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58.水底から湧き上がるもの(前編) 〇★

 木こり野郎が量産型を庇って怪我をしたあの日から、何日か経った。


 俺は深く広くなった泉――いや、もうほぼ湖だ。その水底で、身体を創って過ごしていた。

 前よりも広く深くなったぶん、昼間でも底の方に居れば見つかる心配はない。


 大工どもの建てた小さな社は水の底で、エビやら小魚の隠れ家的スポットになってる。


(晴れて本社ビル勤務だぞ、良かったな)


 以前の癖で、社の屋根――社長席に腰かける。

 そこから見える景色はすっかり変わってしまった。

 樹はいくらかあるが水の中だ。ここには風も吹かないし、鳥の声も届かない。


 代わりに聞こえてくるのは、カーン、カーンという槌音だ。

 少し前までは、デカい柱を打ち込む轟音が四方八方から響いていた。

 外の水たまりを隠れ家にしていたのは、それも理由だった。


 人間たちは、泉のあった場所を囲うように浅瀬に足場を作りまくっている。

 柱の太さや数からして、建てようとしているのは水上コテージどころじゃない。

 たぶん水の上に参道や神殿を作る気だ。いよいよ大袈裟になってきたな……。


 屋根から降りて、元の泉だった場所――今では水底の窪地――に向かう。

 泳ぐのとは違う。俺にとって水はかき分けるものじゃない。飛んでいるようなものだ。

 空にも浮けるけど、広くなった水の中を飛ぶのは自由自在で、割と好きだ。


 ただ――


 泉の底、湧き口になっている水底の岩盤が、でかく割れている。

 もう裂け目というより穴だ。底の見えない穴。

 口を開けたまま、ずっと「こっちへ来い」と言っているみたいな。


 じっと見つめると、吸い込まれそうになる。

 いや、吸われるどころか、ここから噴き上がる水が俺なんだが――感覚的に、だ。

 海洋恐怖症の気は無いと思っていたが、この穴を覗き込むとジワジワくる。


(……怖っ)


 ここが俺の文字通りの源泉なんだって、なんとなく分かる。

 でも、底の底まで潜る気にならない。溺れる心配なんかまったくないのに。


 深い穴の縁を所在なくふよふよ漂っていると、割れた岩の隙間に光るものがあった。


 ガラス瓶だ。


 見覚えがある。というか、見覚えしかない。

 蝋で封のされた瓶。最初は油みたいなのが入っていた。木こり野郎に押し付けた瓶ゴミ。


「……うわ」


 思わず声が出た。水の底で出した声は波として広がるが、聞く者は誰もいない。

 これをうっかり渡したせいで、その後えらい思いをした。


 あの野郎、しょっちゅう着信入れて来やがって。


 祈り、祈り、祈り。何度も何度も耳元で囁かれるみたいに届く呼び声。

 湧き口の奥をサワサワくすぐられるみたいな、あの呼びかけ。


(束縛系彼氏かっての。まったく……)


 ――今、何考えた。


(違う違う違う。迷惑なだけだ。嬉しいとか、そんなのは……)


 波が立ちそうになって、必死に押さえる。凪。凪。凪。

 ……水底だけがざわつく。胸がないのに胸の奥が、むず痒い。


 あいつが帰ってきた時、畔に置いたまま揉めて――誰かが蹴ったのか、転がったのか。

 その拍子に水へ落ちて、底へ沈んでいった。

 それから先は量産型で浄化しまくったり、木彫りを黄金にしたり、泉が滅茶苦茶広がったりで、完全に忘れてた。こんなところにあったのか……。


 瓶を拾い上げる。割れているところはない。中身は水に変わったままだ。

 水の中でガラスはやけに冷たく感じる。


(これ、今渡したら……また呼ばれまくるのかな……?)


