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34.零れた水は何所へ行く ◆〇★

この先、誤解 があるぞ

 あれから、私は幾度も救いを求める者たちを泉に案内した。

 あの御方と御子様方への崇敬を説き、泉を穢すことの無いよう戒める。

 それが、あの御方の信奉者たる私の務めだと信じて。


 女神イズミールは――未だ、御姿をお見せにならない。

 私の祈りにも応えてくださらないことがある。


 鏡のような水面が、静かに森の光を返しているだけだと気づくたび、胸の内に二つの痛みが生まれる。

 一つは私情――あの御方の面影を一瞬でも見たいという浅ましさ。

 もう一つは信仰者としての不安――沈黙が拒絶ではないと知りながら、その意味を勝手に量ってしまう罪。


 だが、それでも泉は、奇跡を止めていない。


 女神の面影を写した幼龍――御子様たちは現れる。

 透き通った水の身体で、角とひれの徴を備え、幼子の無垢さのまま、黒禍を抱きしめて溶かし、水へ還る。

 あの光景を一度でも目撃した者は、二度と「神秘などまやかしだ」とは言えない。

 言えるはずがない。


 だから人が集まる。

 止まることを知らない勢いで、この森の泉へ雪崩れ込んでくる。


 深淵殺し。異形を抱えた浸蝕者。噂を嗅ぎつけた者。神秘を追い求める者。

 浸蝕が薄れると聞けば、救いを求める者が集まる。

 深淵に冒されつつある世界に希望が残っているのだと知れば、その灯に引き寄せられる。


 私は日々、その対応に追われ続けていた。


 彼らが救われることに否はない。否などあるはずがない。

 だが、私は知っている。

 救いを求める者を抱擁した御子様たちの身体が黒に濁って崩れ、水に還る瞬間を。

 それが死ではないと頭では理解しても、胸は別の答えを口にする。


(御方の、御子様方への御負担になっているのではないか)


 救いは優しい形をしている。優しいからこそ、甘えが生まれる。

 御方の慈悲に縋り、甘え、知らず知らずにあの御方を追い詰めているのではないか。

 祈りが”形式”に、救いを得るための“対価”になってはいけない。


 その境目が、私には見えない。


 最近、目につくものがある。

 村の者たちが私と同じ薄藍に染めたサッシュを身に着けるようになった。


 これは私が勝手に身につけているだけの印だ。

 赦しでも、誓いの強さでもない。――ただ、私が私を戒めるための布だ。


 だが、それはいつの間にか「女神への信仰の印」になっていた。


 初めは村の者が身に着けるだけだった。だが、やがて参拝者に広がっていった。

 ただ薄藍で染めただけの布の端に飾り房が付き、刺繍が入り、留め金が付けられた。

 薄藍は濃藍になり、白銀の糸が混じり、やがて金糸が混じる。


 それらは今、外来者や富裕の者へ売り出されて、村の収入源になっているという話まで耳に入ってきた。


(……私は、何をしているのだ)


 私は止めるべきなのだろう。

 だが止めれば、開拓村での生活は信仰だけでは成り立たない。

 この辺境の地、産業もない開拓村では、暮らしに必要なものを外部から得る必要がある。

 そして、その為には金が必要になる。それを否定しきることも出来ない。


 そんな折だった。


※※※※※


 普段は不思議と泉へ近づこうとしない男が、森の道を歩いてきた。


 商人ペッシヌス。

 彼は泉の畔へ足を運ぼうとしない。水面に己の姿を畏れるかのように。


 今、彼の背後には、明らかに身分と立場があると分かる者たちがいた。

 身に着ける布地が違う。靴音が違う。目つきが違う。


 そしてペッシヌスも彼らも、一様にあのサッシュを身につけていた。

 光沢のある青い布地、銀糸や金糸の刺繍、宝石で飾り立てられた留め金。

 

 私の目にはその華美さは清浄な水の青に混ざる不純物のように映る。

 胸の奥が、嫌な形にきしんだ。


(何故、御方の前で己を飾ろうとする――)


 諫言を喉の手前で押し留めていると、ペッシヌスが、にこやかに手を広げた。


「アイオリス殿。よい折に。今日は素晴らしい日だ」

「我らが女神イズミールとその御子様方が心安らかでありますように」


  挿絵(By みてみん)


