サードクローズエンカウンター(第三種接近遭遇) ★
朝の森は、夜よりも残酷で容赦がない。
光があるぶん、余さず全部が見えてしまうからだ。
逃げ道も、隠し場所も、そして――そこに「誰かがいる」という事実も。
泉の水面に降ってくる木漏れ日が、昨日と同じように揺れていた。
揺れて、反射して、屈折して、俺の中に波紋を描く。
自分の輪郭がどこまでなのか、今では割と分かる。
分かってしまうのが、なんか嫌だ。
例のあいつ。黒い鎧の化け物――いや、イケメン。
どっちでも最悪だ。とにかく、あいつがいる。まだいる。
泉の畔。抉れた土。散らばった歪んだ鎧の破片はあいつが拾い集めた。
けど、水に刺さった銀色の斧はそのまんま。
(なんでだよ、それも片せよ! 俺はてめーのアクアリウムじゃねえんだよ!)
この色んなもん全部が「事件現場」って感じで、気が休まらない。
規制線を張って、このイケメン野郎を視界の外から追い出したい。
もしもし、ポリスメン、あいつです。
(帰れ。帰れよ。お前の家どこだよ。実家帰れ)
そう思ったところで、あいつは帰らない。
帰らないどころか、何を思ったか、泉のすぐそばの平らな場所を選んで――枝を拾い始めた。
(あ?)
最初は、薪でも集めてるのかと思った。それにしてはやけに多い。
そう思っていたら、どっさりと枝と葉を集めて、地面をならして。
なんとそこに簡単な寝床みたいなもんを作りやがった。
(おいおい、お前、居座る気かよ……)
ない背筋がぞわっとした。水面が揺れそうになって、慌てて押さえ込む。
(そこはダメだ。そこは俺のすぐ隣だぞ)
男は、泉の方をちらりと見て、作業の手を止めない。真面目に。黙々と。
なんだこいつ、サバイバルの達人かよ。
森の中で余裕で生きてけそうな感じの動き。つまり、ここを居場所に出来る奴。
(最悪だ……最悪のパターンだ……)
頭の中で、嫌な想像が勝手に育っていく。
こいつ、ここをキャンプ地にするんだ。いや、住むんだ。俺の隣で。
で、泉の水を飲む。あのイケメン面で直飲み……おえぇ。
下手をすると俺を風呂代わりに――
(やめろやめろ!マジでやめろ!俺ん中に入ってくんな!犯罪だぞ!)
俺は想像の中のこいつを殴り倒す。
こいつがどういう倫理観してるか分かんないんだぞ。
異世界だぞ。なんか文明レベル低そうだし、ほぼ蛮族かもしれん。
蛮族っていうか元化け物だったわ。
見た目がイケメンでも中身は――いや中身も見たことないけど。
イケメンは信用ならない。偏見? 知るか。俺は偏見で生きてきたんだよ。
男は寝床の形を整えると、今度は近くの木に刃物を当てた。
斧じゃない。小刀みたいなやつ。手慣れた動きで、木を削って何かを作る。
(おい、何削ってんだよ……なんだそれ? ……コップか?)
俺の嫌な予感は、当たらずとも遠からず。
木をくり抜いて器を作ったかと思えば、柄を通して――柄杓だ。
直飲みされるよりはマシだけど、こんな手間をかけるってことは完全に居座る気じゃねえか。
出来上がった柄杓を手に、男は泉の縁に膝をついた。
姿勢は低く、跪いているみたいな格好。水際には足を踏み入れない。
やけに礼儀正しい。恭しい。丁寧すぎて、逆に気持ち悪い。
(いや、お行儀良くされたってお前には飲まれたくない。なんかやだ)
柄杓が水面に触れる。水がすくわれる。俺の一部が、そこへ移る。
水を操作して逃れたいが、柄杓の中のそれは俺の一部であって、俺そのものじゃない。
それに、動かせば、俺がここにいるとバレる。どのみち出来ない。クソッ。
俺は泉で、泉の水は俺で、って分かってる。理屈では。
鳥にも動物にも飲まれたし、水浴びも粗相もされた。
俺の中で生まれて死んでいく奴らだっている。
でも、目の前でこいつに。
人間に俺を飲まれるのは、なんかすごく変態的な気がする。
「体の一部を舐められてる」みたいな想像が勝手に湧く。
(うわぁ……うっわぁ……)
顔がないのに、顔が熱くなる感じがする。気持ち悪い。居心地が悪い。
水底で勝手に小さな渦が巻いて、エビがピョインと後ろダッシュで逃げた。
イケメン野郎は、俺を汲んだ柄杓を捧げ持つみたいにして口に近づけた。
飲み方が無駄に綺麗だ。がぶ飲みとかしない。
飲む直前には一瞬、目を伏せて……祈るみたいな間。で、静かに含む。
高級レストランの千円超えのミネラルウォーターだってこんな扱いはされないだろう。
御神酒レベルの恭しさだ。正直、ちょっとだけだが悪い気はしない。
(まぁ、俺ってば滅茶苦茶、浄化してるし?ベストオブ天然水って感じだもんなぁ!)
