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57.富者は水面から遠ざかる ◆

33話「そして、時は動き出す」~50話「神域の森に、清き水は湧き出でる」までのペッシヌス視点

 帳面の上では、女神も奇跡も数字に落ちる。私の掌の上で転がせる。


 木彫りの花が黄金の芯を得たあの日から――いや、正確には、その前からだ。

 賓客たちの前に女神が顕現した時点で、既に風は吹いていた。


 あの場に女神が姿を現した理由は分からない。

 だが、荒れ狂う波と水の大蛇を伴っての出現は、圧倒的な美と畏怖を抱かせた。

 浄化だけでなく、黄金化の力まで実演してみせたのは決定的だった。

 あの出来事で女神イズミール信仰と聖地ゴルディウムは揺るぎないものとなった。


 商機とは風のようなものだ。

 遠目には見えず、肌で感じられたとしても、何もせねば無意味に通り過ぎていくだけだ。

 だが、その到来をいち早く感じ取って帆を張れば、船を進ませることが出来る。

 私は帆を張った。誰よりも早く、誰よりも広く、図太く。


 噂も共感も恐怖も、広めながら増幅できる。祈りはもっと簡単だ。

 今の時代、祈りは救いを求める者の叫びだ。救いを求める者は勝手に集まる。


 富める者も貧しい者も、人は「見たもの」を信じる。いや、信じたがる。

 見たものの価値が高ければ高いほど、なおさらだ。


 だから私は、あの日の出来事を“神話”にした。

 聖者が女神より授かった花、芯だけ黄金になった、女神は選んだ者にだけ徴を残す。

 すべては女神の御心次第だと、印象付けるのも忘れない。

 神話の世界は人の都合より神の都合で物事が進む。神話には人の権力も及びにくい。


 ――女神が姿を見せなくなった? 結構。

 供給が止まれば、価値は上がる。市場の基本だ。物でも奇跡でも変わらない。


 ――御子が再び現れた? もっと結構。

 不在の期間が長いほど、“再臨”は甘美になる。


 私は「沈黙もまた女神の御心」と言わせた。

 沈黙は便利だ。本人が何も言わぬ以上、こちらでどんな理屈でも詰め込める。


 ――御子が浄化の対象を選り好みした? 大いに結構。

 富裕層向けに“奇跡を体験させる”商いを組んだのは、利鞘のためだけではない。聖地の宣伝のためだ。

 御子が欲深い者を拒むというなら拒めばいい。

 誰にでも奇跡を授ける神より、人に敬虔さを求める神の方が教義は作りやすい。

 清貧と崇敬――聖者が好む看板を前面に出して、権威と品格を高める。


 あらゆる国、あらゆる都市が浄化の水を求めている。

 厳格な教義は、価格を吊り上げるもっともらしい口実に使える。


 結局、何が起きようとも利益に繋げる方法はあるのだ。

 私の育てた金のなる木は、成熟した今、どこをどう切り取っても金に換えられる。


 今や、聖地を回すための資金は借り入れる必要などない。

 こぞって集まる寄進の申し出を、こちらが受け入れるか否か選ぶ立場にある。

 どの勢力がいくら出したかで、奇跡の再分配の比率が変わることになる。

 出遅れたものは影響力を失い、水を言い値で買うしかない立場に落ちる。


 最終的な決定権は女神にある――そういうことにしてある。

 どれだけ金を出そうとも、完全に主導権を握ることは出来まい。

 あの女神に直談判して便宜を図らせることが出来ると思うなら、やってみせるがいい。


 大口の出資者には「女神が手ずから浄化した水」「御子の身体だった水」を、“御神体”として譲ってやっている。

 持ち帰った水に祈って効果があるかどうかなど知ったことではない。

 どうせ、受け取る側が欲しいのは、この“神話”に参加する資格でしかないのだ。

 自分たちの街に祠や神殿を建てるならばそうすればいい。

 “水源”はこちらで押さえているのだから、“下流”で行える商売などたかが知れている。


 私はそう信じていた。

 信じていた、というより――慢心していた。


 あの日までは。


※※※※※