 彼は微笑みの形だけを整え、私の返事を待たずに続ける。


「こちらの皆様は敬虔なる女神の信奉者であり、救いを求める者です」

「女神さまの偉大さを知り、その崇敬の証として惜しみない支援をくださる方々です」


 ペッシヌスは、わざとらしく深く息を吸った。


「方々のご寄進は村を潤してくれております」

「お陰で遠方から訪れた者たちに、水と食事、屋根を不足なく提供出来るようになりました」

「重い浸蝕を抱えた者や、傷病者を受け入れる施療院の建設も進んでいます」

「救いを待つための場を整える。女神様のご慈悲は等しく与えられるべきでしょう?」


 義と利、双方の観点から反論を許さない言葉の形だった。

 私は唇の裏を薄く噛んだ。善行の衣を着た欲は、最も扱いにくい。


 ペッシヌスは明るい声で、富裕の者たちへと向き直って言った。


「こちらが、女神イズミールの御名を最初に世へ示した聖者、アイオリス殿です」


 ペッシヌスの連れてきた者たちの視線が私に集まる。

 英雄を見る目。為人を量る目。価値を計る目。この黒髪に嫌悪と侮蔑を抱く目。

 ”深淵殺し”アイオリス、”聖者”アイオリス――彼らが。私の名と姿にどちらを見出したかは、私の与り知るところではない。


 私がどのように思われるかなど、あの御方への信仰の前には些末事だ。


 ペッシヌスが笑う。私にだけ分かる、歯の裏の笑いだ。


「私のような卑しい商人とは違い、貴殿は――あの城塞都市オルセイスの領主のご令息。礼法の心得もおありでしょう。貴殿には、方々へ祈りの作法をお示しいただきたいのです」


 オルセイス。

 その名を盾にされるたび、胸の奥の焦げ跡が痛む。


 断れば、同郷を切り捨てる。

 断れば、救いを求める者の列が乱れる。

 断れば、女神の御威光を損なう――そう思ってしまう。


 私は拳を握り、開いた。息を整えた。

 薄藍に触れる。自分の印ではない。今は彼らの“信仰の印”になってしまった布に。


「……分かりました」


 口にした瞬間、敗北の味がした。

 だが、これは村のためだ。救いを求める者のためだ。

 そして、御方の御名のためだ――そう言い聞かせるしかない。


 ペッシヌスは来客を私に預け、泉への入り口で待つ。

 その姿は私を監視するようでもあり、泉に近づくことを恐れているようでもあった。


 私は先頭に立ち、来訪者たちへ、泉へ向かう際の足の運びを示した。

 畔に近づく距離。視線の置き方。武器を帯びている者は外すこと。声を荒げないこと。

 祈りは短く。求めは多く語らないこと。沈黙を拒絶と見なさないこと。


 教えながら、私の内側では別の声が鳴っていた。


(これは誰に対する作法だ? 女神の言葉も解せぬ者が尽くす礼など形だけではないか)


 彼らは社の中に、いつの間にか置かれていた寄進箱に貨幣や宝石を収めた。

 泉に向かう前に世俗の穢れを置いていくべきだ、などと誰かが語って置き始めたものだ。


 だが、その置き去りにされた財貨は回収され、誰かの懐に収まる。

 それこそ穢れなのではないのか。


 財貨の音が、森の空気に落ちる。

 その音は、祈りより先に響いた。


※※※※※


 私は彼らを伴って泉へと向かう。

 水面は鏡のように静かだった。


 今日も御方はお姿をお見せにならない。

 そして――御子様方も現れない。

 彼らが本当に救いを求める者なのか、それとも私が“救い”を売る場にしてしまったのか。

 そのどちらを試されているのか、私には分からない。


 風が枝を鳴らす。鳥が一声だけ鳴く。

 時間がこちらを見下ろしている感覚だけが、増していく。


 来訪者たちが、微かに眉を動かした。疑念、失望、焦燥、落胆。

 言葉には出さないが、それらの感情の動きが、私の背中に針のように刺さる。


 ペッシヌスが、遠くで静かに息を吐く気配がした。

 その気配すら、計算に見える。


(……御方)


