40.ノーと言える泉の女神 〇★
(失敗した、失敗した、失敗した)
クレーマー対応を見せられるのが我慢できなくて、量産型で蹴り飛ばしたあれ――
……うん、完全に逆効果だった。
確かに、ほんの少しだけ気は晴れた。
砂利の底に沈んでたドロッとした何かが、泡になってぷつんと弾けた感じがした。
……その代わり、翌日から客が増えた。
明らかに増えた。増えたぶんだけ、祈りも増えた。ドバッと。
増えるのは、気持ちいい。気持ちいいから、気持ち悪い。
俺の中に勝手に注がれてくる熱が、勝手に水位を上げていく。
俺は泉だ。増えたら広がる。広がったら視線を集めやすい。
視線を集めたら、また増える。最悪の永久機関。
(やっちまった……)
あの蹴りは制裁になってなかった。
俺の水は、化け物にはよく効く。黒いのを抱えてるやつには、浄化が刺さる。
でも普通の生き物にぶつけたら、ただの水だ。
量産型一体分の水量でできることなんて、せいぜい転ばせるくらい。
バケツで水をぶっかけても、威嚇にはなっても殴ったとは思われない。
奴らはそれを「ご褒美」だと思ってる節がある。
連中にとってあれは、女神の使いに触れられて縁起がいい。
仔猫に甘噛みされたり、引っかかれて、「猫ちゃんはきゃわうぃいねぇ!」みたいな扱い。
最悪。
前からそうだったって? そうだよ、カッとなってそんなことも頭になかった。
しょうがねえだろ、泉だから頭なんかねえんだよ……。
どうも、この身体になってから感情が抑えられない時がある。
瞬間湯沸かし器みたいにカーッとなると突っ走るのが癖になってる気がする。
熱くはなれないのに沸きやすいってどういうことだよ、気圧が低いのか?
いや、気圧? 血圧? 水圧か?
人間だった頃の俺はもっとクールだった筈だ……たぶん、たしか、きっと。
※※※※※
少し冷静になって、改めて観察しててわかってきたこともある。
それは、参拝客どもの種類と傾向だ。
まず、泉の畔まで来るやつと来ないやつがいる。
より正確には――たぶん、”来れるやつ”と”来れないやつ”。
たぶん、入場規制的なものがある。
ほとんどは来れないやつだ。
こいつらは社に参拝して、供え物をしたり賽銭をして、遠巻きに泉を拝んでいく。
そして、”来れるやつ”を羨ましそうに眺めている。
奴らは、露店みたいなとこで(おそらく)水を買ってる。
俺から汲まれたものだと思うけど、そうじゃないかもしれない。
樽。桶。皮袋。瓶。コップ。盃。
そういうので水を受け取って、飲んだり、身体にかけたりしてる。
効き目があるかって? 知るか。俺の操作範囲外だ。知らん知らん。
こいつらは"一般参拝者枠"……ってことにしておく。
あとは大工どもを始めとする、やたら見かける連中。
この連中は他の客より来る時間が早いし、毎日のように来る。
しかも手ぶらで。たぶん、近くに住み着いてて、近所の寺や神社感覚で来てる。
あと、露店とか屋台を開くのもこいつら。ますますイベント会場じみてる。
とりあえず、"現地住民枠"とでも思っておく。
次。”来れるやつ”。
この連中は大体二種類に分けられる。
まず代表的なのは、化け物になりかけてたり、ヤバそうな武器を持ってたりする連中。
何故か黒髪の奴らが多い。
こいつらは皮膚に黒い染みがあったり、角とか鱗とか、半分化け物になりかけてたり、やたら調子が悪そうだったりする。
こいつらはなんというか”匂い”からして違う。
俺は匂いとか味とかは感じられないけど、この連中のヤバい感じは水面越しでもわかる。
完全に化け物になってる奴と同じような、あのヤバみがプンプンする。
こいつらは俺にそれを治してほしいんだろう。目が必死だ。”病人枠”とする。
で、もう一種。
見るからに金持ってそうなやつだ。
服がピカピカしてる。飾りが多い。あの水色のタスキも、布の質が違う。
刺繍があって、縁取りがあって、やたらと厚い。
たまに病人枠も兼ねてる奴もいるが、大体は他の奴らよりよほど健康そう。
こいつらは”VIP枠”ってことにしておく。
この連中は、だいたい態度が悪い。
態度の悪さ、っていうのは言葉がわからなくてもわかる。
顎が上がってるとか、視線が人を見下してるとかそういうやつ。
こいつらの「優遇されて当然」って顔、嫌いだ。ムカつく。
要するに、
――治療が必要なやつと、金払いのいい上客は、泉にご招待。
――健康そうなやつ、金のないやつは、社で我慢しとけ。
そういう方針に見える。
俺という商品を囲い込む仕組みが、もう出来てる。
それが、気持ち悪いくらいちゃんとしてる。
※※※※※
ただ、わからないのは木こり野郎だ。
見た感じ、こいつが「来れる/来れない」を選り分けてる。
入場整理係。ついでに来場者の指導。
トラブル対応。警備。司会。通訳――全部こいつの仕事だ。
だが、ただの下っ端にしては、やけに特別扱いされてるように見える。
俺じゃなくて、あいつにお辞儀するやつがいる。あいつに祈るやつまでいる。
なんか俺のマネージャー? 代理人? そんな扱いをされてるように見える。
ふざけんな、そいつはただの押し掛け……なんだ? ストーカー? 厄介オタク?