 何故か、そんなことが思い浮かんだ。

 瞬間、湧き口の奥がきゅっと縮む。いや、こんなデカい穴が縮むわけない。

 錯覚、こんなのは錯覚だ。


 俺は瓶を持った手を振りかぶった。

 瓶だけが水の抵抗を受けて、やけに重たく感じる。


 このまま――この穴の底に捨ててしまえば。

 もう目に入って煩わしい思いはしない。気色悪い感情に振り回されることもない。


(……いや、待て。ここ、俺の心臓みたいなとこだろ。そこに異物を入れるとか、ありえない)


 また何かの拍子に凄い勢いで水が湧き出したら、浮き上がってくるかもしれない。

 その拍子に割れて、ガラスの欠片が散らばるかもしれない。


 ――あいつの物を、また壊すことになるかもしれない。


 俺は瓶を抱え直して、社に向かう。

 社の中で御神体よろしく飾られている水桶の中に、瓶をそっと入れておく。


 “どの自分”がそうしたいのか、あんまり突き詰めて考えたくない。

 自分でも大概めんどくさいと思う。


 俺は身体をほどいて、湖面に意識を向ける。


 湖の周り――浅瀬のあたりに足場が出来ている。

 林道があった場所、その入り口付近に舞台みたいに広い足場がある。

 連中は当面の間、そこから参拝することにしたらしい。

 ボートで漕ぎ出してくるとかしないだけマシだ。


 そこに前までみたいに黒いのの気配がする病人がぞろぞろやってくる。

 案内役は木こり野郎じゃない。水色のタスキ(地味)をつけた奴が何人か。

 ちらっと見た顔もある。前に化け物になりかけてたのを治してやった連中かも。


 木こり野郎は俺がどこまで広がってるのかを確認するためか、駆けずり回ってる。

 さすがに病人の案内まではしていられないらしい。なんでもワンオペで回そうとすんな。


 黒いのの気配がする人間には、量産型を送って片っ端から浄化する。


 祈られると、人助けしたがりの良い子ちゃんぶった“私”っぽい思考が勝手に働く。

 それが段々と嫌じゃなくなっていくのが、嫌だ。


 ――“敵”を消して、人に感謝されるのって、とてもちゃんとした行いじゃない。

 ――量産型(あのこたち)も、みんなの祈りに応えるのを楽しいと思ってる。


(……くそ。何が“ちゃんと”だ)


 ちゃんと、って言葉は嫌いだったはずなのに、今になって付きまとってくる。

 腹立ち紛れに、社の屋根の上に身体を創る。焦点が狭まると、意識が“俺”寄りに戻る。


 そうだ……なんかトンチキな遊びでもして気を紛らわせよう。

 “俺”らしいことが良い。ブンドドか、コスプレ衣装でも考えるか、それとも――


※※※※※


 その時。


 水面に影が差した。

 落ち葉の影じゃない。もっと大きい。船底があった。ボートくらいの大きさだ。


 船首に押し退けられた水が、V字型に縞みたいな独特の波を水面に残していく。

 そこにオールがかき分けた波がぶつかって砕ける。


 湧き口の上まで人間が近づいてくるのは滅多にない。

 しかも、うっすらと黒いのの気配がある。

 病人の参拝客は、あの舞台に集めるルールだったんじゃなかったのかよ。


 意識を水面へ寄せると――そこに乗っていたのは、木こり野郎と茶色い髪の女の子だった。


(……は?)


 木こり野郎。怪我は大丈夫だったのか、良かっ……いや、なんで?

 なんで、ここまで。わざわざボートに。しかも、女の子連れで。


 あの女の子は――どこかで見た気がする。髪の色。小柄。

 額に黒い痣。ああ、黒いのはそこか。

 そうだ、あの時の子だ。外縁で、あいつが化け物から助け出した子。


 あの時は化け物の気配が強すぎて、この子から黒いのを感じられなかった。

 何より、俺のせいで怪我をしたあいつの浄化に気を取られて――


(あー……はいはい、そういうことね)


 その子を治して欲しい、ってことなんだろう。

 俺があの時見逃してたから、わざわざ連れてきたって?

 律儀でお人好しで責任感の塊みたいなお前らしいな。


 ……でも、だ。


 だからって、わざわざボートに乗ってまで来るか、普通。

 ――そんなにその子が特別だって言うの?