 胸の奥が冷える。


 私は、再び誤った道に進んでいるのではないか。

 救いを守るつもりで、救いを穢しているのではないか。

 御方の沈黙は、私に対する失望なのではないか。


 鏡の水面は何も答えない。


 私は唇を結び、もう一度、膝をついた。

 祈りの言葉を捧げる資格が自分に残っているのか――それすら分からないまま。


◆◆◆◆◆


 俺は完全に嵌められた。あの木こり野郎に。

 奴は毎日のように化け物っぽい奴とか具合の悪そうな連中を俺の元に連れてくる。


 あの野郎が連れてくる連中の目は、もう完全に疑いを持ってない目をしていた。

 自販機にお金を入れてボタンを押せばジュースが出てくることを疑わないレベル。

 いや、出て来ねーよ。お前らがグイグイ押してるのは俺の心だ、プレッシャーどもめ。

 俺は自販機じゃねぇし、捻ればチョロッと出てくる蛇口でもねえんだぞ。


 けど、水際に大人数が黙ってジッとしてるの、半端なく居心地が悪い。

 枕元に知らない奴らが立ってたら落ち着かないだろ。


 で、結局、量産型俺のスクランブルだ。うるせえ、俺はチョロくない。

 最近は押しかけてくる奴らにもムカついてきて、きりもみ回転キックとかかますんだが、何故かあの微笑ましいものを見る目をされる。


 やめろ、その目で俺を見るな。

 水フィギュアは俺じゃないけど、その目を俺の水面に映すな。

 何なんだよお前らは、ロリコンか? マゾか? 文化が違い過ぎる……。


※※※※※


 そんなある日のことだった。

 森に出来た道のあたりに、毛色の違う連中が現れた。


 社が出来てから、俺の視界は以前より広がっていた。

 屋根の上に登ることの方が多いからあまり気にしてなかったが、最近はおちおち身体を創って外出もできない。陰キャでもガチの巣ごもりはキツい。散歩する時間くらい寄こせ。 


 で、その集団の先頭に居た奴、俺はそいつに見覚えがあった。


 くすんだ金髪の中年の男。

 太っちょじゃないがスマートでもない。ひげ面で赤ら顔。

 そう、あいつだ――あの小便たれの盗っ人野郎だ。


(どの面下げて俺のところに顔出してんだよてめぇ)


 水面がグラッとしそうになった、我慢、我慢。

 揺らすとまた勝手にギャラリーが沸く。


 盗っ人野郎は前に見た時より小綺麗な恰好をして、木こり野郎がしているような青いタスキみたいなものを身に着けてた。ただ、あいつのと違って模様とか装飾がゴテゴテしてる。


 そういや、最近、社を拝む奴らも着けてたな、あれ。民族衣装か?


 模様のデザインには興味もあったが、あのクソッタレが身に着けてるものだと思うと、ロクでもないデザインに見えてくる。

 奴の後ろにいる連中はもっとあからさまだった。


 普段、参拝に来る奴ら、浄化目当てでくる化け物連中とは一線を画する格好だ。

 指輪とか首飾りとか、縫製のきっちりしてそうな高そうな服とか初めて見た。

 そいつらも、ゴテゴテ飾られた青いタスキを着けていた。


 俺の社畜精神と富裕層への僻みが、勝手にラベルを貼る。


(なんだこのセレブども、ここはヒルズじゃねぇ、森だ)


 で、そいつら、誰も具合が悪そうには見えない。

 角もない。嘴もない。黒い筋もない。浄化が必要そうな顔じゃない。

 なのにわざわざ、ここまで来た。


 目的は、一つしかない、金持ちの道楽だ。


 量産型俺の見物か、俺が万病に効くとか、美容に良いとか、そんな感じに広まってるんだろう。

 で、見世物とか、スパリゾートとかエステ気分で来やがったんだ。


 社のあたりに、いつも来る連中がざわついた。

 連中が身に着けてるタスキは、木こり野郎と同じでショボい。


 ――ああ、あれって入場券とか制服的なものなんじゃないか?