ちなみに、女どもからは熱視線が集まってる……ケッ、死ねよ、イケメンが。
で、どうも、あの野郎が頷かない限り、VIP枠の客でもおいそれと泉に近づけないらしい。
それで結構、揉めて、奴が対応に追われることになる。
揉めてる時ってのは、言葉がわからなくてもわかる。
声がでかくなる。肩を怒らせて顔が赤くなる。周りが一歩引いてざわつく。
あいつの表情や肩が固くなる。
あいつはこの泉の会場責任者を押し付けられているっぽい。
しかもワンオペ。ほぼ不眠不休なんじゃないか。
だってこいつ、昼もいる。夜も来る。
……こいつ、いつ寝て、いつ食ってるんだ?
ずっと泉の畔に張り付いてる。根っこでも生えてんのか。木こりだからか。
俺は、こいつが盗っ人野郎の手下で、俺を金儲けの道具として売り渡したんだろ、って思い込んでた。初めから手下だったのか、後からそうなったのかは分からない。
でも金のためにやってるにしては、仕事がブラックすぎる。
こいつのありさまときたら、ほぼ社畜だ。
それも、一番の下っ端よりなお最悪な位置づけ――中間管理職。
下からは突き上げられ、上からは責められ、取引先からも無限に殴られるポジション。
こいつは絶対要領も悪い。……そのうち過労死するんじゃないか。
(社畜だからって同情してんのか……?)
待て待て。あわてるな。
そう思うのは、こいつの信仰のせいかもしれない。
こいつの祈りで増やされた分の俺が勝手に「かわいそう」とか言ってるだけかもしれない。
善良ぶって、俺の境界を溶かしてきやがって……。
でも、それだけ量を占めるってことは、こいつの俺に対する信仰が本物ってことに――
(いやいやいや、やめ! 考えるのやめ!)
