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30.帰ってきた木こり野郎 〇★△

 (おれ)に向かって人がたくさん近づいてきている。

 足音が近い。湿った土が、重い革靴で踏み潰される音がする。複数。何十。いや、もっと。


 森の影から人の群れが現れた。


 男も女もいる。手斧、スコップ、フォーク、鍬、木槌。

 武器にも道具にも見える。これ、気分が乗ったら一揆だって出来そうだ。


 俺は落ち着きを取り戻すために水面をピタリと鎮める。

 揺らぎを抑えて、息を殺す。水の呼吸、零の型――”居留守”だ。

 俺はここに居ない。居ないったらいない。


(でも、絶対、見られたよなさっき……目、合ったもん……)


 見られてた。消えるとこまでバッチリ。

 空飛ぶ美少女フィギュアがパシャって消えるの、あれ絶対“奇跡”として語られる。


 思い出される案4――姿を見せて結果的に拝まれるパターン。

 聖地巡礼。握手会。ファン同士の場外乱闘。入場特典でお持ち帰りされる俺の水。


 やべーよ、見ず知らずの大人数の前に立つとか絶対やだ。

 クソ会議のプレゼンだってやなのに、それ以上の人数の前でとか無理。笑えない。


 ――笑顔は固定だったわ、くそが!


 胃がきゅっと縮む――胃なんてないから縮まって感じるのは湧き口の方。

 でも、ずっと奥の方で、水圧がぎゅんぎゅん高まってるのを感じる。

 溢れそうで、押さえ込むみたいに、泉そのものが“息を詰める”。


 違う違う。俺は喜んでない。

 これは誰かが俺を信仰してやがるんだ。

 そう。今、俺の中にうっすら信仰――“俺が増える感覚”が湧き始めてる。

 水位が上がるんじゃない。透明なまま、密度だけが増える。重くなる。名前の分だけ。


 みんな道具を持ってたから、埋め立てかとビビったが、たぶん違う。

 先頭の方に見覚えのある奴らが居た。社を建てにきたあのガチムチどもだ。

 あの、むさくるしくて、(たぶん)モテない孤独なシルエットは紛れもなく奴らだ。


 あいつらは、社を建てたとき、泉に悪さはしなかった。

 水を汚すどころか、近寄るのすらやたら丁寧だった。あれは“推しへの礼節”だった。


 奴らはたぶん、木こり野郎の手下で。木こり野郎が厄介オタク。

 ガチムチ大工がその取り巻きなら、今ここで俺を埋め立てる線は無いはずだ。


 じゃあ、何をしに来たかって――

 あのガチムチどもの表情にピンとくるものがあった。


 顔に妙に自信がある。

 他の連中が(おれ)を見てざわ……ざわざわ、ってしてるのに、あいつらは落ち着いている。

 身振り手振りを交えて後ろの連中に何かを説明しているように見えた。

 何を喋ってるかは全くわからん。まるで聞き取れない。


 けど、あのツラは分かる。

 “俺たちだけは、ここのルール知ってます”って顔だ。


(出たよ。厄介オタク仕草)


 何を言ってるか分からないが、どうせ謎ルールを勝手に作ってご高説かましてるに違いない。


 「社には一礼二拍手」

 「泉から水を汲みに行くときは水面を直視するな」

 「水には直接手を触れるな」

 「異変を感じたら恩寵と思え」


(古参面すんな。お前らに俺の何が分かるってんだ)


 大工どもの語りに、大多数の人間が聞き入っている。

 緊張した顔。メモを持ってたら取ってそうな顔。


 ああ、これ、見覚えがあると思ったら――


 ――新入社員のオリエンテーション。


 右も左も分からないペーペーが先輩社員に案内されて、本社ビル見学。

 社長の有難い訓示とかを聞かせに行くやつ。空気が完全にそれ。


 俺は思わず水底で舌打ちした。

 俺の舌打ちは波紋だ。しかもピチョンって鳴ってしまった。


 ……その小さな音を、あいつらは待っていたみたいに拾った。


 大工の一人が、ぴくりと顔を上げる。

 次の瞬間、そいつがわざとらしく両手を掲げて叫んだ。合図だ。

 「社長がいらっしゃったぞ!総員、傾注!」みたいな。


 大工が一斉にその場で膝をつき、祈り始めた。他の連中も遅れてそれに倣う。


(おおぉい!やめろボケ!勝手にルールを作るな!!)