 金持ちとかランクの高い奴は豪華で、下っ端はショボい的な。

 身分差、格差。うわ、最悪。


 セレブどもを引き連れてきた盗っ人野郎のところに、木こり野郎が向かって行った。

 あいつも、いつも通り水色のタスキをつけている。

 飾りっけもなんもなし、ボロい、ショボい。どう見てもヒラ。


 ……ん? じゃあ、木こり野郎も下っ端なのか?

 あの布って、俺を真似して着けてきたとかじゃなかったのかよ……。


 盗っ人野郎は、木こり野郎が近づいてくると両手を広げて満面の笑み。

 やたら愛想よく、両手を広げて、ベラベラ喋ってる。


 もちろん俺には何言ってるか分からない。

 分からないけど、俺には分かる。


 あの盗っ人野郎は、木こり野郎を完全に下に見ている。

 あの目は会社にいた時に何度も何度も見た。

 お偉いさんや取引先――そいつらが俺に向ける、取るに足らない奴を見る目だ。


 木こり野郎はこっちに背を向けていて、表情は見えない。声も届かない。

 だから――俺はその“仕草”だけで読まされる。


 盗っ人野郎がご機嫌に喋ってる間、木こり野郎は口を挟まない。

 いや、挟めないのか? 相手が勝手に喋ってるだけか?

 そう思おうとした。


 でも、木こり野郎は一度だけ、頷いた。

 それを見て、盗っ人野郎が満足そうに口角を上げる。


(は?)


 木こり野郎が、セレブどもに向かって手を差し向けた。

 その仕草は「どうぞこちらへ」っていう案内の手だ。

 セレブどもは、当然みたいに頷いて、ぞろぞろ付ついていく。


 盗っ人野郎は動かない。

 ”客”を案内をするのは”ヒラ”の仕事。そういう顔だ。


 ――おい。待て。


(……お前、盗っ人野郎の指示で動いてんのか? それがお前の仕事なのか?)


 俺の水底が、嫌な音を立てた。

 砂利が、ちりちり鳴る。岩盤が、きしむ。


 成金どもは社の前で立ち止まった。

 いつもの参拝者みたいに整列もしない。遠慮もしない。

 堂々と、社を見上げて、何かを言って、笑う。


 そして――


 じゃらじゃら、じゃらじゃら。


 金属の音。


 袋から何か取り出して、社の中に放り込んだ。

 なんだ、おい、賽銭箱でもあるのか? いつからだ?


 ……何でもいい。とにかく、金か何かを入れたんだよな?


 今まで、あんまり考えないようにしてた。


 けど、ちょっと考えれば分かることだ。

 俺の水で病気とか化け物化が治るんなら、それで商売が出来るって。


 そんなのぼろ儲けじゃねえか。

 だって、原価ゼロ、効き目抜群の回復の泉じゃん。

 拠点にすれば荒稼ぎ出来るに決まってる。


 木こり野郎は、セレブどもを黙って見ている。

 背中は何も語らない。だから俺が勝手に筋書きを思い描いてしまう。


(……おい)


 止めろよ。


 お前、毎度毎度、連れて来た連中にマイルールみたいなのを語ってただろうが。

 あいつらを連れて来た度に、裏ではこんな風に金を取ってたのか?

 だから、あんな風に何度も何度も、俺のところに連れて来たのか?


 あんなクソ重感情を乗っけたキモい祈りを――(おれ)の名前を何度も何度も呼んでおいて。


 なのに、俺を使って金儲けをしていたのか?


 その瞬間、俺の中の何かが、ぷつんと切れた。


(ああ、そうかよ……そういうことかよ)


 木こり野郎は盗っ人野郎の手下だったんだ。

 いつからとかは知らない。


 こいつが俺を見つけて。

 俺の水の効き目を知って。

 俺を拝んでご機嫌取りをして。

 社を建てさせて。

 噂を広げて。

 人を呼んで。

 信者に仕立て上げて。

 俺を担ぎ上げて、金儲けの道具にした。


 外面の良い木こり野郎が飛び込み営業で、盗っ人野郎が社長か?

 なら、あの化け物連中や病人は客で、このセレブどもはスポンサーってわけだ。


 そして、何にも知らない俺は――


 社畜どころじゃない、ただの原材料だ。

 

 俺がやることなすこと、全部こいつらにとってはただ売り物で。

 俺はこいつらの商品でしかなかった。


(……俺を、売ったのか?)