ちょっとだけ自尊心をくすぐられて、一口くらいなら許してやるかという気になる。
柄杓が傾けられ、男の喉が、こくり、と動いた。
その直後だ――
男の動きが止まった。
眉が寄り、頬が引きつり、咳き込んだ。
口を手で押さえ、こっちに背中を向けると屈んで背中を震わせた。
(……は?)
一拍遅れて、理解した。
(お、お前……俺が、俺の水が不味いってことか?! あぁ!?)
たぶん違うって頭のどこかで分かってるのに、感情が先に爆発した。
飲んだだけで苦い顔。顔をしかめる。吐きそうな顔。
何だよそれ。失礼すぎるだろ。こっちは体を差し出してんだぞ。
勝手に飲んで顔をしかめるとか、礼儀とか祈りとかやってたくせに結局それかよ!?
(ムカつく……ムカつくムカつくムカつく!)
怒りが、泉の底から湧き上がる。
湧水の勢いが、勝手に増す。砂利が巻き上がる。水面が盛り上がる。
そして、俺は――考える前に「形」を作っていた。
やば、と思った。でも瞬時に意識がそっちへ持っていかれた。
※※※※※
――視点が、切り替わる。
水面よりもずっと高い位置。蹲る男を見下ろせる「人」の視点だ。
ものの視え方、音の感じ方が違う。空気の流れを肌で感じられる。
手足が、身体がそこに在ることを重さで感じ取れる。
俺は再び「彼女」の姿になっていた。
けど、そんな事よりも、気持ちが沸騰していた。
鳥も動物も、俺を飲んで喜ばないやつはいなかった――
男は屈んで、顔を歪め、胸のあたりを押さえ、何かを吐き出そうとしているように見えた。
「てめぇ、この野郎――」
声が出た、男が顔を上げてこちらを向き、目を見開いた。
浮気の瞬間を踏み込まれた間男みたいなツラだ。そう思うことにした。
水流が、俺の意志に呼応して渦を巻く。
泉から水が持ち上がり、俺の周りを取り巻く。武器になる。腕になる。
「おかわりだコラァッ!!」
そして俺は、ぶっ放した。
こないだみたいな無茶ではない――と、思う。
でも、加減はよく分からない。
泉から立ち上った水の塊が、男に叩きつけられた。
畔に拵えられた寝床ごと、男の体が水流に押し流される。
やった、と思った。けど、次の瞬間に、血の気が引く。
男は大量の水と共に地面を転がって、木の根元にぶつかって止まった。
土が抉れて崩れる程じゃないが、寝床の残骸が辺りに散らばって酷い有り様だ。
森が、急に静かになる。
(……あー)
俺……なんか、殺っちゃっいました……?
さっきまでの怒りが嘘みたいに引っ込んだ。
指先が冷えて喉が詰まる感じがする。喉なんて無いはずなのに。
(あれ、これ……やばい……? やばくね……)
俺は水面に立ち尽くしたまま、恐々と男の様子を窺った。
男は動かない。
胸が上下しているか、分からない。
目も閉じたままな気がする。やっぱり死んだ?
死体ってこうなるんだっけ。いや、死体見たことないけど。ゲームでしか。
(暴行、傷害、起訴……いや、この世界に法律あんのか!?)
――そのとき。
男の指が、ぴくりと動いた。
(ひぇっ)
生きてた、黒い奴生きてた!しぶとい。
俺は思わず身を乗り出して注視した。
男が、ゆっくりと身を起こす。濡れて顔に張り付いた髪を払い、咳き込む。
ふらつきながらも立ち上がって。こちらを振り向いた。
黒い瞳が――俺を捉える。
まっすぐに。
あの夜と同じ圧。いや、あの夜より熱い。
熱っぽい、って言葉が一番近い。目に熱がある。
血走ってはいない。焦点が合っている。
(……やめろ。見るな。怖い。怖いってば)
隠れなきゃ、と思った。今からでも水に戻れば――。
あれ? これって、どうやったら泉に戻れるんだ?
