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4.八畳間の牢屋 〇

 そうして俺は、寝食を忘れた。


 ……寝食なんて必要ないんだけどな。


 この身体になってから、腹も減らないし、眠気もない。

 身体的・生理的なストレスが無いと集中が持続しやすい。

 だからこそ逆に、止まれない。区切りがない。

 時間が溶けて、俺の意識はずっと造形と操作に張り付いたままになる。


 浄化はほぼ無意識で使い続けた。

 泥の割合が多くなると、水の操作の自由が利きにくくなるらしく、どんどん浄化する。

 葉っぱや枝、石みたいなはっきりと形のある物体は浄化では消せない。

 だから、濁りの元になる泥は水流で攪拌してから浄化して消したり、波で外に追い出した。


 身の回りの整理がついたら、後は作って、作って、作って。


 そして、ついに完成した。


 角ばった人型のフォルム。

 頭にV字のアンテナ。

 背中にランドセル。


 そう――ガ〇ダムだ!


 若干、作画と造形が狂ってる。いや、だいぶ狂ってる。

 そもそも俺の記憶が曖昧なんだよ。

 けど、原作だって回によっては結構――いや、そこは言うと怒られるからやめとく。

 俺は今、ここで一人で勝手に作ってるだけだ。私的利用、私的利用。


 それはさておき。


 俺の渾身の作品は、ただのフィギュアじゃない。

 こいつは動く。動かせる。

 動かすのは俺だけどな。


 外側から見て形を保ち続けないといけないからなのか、そっちに意識が移るわけじゃない。

 TPS視点のゲームでキャラを操作する感覚に近い。


(ふ……ふふ)


 自分の中でニヤけた。顔がないのにニヤけた。

 だって、これは変革への一歩だ。俺が俺だった頃を取り戻す為の一歩。


(翔べ! ガン〇ム!)


 声は出てない。もちろん出てない。

 でも、叫んだ気分だけは完璧だった。俺の内側が熱くなって、水面がちゃぷんと踊った。


 満を持して、発進。


 水面から空へ向かって打ち上げる。

 足が水面を離れる。空中でも手足が動く。腕が開く。脚が折れる。関節が曲がる。


(いける!)


 途中までは上手くいった。

 俺の中から離れても、操作が効いている。やれるじゃないか。

 これなら空を飛べる。泉から出られる。移動できる。外へ――外の世界へ。


 ――しかし。


 水面から二、三メートル登ったところで。


 バシャン、と弾けた。


 形が崩れるというより、「糸が切れた」みたいに、ただの水に戻った。

 重力に従ってボタボタ落ちて、泉へ帰ってきた。


 止める暇もなかった。

 崩れるのを支えることも、戻れと命令することも、できなかった。


(……え?)


 俺は混乱した。


 形状の維持はできていたはずだ。集中も切れていなかった。むしろ今が一番集中していた。

 なのに途中から操作を受け付けなくなった。急に、ぷつんと。


 そこで、今更ながら気付いた。


 俺は――この泉から大きく離れた水を操作できない。


 造形と操作にばかり集中していて、操作が効く距離の限界を考えていなかった。

 いや、薄々感じながら、目を背けていただけだ。


 俺はこの泉から離れることは出来ないだろうって事実から。


※※※※※


 ……諦めるのはまだ早い。


 そうだろ。

 泉が俺なら、泉を拡げれば俺も大きくなるはずだ。

 面積が大きくなれば、操作の射程も伸びるかもしれない。

 泉ごと移動できるかもしれない。


 俺の希望は、いつも理屈っぽい顔でやってくる。

 昔からそうしていたように、俺はその理屈に縋った。


 まず畔の土だ。


 水弾を作る。

 水鉄砲じゃない。バケツバシャでもない。もっと集中した塊を、硬い意志みたいに叩きつける。


 ぱしっ。

 ぱしっ。

 ぱしっ。


 土が削れる。

 土が崩れて、泥になる。泥になれば、水と混ざる。水と混ざれば――浄化で消せる。

 落ち葉や枝、砂利はバケツ水に混ぜて外に追い出す。


 ついでに水流を操作して水底をさらって掘り進める。

 拡げるだけでは浅くなる、深さを確保して雨水を溜める容量を増やす。


 やれる。


 最初は上手くいった。


 畔が少しずつ崩れる。縁が、ほんの僅かずつ外へ広がる。

 見える空が広がった。木々の影が遠ざかった。水面が広くなると、二つの月が映るスペースも増える。意味もなく、気分が良い。


 四畳半だった俺は、六畳間、八畳間と進化していった。


(……八畳間)