 大工どもに引き連れられて、人々が社の前に整列した。

 社の屋根は、さっき崩れた俺の身体だった水でビシャビシャだ。


 庇からポタポタ零れる水滴と、雲一つない青空を交互に見て、群衆が沸いた。

 「見ろ」「やはり」「今だ」――言葉は分からないのに、興奮の温度だけが伝わる。


 跪き、手を合わせる奴はまだいい。

 庇から滴る水を掌で受け止めて、それを口に――


(ひぃぃっ!?)


 ゾワッとした。あれ、俺だった水。

 俺の顔だったり、手だったり、乳、尻、太腿だったりした水――とか。

 うわあ、よせやめろ、そういうことを考えるな。考えるな俺。キモい、キモい!


 俺は水面を必死に平然と保つ。

 鏡の顔をして、心臓がバクバクしてる。心臓はないのに。


(やめろやめろ、飲むな、舐めるな、啜るな。やだやだ、なんかやだこれ)


 水面は静か。

 水底はもう洗濯機みたいな有り様だった。渦が渦を呼んで、泥が立つ。草が揺れる。

 すまん、エビ、小魚。俺を見ないでくれ。汚れちまった俺を真ん丸な目で見ないで……。


 俺が水底でぐるぐる悶えている間に、群衆はしばらく社の前でごちゃごちゃやったあと、スーッと引いていった。


 あの趣味の悪い皿と山盛り果実もうシワシワになってたを回収していく。

 ゴミ掃除ができるだけ、木こり野郎より百倍くらいマナーはなっている。

 だが俺の尊厳は大いに削れた。


 帰っていく背中を見送りながら、俺は水底の泥を落ち着かせる。

 エビが一匹、何も知らない顔で水草の影から出てきた。


 お前はいいな。祈られないから。


※※※※※


 それから、日がいくつか巡った。


 俺は寝ない。だから、日付の感覚がバグる。

 でも、森の匂いが変わる。葉の色が少しずつ褪せる。風が冷たくなる。

 季節が進むってやつを、肌じゃなくて水温で知る。


 奴らは定期的に来た。


 来て、社に参拝して、帰る。

 来て、社の周りを整えて、帰る。

 来て、また山盛り果実を供えて、帰る。


 ……泉を汚すようなことは絶対にしない。


 そこだけは徹底してる。

 完全にルールが出来ている感じだ。

 水際に近づいてくる時の態度は完全に神前のそれ。


 水は汲まれるし飲まれる。そこはもう諦めた。

 けど、柄杓を使って厳かな感じで汲み取る。

 汲んだ水は飲み屋で回し飲みするみたいには扱われない。

 柄杓すらなんだかありがたいもの扱いされてる。


 俺としては自分の中に入ってくる道具っていうと、歯ブラシみたいなもので。

 それをやたらとありがたがられるのは……うん、凄く、変態的だ。


 だが、そんなことより、もっと怖いことに気づき始めた。


 森の中――泉へ至る方向じゃなくて、その手前の方。

 そこが、変わっていく。


 藪が消えて、枝が払われ、木々が減っていく。

 地面が均されて、踏み固められる。

 杭が打ち込まれて、横木が組まれて柵ができる。


 遠くで、杭打ちの音が一定のリズムで鳴る。

 木屑の匂いが風に混じって、土の湿り気が乾いた粉に変わっていく。

 森が“現場”の匂いになる。人の生活の匂いになる。


 最初はただの獣道みたいだったのに、今はもう完全に「道」だ。

 それが人がすれ違えるくらいになって、次に荷車が通れそうなくらいになる。

 車輪の轍ができたら、もう戻らない。


 俺は、遅れて理解する。


 泉が奴らの生活の一部に組み込まれている。


(あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ)