また最悪ループに入るところだった。
とりあえず木こり野郎と完全に決別するのは……うん、保留にしておいてやる。
水に流すって言葉は嫌いだが、多少なりとも意思の疎通が出来る奴を敵に回せる余裕がない。
……っていうか、嫌なものを流される先が俺じゃん。絶賛流されまくってるじゃん。
しかも、俺、泉だから流れていく先もない……終わってんな。
まぁ、その、なんだ……。
今度祈ってきたら、既読くらいはつけてやってもいい……かな。
あの木彫りのこととか、黄金化とかは、とりあえず置いておく。
あいつは、水に飛び込んで来そうなアホやクレーマーから俺を守る防波堤だ。
他にそれを任せられそうなやつがいない。だから、しょうがない。
(……防波堤って、俺がぶつかりに行く方じゃん)
あー、馬鹿らしい。
※※※※※
今置かれてる状況を現実的に考えよう。
俺は泉の女神として、多くの人間に信仰されつつある。
これをどうにかするには、徹底抗戦か、完全無視だ。
正直、どっちも厳しい。
全力の水流なら攻撃になるかもしれない。
だけどあれをやると気を失いかねないし、水量も減る。
俺は動けない。持久戦もできない。投石器とか、魔法とか、遠くからやられたら手が出せない。
無視もまずい。
姿を見せないで「いない」って思わせても、もう姿も効果を見せちゃってる。
回復の水として枯れるまで汲まれそうだし、舐められたら生活用水化待ったなし。最悪だ。
量産型俺は、たぶん「神の使い」みたいにありがたがられてる。
あれがただの水フィギュアだってことは、バレてなさそうだ。
浄化のたびに毎回ぶっ壊れてるけど、同じ形で出し続けてるからか、もうそういうものだって思ってそう。
どう扱われてるのかは知らんが、こっちにとってもたぶん好都合だ。
だって、大量の信者と直接対面するとか絶対に嫌だ。
俺には武道館ライブの夢なんかない。熱い視線なんか集めたくない、死ぬ。
量産型は壁だ。群衆の目を俺から逸らすデコイだ。
勝手に崇めてろ、グッズでも作って祭壇に飾ってそっちに祈れ。
で、この状況――俺という偶像を商売道具に利用してる奴がいる。
木こり野郎にそんな器用でこすい真似ができるとは思えない。
たぶん、あの盗っ人野郎がこの商売を仕切ってる。
あいつは泉に姿を見せない。
こないだ来たのはVIPが相手だったからだろう。つまり、スポンサーへの接待か?
あれが最初の一回目だから自分で案内した……ってことは、だ。
あの時点では、まだプレゼン段階で、商売が完全に軌道に乗ってはいなかったんじゃないか?
で、俺がキレて姿を見せて派手なパフォーマンスをしたもんだから、
胡散臭い泉から、女神様降臨の聖地もとい聖池に格上げ。
プレゼンは完全に成功、商売は無事に軌道に乗りました。
めでたしめでたし。
(めでたくねえよ……最悪じゃん……自業自得じゃねえか……)
無限に落ち込みそうになるが、やっちまったもんはしょうがない。
方針を考えなきゃいけない。
大前提:俺、盗っ人野郎、嫌い。
あいつの思い通りになるの、マジで許せない。
成金は嫌いだ。社畜をこき使うクソ経営者も大嫌いだ。
しかも、あの野郎は俺を汚しやがった、万死に値する。
今から信仰を減らすのは厳しいにしても、あいつの商売はぶっ潰したい。
奴の商売の邪魔をするにはどうしたらいい?
……そうだ。
気に入らないやつには拒否するって意思表示だ。
蹴るんじゃなくて、無視する。
健康そうで金持ちそうなやつ、あのゴテゴテタスキをつけてるやつには、量産型をぶつけない。
あれがVIP用の特別招待券なんだろ? けど、俺にはそんなの関係ない。
あれを付けてる奴を無視する。
出しても目の前でそっぽを向いて泉に戻してやる。
これなら蹴られても喜ぶ馬鹿どもにだって、さすがにわかるだろ。
「お前らにはくれてやんねぇ」って。
俺に勝手に値札を貼って、ボロい商売しようったってそうはいかねえ。
で、それには、あの木こり野郎にも働いて貰わなくちゃならない。
俺がそっぽを向いたところで、金儲けしようって奴は「課金が足らない」からだとか言うんだ。
「出るまで課金しろ」「みんなこのくらい払ってる」……クソ運営のやりそうなことだ。
だから、木こり野郎。
お前がなんかいい感じに「女神の意思」ってことにして説明しろ。
俺の意思を汲んでわからせろ。そういうの、お前の役目だろ。
無茶ぶりしてる気もする。
あいつがまた忙しくなるだけかもしれない。
けど、言葉の通じない俺に出来る「ノー」の示し方はこのくらいだ。
よし。これでやってみよう。