 勝手に納得して、勝手に苛立つ。


(……いや、待て。待て。俺、今、何にムカついてる?)


 自分の中の問いと感情を無視して、俺は量産型を起こした。

 水面の近くで、ぴょん、と小さな水の幼子が生まれる。

 透けた身体が陽に照らされて光る。幼い輪郭に小さな角とヒレ。


 それが五体。


 小柄な子だし、黒いのもそう多くなさそうだから、一体でも十分だ。

 でも、なんだか波が立ってしょうがないので、腹立った分だけ四体おまけが出来た。


 ……その子を治してやればいいんだろ。治せば。

 お望み通り浄化してやるから、それで満足なんだろ。


 量産型は水面を割って跳び、ボートへ向かっていく。

 ボートの上の二人が気付いて見上げる。


 少女が歓声をあげて、手を振ってくる。子供にありがちな反応だ。

 あの時よりも、表情が生き生きしてる。

 無理もないか。前に見たときは死にかけた直後だったわけだし。


 木こり野郎は、両手を下ろして「安全ですよ」みたいなポーズ。

 その態度が、なんだか「扱い方が分かってる」みたいに見えてムカつく。


挿絵(By みてみん)


 決めた。あいつにもぶつける。


 ……まだ黒いのがどっかに残ってるかもしれないしな。


 一体を近づけて少女の額にぴた、と触れさせる。瞬間、黒い気配が薄れる。

 手の中が多少濁ったくらいで形が崩れるほどじゃなかった。

 気配も消えたし、全身に浴びせる必要はない。


 少女はびくっと肩を震わせた。目を見開き、口を開ける。声にならない息。

 驚き、喜び、感謝、感激――そういうのはもう散々見た。


 残り四体。全部木こり野郎に突撃。


 蹴り、パンチ、頭突き、体当たり。容赦はしない。

 全員、当たって砕けて、びしょ濡れにしてやった。


 もちろん、女の子の服が濡れないように、そっちには飛び散らせない。

 木こり野郎、お前は濡れて震えろ。

 ……俺の水で風邪とかは引かないよな、たぶん。


「□□□□□、イズミール……」


 木こり野郎の口が動く。例によって名前以外分からない。

 どうせ、ありがとうとかそんなだろ。

 音の聞こえ方がおかしいのに、なんでお前の呼ぶ名前だけ分かるんだよ。

 本当にこの仕様、意味不明すぎる。


 とにかく、その子は治した。もう文句ないだろ。

 だから――帰れ。


 そういう意味で、俺は水面を凪がせた。


 凪がせたはずだった。


 なのに、ボートはすぐには引き返さなかった。


 少女は水面に顔を映して、額を確認して涙ぐんで、しきりに何か言っていた。

 救われたって顔をしてるのに、泣いて喜んで終わりって感じじゃない。

 残業――いや、やることを残してるって顔だ。


 二人はただ、ボートを湖の真ん中に留めた。


「□□□□□□、□□□□□□……□□□□□□□……」


 少女が何か言う。何かを説明されているのか、木こり野郎が短く何度か頷く。


 それから――木こり野郎は目を閉じた。


 祈っている、という感じでもない。

 お願いの圧が来ない。増える感覚も来ない。


 ただ、呼吸だけがゆっくりになる。


 少女は黙って座っている。時々、水面を覗き込み、指先で水を触る。

 遊んでいるわけでもない。おしゃべりしているわけでもない。

 楽しそうでもない。苦しそうでもない。目的が分からない。


(……何してんだ、こいつら)


