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〇八畳間の牢屋

 そうして俺は、寝食を忘れた。


 ……寝食なんて必要ないんだけどな。


 この身体になってから、腹も減らないし、眠気もない。

 身体的・生理的なストレスが無いと集中が持続しやすい。

 だからこそ逆に、止まれない。区切りがない。

 時間が溶けて、俺の意識はずっと造形と操作に張り付いたままになる。


 浄化はほぼ無意識で使い続けた。

 泥の割合が多くなると、水の操作の自由が利きにくくなるらしく、どんどん浄化する。

 葉っぱや枝、石みたいなはっきりと形のある物体は浄化では消せない。

 だから、濁りの元になる泥は水流で攪拌してから浄化して消したり、波で外に追い出した。


 身の回りの整理がついたら、後は作って、作って、作って。


 そして、ついに完成した。


 角ばった人型のフォルム。

 頭にV字のアンテナ。

 背中にランドセル。


 そう――ガ〇ダムだ!


 若干、作画と造形が狂ってる。いや、だいぶ狂ってる。

 そもそも俺の記憶が曖昧なんだよ。

 けど、原作だって回によっては結構――いや、そこは言うと怒られるからやめとく。

 俺は今、ここで一人で勝手に作ってるだけだ。私的利用、私的利用。


 それはさておき。


 俺の渾身の作品は、ただのフィギュアじゃない。

 こいつは動く。動かせる。

 動かすのは俺だけどな。


 外側から見て形を保ち続けないといけないからなのか、そっちに意識が移るわけじゃない。

 TPS視点のゲームでキャラを操作する感覚に近い。


(ふ……ふふ)


 自分の中でニヤけた。顔がないのにニヤけた。

 だって、これは変革への一歩だ。俺が俺だった頃を取り戻す為の一歩。


(翔べ! ガン〇ム!)


 声は出てない。もちろん出てない。

 でも、叫んだ気分だけは完璧だった。俺の内側が熱くなって、水面がちゃぷんと踊った。


 満を持して、発進。


 水面から空へ向かって打ち上げる。

 足が水面を離れる。空中でも手足が動く。腕が開く。脚が折れる。関節が曲がる。


(いける!)


 途中までは上手くいった。

 俺の中から離れても、操作が効いている。やれるじゃないか。

 これなら空を飛べる。泉から出られる。移動できる。外へ――外の世界へ。


 ――しかし。


 水面から二、三メートル登ったところで。


 バシャン、と弾けた。


 形が崩れるというより、「糸が切れた」みたいに、ただの水に戻った。

 重力に従ってボタボタ落ちて、泉へ帰ってきた。


 止める暇もなかった。

 崩れるのを支えることも、戻れと命令することも、できなかった。


(……え?)


 俺は混乱した。


 形状の維持はできていたはずだ。集中も切れていなかった。むしろ今が一番集中していた。

 なのに途中から操作を受け付けなくなった。急に、ぷつんと。


 そこで、今更ながら気付いた。


 俺は――この泉から大きく離れた水を操作できない。


 造形と操作にばかり集中していて、操作が効く距離の限界を考えていなかった。

 いや、薄々感じながら、目を背けていただけだ。


 俺はこの泉から離れることは出来ないだろうって事実から。


※※※※※


 ……諦めるのはまだ早い。


 そうだろ。

 泉が俺なら、泉を拡げれば俺も大きくなるはずだ。

 面積が大きくなれば、操作の射程も伸びるかもしれない。

 泉ごと移動できるかもしれない。


 俺の希望は、いつも理屈っぽい顔でやってくる。

 昔からそうしていたように、俺はその理屈に縋った。


 まず畔の土だ。


 水弾を作る。

 水鉄砲じゃない。バケツバシャでもない。もっと集中した塊を、硬い意志みたいに叩きつける。


 ぱしっ。

 ぱしっ。

 ぱしっ。


 土が削れる。

 土が崩れて、泥になる。泥になれば、水と混ざる。水と混ざれば――浄化で消せる。

 落ち葉や枝、砂利はバケツ水に混ぜて外に追い出す。


 ついでに水流を操作して水底をさらって掘り進める。

 拡げるだけでは浅くなる、深さを確保して雨水を溜める容量を増やす。


 やれる。


 最初は上手くいった。


 畔が少しずつ崩れる。縁が、ほんの僅かずつ外へ広がる。

 見える空が広がった。木々の影が遠ざかった。水面が広くなると、二つの月が映るスペースも増える。意味もなく、気分が良い。


 四畳半だった俺は、六畳間、八畳間と進化していった。


(……八畳間)