 声にならない叫びが、泉の底で泡になって弾けた。


 これはもう、完全に団体様がいらっしゃるルート整備だ。

 入口でチケット切って、列を作らせて、最後尾はこちらでーすってやるやつ。


(やっべーよ。完全に俺、ターゲッティングされてるじゃん)


 奴らが祈るのは主に社だ。でも、泉、つまり俺は完全にご神体扱い。

 やめろやめろやめろ!それは俺に効く。


 俺の脳内で、過去の議事録が蘇る。


 案1却下、案2却下、案3却下、案4却下、案5却下、案6却下。

 案7既定路線。


(会議で結論が出る前に、事件の方が会議室に乗り込んでるじゃねーか!!)


 俺の頭の中の会議室で、議長:俺、書記:俺、参加者:俺が右往左往する。

 エビ、小魚、水草、虫はいつも通りだ。


 この路線、最悪なのは、奴らの動きが“善意”っぽいことだ。

 泉を穢さないように線を守る。

 社を整える。

 道を整備する。


 ……全部、“俺のため”みたいな顔でやってる。

 これを推し進めてるのは、どう考えてもあの木こり野郎だ。

 あいつ、斧なんか振り回す蛮族かと思ったら、やり手の起業家か教祖様だったのかよ。


 また、あの祈りの声が刺さる。


『――イズミール』


 反射で浄化。既読。既読即返信。社畜の習性が神秘に混ざって最悪のシステムになってる。


 木こり野郎の声。

 あいつの声だけが、俺に“聞き取れる言葉(イズミール)”を響かせる。

 他の連中の祈りも俺を湧かせる。

 けど、あいつの祈りだけが、俺を名前で呼びかけてくる。押し付けてくる。


 なのに、その元凶のあの野郎は姿を見せない。


(俺は……俺は普通だったのに……お前のせいで今大変になってるんだぞ!)


※※※※※


 そんな風に考えていた矢先。


 ――来た。


 ついにあの木こり野郎が俺のところに帰ってきた。

 森の奥の方から、ビシバシとあの眼力を向けながら。


 ただし、見るからにヤバそうな武装集団を引き連れて。


 俺に向けたことのない、硬い表情を浮かべて。


 奴の後ろに続く連中もギラついていて、緊張した気配を発している。

 目、髪、肌の色が木こり野郎と同じで黒い。

 それだけじゃない。角を生やしてたり、嘴が生えてたり、普通の人間じゃない。

 纏う雰囲気も化け物やってた時の木こり野郎と似ている。


 あっ、これはだめなやつだって、身体が訴えかけてくる、あの感じ。


 木こり野郎同じ種族? 民族? 地元が同じ連中?

 手下。舎弟。チーム。組。ヘッド。若頭。武装集団。半グレ。カチコミ。下剋上。


 嫌な言葉がポンポンと浮かんでは勝手に繋がって、変な方向によじれていく。

 事件だ。事案だ。何かとんでもないことが起こる、起こされる。


挿絵(By みてみん)


(ちょっ、お前っ、ま、待てよ、どどどういつもりだ?!)


 俺、あいつになんかやったか? されまくってる方だよな?

 既読スルーとか、そんなにはしてないし……な、なんか足りなかったか?


 俺からもボイスメッセージ的なのが欲しかったとか!?

 送り方とかわかんねーし!お前の名前も知らねーっての!

 

 それとも、追い出したことを根に持ってんのか!?

 実はムッツリ野郎で、俺の身体を触りたいとか思ってたりしてたとか!?

 分かった。落ち着け。ちょっとくらいなら……我慢、する。うん。


(だから、止まろう、なっ? お、俺とお前の仲だろ!?)

           挿絵(By みてみん)

<TIPS>

「隔ての柄杓」

 木で出来た水を汲むための道具。

 しかし、浄化と裁定の女神イズミール信仰においては、

 極めて重要な意味を持つ祭具とされる。


 水面の向こうは神の世界であり、そこへ手を差し入れることは、

 “境”を穢す行為とされる。


 ゆえに柄杓は、女神の聖体に直接触れずに水を受けるための

 ”隔て”であり、同時に”橋”と解釈される。

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