 “修行”だとか、“儀式”だとか。

 そういう嫌な言葉ばかりが浮かぶ。


 実際、名前も呼ばれてないのに、なんか呼ばれているような変な感覚がする。

 水面に波を立てないように気を付けながら、俺は、社の屋根の影に身体を創って隠れる。


 ボートの影は日が傾くまで同じ場所に留まっていた。


 そして、その日の終わり際。

 ボートがようやく岸へ向かった時、木こり野郎が、最後に一度だけ――水面へ指を沈めた。


 まるで、水そのものの“手触り”を確かめるみたいに。

 その一瞬だけ、湧き口の奥が、ぞくり、と痺れた。


 ボートが残す波の跡が消え去った後、水面がほんの少しだけ波紋を作った。


※※※※※


 翌日。


 水底から見えるボートの影。嫌な予感しかしない。


 案の定――木こり野郎だ。しかも、またあの女の子を連れている。

 額の痣は消えてる。黒いのの気配も、もうない。


(おいおいおい。何しに来た。なんで連れてくる。治しただろ、昨日で終わりだろ)


 水底に堆積した落ち葉が、ふわっと舞い上がってくるくる回り出す。

 腹が立つ、っていうより、落ち着かない。


 木こり野郎はボートを、湖の中で一番深い湧き口の真上に持ってきた。

 昨日より明らかに踏み込んでる。わざとだろこれ。


 女の子は、昨日よりずっと落ち着いていた。

 手のひらを膝に置いて、姿勢を正して座る。

 目だけが忙しなく水面を見回し、時々、木こり野郎の横顔を盗み見ている。


 木こり野郎は、しばらく何もせずに座っていた。

 そして――目を閉じた。


 祈り、じゃない。

 祈りってのはもっと刺さる。水底をぎゅうぎゅう詰めにしてくる。

 あいつの祈りは、もっと近くて、もっとぞわぞわする。


 でもこれは違う。


 静かだ。静かすぎる。静かだからこそ、逆に怖い。

 木こり野郎は目を閉じたまま、呼吸を整えていくみたいに肩の上下を小さくして――ただ、そこに居る。居座ってる。


(……何の修行だよ。余所でやれ、余所で。居座り方まで真っ直ぐかよ)


 胸がないのに胸の奥が、じわじわむず痒い。

 意識を別方向へずらそうとした。――のに、ずらせない。


 水面が気になる。ボートが気になる。あいつが気になる。女の子も気になる。

 気にするなって思えば思うほど、意識が吸い寄せられる。


 木こり野郎が目を開け、ゆっくり水面を覗き込む。

 覗き込み方が前ほど必死じゃない。全部覗き込もうって感じじゃない。


 なのに、水面に手を差し入れてきた。


(んっ)


 反射で、量産型を起こしかけた。

 ぶつけて、追い払って、びしょ濡れにして、帰れって言いたくなる。


(お、お前、今、そういう流れじゃなかったろ)


 触り方がなんか嫌だ。

 こないだ飲もうとした時のよりは良いけど――いや、良くない!


 木こり野郎の指先が水中で揺れて、波紋が小さく円を作って広がる。


(あっ、お前、ちょっ、勝手に――)


 しかも指一本じゃない。

 両手を使って鍵盤でも叩くみたいに、十本の指が水面に波紋をいくつも立てる。

 広い水面のごく狭い範囲でしかないけど、そこだけ雨が降ってる時みたいだ。


 届くわけがないのに――なんだか、すごく、気持ちがい――違う! 無い、無いったらない!


(……っ、や、やめて)


 ちゃぷん、と、ボートの縁に波が当たる。

 女の子が、木こり野郎の手首をそっと掴んで、何か言っている。


「□□□□□、□□□□□……□□、□□□□□□□……」


 止める、というより、「今はそれじゃない」と言うみたいに。

 木こり野郎は手を引っ込めて、嘆息して無言で頷いた。何か言えや。


(なんだこれ……修行? 俺への嫌がらせか? ピンポンダッシュ的な?)