 自分で言って、自分で笑いそうになった。

 泉のサイズを部屋で例えるなよ。いや、部屋しか知らねえんだよ。

 俺は日本の一人暮らしだったんだよ。

 二畳とか四畳とかの“狭さ”に人生を詰め込んでたんだよ。

 泉になっても、脳みその物差しは変わらねえ。


 それにしても――やれる。広げられる。


 そう思った矢先だった。

 木の根に近づくにつれて、土の感触が変わった。


 上の方はフカフカとした腐葉土で簡単に崩して消せる。

 問題はもっと下、根の周りに陣取る粘土だ。


 泥水は動かせるし、混ざった泥を浄化で消せる。

 だが泥に染み込んだ水は”俺”じゃなくなる。操作できない、消せない。


 それが俺の限界だ。


 粘土質の土壌は、まとわりつく。水と馴染まない”固さ”がある。

 泥みたいに崩れない。水弾をぶつけても、えぐれるだけで、決定的に崩れない。


 さらにその先は、砂や岩混じりになってきた。


 砂利は浄化で消せない。

 泉の底にあった砂利は、水流で動かし、バケツ水に混ぜて外に放り出していった。

 しかし、掘っても掘っても出てくるし、あまり遠くにも飛ばせない。

 石ころや岩はもっと始末に負えない。


(ふざけんなよ)


 水滴が岩を穿つこともある。知ってる。

 千年万年かければ、岩だって削れるらしい。鍾乳洞だってできる。

 そういう話は好きだ。ロマンがある。


 でも俺はいま、この瞬間が地獄なんだよ。

 千年万年もここで石を舐め続けてろって? できるわけないだろ。


 そして、粘土層にぶつかったあたりで、俺は別のことを考え始めた。

 いつもの”最悪の想像”だ。


 この粘土層――厄介で邪魔で、苛つく牢獄の壁みたいなやつ。


 でも、もしかして。

 この厄介な粘土が、俺をここに泉として留めているんじゃないか?


 そう思った瞬間、背筋が寒くなった。

 寒くないはずなのに、寒気だけは走った。


 泉っていうのは、ただ水が溜まってるだけじゃない。

 地形があって、土壌があって。水が染み込みにくい層があるからこそ、水はそこに留まる。


 もし、この先が砂利や小石ばかりの”水はけ抜群の土壌”だったら?

 もし掘り進めて斜面に行き着いたら?


 俺は――小川になるかもしれない。

 地下水として流出し続けて干上がるかもしれない。


 流れる。

 留まれない。


 その時、意識が移ったり広がるとは限らない。


 ただ減っていくことになりかねない。

 俺が俺でいられるのは、”まとまった水量があるから”かもしれない。

 まとまりが崩れたら、俺は薄くなって、ばらけて、消えるかもしれない。


(……これ、生命線じゃん)


 厄介で邪魔で苛つく粘土が、実は俺の命綱。

 俺を閉じ込める土の壁は、俺が生きていける部屋の壁だった。


 皮肉が過ぎる。

 俺の人生、最後までそういうノリかよ。


 俺は、泉の拡張を断念した。


 これ以上やるのは危険だ。

 自由を求めて、存在そのものを切り売りすることになる。


 手の届く範囲で我慢する。

 そう決めた。


 決めた瞬間、妙に静かになった。

 水面が落ち着く。落ち葉が浮いている。空が映る。二つの月が、また別々の方角に動いていく。


 俺は八畳間の牢屋に座り込んだ気分で、黙ってその光を見ていた。

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