 腹の底から、熱いものが湧いた。

 怒りだ。たぶん怒り。怒りのはず。

 でも、その奥に、別のものが混じってるのが分かる。


 裏切られた、ってやつ。


 信仰の重さが嫌で、怖くて、逃げたくて、量産型で誤魔化して。

 それでも毎日来るあいつを、うざい、きもい、って言いながら――

 

 どこかで「こいつは筋を通す奴」だなんて、勝手に思ってた。


 泉の周りで騒がしくする奴。

 何かを投げ込もうとする奴。

 待ちくたびれて文句を言い出す奴。

 浄化を受けた後に興奮して泉に飛び込もうとする奴。


 そんな連中が現れると、こいつは率先してそれを止めていた。

 殴ったりはしない、言葉を重ねて時間をかけて言い聞かせてるように見えた。

 だからなのか、こいつが泉の畔にいる時は、居合わせた連中の背筋が伸びる。


 こいつは、たぶん、俺の“嫌がること”を知ってた。

 そんな気がしていた。


 ――そんな気になってた。


 だから今、この光景が、余計に刺さる。


(……はは)


 笑いが出そうになる。俺には顔なんかないから笑えない。

 ああ、いや、笑えたわ――


 俺、身体を創ればいつだって笑顔じゃん。なんでも許しますよって感じの。

 何があっても、どんな風に扱われたってヘラヘラ笑ってよ……。


 ――俺、何を期待してたんだ。

 言葉も通じない泉に閉じ込められた俺が、人間なんかを信用してどうする。

 人間じゃないくせに、いつから人間とまともに付き合えるなんて勘違いしてた?


※※※※※


 泉の畔には、木こり野郎とセレブどもが跪いている。


 俺か量産型が出るのを待ってる時と構図は同じ。

 けど、あの救いを待ってますって感じのプレッシャーはない。

 待ちくたびれて面倒そうな溜息が聞こえた。


 祈るみたいな恰好をしているが、()()()()()()()()俺を湧かせない。


 でも、そんな最中にも。


『……イズミール』


 木こり野郎の呼びかけだけが、声じゃなく、直接――俺の底に響いてくる。


 やめろ。呼ぶな。今さら都合よく名前を使うな。


 そう思うのに、

 水底のどこかが勝手に緩む。

 胸の奥に、ぬるい湧き水みたいなものが広がる。

 うれしい。満たされる。増えてしまう。


 ちがう。

 これは俺の意思じゃない。

 祈りに反応して“湧く”ように出来ている、訳の分からない俺の“仕様”だ。


 なのに、俺はそんな気味の悪い仕組みで「気持ちいい」と思ってしまう。

 こんなものに絆されて、こいつがまともな奴だなんて誤解していたのか、俺は。

 

 呼ばれるだけで満たされる自分が。

 ”裏切られた”だなんて感じて怒ってる自分が――いちばん気持ち悪い。


 感情を押し留めようとしても、もう遅い。


 水底が渦巻き、水面が波打つ。


 水面から湧き上がった水がゆっくりと、“(わたし)”の形を創っていく。


 初めに顔から出来上がって――あいつと目が合った。

 

 唖然。


 それから、表情が歪んだ。

 ご自慢のイケメン面が台無しの、情けない間抜け面。


 イケメンはどんな表情でもイケメンなんだろうって思ってたけど、そうでもなかった。


 ムカついて、ムカついて、どうしようもなく水底が泡立ってるのに。


 俺はこいつの面を見て、はじめて笑ってしまった。


 挿絵(By みてみん)


 ぽつん、ぽつん、と水面に滴が落ちる音がした。

 俺は水なんだから、そんなの、別に珍しくもなんともない。

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― 新着の感想 ―
違うんだ、悪いのは全部そこの後ろでほくそ笑んでる糞商人であって 木こりさんは何も悪くないんだ… 逆にこれで糞商人は必要悪込みでも、完全に許されなくなりましたね (盗人猛々しい時点で悪人なのは分かり切…
更新ありがとうございます。お疲れ様です。 脳が壊されちゃった...
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