 あと、湧き口の上でなんかやるな。俺の心臓の上でやるな。

 心臓の上ってもう胸じゃん。パイタッチだろ実質。セクハラだぞ、セクハラ。


 ――そんなことを思う自分がいるのが、いちばんムカつく。


※※※※※


 ……それからが、問題だった。


 あいつら、毎日のように来るようになった。

 一度も祈らない。お願いの圧も来ない。

 ただ、座って、呼吸を整えて、時々だけ水面を覗き、時々だけ手を入れる。


 女の子が短く何か言い、木こり野郎が頷く。

 合図みたいな間がある。打ち合わせ済みの“手順”がある。


 ――そして、それが一日で終わらなかった。


 翌日も、また翌日も。


 三日目からは、ボートは毎回、湧き口の穴を避ける位置に止まる。

 一回、真上でやらかしてから、場所を変えたつもりらしいが、この水は全部俺なんだぞ。


 指で作る波紋の並べ方も、毎回同じじゃない。

 最初は雨みたいに散らして、次は円を重ねて、次は間を空けて。

 女の子が止める回数が減っていく。――あいつが“分かってきてる”感じが腹立つ。


 こっちはこっちで、牽制に量産型を出したり引っ込めたり、ぶつけたりもした。

 なのに帰らない。むしろ空気が和む。畜生め。


 ボートの影が差すたびに、俺は水底で苛立って、落ち着かなくなって。

 わざと違う水場へ意識を逃がそうとして――結局、戻ってくる。


 腹が立つ、くすぐったい、気になる、目が離せない。

 落ち着かないのに、慣れてしまうのが怖い。


 そのうち、変なことが起き始めた。


 木こり野郎が目を閉じて座っている間――ほんの少しだけ、心が落ち着く。

 水面を平らにしてるわけじゃないのに。


 水面はむしろ揺れている。

 風が吹いてるわけでも、底の方で渦巻いてるわけでもない。

 小さな振幅で、ゆらり、ゆらりと。


 そのリズムに妙に懐かしさを覚える。


 ――ああ。そうだ、これ……呼吸だ。


 ボートの上で目を閉じる木こり野郎の肩が小さく上下している。人間だから当たり前だ。

 けど、俺の水面の揺れも同じリズムで動いていた。


 これ、呼吸を合わせてきてるのか?

 それとも、こっちが引っ張られてる?


 理屈は分からない。でも、理解不能な暖かさが立つ。


(なんだ、この感じ、こわ……魔法? 魔法なのか?)


 どう考えてもヤバいだろ、これ。


※※※※※


 ――数日目。とうとう我慢の限界が来た。


 ボートがいつもの位置に寄り、木こり野郎が目を閉じた瞬間。

 俺は湖面に、身体を創っていた。


 水面から腰までを出した形。

 見られるのが嫌だっていう感覚より、「もういいから言え」が勝った。


 木こり野郎が目を見開いて固まった。

 女の子も固まった。

 目線が俺の角から腰まで行き来して、胸で止まった。顔が真っ赤だ。


 ボートの上の空気が、一瞬で硬くなる。

 呼吸が止まる音が聞こえた気がした。

 けど、俺には呼吸なんて関係ない。


「おい、木こり野郎。今日という今日は言わせて貰うからな」


 言葉にもするけど、どうせ伝わらないから身振り手振りを併用する。


 俺は水面に片手を置き、ボートを指差した。

 次に、木こり野郎を指差した。

 次に、自分の胸を指差す。


 そして、水面を叩く。ぱん、と水が跳ねる。


「お前らさぁ、何しに来てんだよ。なんで毎日来るわけ?