 その日も、私は屋敷で各地から届く書簡を検め、様々な決済を下していた。


 近隣で魔樹が現れたと聞いた時はさすがに肝が冷えた。

 村や街がいくつか滅んでいるようで、流民が続々とゴルディウムへ流れ込んできた。


 着の身着のままでやってくる流民は、他の街ではただの厄介者だろう。

 だが、このゴルディウムを拡大し続けるのには貴重な資源だ。

 女神や御子に救わせれば、彼らは熱心な信者に早変わりする。


 計画中の神殿の建設には、多くの人出が必要になると試算が出ている。

 神殿の建設事業を女神に対する献身ということにすれば、信者どもは無償でも働きたがる。


 こちらは増える連中に衣食住を宛がってやればいい。そこで小銭を稼ぐ必要はない。

 維持費と思えば高くはない投資だ。そのための準備は既に進めてきた。


 問題は魔樹だ。


 聖者――アイオリスが自ら出向くかと思ったが、あの男は泉から離れるつもりはないらしい。

 女神に浄化された元“深淵殺し”たちを代わりに向かわせたようだった。

 我が身可愛さに日和るような男ではない。

 とすると、女神の傍を離れがたいか。思いの外、俗なところが出てきたようだ。


 ひとまず、汚れ仕事は汚れた連中に任せておくとしよう。

 責任感で雁字搦めのあの男のことだ、最後は自分の手で片を付けるに決まっている。

 アイオリス以外の元“深淵殺し”が魔樹に対抗し得るならば、その方面でも商売になりそうだ。


 浸蝕を受けた流民への対応は、アイオリスが率先してやっている。ご苦労なことだ。

 御子が次々に浄化を進めているとの報告を受け、こちらは救われた連中の囲い込みに専念する。

 同郷の者だけで固まらせず、救いを体験した先達を世話役に付ける。

 同じ神に救われた者同士で仲間意識を育てさせるのは、酒を酌み交わす以上の速度で人を誑かす。


 今回の変事も乗り切って、商機に繋げてみせよう。女神を使って魔樹をも黄金に変えてやる。


 ――その時、戸が叩かれる乾いた音が響いた。


 その性急な叩き方で何事かあったのだと悟る。


「入れ」


 入ってきた男は、全身ずぶ濡れだった。雨など降っていない。また、女神が何かを起こしたか。


「ほ、報告です、ペッシヌス様」


 私は椅子の背から身を離さず、顎で続きを促した。声を出すと、余計な温度が混ざる。


「……女神イズミール様ご降臨! い、泉が広がりました!」


 その言い方が、もう役に立たない。


「広がった? どういうことだ」


「泉から大量の水が溢れ出し、巨大な水の龍が森を押し流して!」


 言葉を口にするたびに男は興奮していく。報告の体を成していない。

 水の龍というのは、あの黄金化の時にも現れた大蛇のような水の柱のことだろう。

 だが、森を押し流したとはどういうことだ。


 私は指先で机を軽く叩いた。二度。癖だ。考えをまとめる癖だが、今日はまとまらない。


「誰が見た」


「……居合わせた者たち全員がです! 参道に並ぶ者たちも雨を浴びて浄化されて……っ」


 手を向けて制止し、椅子を指差して男を座らせる。

 訳の分からない情報が多すぎて、頭が痛くなる。雨を降らせただと?


「――女神様は、いつ、どこに、どのようにして降臨されたのだ? 聖者殿はどうした。順を追って話せ」


 たっぷりと時間をおいてから、一言ずつ区切って問い質す。

 男は喉を鳴らして頷いた。頷き方が、まだ信者のそれだ。

 嫌な兆候だ。信者は事実を運ばない。崇拝を運ぶ。


「聖者様の御指示で、浸蝕の酷い者を畔に運びましたが、その一人が起き上がって泉に飛び込んだそうなのです。それを追って聖者様も泉に飛び込んで助け出し……出てきた時には聖者様の髪が、金色に――」


「待て」


 私は言葉を切った。息を切るのは報告者だけでいい。


「……アイオリスの髪が、戻ったというのか」


 オルセイスが健在だった頃、私は城に出向いた時にあの少年を見たことがある。

 領主と同じ金の髪、青い瞳。

 女神の浄化を受けても、今まで黒く残ったままだったはずの髪が――元に戻った?