※※※※※
翌日。
社の前は朝からざわざわしてる。
まず、現地住民どもが社にお祈りして、引き返していったり、屋台を組んだり。
その後、道の方から音の塊が近付いて来る。
足音だったり、息遣いだったり、言葉だったり、そういうのを全部まとめた塊。
熱量を持ったその塊が押し掛けてきて、社に祈る。
祈りが多い。祈りは湧き口に刺さる。刺さって、増える。
(やめろって……)
それから、泉の畔に、来れるやつが並ぶ。
病人枠が先に通されてる。木こり野郎が、一人一人止めて、指で示して、順番を作ってる。
縋られても怒鳴られても動じない。殴られることもある……避けろよ。馬鹿か。
その後ろに、VIP枠が来る。
豪勢なタスキ。豪華な服。武器を持って鎧を着た護衛っぽいのを連れてることもある。
VIP枠の一人が、木こり野郎の脇を抜けて泉に向かってくる。
木こり野郎の前に出て、何か言ってる。言葉はわからない。
でもVIPは「当然」「今すぐ」「俺は特別」って顔してる。
ああいう顔、知ってる。会社にもいた。世界が違っても、人間の顔は同じだ。
木こり野郎は頷かない。
頷かないから、相手の声がでかくなる。
でかい声は、泉に響く。響くと、俺の腹(腹なんかないけど)に嫌なものが溜まる。
(……追い返せ、そんな奴)
VIP枠が、木こり野郎を押し退けようとした。
その瞬間、木こり野郎の肩が動いた。止める動き。俺の壁になる動き。
今まではただ見ているだけだった。
だけど、俺は――今日だけは、やる。
量産型を一体だけ出す。
水面に、ぽこ、と泡が立つ。泡が膨らんで、水の塊が浮き上がる。
人型。小さな人型。いつもの量産型俺。
出ると、空気が変わる。声が一斉に上がる。祈りが刺さる。
俺が増える。ああ、気持ち悪い。吐きそう。
(やるぞやるぞ、俺はやるぞ)
量産型を、VIP枠の目の前まで滑らせる。
相手は嬉しそうに手を伸ばした。抱きしめようとするように。キモい。
その瞬間。
俺は量産型を、すっと後退させた。
伸びてきた指を避けるみたいに、ほんの少し距離を取って――そのまま、くるりと背中を向けて、水面に立たせる。
(お前なんかお呼びじゃねえ、帰れ!)
そして、もう一回、そいつの方を向いてからそっぽを向いて、水面に溶ける。
何もしない。触れさせない。それを態度で示してやった。
空気が、固まった。
伸ばされたままの手が、空中で止まっていた。
止まってから、どっと騒ぐ。
声が上がる。ざわめく。笑うやつもいる。
主に”来れない奴”の輪からだ。
病人でもないのに、金を払って近づいてきた奴が拒否られた。
ざまぁって感じだろ? 俺もそう思う。
俺に拒否られた奴はしばらく固まって、それから段々飲み込めたのか、怒りだした。
それがまた、周りを沸かせる。
恥をかかされたこと、拒否られたこと、どっちに腹を立てたのか分からないが、そいつは木こり野郎に食って掛かった。
俺が拒否ったのを見て、木こり野郎の肩が、わずかに揺れた。
驚いたのか。困ったのか。……嬉しいのか。
木こり野郎は、VIP枠に向かって何か言った。
言葉はわからない。
あいつは「説明」してる。硬い顔だ。苦い顔だ。歯を食いしばってる顔だ。
でも、今回はいつもと違って「話の材料」がある筈だ。
俺が突き付けた「ノー」っていう材料がな。
VIP枠が、さらに声を荒げた。
木こり野郎は、頷かない。
頷かないまま、泉をちらっと見た。
その視線が刺さって、俺の底がきゅっと縮む。
(……言え、言ってやれ。俺の意思ってことにしろ。やれ)
俺は水面に波紋を立てた。
風もない。落ち葉もない――水面に、輪だけが広がっていく。
これは俺からの合図だ。
祈りへの返事じゃない、俺からあいつに対する号令だ。
木こり野郎は目を見開いた。瞳が揺れる。
広がる波紋を目で追いかけて、胸に手を当て、一度目を閉じた。
その目が開くのを待って、もう一度だけ、小さく波紋を立てた。
木こり野郎が頷いて、怒るVIPに向き直った。
その顔は水面に映っておらず見えない。
見えるのは背中だけだ。
立っている時のこいつはいつでも背筋を伸ばしている。
でも、今までよりも芯が入っているように見えた。
あの斧と瓶を持たせた時みたいに。
……なんだよ、お前、ちょっと応えてやったくらいで。
あんだけ辛気臭い面をしてやがったのに、急にはしゃぎやがって。
お前、どうせまた、何か変な勘違いしてやがるんだろ。
女神様に使命をいただいた、とかなんとか。
まぁ、なんでもいい。
(やってみせろよ木こり野郎――)