 なんでその子を連れて来る。もう、治してやっただろ。

 一体、俺に何しようとしてんだよ、毎日毎日……い、弄り回しやがって」


 女の子を指差す、自分の額に触れて見せて、量産型を一体造って、周りを飛ばす。

 話してるうちに、怒りだか恥ずかしさだかが高まって来て水面を台パンする。

 波紋が暴れそうになるのを、無理やり小さく抑え込む。


「こないだは俺のせいで怪我させちまったし、木彫りのこととか、髪とか目とか。

 確かに色々やらかしたよ。けど、だからって……お前、あ、あれはないだろ」


 ずぶずぶと水面に胸まで沈んで、ボートの上の二人をジトっと見上げる。


「お前らには分かんないかもしれないけど、俺にだってデリケートな部分が……。

 いや、違う。そういうんじゃないから……そういう感じじゃないけど、やめろ」


 木こり野郎が何故か赤い顔でわなわな震えて、息を吸って、口を開いた。


「□□□□□……イズミール……□□□、□□□□□□□……□□□□□□□□□□!」


 なんか捲し立ててる。だから、分からんて。

 名前だけ分かるのが腹立つ。


 女の子が、ぎゅっと目を閉じてから、恐る恐るこちらを見た。

 そして、眉を寄せた。


 俺の方を見て、木こり野郎の方を見て、また俺を見て。

 女の子が小さく息を呑んで、木こり野郎に向かって言った。


「……□□□……□□□□□□……□□□。□□□……□□□□□□……」


 木こり野郎が、目を見開いて、勢いよくこっちを見た。


(ひえっ)


 急にこっち見んな。

 ずぶ、と首まで水に沈む。


 女の子は恐る恐ると言った様子で言葉を続ける。

 顔を赤くして、言葉が詰まり、息を整えながら、木こり野郎に話しかける。


「……□□□□……□□□□……□□□□□□……」


 木こり野郎の顔が、強張った。

 それから、ゆっくり、胸に手を当てた。自分の心臓の位置を確かめるみたいに。


 そしてまたこっちを見る。


 あの目。

 泉でもない。女神でもない。人に向けるみたいな目。


 ――気遣い、理解しようとする目。


 木こり野郎が、言葉を探すみたいに口を動かして、自分の胸を指した。

 その指をこっちに向けられる。なんだよそれ、わかんねぇよ。


 ――惚れられてるんじゃないか?


 分からないのに、いつか思い至ったその“答え”を裏付けるみたいに視線が熱い。

 どこまでも真っ直ぐに俺だけを見ている。


 あれは男が女に向ける目だ。


「や、やめろ、馬鹿! 俺は男なんだってば! 女みたいに見るな!」


 俺は苛立って、手のひらで水面を叩いた。

 ぱん、と水が跳ねる。波が立つ。


 ボートが揺れる。


 少女がびくっとして、木こり野郎が咄嗟に少女の肩を掴んで支える。


 ――それを見て、何故か水底の奥が、ぎゅうっと縮んだ。


※※※※※


 縮んだ瞬間。


 水域の端っこのどこかで――ざらつくような“痛み”が走った。


 そう、“痛み”だ――


 この身体になってから、命を脅かされてる感覚なんかなかったのに。

 今、それを強く感じている。


 この気配、黒いのだ。

 でも、いつもと違う。量産型に混ざり込んだ時の感じじゃない。


 ――どこかに入り込まれて、混ざってる?


 大きくなった自分の身体の一部がズキズキと痛む。


 どこだ? どこなんだ?

 ここじゃない。端の方。どこかの新しい水溜まり。


 痛みの元は水底の湿った砂利よりもっと深く。


 もっと底。


 水の湧き口の奥の奥から、直接、昇ってくるみたいな――


(……っ!?)


 視界が、ぐらりと崩れ始めた。

 湖面に創った身体の輪郭が、ぶれてる。水面が波立つ。波が勝手に広がる。


 木こり野郎が立ち上がった。何か叫んでいる。少女が顔色を変えた。


 でも、もう、その声が遠い。


 痛い。痛い、っていうか――嫌だ。怖い、急げ、たすけて。


 無意識に手を伸ばす。でも、指先から崩れていって水に還り始める。

 意識の焦点が割れる。視界が割れる。


挿絵(By みてみん)


 ――ザァ、と視界が崩れた。


 最後に見えた木こり野郎の顔は、また、俺の大嫌いな表情をしていた。

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― 新着の感想 ―
これから先乙女心を自覚したとしてもそれを素直に認めるのはだいぶ先になりそう。 なんといっても元男だし、TS娘はメス堕ちしない事の方が多いくらいだし。 まあこの作品はタグを見る限りいつかはって事なんでし…
嫉妬やない、これだけはハッキリしてる こういう心の動きや心理描写、TS物の醍醐味ですねぇフヒヒ
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