 完全に浄化できるなら、なぜ今までやらなかった。

 手を抜いていたのか。力が増したのか。

 だとしても、なぜ今なのだ? どんな意図がある。


「そ、そうなのです! 肌も白く、瞳の色も青に! 飛び込んだ者も完全に人の姿を取り戻しっ」


 男は嬉々として奇跡を語る。鬱陶しいが、事実を拾い上げねばならない。

 私は我慢しながら、要点だけを抜き取った。


 ――泉へ飛び込んだ者。追って飛び込んだ聖者。聖者の完全な浄化。

 ――その直後に起きた水の龍。雨。虹。洪水。森林の破壊。水域の拡大。

 ――最後に、女神が姿を消し、聖者が現場を指揮し、森への立ち入りを禁じた。


 男を部屋から追い出した後、机に肘をついて情報を精査する。


 話半分だったとしても、とてつもない商機だ。

 森の中のどこまで水域が広がったのかも確認せねば、横取りしようとする者が現れる。

 神殿の建設計画は見直す必要が――いや、すぐにでも調査し、着手すべきだ。

 流民の囲い込みも急がねばならない。人足として仕立てるとしても、まだ男女の内訳すら分かっていない。


 今回の出来事を外にはどう広める? 一旦、差し止めるべきか?

 いや、無理だ。人の口に戸は建てられない。女神の噂ともなれば、なおさらだ。


 考えねばならないことが多すぎる。

 全く、あの女神は気まぐれで度し難い。奇跡を安売りするな、あばずれめ。


 口の中に苦みと渇きを覚えた。

 空のコップを手に取って、水差しに手を伸ばしかけた。


 ――中の水は、あの泉から汲み上げたものだ。


 指が止まった。


 私は思い直して、キャビネットからワインを取り出し、コップに注いだ。

 今はあの水を飲む気になれなかった。

 ろくに味わいもせずに飲み干す。一瓶で金貨数十枚はする代物だが、ろくに味がしない。


 女神が地形を変えた。


 この一文は、帳面に落としきれない。

 浄化の水のように持ち運べる奇跡は“商品”になる。

 御子のように聖地の価値を高める存在も“看板”であり“商品”だ。


 だが、“地形”すら変える奇跡にどう値をつける?

 いつ、どこで、どれほどの規模で起きるかも分からない洪水など、奇跡ではなく災害だ。

 そんな力を握っているのが、あの軽率な女神だと? 冗談ではない。


 そして、もう一つ。


 ――女神はなぜ、アイオリスの黒を今、取り除いた。


 そこだけが、妙に「個人的」だ。

 流民を浄化し、場を救うのは分かる。

 救いを求める者に応えるのが、あの女神の性質なのだと、私は都合よく整理していた。


 だが、今までも、今回も――大きな節目はいつも聖者の周りで起きている。


 最初の浄化。祝福された斧と瓶。黄金の花。御子の再臨。御子の選別。

 女神の顕現。巨大な水龍。洪水による拡大。


 今回の大きな変化も、アイオリスが泉に飛び込んだ後だという。


 私が方便として流した言葉が、脳裏で勝手に育つ。


 ――女神の寵愛を受けた聖者。


 あれは旗印だ。事実である必要はなかった。

 必要なのは、人が飛びつきやすい旗を用意することだ。私はそう考えていた。


 だが――その旗が真実だったら。


 真実だとしたら、何が起きる。


 ――女神が、聖者のためだけに奇跡を起こしているのだとしたら。

 ――好いた男の歓心を得るために、地形すら変える化け物。

 ――それが“善き女神”の顔をしているだけなのだとしたら。


 私は自分の背筋が、笑えないほど真っ直ぐになるのを感じた。

 恐怖は身体の姿勢を変える。商談よりも、戦場よりも、恐怖は正確だ。


 ――結託。


 その言葉が喉の奥に引っかかる。

 聖者と女神が通じ合えば、私の筋書きは悉く紙切れになる。


 今まで、浄化せずに黒を残していたのが、自分の許に男を引き留める駆け引きだったとしたら。

 私の与り知らぬところで両者が通じ合い、引き留める必要がなくなったから――戻した?

 特別な関係であることを周囲に知らしめ、同時に力を誇示する意味は何だ?