 自分で言って、自分で笑いそうになった。

 泉のサイズを部屋で例えるなよ。いや、部屋しか知らねえんだよ。

 俺は日本の一人暮らしだったんだよ。

 二畳とか四畳とかの“狭さ”に人生を詰め込んでたんだよ。

 泉になっても、脳みその物差しは変わらねえ。


 それにしても――やれる。広げられる。


 そう思った矢先だった。

 木の根に近づくにつれて、土の感触が変わった。


 上の方はフカフカとした腐葉土で簡単に崩して消せる。

 問題はもっと下、根の周りに陣取る粘土だ。


 泥水は動かせるし、混ざった泥を浄化で消せる。

 だが泥に染み込んだ水は俺じゃなくなる。操作できない、消せない。


 それが俺の限界だ。


 粘土質の土壌は、まとわりつく。水と馴染まない「固さ」がある。

 泥みたいに崩れない。水弾をぶつけても、えぐれるだけで、決定的に崩れない。


 さらにその先は、砂や岩混じりになってきた。


 砂利は浄化で消せない。

 泉の底にあった砂利は、水流で動かし、バケツ水に混ぜて外に放り出していった。

 しかし、掘っても掘っても出てくるし、あまり遠くにも飛ばせない。

 石ころや岩はもっと始末に負えない。


(ふざけんなよ)


 水滴が岩を穿つこともある。知ってる。

 千年万年かければ、岩だって削れるらしい。鍾乳洞だってできる。

 そういう話は好きだ。ロマンがある。


 でも俺はいま、この瞬間が地獄なんだよ。

 千年万年もここで石を舐め続けてろって? できるわけないだろ。


 そして、粘土層にぶつかったあたりで、俺は別のことを考え始めた。

 いつもの「最悪の想像」だ。


 この粘土層――厄介で邪魔で、苛つく牢獄の壁みたいなやつ。


 でも、もしかして。

 この厄介な粘土が、俺をここに泉として留めているんじゃないか?


 そう思った瞬間、背筋が寒くなった。

 寒くないはずなのに、寒気だけは走った。


 泉っていうのは、ただ水が溜まってるだけじゃない。

 地形があって、土壌があって。水が染み込みにくい層があるからこそ、水はそこに留まる。


 もし、この先が砂利や小石ばかりの「水はけ抜群の土壌」だったら?

 もし掘り進めて斜面に行き着いたら?


 俺は――小川になるかもしれない。

 地下水として流出し続けて干上がるかもしれない。


 流れる。

 留まれない。


 その時、意識が移ったり広がるとは限らない。


 ただ減っていくことになりかねない。

 俺が俺でいられるのは「まとまった水量があるから」かもしれない。

 まとまりが崩れたら、俺は薄くなって、ばらけて、消えるかもしれない。


(……これ、生命線じゃん)


 厄介で邪魔で苛つく粘土が、実は俺の命綱。

 俺を閉じ込める土の壁は、俺が生きていける部屋の壁だった。


 皮肉が過ぎる。

 俺の人生、最後までそういうノリかよ。


 俺は、泉の拡張を断念した。


 これ以上やるのは危険だ。

 自由を求めて、存在そのものを切り売りすることになる。


 手の届く範囲で我慢する。

 そう決めた。


 決めた瞬間、妙に静かになった。

 水面が落ち着く。落ち葉が浮いている。空が映る。二つの月が、また別々の方角に動いていく。


 俺は八畳間の牢屋に座り込んだ気分で、黙ってその光を見ていた。

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