なんか水面に立ってるんだけど、これ歩けるやつか?
そもそも、この身体でも泉から離れられんの……?
俺がまごまごしてるその間に、男は、畔までやってきて、畔に膝をついた。
俺の前で。
そして、またあの目で俺を見た。
地面に膝をついて、両手を胸の前に――何だあれ、祈り? 礼?
そして、口を開く。言葉を並べる。意味の分からない音。
だけど、抑揚がある。感情が乗っている。
「□□□□……□□□□□□、□□□□□□」
称賛? 感謝?
そんなの知らない。分からない。
分からないのに、あの時と同じ高揚感が、また泉の奥から湧き上がる気配がする。
雨じゃないのに。晴れてるのに。
(やめろ。それ、やめろ。勝手に俺を気持ちよくするな。気持ち悪い!)
男は顔を上げ、俺を見つめたまま、さらに何かを言う。
その視線が妙に熱っぽくて、俺は背中がむず痒くなる。
造った覚えのない心臓がドクドク脈打ってるような錯覚。
(……こ、こいつ、キザったらしく手の甲にキスとかしてくるタイプじゃないだろうな)
そう思った瞬間、俺は自分の思考に殺意を抱いた。
いやでも、ありえるだろ。イケメンだし。
礼儀正しいし。跪いてるし。そういうの、やるだろ。映画とかで。
俺が警戒で固まっていると、男の顔がまた歪んだ。
さっきと同じ苦悶。喉の奥から、何かがせり上がってきてるみたいな。
(え、なに、今度は何なんだよ――)
次の瞬間、男は――吐いた。
真っ黒い液体がボタボタと濡れた地面に落ちた。
泥のようで、油のようで、重たく、粘っこい不吉な黒。
あの夜に見た黒いドロドロだ。ジュッとは言わないが絶対あれに違いない。
滴り落ちたそれは、泥に染み込むのではなく、ぶくりと泡立った。
(うっわっ……)
俺はドン引きした。
引いたけど、それでも目が離せない。
(えんがちょ!えんがちょ!綺麗になれ!消えろ消えろ消えろ!)
泉の中に落ちたわけじゃないが、浄化を使いまくる。
それが効いたのか効いてないのかわからない。
だが、ドロドロは泡がひとつひとつ消えて――最後に、薄い染みだけ残して消えた。
(ふぅ……)
男は息を荒くしながら、その様子を見下ろし――そして、ほっとしたような顔をした。
(いやいや、今の何だよ!お前が吐いたんだろうが!)
一人でスッキリしたみたいな顔してんじゃねえ。説明しろ。
俺の中で、理解不能が臨界を超えた。
やっぱり、こいつは訳が分からない。絶対普通じゃない。
人間だと思っていたけど、中身はあの黒いドロドロが詰まった化け物なんじゃ……
怖い。
やだ。
早くどっか行ってくれ。
(あと、私の水を飲むの、やめて。マジで)
恐怖が限界に達したせいか、視界が崩れ始めた。
あの夜、意識を失う寸前もそうだった。崩れているのはこっちだ。
※※※※※
――気が付くと、俺は泉に戻っていた。
前みたいに長く気絶はせずに済んだみたいで、畔にはあの男がまだいた。
呆然とした顔で泉の方に向けて、硬直している。
(あー、もう、わからん。俺、何した? 何しちゃった? ヤバい、ヤバいかも)
どの、何がヤバいのかもよく分からないまま、焦りだけが募る。
男は再び泉の畔に膝をついて、深々と頭を下げた。
立ち上がると、まだ時々肩で息をしているが、動きは嘘みたいに軽い、早い。
中身が化け物だからなのか、体力が化け物なのかは知らん。
あいつは寝床の残骸を片付けて、最後に一礼だけして俺の視界から消えた。
(……お前……なんだったんだよ……結局、誰なんだよ……)
自分の仕出かしたことも含め、一連の出来事がまるで飲み込めない。
その原因の一つは、今この瞬間も、雨の時のような高揚感が続いていることだ。
あいつが来てから始まったこの異常は、あいつが目の前から消えてもなお続いていた。
そして、もう一つ。
(……斧! 持って、帰れや! このクソボケェーーーッ!!!)