 ――私に対する警告。いや、制裁の予告なのではないか。


 思えば、御子を出し渋り、浄化の対象を選り好みしたあたりから、女神は我を見せ始めていた。

 私はそれを商機として利用するだけだったが、今回の出来事がそれに対する反応だというのか。


 私がどのように囲い込もうと、人間などどうにでも出来ると言うのか――


 私の中で再び神秘への怒りが再燃する。


 気まぐれに人を救い、人を見捨てる化け物の分際で、人間の男にうつつを抜かすなど……。

 いや、それさえも暇を持て余した神の戯れに過ぎないのかもしれない。


 ――お前の大事な男を奪ってやろうか。


 アイオリスを排除する――その思考はすぐに自分で打ち消した。

 今すぐに取り除くことなどできない。女神の勘気を買うのは間違いない。

 相手は言葉も通じない人外の化け物だ。僅かな脅しにすら過剰に反応しかねない。


 ……だが、“備える”ことはできる。

 備えることは罪ではない。生き延びるための知恵だ。


 オルセイスのことを鎖として持ち出したが、アイオリスに個人的な恨みはない。

 だが、奴が私の排除を願ったとしたら、あの化け物が先走って何を仕出かすか予想もつかない。

 あれは愚直で清廉な男だが、女に溺れれば人は如何様にも変わる。

 手筈だけは考えておく必要がある。


※※※※※


 私は森と水域から離れた場所に急いで住まいを移した。

 水上神殿の監督は現場の責任者に任せ、私は“高所”から指示を出すことにする。

 見下ろすためではない。水面から遠ざかるためだ。


 あばら家同然の家だが、野宿や天幕暮らしよりはマシだ。

 元の住人は金を積んで追い出し、改築を進めさせている。槌音が煩わしい。


 水面は女神の目――誰の口から出た言葉だったか。

 以前は鼻で笑っていたものだが、今はもう笑えない。


 私は泉から汲んだ水を近づけないようにした。

 泉の水を通して、女神が私を覗き込んでいるのではないかと感じるようになったからだ。


 あの穏やかな微笑――黒禍も人間も同列に見下す、感情の無い瞳で。


 私はあの目が怖いのだ。

 あの水から、いつでも“こちら側”に指を伸ばせるという事実が恐ろしい。


 飲み水を変えた。他所から取り寄せた水だ。

 金はかかるが、安心と安全には代えられない。


 酒。葡萄酒。麦酒。濃い酒を机の下に隠すようになった。

 水代わりというだけではない。

 眠れないからだ。眠れない夜は、数を数えるより酒の方が早い。

 故郷を失った直後の酒浸りの生活がまた戻ってきた。


 酒は、頭を鈍らせる。鈍った頭で私は苛立つ。苛立ちで私はまた飲む。


 帳面に線が増える。数字が増える。寄進が増える。人が増える。仕事が増える。

 なのに、私の感覚だけが鈍っていく。

 部下の報告が遅く感じる。書簡の文字が滲む。

 声がやけに大きい。笑い声がやけに耳につく。改築の音に苛立つ。


 私は今も、聖地の拡大を指示している。

 神殿の建設計画は、水上神殿へと書き直させ、着手を急がせている。

 建築家、大工、彫刻家、彫金師、船大工、金の糸目をつけずに職人を集めている。

 水域はズミュルナ湖と名付け、聖地ゴルディウムと共に名を広める。

 布告文は美しく整え、清貧と崇敬を掲げ、寄進の列を作り、宿を増やし、道を伸ばす。


 だが、伸びているのは道だけではない。


 ――女神の影が伸びている。

 ――聖者の手が、その影に触れている。


 そんな気がする。


 私は、国や都市からの寄進を積極的に受け入れさせるように方針を転換した。

 聖地の運営に一部噛ませてやることを条件に、拡大した聖地の境界の防衛のために兵を出させた。

 一勢力に偏らずにしておけば、互いに牽制し合って武力で制圧してくることもない。


 ”深淵殺し”どもを女神に浄化させれば、武力は確保できる。

 だが、奴らは女神の信奉者だ。いざとなれば女神のために私を吊るすだろう。

 私は壁が欲しかったのだ。外に対してではない、湖の中心にいるあの化け物を囲う壁だ。 


 私はもう一杯、ワインを注いだ。香りは分かる。

 値段も分かる。産地も分かる。だが味がしない。


 私はコップを置き、机の上の帳簿を開いた。

 帳簿の上では、途方もない桁の黄金が私の下に集まっている。

 あまりの額面の大きさに、本物の黄金だけでなく手形でやり取りをしているほどだ。


 かつて、私は手に取れる黄金の重さだけを信じていた。

 だが、帳簿に記された黄金には重さがない。

 紙が震えている。手が震えているのか、家が揺れているのか分からない。


 窓の外の風が、水の匂いを運んでくる気がして、私は窓を閉めた。

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― 新着の感想 ―
やっと神に対して畏れを抱くようになりましたか。 神は人間の思惑通りには動かないし怒らせれば天罰もあるというのに。 まあこの女神の本当の内面は…アレだけど。 人間から見るとやってることは色んな意味で神な…
流れ変わったな!
一応、偽善ではあるけど今のところは結果は出してるのよねぇ。動機はアレだけど。 でもその動機。富を得る、だけど。それで幸せどころか精神を苛まれてさ。何のために神秘で商売してるんだろうね。
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