだ事は1度もない。
「――悪いけど、どうでもいい女に時間を割く程、暇じゃない」
「……え?」
俺の言った意味が一瞬わからなかったのか、きょとんとしてこちらを見た立川の顔は滑稽だった。
「アンタと飯食う程、暇じゃないって言ったんだよ」
「な…っ」
「もっとわかりやすく言ってやろうか?アンタに興味がない。アンタを見ても何の気も沸かない」
「…なんですって……!!」
「わかったならさっさと出て行ってもらえます?立川先生」
真っ赤な顔して、わなわなと唇を震わせてる立川に冷たく笑ってやる。
「っ!馬鹿にしないでよ…っ!!」
怒りと屈辱の為から体を小刻みに震わせながら、そう叫ぶと
立川はドアを乱暴に開けて出て行った。
この時程、この教官室のドアが重い扉で良かった、と思った事はなかった。
軽いドアだったなら、立川が怒りに任せてドアを閉めれば、その音が廊下中に響き渡って
他の教官室にいる教師達に気付かれていたかもしれない。
だが、幸いにもこのドアは重く造られていて、どんなに乱暴に扱っても
扱った側の意思とは関係なく、ゆったりと閉まる。
男の力ならそこそこ思い通りに扱えるかもしれないが、女の細腕じゃまず無理だろう。
与えられた自分の教官室に初めて来た時
何故こんなに重く扉を造ったのかと疑問を感じた自分が、今は感謝すらしていた。
その重い扉がゆったりと閉まった頃には、立川の足音はもう聞こえなくなっていた。
ドアから視線を外し、自分の椅子に座り直す。
これで立川が自分に纏わりつく事はなくなるだろう。
最初からこうすれば良かったのだ。
あの手の女は、はっきりと意思表示をしないと自分の都合の良いように解釈して付け上がる。
その判断を誤ったのは、他でもない自分なのだが…。
もう1度ドアに視線を向けると、自然と嘆息が漏れた。